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31 勇者の宴
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「ほぎゃあっ!?」
ルエリアの腹から発せられた爆音に、部屋がしんと静まり返る。
まず、ギルヴェクスが小さく噴き出し――それから部屋中が和やかな笑い声に包まれた。
「うわあああ……恥ずかしい……!」
思い起こせばルエリアは、緊張で朝から何も口にできていなかったのだった。
自分を抱き締めるようにして今さら音の発生源を押さえ込んでいると、ギルヴェクスが表情を和らげたままヘレディガーを見た。
「ヘレディガー。テオドールになにか軽食を作ってくれるよう頼んできてくれないか。皆で分け合って食べられるものを。量は多めで」
「はい! ただいま!」
ヘレディガーがはつらつと返事して、ほとんど走るスピードで部屋を飛び出していく。
ルエリアは、いつだって冷静な執事のまるではしゃぐような挙動を初めて見た気がした。驚きに胸が弾む。
(みんな、とっても喜んでくれてる。うれしいな。ギルヴェクス様が元気になってくださって、本当によかった)
ギルヴェクスとヘレナロニカ、そしてゼルウィドの三人が言葉を交わす中、ルエリアはもう一度鳴りそうな腹を押さえながらこっそりと顔を綻ばせたのだった。
その後はヘレディガーが飲み物を用意し、テオドールとメイドのマレーネが大量に料理を運び込んできた。
ギルヴェクスの指示で屋敷中の召使いが集められて、ささやかな宴の場が設けられた。衛兵たちは持ち場を離れるわけにはいかないからと、代表のひとりだけが挨拶にやってきた。ギルヴェクスはその騎士に、テオドールに用意させた差し入れの料理を渡していた。立派な騎士が感激して恐縮する様子をルエリアは微笑ましく見守った。
ギルヴェクスが改めて数々の料理を見渡して、『今度はあれを食べてみよう』、『これは何かな』と言いながら、少量ずつ口にしていく。次々と食べ物に手を付けていく様子にテオドールが涙を浮かべ出す。ついには涙を溢れさせて、目元を腕で隠して肩を震わせ始めた。
ソファーから一同を見守っているヘレナロニカが、自分の向かいにヘレディガーを座らせる。
「君も飲食せねば、宴に参加したうちには入らぬぞ」
「恐れ入ります。いただきます」
ヘレディガーが手に持ったグラスに、ヘレナロニカがワインを注ぐ。ヘレディガーはそれを数口だけ飲み進めると、口元を微笑ませながらそっと息を吐き出した。
給仕に動き回るメイドのマレーネはずっと朗らかな笑みを浮かべている。ギルヴェクスは他の召使いに席を譲るためか、壁際の小さなソファーに腰掛けていた。
その隣を陣取った少年医師のゼルウィドが、温かな眼差しをしたギルヴェクスから何かを言われたあと、さらさらの金髪頭を優しく撫でられる。見る間に顔を赤くして、涙目になり――。
ついには握った両手を目に当てて泣きじゃくり始めた。
少年の泣き声が目立ってしまわないように、皆が賑やかに話し出す。
和やかに過ごす間、ルエリアはヘレナロニカの隣で遠慮なく料理を口に運んでいた。ひと口サイズに切ってあるソーセージを夢中で頬張る。数種類の香辛料の混ぜ込んであるソースが絡めてあり、一度食べ始めると止められない味だった。
ルエリアは料理を一皿平らげると、ナプキンで口を拭いてから、小声で話を切り出した。
「ヘレナロニカ殿下。私、ギルヴェクス様の記憶の中で気になる光景を見たんです」
「ふむ……聞かせてもらおう。ただし、なるべく深刻な顔をせぬようにな」
果実水のグラスに口をつけたヘレナロニカが、ちらとギルヴェクスの方を見る。余計な心配を掛けたくないということだろう。
ルエリアは、雑談している風に見せるために頬をさすって顔の緊張を解くと、ギルヴェクスの記憶の世界で見た光景を話し始めた。
魔王が古代魔法を跳ね返せたこと。治癒魔法で解毒できない毒を喰らわせてきたこと。
冒険者時代に聞いたことのない、即時に発症する病気を操り、ひとりだけを狙ってぶつけてきたこと。
「それは……」
ヘレナロニカは深刻な声でつぶやきながらも穏やかな表情を装っている。
「……思い当たる節はないこともないが、迂闊に口にできることではないな。貴重な情報をありがとう、ルエリア。あとは、ギルヴェクスがさらに落ち着きを取り戻した際に尋ねることにしよう」
魔王を倒しても、完全に平和が訪れたわけではないのだろうか――。ルエリアが胸騒ぎを覚えていると、ヘレナロニカがテーブルにグラスを置いて、ルエリアの方に向き直った。
「それより、ギルヴェクスが回復して本当に良かった。改めて、ありがとう、ルエリア。君のおかげだ」
(ま、まぶしい……)
淡い水色の瞳が喜びに輝けば、そのあまりの美しさに目が泳いでしまう。高貴な人とここまで近距離で語らうなど、あとにも先にもこれ一度きりだろう。
直視できない眼差しから視線をずらすと、ギルヴェクスがソファーから立ち上がっていた。
召使いひとりひとりに歩み寄り、肩に手を置き、柔らかな笑みを浮かべる。
「ヘレディガー。ずっと僕を他人の悪意から守り続けてくれて、本当にありがとう」
「命の恩人である貴方様に、これからも、誠心誠意お仕えさせていただきます」
音もなく立ち上がったヘレディガーが、目を潤ませながらゆっくりと御辞儀した。
続けてギルヴェクスがメイドのマレーネに振り返り、申し訳なさげに目を細める。
「マレーネ。今まで散々、八つ当たりしてしまってすまなかった」
「いいんですって。これからも、どーんと受け止めますのでいつでも飛び込んできてくださいね! 今すぐでもいいですよ! ささ、どうぞ!」
満面の笑みを浮かべたマレーネが、思い切り両腕を広げて『抱き付いてこい』と言う。
それを見て、ギルヴェクスが歯を見せて笑う。まだ顔がうまく動かせないのかその表情は硬かった。
「それは照れくさいから遠慮しておく」
「ええ? 遠慮なさらなくたっていいのに!」
次の瞬間、部屋中が賑やかな笑い声に包まれた。
続けて部屋の隅に歩いていき、皆を見守るテオドールの前に立つ。
「テオドール。せっかく素晴らしい料理を作ってくれていたのに今まで口を付けなくてすまなかった。これからまた、おいしい料理を作ってくれるだろうか」
「もちろんです……! ギルヴェクス様のお召し上がりになりたいものならどんなものでも張り切って作らせていただきます!」
テオドールが一度は止まっていた涙をまた溢れさせる。その泣き顔にルエリアも涙を誘われた。頬を押さえるふりをして、こっそり指先で目尻の涙を拭った。
「たくさん食べて、体力を取り戻さないとな。そしたら僕の仲間たちの家族に会いに行こう。魔王城の封印も僕のせいで先送りになっていたな。それに先遣隊と随行隊の慰霊も……」
「ギルヴェクス。ゆっくりでいい。ひとつひとつ、向き合っていこう」
「ああ。ありがとう、ヘレナロニカ」
ヘレナロニカに振り向いたギルヴェクスが、凛々しい笑みを浮かべる。
その顔付きの頼もしさにルエリアはどきっとしてしまった。
(ギルヴェクス様って、本来はこんなにも自信に満ち溢れたお顔をなさる方だったんだ。素敵な笑顔を取り戻すお手伝いをさせてもらえてとってもありがたいな、幸せだな)
心に湧いたぬくもりにひたりながら、勇者の笑顔をじっと見つめる。
ルエリアは両手を合わせて指先を唇に添えると、改めて、事態が好転したことにそっと安堵の息を洩らしたのだった。
勇者ギルヴェクス・マグナセニアを回復させるという大役を終え、ルエリアは出立の準備を進めていた。とはいえ荷物は鞄ひとつのため、あっという間に終わってしまったのだが。
すっかり住み慣れた客室の窓から外を見る。
昨日まで降っていた雨はやみ、水たまりが日光を浴びて輝いていた。
男女の笑い声が響く。そこにはギルヴェクスとヘレナロニカがいて、剣を交えていた。ずっと体を動かしていなかったギルヴェクスは動きが鈍く、一方的に押される形となっていたが、それでも楽しげに笑っている。
きっと昔から、ああして勇者と姫とで剣の鍛錬を続けてきたのだろう。
ルエリアは窓ガラスに手を添えると、お似合いのふたりを見つめてぽつりとつぶやいた。
「ギルヴェクス様、ヘレナロニカ殿下。どうか、お幸せに」
そう言葉にした途端、きゅっと胸が締め上げられる感覚がした。
「あれ、またこの感じ。ヘンなの。ゆっくり休ませてもらったのにまだ疲れてるのかな、私」
ルエリアの腹から発せられた爆音に、部屋がしんと静まり返る。
まず、ギルヴェクスが小さく噴き出し――それから部屋中が和やかな笑い声に包まれた。
「うわあああ……恥ずかしい……!」
思い起こせばルエリアは、緊張で朝から何も口にできていなかったのだった。
自分を抱き締めるようにして今さら音の発生源を押さえ込んでいると、ギルヴェクスが表情を和らげたままヘレディガーを見た。
「ヘレディガー。テオドールになにか軽食を作ってくれるよう頼んできてくれないか。皆で分け合って食べられるものを。量は多めで」
「はい! ただいま!」
ヘレディガーがはつらつと返事して、ほとんど走るスピードで部屋を飛び出していく。
ルエリアは、いつだって冷静な執事のまるではしゃぐような挙動を初めて見た気がした。驚きに胸が弾む。
(みんな、とっても喜んでくれてる。うれしいな。ギルヴェクス様が元気になってくださって、本当によかった)
ギルヴェクスとヘレナロニカ、そしてゼルウィドの三人が言葉を交わす中、ルエリアはもう一度鳴りそうな腹を押さえながらこっそりと顔を綻ばせたのだった。
その後はヘレディガーが飲み物を用意し、テオドールとメイドのマレーネが大量に料理を運び込んできた。
ギルヴェクスの指示で屋敷中の召使いが集められて、ささやかな宴の場が設けられた。衛兵たちは持ち場を離れるわけにはいかないからと、代表のひとりだけが挨拶にやってきた。ギルヴェクスはその騎士に、テオドールに用意させた差し入れの料理を渡していた。立派な騎士が感激して恐縮する様子をルエリアは微笑ましく見守った。
ギルヴェクスが改めて数々の料理を見渡して、『今度はあれを食べてみよう』、『これは何かな』と言いながら、少量ずつ口にしていく。次々と食べ物に手を付けていく様子にテオドールが涙を浮かべ出す。ついには涙を溢れさせて、目元を腕で隠して肩を震わせ始めた。
ソファーから一同を見守っているヘレナロニカが、自分の向かいにヘレディガーを座らせる。
「君も飲食せねば、宴に参加したうちには入らぬぞ」
「恐れ入ります。いただきます」
ヘレディガーが手に持ったグラスに、ヘレナロニカがワインを注ぐ。ヘレディガーはそれを数口だけ飲み進めると、口元を微笑ませながらそっと息を吐き出した。
給仕に動き回るメイドのマレーネはずっと朗らかな笑みを浮かべている。ギルヴェクスは他の召使いに席を譲るためか、壁際の小さなソファーに腰掛けていた。
その隣を陣取った少年医師のゼルウィドが、温かな眼差しをしたギルヴェクスから何かを言われたあと、さらさらの金髪頭を優しく撫でられる。見る間に顔を赤くして、涙目になり――。
ついには握った両手を目に当てて泣きじゃくり始めた。
少年の泣き声が目立ってしまわないように、皆が賑やかに話し出す。
和やかに過ごす間、ルエリアはヘレナロニカの隣で遠慮なく料理を口に運んでいた。ひと口サイズに切ってあるソーセージを夢中で頬張る。数種類の香辛料の混ぜ込んであるソースが絡めてあり、一度食べ始めると止められない味だった。
ルエリアは料理を一皿平らげると、ナプキンで口を拭いてから、小声で話を切り出した。
「ヘレナロニカ殿下。私、ギルヴェクス様の記憶の中で気になる光景を見たんです」
「ふむ……聞かせてもらおう。ただし、なるべく深刻な顔をせぬようにな」
果実水のグラスに口をつけたヘレナロニカが、ちらとギルヴェクスの方を見る。余計な心配を掛けたくないということだろう。
ルエリアは、雑談している風に見せるために頬をさすって顔の緊張を解くと、ギルヴェクスの記憶の世界で見た光景を話し始めた。
魔王が古代魔法を跳ね返せたこと。治癒魔法で解毒できない毒を喰らわせてきたこと。
冒険者時代に聞いたことのない、即時に発症する病気を操り、ひとりだけを狙ってぶつけてきたこと。
「それは……」
ヘレナロニカは深刻な声でつぶやきながらも穏やかな表情を装っている。
「……思い当たる節はないこともないが、迂闊に口にできることではないな。貴重な情報をありがとう、ルエリア。あとは、ギルヴェクスがさらに落ち着きを取り戻した際に尋ねることにしよう」
魔王を倒しても、完全に平和が訪れたわけではないのだろうか――。ルエリアが胸騒ぎを覚えていると、ヘレナロニカがテーブルにグラスを置いて、ルエリアの方に向き直った。
「それより、ギルヴェクスが回復して本当に良かった。改めて、ありがとう、ルエリア。君のおかげだ」
(ま、まぶしい……)
淡い水色の瞳が喜びに輝けば、そのあまりの美しさに目が泳いでしまう。高貴な人とここまで近距離で語らうなど、あとにも先にもこれ一度きりだろう。
直視できない眼差しから視線をずらすと、ギルヴェクスがソファーから立ち上がっていた。
召使いひとりひとりに歩み寄り、肩に手を置き、柔らかな笑みを浮かべる。
「ヘレディガー。ずっと僕を他人の悪意から守り続けてくれて、本当にありがとう」
「命の恩人である貴方様に、これからも、誠心誠意お仕えさせていただきます」
音もなく立ち上がったヘレディガーが、目を潤ませながらゆっくりと御辞儀した。
続けてギルヴェクスがメイドのマレーネに振り返り、申し訳なさげに目を細める。
「マレーネ。今まで散々、八つ当たりしてしまってすまなかった」
「いいんですって。これからも、どーんと受け止めますのでいつでも飛び込んできてくださいね! 今すぐでもいいですよ! ささ、どうぞ!」
満面の笑みを浮かべたマレーネが、思い切り両腕を広げて『抱き付いてこい』と言う。
それを見て、ギルヴェクスが歯を見せて笑う。まだ顔がうまく動かせないのかその表情は硬かった。
「それは照れくさいから遠慮しておく」
「ええ? 遠慮なさらなくたっていいのに!」
次の瞬間、部屋中が賑やかな笑い声に包まれた。
続けて部屋の隅に歩いていき、皆を見守るテオドールの前に立つ。
「テオドール。せっかく素晴らしい料理を作ってくれていたのに今まで口を付けなくてすまなかった。これからまた、おいしい料理を作ってくれるだろうか」
「もちろんです……! ギルヴェクス様のお召し上がりになりたいものならどんなものでも張り切って作らせていただきます!」
テオドールが一度は止まっていた涙をまた溢れさせる。その泣き顔にルエリアも涙を誘われた。頬を押さえるふりをして、こっそり指先で目尻の涙を拭った。
「たくさん食べて、体力を取り戻さないとな。そしたら僕の仲間たちの家族に会いに行こう。魔王城の封印も僕のせいで先送りになっていたな。それに先遣隊と随行隊の慰霊も……」
「ギルヴェクス。ゆっくりでいい。ひとつひとつ、向き合っていこう」
「ああ。ありがとう、ヘレナロニカ」
ヘレナロニカに振り向いたギルヴェクスが、凛々しい笑みを浮かべる。
その顔付きの頼もしさにルエリアはどきっとしてしまった。
(ギルヴェクス様って、本来はこんなにも自信に満ち溢れたお顔をなさる方だったんだ。素敵な笑顔を取り戻すお手伝いをさせてもらえてとってもありがたいな、幸せだな)
心に湧いたぬくもりにひたりながら、勇者の笑顔をじっと見つめる。
ルエリアは両手を合わせて指先を唇に添えると、改めて、事態が好転したことにそっと安堵の息を洩らしたのだった。
勇者ギルヴェクス・マグナセニアを回復させるという大役を終え、ルエリアは出立の準備を進めていた。とはいえ荷物は鞄ひとつのため、あっという間に終わってしまったのだが。
すっかり住み慣れた客室の窓から外を見る。
昨日まで降っていた雨はやみ、水たまりが日光を浴びて輝いていた。
男女の笑い声が響く。そこにはギルヴェクスとヘレナロニカがいて、剣を交えていた。ずっと体を動かしていなかったギルヴェクスは動きが鈍く、一方的に押される形となっていたが、それでも楽しげに笑っている。
きっと昔から、ああして勇者と姫とで剣の鍛錬を続けてきたのだろう。
ルエリアは窓ガラスに手を添えると、お似合いのふたりを見つめてぽつりとつぶやいた。
「ギルヴェクス様、ヘレナロニカ殿下。どうか、お幸せに」
そう言葉にした途端、きゅっと胸が締め上げられる感覚がした。
「あれ、またこの感じ。ヘンなの。ゆっくり休ませてもらったのにまだ疲れてるのかな、私」
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