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28 医師の叱責
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「ルエリア。もしかして、君がギルヴェクスの記憶の世界から脱出するために取った手段は……記憶の世界の主を殺すことなのではないか?」
「……。はい、おっしゃる通りです……」
王女殿下の冷静な声音に、ルエリアはほんの少しだけ正気を取り戻した。
のろのろと目の上から手を外し、シーツに手を沈めてゆっくりと起き上がる。ヘレナロニカとヘレディガー、そしてゼルウィドが、眉根を寄せた哀れみの眼差しを向けてくる。同情される資格もないというのに――。
ルエリアは、濡れた目元を指先で払い、深呼吸を繰り返した。高ぶっていた感情が鎮まりゆけば、希代の英雄に魔法薬を使った魔法薬師としての責任を思い出す。
(ちゃんと説明、しなきゃ)
背筋を伸ばし、ベッドの傍らでルエリアを見守ってくる一同を見渡す。
「何が起きたか……私が何を起こしたか、ご説明いたします。記憶の世界に置き去りにされた同行者は、お察しの通り……記憶の世界の主を殺すという方法でしか、現実世界には帰って来られません。ふたりで同時に服用する薬が片方の者だけに効き続ける状態となった途端、薬の効果時間という概念が消失するからです。何も事を起こさなければ、世界に囚われ続けたまま、現実世界の体は衰弱していきます。これについては幾人も同様の試験を行い、その作用が実証されています。それ以外に……自ら命を絶った場合、二度と目覚めず即座に死亡する、と言われています。これまで一件だけそういった事故が起こったことがあり、その突然死した魔法薬師は生前、自死をほのめかしていたことから、恐らく自ら命を絶ち、身をもって実験したのだろうと推測されています」
しん、と静まり返る。
心に伸しかかる、重い沈黙。
ルエリアがそれ以上何も言えずにいると、ゼルウィドが一歩踏み出してきた。少年医師の目付きは鋭く怒りに満ちている。
「ルエリアさん。それらについて事前説明がなされなかったことに抗議します。あなたは万が一のことが起こるはずはないとご自身の準備を過信し、もし事故が起きたとしても危険が及ぶのは自分だけだからと、その危険性について被術者や監視者への充分な説明を怠った。ギルヴェクス様が快癒された際、施術者が犠牲になったとして、ギルヴェクス様が心からお喜びになると思うのですか?」
「ご指摘、ごもっともです。私が浅はかでした。勇者ギルヴェクス・マグナセニア様に、そしてみなさまに心よりお詫び申し上げます」
頭を下げた拍子に涙がこぼれた。泣いたところで取り返しのつかないことをしてしまった。
(私の命を差し出したって、ギルヴェクス様が元気を取り戻せるわけじゃない。本当に、その通りだ。自分が犠牲になるかも知れないことについて、もっと深く考えるべきだった。事故を起こしてしまった以上、私はもう、ここにいさせてもらう資格はない)
一刻も早く、ここから立ち去らないと――しかし体が動かない。
ずっと頭を下げ続けていると、突然ぽん、と肩を叩かれた。
顔を上げて振り返る。するとギルヴェクスの切なげな眼差しと目が合った。
「ルエリア、君を苦しめてしまって本当にすまない。魔法が暴発して……ロープを切ってしまったんだ。僕が弱いばかりに、君を追い詰めてしまった」
魔法薬の使用中にロープを切断される可能性として、物理的な力に加えて各属性の魔法で切られることを考慮した上でロープの補強を行っていた。被術者が勇者以外であれば、今回のような事故は起こらなかっただろう。しかし相手は世界で一番魔力を持つ勇者だ。そんな膨大な魔力を操る人が、自身を制御できずに発動してしまった魔法であれば、この世で切れないものなどないだろう。
一度は暴発した魔法の威力を痛感させられたことがあるにもかかわらず、ルエリアはそこまで思い至らなかった自分に悔しさを覚えずにはいられなかった。
「こちらこそ、申し訳ございませんでした。ロープの補強が足りていなかったのは、私の見積もりが甘かったせいです」
「悪いのはこちらだ。本当に申し訳ない。今度こそ自分と向き合う。もう逃げない。だからルエリア、戻ってきたばかりで申し訳ないが、もう一度……」
「待てギルヴェクス! 彼女が落ち着いてからでなければ!」
「そうですギルヴェクス様! ルエリア様は、号泣するほどのことをなさった上で戻ってこられたのですよ!?」
「……行きます」
ルエリアは、ヘレナロニカとヘレディガーの制止の声に自分の声を被せた。
(せっかくギルヴェクス様がもう一度行く気になったんだから、私がためらって邪魔しちゃダメ)
胸の内で強くそう言い聞かせると、心配そうに眉根を寄せるふたりを見上げて口元を微笑ませてみせた。
そのままギルヴェクスに振り返り、濃い空色の目をまっすぐに見つめる。
「すぐに行けます。ギルヴェクス様、参りましょう」
「急かしておいて勝手を言うが……、本当に、いいのか?」
「はい。お騒がせしてすみませんでした。もう、大丈夫です」
用意しておいた中和剤の小瓶をギルヴェクスに手渡し、ルエリア自身も中の液体を一気にあおる。
意識的に深呼吸を繰り返しつつ、それが効くまで数分待ってから、ルエリアは表情を引き締めてゼルウィドを見た。
「ゼルウィド様、お願いします」
「……わかりました」
一度目のときと同じように、心拍数を測ってもらう。ルエリアがまだ完全には落ち着けていないことを察したのか、ギルヴェクスから測定を始めた。自分の番を待つ間、ルエリアは目を閉じて全身で深呼吸を繰り返すと、心を無にして平常心を取り戻した。
魔法薬は、三回分用意してある。そのうちの二本目を空けて、再びふたりで記憶の世界へと旅立った。
ルエリアの隣で、ギルヴェクスが強い眼差しで前方を見据える。
「さあ、行こう」
「はい」
ギルヴェクスが玉座の間に向かって歩き出す。長い廊下に足音が響く。
その瞬間、記憶の世界で血を吐きながら倒れゆく勇者の微笑みがありありと目に浮かんできた。
「……!」
足がすくむ。ギルヴェクスは生きている。
しかし人を殺すための魔法薬を作った。毒を飲ませた。勇者を殺した。
奥歯を噛みしめて、強く首を振り、自身を奮い立たせようとする。
(立ち止まってる場合じゃない。せっかくギルヴェクス様が勇気を出して歩き出したのに)
手を添えてそっと押してあげたかった背中が、次第に遠ざかっていく。
(私が怯んでる場合じゃない、早くついていかないと――!)
「……。はい、おっしゃる通りです……」
王女殿下の冷静な声音に、ルエリアはほんの少しだけ正気を取り戻した。
のろのろと目の上から手を外し、シーツに手を沈めてゆっくりと起き上がる。ヘレナロニカとヘレディガー、そしてゼルウィドが、眉根を寄せた哀れみの眼差しを向けてくる。同情される資格もないというのに――。
ルエリアは、濡れた目元を指先で払い、深呼吸を繰り返した。高ぶっていた感情が鎮まりゆけば、希代の英雄に魔法薬を使った魔法薬師としての責任を思い出す。
(ちゃんと説明、しなきゃ)
背筋を伸ばし、ベッドの傍らでルエリアを見守ってくる一同を見渡す。
「何が起きたか……私が何を起こしたか、ご説明いたします。記憶の世界に置き去りにされた同行者は、お察しの通り……記憶の世界の主を殺すという方法でしか、現実世界には帰って来られません。ふたりで同時に服用する薬が片方の者だけに効き続ける状態となった途端、薬の効果時間という概念が消失するからです。何も事を起こさなければ、世界に囚われ続けたまま、現実世界の体は衰弱していきます。これについては幾人も同様の試験を行い、その作用が実証されています。それ以外に……自ら命を絶った場合、二度と目覚めず即座に死亡する、と言われています。これまで一件だけそういった事故が起こったことがあり、その突然死した魔法薬師は生前、自死をほのめかしていたことから、恐らく自ら命を絶ち、身をもって実験したのだろうと推測されています」
しん、と静まり返る。
心に伸しかかる、重い沈黙。
ルエリアがそれ以上何も言えずにいると、ゼルウィドが一歩踏み出してきた。少年医師の目付きは鋭く怒りに満ちている。
「ルエリアさん。それらについて事前説明がなされなかったことに抗議します。あなたは万が一のことが起こるはずはないとご自身の準備を過信し、もし事故が起きたとしても危険が及ぶのは自分だけだからと、その危険性について被術者や監視者への充分な説明を怠った。ギルヴェクス様が快癒された際、施術者が犠牲になったとして、ギルヴェクス様が心からお喜びになると思うのですか?」
「ご指摘、ごもっともです。私が浅はかでした。勇者ギルヴェクス・マグナセニア様に、そしてみなさまに心よりお詫び申し上げます」
頭を下げた拍子に涙がこぼれた。泣いたところで取り返しのつかないことをしてしまった。
(私の命を差し出したって、ギルヴェクス様が元気を取り戻せるわけじゃない。本当に、その通りだ。自分が犠牲になるかも知れないことについて、もっと深く考えるべきだった。事故を起こしてしまった以上、私はもう、ここにいさせてもらう資格はない)
一刻も早く、ここから立ち去らないと――しかし体が動かない。
ずっと頭を下げ続けていると、突然ぽん、と肩を叩かれた。
顔を上げて振り返る。するとギルヴェクスの切なげな眼差しと目が合った。
「ルエリア、君を苦しめてしまって本当にすまない。魔法が暴発して……ロープを切ってしまったんだ。僕が弱いばかりに、君を追い詰めてしまった」
魔法薬の使用中にロープを切断される可能性として、物理的な力に加えて各属性の魔法で切られることを考慮した上でロープの補強を行っていた。被術者が勇者以外であれば、今回のような事故は起こらなかっただろう。しかし相手は世界で一番魔力を持つ勇者だ。そんな膨大な魔力を操る人が、自身を制御できずに発動してしまった魔法であれば、この世で切れないものなどないだろう。
一度は暴発した魔法の威力を痛感させられたことがあるにもかかわらず、ルエリアはそこまで思い至らなかった自分に悔しさを覚えずにはいられなかった。
「こちらこそ、申し訳ございませんでした。ロープの補強が足りていなかったのは、私の見積もりが甘かったせいです」
「悪いのはこちらだ。本当に申し訳ない。今度こそ自分と向き合う。もう逃げない。だからルエリア、戻ってきたばかりで申し訳ないが、もう一度……」
「待てギルヴェクス! 彼女が落ち着いてからでなければ!」
「そうですギルヴェクス様! ルエリア様は、号泣するほどのことをなさった上で戻ってこられたのですよ!?」
「……行きます」
ルエリアは、ヘレナロニカとヘレディガーの制止の声に自分の声を被せた。
(せっかくギルヴェクス様がもう一度行く気になったんだから、私がためらって邪魔しちゃダメ)
胸の内で強くそう言い聞かせると、心配そうに眉根を寄せるふたりを見上げて口元を微笑ませてみせた。
そのままギルヴェクスに振り返り、濃い空色の目をまっすぐに見つめる。
「すぐに行けます。ギルヴェクス様、参りましょう」
「急かしておいて勝手を言うが……、本当に、いいのか?」
「はい。お騒がせしてすみませんでした。もう、大丈夫です」
用意しておいた中和剤の小瓶をギルヴェクスに手渡し、ルエリア自身も中の液体を一気にあおる。
意識的に深呼吸を繰り返しつつ、それが効くまで数分待ってから、ルエリアは表情を引き締めてゼルウィドを見た。
「ゼルウィド様、お願いします」
「……わかりました」
一度目のときと同じように、心拍数を測ってもらう。ルエリアがまだ完全には落ち着けていないことを察したのか、ギルヴェクスから測定を始めた。自分の番を待つ間、ルエリアは目を閉じて全身で深呼吸を繰り返すと、心を無にして平常心を取り戻した。
魔法薬は、三回分用意してある。そのうちの二本目を空けて、再びふたりで記憶の世界へと旅立った。
ルエリアの隣で、ギルヴェクスが強い眼差しで前方を見据える。
「さあ、行こう」
「はい」
ギルヴェクスが玉座の間に向かって歩き出す。長い廊下に足音が響く。
その瞬間、記憶の世界で血を吐きながら倒れゆく勇者の微笑みがありありと目に浮かんできた。
「……!」
足がすくむ。ギルヴェクスは生きている。
しかし人を殺すための魔法薬を作った。毒を飲ませた。勇者を殺した。
奥歯を噛みしめて、強く首を振り、自身を奮い立たせようとする。
(立ち止まってる場合じゃない。せっかくギルヴェクス様が勇気を出して歩き出したのに)
手を添えてそっと押してあげたかった背中が、次第に遠ざかっていく。
(私が怯んでる場合じゃない、早くついていかないと――!)
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