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30 英雄たちの最期
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盾騎士ウェグート・ドラヒウクルが、掠れ切った声でギルヴェクスに呼び掛ける。
「ギルヴェクス。いったん助けを呼びに出よう。魔王のオーラが消失したのを感知して、外で待機している支援隊がこちらに向かってきているはず、……ううっ」
全身鎧の盾騎士が、がしゃんと金属音を鳴らしながら膝を突いた。背丈ほどの巨大な盾が、がらんがらんと石畳の上に転がる。
続けて盾騎士は、おびただしい量の血を吐き出した。内臓をやられているようだった。繰り返し吐血したあと、もう起きていられないという風に、自ら仰向けに倒れ込んだ。
その顔は黄色く染まり、奇妙な斑点が浮かび上がってくる。
ルエリアは、初めて見るその症状に目を凝らした。
(あの皮膚の変色は? 毒じゃないみたい。もしかしてあれって病気じゃないの? 魔王が病原菌を操って、一人の人間だけを狙って感染させたとでもいうの? 魔族がそんなことできるなんて……!)
少なくともルエリアが戦ったことのある魔族にそういうやっかいな攻撃をしてくる魔族など一匹もいなかった。もしいたとすれば、たちまちその情報は冒険者の間で共有されるはずだ。
ギルヴェクスが盾騎士ウェグートのそばにへたり込み、その血まみれになった胸甲の上に手を置いて悲痛な叫びを上げる。
「ウェグート! 君まで……。しっかりしてくれ……! 僕をひとりにしないで……!」
ウェグートが、小手をはめた腕をのろのろと持ち上げて、うなだれるギルヴェクスの頭をぽんぽんと優しく撫でた。
血の溜まった喉をがらがらと鳴らしながら、涙を流す勇者に語り掛ける。
「ギルヴェクス。俺たちの分まで、平和になった世界を謳歌しろよ。俺の家族にも、会いに行ってやってくれよな。息子たちが楽しみにしてるんだ、お前に会えるのをさ……」
「一緒に行こうよウェグート! 僕ひとりじゃ、誰にも顔向けできない……!」
その悲痛な叫びは届かなかった。盾騎士ウェグート・ドラヒウクルは、最期のひとことを遺した瞬間の笑顔のまま、動かなくなった。
そこで記憶の世界における時間の流れが停止した。
勇者ギルヴェクス・マグナセニアが向き合うべき場面が終了したからだ。
倒れた三人の仲間と、うずくまるひとりの勇者。まるで古びた絵画のように、静止した光景が色あせていく。
ルエリアは、泣き叫びたくなる衝動をぐっと抑え込んだ。口に手を当て、下唇を噛みしめ、その痛みで辛うじて嗚咽を飲み込む。手の甲を、涙が濡らしていく。
(せっかく魔王を倒したのに。みんな、こうして死んでいったんだ)
勇者ギルヴェクスは魔王を倒した時点で魔力を使い果たし、仲間が死にゆく様をただ見守ることしかできなかったという。どんなにつらかったことだろう――。
腹をひくひくさせつつ声だけは必死にこらえていると、ルエリアの隣でギルヴェクスがくずおれた。
何度も床を拳で叩き、叫び始める。
「うっ、ううっ、ううう……! ウェグート、リヒツェイン、マチェアナ……!」
こぼれ落ちる涙が、ぼろぼろの石畳に沁み込んでいく。
ルエリアもかたわらに座り込むと、涙を落とす勇者を見つめた。悲愴な横顔に、胸が引き裂かれそうになる。
静まり返った玉座の間に、むせび泣きだけが響き渡る。
数分か、十数分か、数十分経ったのか。ルエリアがただただ見守り続けていると、ふとギルヴェクスが咳き込みながら、思いを吐露し始めた。
「僕は、泣いちゃいけないんだって……、皆の前でも、ひとりでいるときも、ずっと涙をこらえていた。彼らを助けられなかった僕には泣く資格すらないんだって、そう自分に言い聞かせていたんだ」
子供のように、丸めた両手で涙を拭う。何回拭っても、曇り空を映したかのように陰る瞳は透明な雫を溢れさせるばかりだった。
「本当は、憶えていたんだ……。彼らの最期の言葉は、一言一句たがわず憶えていた。だけど、自分だけが生き残ったことが受け入れられなくて……。彼らの最期を自分の勝手な妄想で汚して、自分を罰するために使ってしまっていた。なんて身勝手なことをしてしまっていたんだろう……!」
ルエリアは、懸命にギルヴェクスの言葉に耳を傾けた。彼の心に募る想いをひとつたりとも聞き逃さず、すべて受け止めてあげたい――。
ギルヴェクスがぐっと手の甲で目元を拭い、顔を上げる。濃い空色を取り戻した瞳で、眼前に広がる仲間の最期の姿を凛と見据える。
「彼らこそ、真の英雄だ。僕にできることは、仲間たちの偉業を語り継ぐことだ。家にこもっていてはそれすらできない。彼らの家族に会いに行かなくては。彼らの最期を伝えられるのは、僕だけだから……」
膝に手を置き、ゆっくりと立ち上がる。全身で息を吸い込み、ふう、とひとつ大きく息を吐き出すと、まだ座り込んだままのルエリアに手を差し出してきた。泣き腫らした目をわずかに綻ばせる。
「ありがとう、ルエリア。僕をここに連れてきてくれて。僕がこれから成すべきことを思い出すことができたよ。さあ、帰ろう。僕らの帰りを待ってくれている皆の元に」
「はい、ギルヴェクス様……!」
手首に巻いたブレスレット状のロープに触れて帰還の手続きをした瞬間、記憶の世界から目覚めていた。
まぶたを押し上げて、まばたきを繰り返す。何度か深呼吸して、現実世界に戻ってきたことを実感する。
そうして安全を確認していると、ルエリアより先にギルヴェクスが隣でゆっくりと起き上がった。その目には涙が残っていたが、瞳には光が宿っていた。
「ギルヴェクス……! よくぞ無事に戻って……!」
ヘレナロニカがベッドに歩み寄ってくる。その後ろにはヘレディガーが控えていて、主が心を取り戻した様を見て取り、感激に目を潤ませている。
その隣には医師のゼルウィドがいて、淡い茶色の目を見開いていた。ギルヴェクスの明らかな変化に驚いているのだろう。
ギルヴェクスが一同を見渡して、その眼差しに力と優しさを宿す。
「ヘレナロニカ、ヘレディガー、ゼルウィド。今まで迷惑を掛けてすまなかった。皆、本当にありがとう」
「ギルヴェクス様……!」
ヘレディガーとゼルウィドが声を揃える。低い声と高い声がぴったりと重なった。
その場にいる全員が笑顔になる。
(よかった、うまくいって、本当によかった……!)
ルエリアも静かに起き上がり、安堵の息をついた。
緊張感がゆるんだ次の瞬間。
ぐうう……。
と、ルエリアの腹が鳴った。
「ギルヴェクス。いったん助けを呼びに出よう。魔王のオーラが消失したのを感知して、外で待機している支援隊がこちらに向かってきているはず、……ううっ」
全身鎧の盾騎士が、がしゃんと金属音を鳴らしながら膝を突いた。背丈ほどの巨大な盾が、がらんがらんと石畳の上に転がる。
続けて盾騎士は、おびただしい量の血を吐き出した。内臓をやられているようだった。繰り返し吐血したあと、もう起きていられないという風に、自ら仰向けに倒れ込んだ。
その顔は黄色く染まり、奇妙な斑点が浮かび上がってくる。
ルエリアは、初めて見るその症状に目を凝らした。
(あの皮膚の変色は? 毒じゃないみたい。もしかしてあれって病気じゃないの? 魔王が病原菌を操って、一人の人間だけを狙って感染させたとでもいうの? 魔族がそんなことできるなんて……!)
少なくともルエリアが戦ったことのある魔族にそういうやっかいな攻撃をしてくる魔族など一匹もいなかった。もしいたとすれば、たちまちその情報は冒険者の間で共有されるはずだ。
ギルヴェクスが盾騎士ウェグートのそばにへたり込み、その血まみれになった胸甲の上に手を置いて悲痛な叫びを上げる。
「ウェグート! 君まで……。しっかりしてくれ……! 僕をひとりにしないで……!」
ウェグートが、小手をはめた腕をのろのろと持ち上げて、うなだれるギルヴェクスの頭をぽんぽんと優しく撫でた。
血の溜まった喉をがらがらと鳴らしながら、涙を流す勇者に語り掛ける。
「ギルヴェクス。俺たちの分まで、平和になった世界を謳歌しろよ。俺の家族にも、会いに行ってやってくれよな。息子たちが楽しみにしてるんだ、お前に会えるのをさ……」
「一緒に行こうよウェグート! 僕ひとりじゃ、誰にも顔向けできない……!」
その悲痛な叫びは届かなかった。盾騎士ウェグート・ドラヒウクルは、最期のひとことを遺した瞬間の笑顔のまま、動かなくなった。
そこで記憶の世界における時間の流れが停止した。
勇者ギルヴェクス・マグナセニアが向き合うべき場面が終了したからだ。
倒れた三人の仲間と、うずくまるひとりの勇者。まるで古びた絵画のように、静止した光景が色あせていく。
ルエリアは、泣き叫びたくなる衝動をぐっと抑え込んだ。口に手を当て、下唇を噛みしめ、その痛みで辛うじて嗚咽を飲み込む。手の甲を、涙が濡らしていく。
(せっかく魔王を倒したのに。みんな、こうして死んでいったんだ)
勇者ギルヴェクスは魔王を倒した時点で魔力を使い果たし、仲間が死にゆく様をただ見守ることしかできなかったという。どんなにつらかったことだろう――。
腹をひくひくさせつつ声だけは必死にこらえていると、ルエリアの隣でギルヴェクスがくずおれた。
何度も床を拳で叩き、叫び始める。
「うっ、ううっ、ううう……! ウェグート、リヒツェイン、マチェアナ……!」
こぼれ落ちる涙が、ぼろぼろの石畳に沁み込んでいく。
ルエリアもかたわらに座り込むと、涙を落とす勇者を見つめた。悲愴な横顔に、胸が引き裂かれそうになる。
静まり返った玉座の間に、むせび泣きだけが響き渡る。
数分か、十数分か、数十分経ったのか。ルエリアがただただ見守り続けていると、ふとギルヴェクスが咳き込みながら、思いを吐露し始めた。
「僕は、泣いちゃいけないんだって……、皆の前でも、ひとりでいるときも、ずっと涙をこらえていた。彼らを助けられなかった僕には泣く資格すらないんだって、そう自分に言い聞かせていたんだ」
子供のように、丸めた両手で涙を拭う。何回拭っても、曇り空を映したかのように陰る瞳は透明な雫を溢れさせるばかりだった。
「本当は、憶えていたんだ……。彼らの最期の言葉は、一言一句たがわず憶えていた。だけど、自分だけが生き残ったことが受け入れられなくて……。彼らの最期を自分の勝手な妄想で汚して、自分を罰するために使ってしまっていた。なんて身勝手なことをしてしまっていたんだろう……!」
ルエリアは、懸命にギルヴェクスの言葉に耳を傾けた。彼の心に募る想いをひとつたりとも聞き逃さず、すべて受け止めてあげたい――。
ギルヴェクスがぐっと手の甲で目元を拭い、顔を上げる。濃い空色を取り戻した瞳で、眼前に広がる仲間の最期の姿を凛と見据える。
「彼らこそ、真の英雄だ。僕にできることは、仲間たちの偉業を語り継ぐことだ。家にこもっていてはそれすらできない。彼らの家族に会いに行かなくては。彼らの最期を伝えられるのは、僕だけだから……」
膝に手を置き、ゆっくりと立ち上がる。全身で息を吸い込み、ふう、とひとつ大きく息を吐き出すと、まだ座り込んだままのルエリアに手を差し出してきた。泣き腫らした目をわずかに綻ばせる。
「ありがとう、ルエリア。僕をここに連れてきてくれて。僕がこれから成すべきことを思い出すことができたよ。さあ、帰ろう。僕らの帰りを待ってくれている皆の元に」
「はい、ギルヴェクス様……!」
手首に巻いたブレスレット状のロープに触れて帰還の手続きをした瞬間、記憶の世界から目覚めていた。
まぶたを押し上げて、まばたきを繰り返す。何度か深呼吸して、現実世界に戻ってきたことを実感する。
そうして安全を確認していると、ルエリアより先にギルヴェクスが隣でゆっくりと起き上がった。その目には涙が残っていたが、瞳には光が宿っていた。
「ギルヴェクス……! よくぞ無事に戻って……!」
ヘレナロニカがベッドに歩み寄ってくる。その後ろにはヘレディガーが控えていて、主が心を取り戻した様を見て取り、感激に目を潤ませている。
その隣には医師のゼルウィドがいて、淡い茶色の目を見開いていた。ギルヴェクスの明らかな変化に驚いているのだろう。
ギルヴェクスが一同を見渡して、その眼差しに力と優しさを宿す。
「ヘレナロニカ、ヘレディガー、ゼルウィド。今まで迷惑を掛けてすまなかった。皆、本当にありがとう」
「ギルヴェクス様……!」
ヘレディガーとゼルウィドが声を揃える。低い声と高い声がぴったりと重なった。
その場にいる全員が笑顔になる。
(よかった、うまくいって、本当によかった……!)
ルエリアも静かに起き上がり、安堵の息をついた。
緊張感がゆるんだ次の瞬間。
ぐうう……。
と、ルエリアの腹が鳴った。
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