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29 勇者と手を携えて

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 床に縫い付けられたかのように動かない足を、どうにか持ち上げようとする。
 ルエリアがそうしてしばらく自分の体のままならなさに歯噛みしていると、ギルヴェクスが足を止め、まっすぐに戻ってきた。
 ルエリアの目の前で足を止める。

「ルエリア。君は以前、僕に『勇者だからって傷付いちゃいけない、落ち込んじゃいけないなんて、そんなことは決してない』と、そう言ってくれたね」
「……はい」
「君も、僕の方が落ち込んでるはずだからって、傷付いたり落ち込んだりしちゃいけないなんて、そんなことはないはずだ」
「……はい」

 勇者ギルヴェクスの優しさに、涙が浮かんでくる。大地を照らす太陽のような――。

「人を救うために魔法薬を作っている君が、記憶の世界の中とはいえ、僕を殺すための魔法薬を作るなんて、本当につらかったろう」
「……。……はい。つらかったです」
「そこまで君を追い詰める事態を引き起こしてしまって、本当にすまない」
「いえ。すみません、本当に大丈夫ですから……」

 反射的に、強がりが口を衝いて出る。
 ちゃんと大丈夫であるところを見せなくちゃ、と背筋を伸ばした瞬間。
 そっと手をすくい上げられた。
 予期しなかったぬくもりに、びくっと肩が跳ねる。
 重ねた手の上に、さらに手を重ねてくる。それを目にして初めて気付く。勇者ギルヴェクスの手はルエリアよりずっと大きく、長年剣を振るってきたせいかごつごつしていた。

「君を見ていると、自分がいかに自分の心と向き合わないようにしてきたかがわかる」

 広い手のひらに包まれた手に、体温が沁み込んでくる。
 そのぬくもりに、こわばった心が溶かされていく。
 ルエリアはギルヴェクスの顔を見上げると、苦笑いを浮かべてみせた。

「お互い子供の頃に辛いことがあったから、我慢するクセがついちゃってるのかも知れませんね」
「そうだな」
「ギルヴェクス様。私、もう大丈夫です。ギルヴェクス様に励ましてもらえてだいぶ楽になりました。本当に、ありがとうございます」

 じっと目を覗き込まれる。探るような視線を向けられてもルエリアは怯まなかった。本当に、立ち直れたのだから――。
 確かめるように、ぎゅっと手を握られる。
 大丈夫だからと、ルエリアは自分の方から手に力を込め直した。
 手をつないだまま一歩踏み出して、顔を振り向かせる。

「さあ、行きましょう、ギルヴェクス様。あなたのお仲間の元へ」
「……ああ。行こう、ルエリア」


 二回目の記憶の世界でも、ルエリアはまた魔王が倒れ込む轟音に震え上がってしまった。
 ギルヴェクスの握ってくる手の力強さに励まされて、廊下を進んでいく。
 ふたりで横並びになって、玉座の間に踏み込んだ。城の最上階のほとんどを占める広大な空間は、どこを見回してもひどく傷んでいた。
 部屋の一番奥、古びた玉座の前には倒されたばかりの巨大な魔王の死骸が転がっていた。魔族というものは、人に似た姿すがたかたちであっても何か防具をまとっているわけではなく、どす黒い皮膚自体が硬い鎧のようになっているのだった。金属のように硬いはずの魔族の体が、徐々に崩壊していく。
 すでに死んでいるとはいえ、今にも動き出しそうなほどの禍々しさを醸している。ルエリアはその現実離れした大きさをした人型の異形を見て震え上がった。もしも自分が勇者の随伴者だったとして、これほどまでにおどろおどろしい魔王に睨み付けられたら足がすくんで動けなくなっていたことだろう。
 怯えるルエリアの手がぎゅっと握り締められる。つないだ手から、怯えが伝わってしまったらしい。
 目の前に広がる現実離れした光景を見据えたまま、一度深呼吸して、成り行きを見守る。
 すると、ギルヴェクスの手がするりと離れていった。
 それと同時に、魔王の死骸の前から歩いてくる人たちの足音が聞こえてきた。


 勇者一行の四人のうち、まず闇魔導師マチェアナ・サシェレアラが膝を突き、その場に倒れ込んだ。

「はは。もー無理。歩けないわ、あたし……」

 フードがめくれて、真っ白になった髪が広がる。彼女は古代魔法を習得する代償として、美しい茶色の髪を失ったのだという。

「マチェアナ……!」

 かたわらに座り込んだ治癒魔導師リヒツェイン・セルンケルが魔法を発動し、何も起こらないことに焦り始める。

「私の解呪魔法が効かない……!」

 ほっそりとした手が掲げられて、仲間を制する。

「リヒツェイン、もう、いいって。魔王のヤツ、あたしの渾身の古代魔法、跳ね返してきやがって、ホント生意気……。あーあ、あたしの魔法、こんなに強かったんだ……。こんなの五発も叩き込めば、そりゃ魔王も、死ぬよね……。ははっ、あたし、頑張ったと思わない……?」
「ああ、マチェアナ、君は本当によく頑張ってくれた……!」

 神器の鎧をまとった勇者ギルヴェクス・マグナセニアが、衰弱した仲間の手を両手で握りしめる。その目には涙が浮かんでいた。
 治癒魔導師がロッドを構えて何度も魔法の光を放つ。しかし何も起こらない。
 失望一色に顔を染め、床に手を突く。汚れきった白いローブをまとう肩を震わせて、悔しげにつぶやく。

「どうして解呪できないんだ……!」
「そりゃ、そうさ……。古代魔法なんて、世界であたししか、使えないんだから……あんたの手に負えなくて、当然」
「すみません……」

 マチェアナは、もう目が見えていないようだった。光を失った赤い瞳で宙を見つめる。息を切らしながらも、真っ青になった顔に笑みを浮かべる。

「子供の頃から『使うな』って言われ続けてきた魔法、全部、思いっきりぶっぱなせて……、本当に、楽しかった……。ありがとな、ギルヴェクス。ここまで、連れてきてくれて……」
「マチェアナ……!」

 闇魔導師マチェアナ・サシェレアラは、それきり二度と目を開けることはなかった。


 魔王城の外を闊歩する魔族の中に、攻撃魔法を跳ね返す能力のある魔族など存在しなかった。
 ましてや世界で唯一、闇魔導師マチェアナ・サシェレアラしか使えない古代魔法が跳ね返される可能性を考えつく人なんて、この世にいただろうか。
 最終決戦の際は、これ以外に恐らく、数多の想定外の出来事に翻弄されながら戦っていたのだろう――。
 ルエリアは胸の前で両手を組み合わせると、記憶の世界で息を引き取った偉大なる魔導師に祈りを捧げた。


 仲間の亡骸のそばに座り込んだ治癒魔導師リヒツェイン・セルンケルが、今度は自身に何度も治癒魔法を掛け始めた。しかし効果が発動したことを示す光はまったく現れない。
 魔力切れを起こした光の消え方をした次の瞬間、糸の切れた操り人形のように倒れ込んだ。
 息を切らしながら、悔しげにつぶやく。

「私の解毒魔法で解毒できない毒なんて、あるものなのですね……」


 ルエリアはその光景を見て、疑問を抱かずはいられなかった。

(治癒魔法で解毒できない毒って一体なんなんだろう。魔族が治癒魔法すら無効化する猛毒を使いこなすなんて聞いたことない。魔王はそんなに別格だったの……?)


 倒れた治癒魔導師リヒツェイン・セルンケルを、ギルヴェクスが抱き上げる。

「リヒツェイン……!」

 呼びかけられた治癒魔導師が、血の気の失せた顔を微笑ませる。

「ギルヴェクス様。今まで、ありがとう、ございました……。各国の元首に謁見し、堂々と神器の重要性を解く貴方のお姿、本当に、立派でしたよ。はじめは眠れなくなるほど緊張していたのに、成長、しましたね……」

 そこまで話したところで、顔をしかめてもがき苦しみ始めた。見る間に皮膚が変色していき、肌の出ている部分は全て暗い紫色に染まった。

「っ……。神聖国の、外には……、素晴らしい世界が広がっていた……。貴方との旅、とても楽しかったです。貴方が心穏やかに過ごせることを願っています。ギルヴェクス様。貴方は幼い頃からつらい思いをしてきたのだから、どうか、幸せになってくださいね……」

 そう言い切って、がくりと力を失った。


「ううっ……、リヒツェイン……!」

 ギルヴェクスが、目を閉じた仲間を抱き締めて嗚咽を洩らす。
 そこへ盾騎士ウェグート・ドラヒウクルがゆっくりと歩み寄る。彼もまたひどい怪我を負っているようで、ずっと肩で息をしている。まるで足かせを付けられているかのように足取りが重かった。
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