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第一章

第47話 王の顔

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 この話の主な登場人物

 カトリーヌ 主人公(わたし)
 フランツ 護衛
 ヒルダ 家庭教師
 デニス 金髪の剣士

 ローザリンデ フランツの母
 フリーデ フランツの妹

  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆


 夫人は奥に進み、邸宅に続く廊下を進む。その先にホールとなる別宅があった。
 そこにわたしたちは導かれてゆく。
 中は広く、部隊の皆さんでテーブルを広げて全員で着座する。
 コック長と炊事係である糧食班の方々は厨房でお茶とスコーンの手伝いをしていた。

 その準備が整うまでの間、わたしたちは今日ここまでに至る経緯を語った。
 フォルチュ家のことはわたしが、食事会で倒れたことはヒルダが、脱出のことはフランツ、そして山賊を撃退してここに訪れたことをデニスが、それぞれが語ったのだ。

「なるほど」とローザリンデ夫人が小さく言った。そして、「それで連絡もなかったのに突然フランツが帰ってきたのね」

「すみません、母上。会いに帰ってきたというよりも、行き場を失ってただ頼ってしまって」

 彼は母親の横に座っている。
 そう謝るフランツの手に夫人は自分のを重ね、「いいえ、どんな形であれ帰ってきてくれた、それだけで嬉しい。もう二度と会えないかもと思っていたのに、こうしてりっぱな大人になった息子と会えて、ほんとうに」とそこで言葉を詰まらせる。

「フォルチェ家を代表して謝罪いたします。長らくフランツを引き離して申し訳ありません」

 わたしは叱責を覚悟していた。
 一度も里帰りを許さず、フランツを縛り付けていた家の決定は非道の一言に尽きる。
 でも、それをローザリンデ夫人は批判しなかった。

「貴女がその決定をしたのでもないですから、気に病むことはないわ」

「でも」

「カトリーヌ、フランツの手紙にはいつも貴女のことが書き綴られていたわ、よほど気に入ったみたいね。それに少し安心もしていたのよ。人質となっても、仲のいい人が出来て独りぼっちにならなくて」とほほえんでくれた。

「お母さま、そんなことをここで言わなくても」

 フランツが顔を赤くしている。
 夫人はそれを見ながら手の甲を口にあてて、「息子を七歳にして他の女性にとられた母親の本心よ」ところころと笑った。

 その言葉に少しだけほっとすると同時に、ちょっとだけ怖くもあった。
 それにしてもローザリンデ夫人は若かった。
 夫人は一五歳にして嫁ぎ、一六歳でフランツを生んだ。そして七歳で引き離されたときは数えで二三歳。いまのわたしとそんなに変わらない年齢でそんな目にあった。

 それから十数年。
 まだ三〇代の筈だけど、そうとは見えないほど若々しかった。

「どうしたの? わたしをそんなに見て」

 つい見続けていたことを夫人にたずねられた。

「あ、いえ、お世辞ではなくて、ほんとうに若々しいなあって」

「息子といつ会えるか分からない、もっともっとずっと先かも知れない。だから長生きのために老け込んでいられないから、気をつかってきたの」

「すみません」

 わたしはつい謝罪の言葉が口から出た。

「あ、嫌味のようになってしまったけど、そんなつもりはないの。人生何があるのか分からない、それに翻弄されずに立ち向かうには気持ちで負けていられないって言いたいの。いまの貴女には、それが分かってもらえると思う」

「はい」

「お家のこと心配でしょうけど気持ちで負けてはだめ。心、つらいでしょうけど、フランツとヒルダ、デニスと皆さんを頼って。わたしも手助けいたします」

「ありがとうございます」

 その頃になるとお茶とスコーンが配膳される。
 それをいただいた。

 焼成された香ばしいかおりがする。
 堅すぎず、さくっと歯切れがよく、口に入れた瞬間にほろほろと崩れる優しい焼き加減。
 わたしもスコーンを良く焼いたことがあるので、それがどんな完成度かすぐにわかった。

 スコーンはパンやクッキーのように練ってはだめだった。
 グルテンが出て弾力が生じてしまう。
 小麦粉に細かくしたショートニングやバターをまぶしたら、ぎゅっと数回握るようにして固め、それを布にくるんで少し放置する。

 まんべんなく混ぜてしまうとさっくりとした食感が失われてしまう。だけどそのまま焼いたら粉っぽい部分が生じる。だから小麦粉に油をなじませるために放置する。

 油が多いとしっとりとした食感になり、少ないとぼそっとした粉の味が残る。
 でもジャムを堪能するには、すこし粉っぽい方が合う。
 だから小麦粉と油との調和が大事だった。

 時間を置きすぎると水分がでて濃淡が出来てしまうので、ちょっとなじませたら、素早く小口により分けてさっとオーブンで焼く。
 そうするとこんな具合にさっくりとした食感になる。

 手間をかけすぎず、だけど小麦粉の状態に注意して、手早く焼き上げる。
 シンプルなだけに誤魔化しがきかないのだ。

 配膳でテーブルに訪れたコック長にそれを伝えると、彼は嬉しそうに、「そんな細かいところまで見ていただいて嬉しいです」とカイゼル髭の端が真上をむくくらいににっこりと微笑んでくれた。

 そんな風にスコーンとお茶を堪能しているとき、まだ小さなフリーデがフランツが座る椅子の横にちょこんと立った。そして彼のジャケットの裾をつかんでいる。

「ん、どうしたんだい?」

 彼がそうたずねると、フリーデは顔を真っ赤して手を口に持って行き、「な、なんでもない」ともじもじしている。

「初めて兄を見て嬉しいけど、何を言ったらいいのか分からないのよ」

 ローザリンデ夫人が言った。

「そっか」とフランツはフリーデを抱き上げ、自分のひざの上に座らせた。そして、「これからもよろしくね、フリーデ」と頭をなでる。

「お兄さま、もう居なくならないの?」

「うん、もう一緒だよ。留守にすることはあるけど、帰れないということはないよ」

「よかった」とフリーデは笑顔でフランツの顔を抱き、そのほほに可愛いキスをした。

 そんな微笑ましい光景のあと、フランツがまじめな表情をする。

「それでお母さま、わたし達はここに避難してきたわけですが、なんでもファルツ家は跡目でもめているとか」

「ええ、その真っ最中よ」

「自分としては跡目などよりも、早く、フォルチェ家の問題を解決して妻を、カトリーヌを帰してやりたい気持ちでいっぱいなのですが」

 その言葉のあとをデニスが続ける。

「だけどこうやってローザリンデ夫人のところにフランツが殿が居られるのに、跡目問題を完全に無視するというのも難しいのでは。かえってあらぬ誤解を家中に与えてしまう」

「ええ、デニス殿の言う通りよ」と燐とした夫人の言葉。さらに、「跡目問題は場合によっては数年続くこともあります。その間に激しい政争が繰り広げられ、戦もあるでしょう。そんな長い期間、フランツ、貴方がわたしとデニス殿のところを行き来するというのは、そんなに簡単ことではありません。場合によっては危険な目にあうことも考えられる」

 わたしはその言葉を考えた。
 空席になったファルツ家の当主の座に、各派が自分の推す後継者を据えようとさまざまな工作が行われるだろう。それは確実に行われ、絶対に戦争になる。他国の軍隊もそれに加わり、激しい戦争が何年も続く。
 そんな状況下で正当な跡取り、つまりフランツがどちらの陣営にも加わらずに行き来する。
 それをただ黙って見ているだろうか。
 いいえ、そんな筈はない。

 各派が政争、工作、戦争と疲弊したときを見計らって、跡目争いに正当な血統を持った人間が名乗り出る。
 そんなことは他の勢力からしたらたまったものではない。
 フランツにその気がなくても、他人はそうは見ない。
 では、どうするか。

 決まっている。
 フランツを亡き者にしようとする。
 まだどちらの陣営にも就いていない段階で消してしまおうと考えるのは必須だ。
 わたしは薄々をそれを考えていたけれど、ここでデニスと夫人の言葉を聞いて確信に変わった。
 それが言葉となって出る。

「フランツ、わたし、貴方を危険な目に合わせたくない」

「わたしもせっかく会えた息子をそんな危険な目に合わせたくありません」

「お兄さま、わたしも居なくなっちゃやだ」

 妻であるわたしと母親、そして小さな妹の言葉にフランツは天井を仰ぎ見る。

「お忍びで行き来するのも難しいでしょうね」

 そのつぶやく言葉にデニスが肯定する。

「そんなの無理です。それに素性を隠していた方が消す方としたらやり易い」

 フランツは天井を見たまま、しばらく黙っていた。
 そして、ふっと息を吐き、「跡目争いに加わるしかないか」

「おおっ、ついにその気になられたか」とデニスが前のめりになる。

 だけど、フランツはこうも言った。

「跡目として名乗り出るだけならただ混乱を増すだけになる、だから周囲に認めさせなければならない」

「と、いうと?」

「ファルツ家を簒奪する」

「え!」

 そのデニスの驚きは、その場に居た全員の驚きでもあった。
 だけどそれを言ったフランツは静かなものだった。

「昨日まで居なかった人間がただ血統があるというだけで自動的に座に就いたら、長らく戦争になり人々が苦しむ。さらに他国の侵攻も許し、もっと多くの人が苦労する。だから一気にファルツ家そのものを奪取する。そんなつもりでやらないと難しいだろう」

 わたしは驚いた。
 つい先日まで寄る辺もなく逃亡し、いまやっと落ち着く場を得たという身でありながら、ファルツ家というゲルマン最大軍閥家を力で奪うと言ったのだから。
 その言葉にごくりとつばを飲み込むと同時に肌が粟立った。

 これが、お爺さまであるフォルチェ一世が、「この地に、この少年、フランツを残してはおけない」と言った意味なのだと思った。

 わたしは彼の横顔を見た。
 それはよく知っている幼なじみのフランツであると同時に王の顔にも見えたのだ。
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