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第1章 俺とオタ活、どっちが大事だ!
聖剣の無茶ぶり
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1.恋人との約束
瀧宮遼は、鼻歌を歌いながら、遅い朝食を作っていた。悪天候で海外渡航がキャンセルとなり、急に仕事が休みになった。それでも事務所は別の仕事をねじ込んできたが、それでも夜までは久々のオフだ。遼は、今夜まで愛しい恋人と過ごせると上機嫌だった。
そこへ寝室から、鬼の形相の恋人、都筑花蓮が飛び出してくる。
「遼、よくも目覚まし時計止めたわね!だから、アンタのトコに泊まりたくなかったのよ!」
花蓮は恋人に怒鳴りつけるなり、風呂場へ直行した。
遼も慌てて鍵のかかった浴室に駆けつけて、曇りガラスのドア越しに叫ぶ。
「おまえ、俺とオタ活とどっちが大切だ!」
「最初に約束したでしょ、私の趣味の邪魔したら、速攻で別れるって!」
急いでシャワーを浴びながら、花蓮は怒鳴り返した。
非情な返答に、遼は肩を落としてキッチンに戻った。
瀧宮遼こと芸名・御嶽リョウは、大活躍中の4人アイドルグループ『聖剣の騎士団』の1人だった。有名私立大学経済学部の3回生でもある。
そして花蓮は、二流だが個性的な私立一粒万倍女子大文学部1回生で4月生まれの19歳なので、取り敢えず遼は、未成年に手を出したわけではない。だがアイドル業は、ファンの仮想恋人という役割な手前、この恋愛かバレるわけにはいかない。加えて遼の恋人は、恋愛よりもオタ活を優先する、ドライな相手。
今日がアニメコラボカフェな日なのを分かっていて、遼は目覚まし時計を止めて花蓮のオタ活を阻止しようと目論んだのだ。そりゃあ、激戦当選を勝ち抜いた初日なら快く送り出すが、花蓮は名古屋、大阪、東京の計3回、既に赴いている。最推しのアニメキャラには惜しみなく金を振りまくのに、遼の所属する『聖剣の騎士団』には、ライヴに足を運ばないどころか、グッズの1つさえ「無駄遣い」だと、キーホルダーの1つさえ買わない徹底ぶり。
花蓮は自身は冴えないモテない女子高生と自負しているが、亜麻色の髪に濃紺の瞳をした北欧系ハーフの血の濃い整った顔立ちの彼女が、人目を引く容姿なのを自覚していないのだと遼は信じて疑わない。花蓮のためなら、今すぐアイドル廃業してもいいと思うほど惚れ込んでいるのに、どうしてこの想いに花蓮は気づいてくれないのか。
遼が手慣れた手付きでオムレツを皿に乗せたとき、メイクも服装もバッチリの彩衣羅がキッチンを抜けていく。
「おい、せめて飯ぐらい食ってけよ!」
遼はテーブルに、完璧な朝食を用意していた。花蓮の好きなクロワッサンは今朝美味しいと評判のパン屋から買ってきたもの、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼや、生ハムとも高級品を惜しげもなく切った。ホカホカのオムレツの横にはアスパラガスのバターソテーを加え、コーンクリームスープもレトルトではなく、自ら作った。コーヒーは豆から挽いたものだし、オレンジジュースだって、オレンジをミキサーにかけて作ったのだ。
「カフェで推しのコースター当てるために、今日は食べないって昨夜、言っておいたでしょ。今日はアニメショップの新作グッズ発売日と映画試写会もあるから、カフェが終わっても、コッチに戻る暇はないから、ヨロシク。お仕事、頑張ってね!」
遼が引き留める間もなく、花蓮は無情にも去っていった。
テーブルいっぱいの朝食が虚しい。遼は席に座るなり、苛立ち紛れに花蓮に向けて猛烈にメール打ち始めた。スタンプも次々と送りつける。こうなったら、スマホの容量いっぱいになるまで、送りつけてやる。
普段の遼はクールな見た目と淡白な性質をしているが、こと花蓮に関してだけは、凄まじいほどの独占欲を持っていた。
「アイツの推しのアニメなんて、滅びてしまえ!」
遼は、アイドルにあるまじき形相で、花蓮が愛するアニメを呪った。
花蓮はスマホを2つ使い分けている。もう一つのスマホの存在は、遼には内緒だ。そうでないと、コラボカフェや展示会で撮影した推しの画像を消されかねない。
「なんだって、こんな粘着質なんだか。キリのいいところで、さっさと別れるか」
花蓮はそう呟きながらも、遼と別れられずにいる。粘着質なのは玉に瑕だが、容姿も3次元も物体の中では理想的だし、甘やかされるのも悪い気はしない。だが心理的ではなく、もっと根本的なところで、別れるに別れられないのだ。
もし別れるとしたら、それは花蓮からではなく、遼の方から断ち切らねばならない。そして、いまのところ、その兆候はない。
2.薄幸のオタ友
花蓮は基本、1人でオタ活をしている。学生仲間と一緒のときもたまにあるが、なにしろ文学部アニメ・マンガ研究科所属からして、皆の推しのキャラ愛は濃密を通り越して、ドロドロである。なので討論から口論に発展することも絶えないため、純粋にオタ活を満喫するには1人で動くのに限る。
コラボカフェで、スマホの予約コードを提示して中へ入る。よしよし、大好きなキャラクターの絵が描かれたテーブルだ。早速、花蓮はバシバシとスマホで撮影する。
カフェコンセプトのウエイターが、入店時に注文した食事とドリンクを持ってくる。推しのカラーのグリーンソーダ、ケールスムージーを混ぜ込んだ緑のオムライス、緑のメロンゼリーケーキ、敵キャラ総動員のハンバーグステーキ。
味は正直今一つだが、メニューコンセプトと、なによりブラインド包装されたコースターが目当てだ。そしてこのコラボカフェでは、缶バッジコンプリートセット税込み5500円は、このブラインド包装の中の当たり券がなければ買う権利がない。当選くじに外れた者は、受注生産半年後まで待たねばならない。
花蓮はヒーローのコースターの入った袋の中に、当たりくじを見つける。当然、コンプリートセットは買うが、ヒーローは花蓮の推しではない。花蓮の推しは、敵役のザイール総司令官だ。ブラインド袋3枚目でザイール総司令官コースターを当てた時にはガッツポーズをした。以前行った地方コラボカフェでも推しは引き当てているが、地方によってキャラのポージングが違うので、前回の東京カフェで逃したデザインコースターを当てることができ、今回は大満足だ。
周囲からも歓喜や落胆の声でざわめく。さて、購買順番が来るまでに、料理を食べ尽くさねば。料理を注文だけしてお残しする女子も多いが、たとえ味はイマイチでも、キャラコンセプトの料理をお残しするのは、花蓮には許されざる行為だ。
花蓮は猛烈な勢いで食べる。テーブルに描かれた推しキャラを眺めながらの食事は格別だ、味はイマイチであったとしても。
「あの…」
隣の席の男性1人客が躊躇いがちに、花蓮に声をかける。
「もしかして、ヒーローのコースター引き当てましたか?もしよければ、俺のと交換して欲しいのですが」
「駄目よ、他人同士でのコースター交換はトラブルになるから、規定で禁止されてるもの」
花蓮はウエイターの様子を伺いながらそう言いつつ、監視の隙をついて左手で素早く書いたメモを隣の席の男性に渡す。そこには「店を離れてから交渉」と書かれていた。
購買の順番が来て、花蓮はコンプリートセットの他にも、後期販売グッズをカゴに手早く入れて会計する。さすが人気を二分する味方軍の脇役元帥と、花蓮推しの敵方総司令官の売れ行きは、個数制限があっても、既に品薄だ。買えてよかったと、花蓮はホクホクだ。
(それにしても)
席に戻る傍らでチラ見した、先ほどの青年は、ヒーローファンなのか赤をコンセプトにしたメニューを頼んでいた。品数は3つ、ドリンク2種類(ヒーローと脇役味方元帥)と、ドギツい赤のホットケーキだ。青年はボソボソ食べているが、不味いというより、食欲そのものがないように思えた。
(ああいうタイプとは、出来れば近寄りたくないけど、『視えちゃった』以上は、それなりに優しくしてあげないとね)
青年もコラボカフェグッズを買いに席を立つ。昨今のアニメは脇役が人気で、ヒーローが数段人気が落ちる傾向が強いため、ヒーローグッズは難なく買えるだろう。幸薄そうな青年は、先ほどより血色の良くなった顔で、有料ショッパーに入ったグッズを大切そうに胸に抱いている。
花蓮が料理を完食した時点で、タイムオーバーとなり、退出を余儀なくされた。テーブルでは、大量に残された料理が山積みとなっている。決して安い値段ではないコラボカフェメニューの料理を、コースター目当てで注文して残すのは許せなかったが、コラボカフェもそれを承知の上で運営しているだから、仕方がない。
コラボカフェから離れた場所の駅ビルベンチに座ると、ついてきた青年が躊躇いがちに座る。
「あの、司令官のコースターが出たので。貴方はヒーローのコースターを出してましたよね?」
青年は小さな声で言う。変装はしているが、端正な顔立ちだ。だが3次元芸能人に興味のない花蓮でさえ、彼が昨年より随分と窶れたのが気にかかる。
「うん。ヒーローは別に興味ないから、交換は歓迎…って、これ司令官のアップ顔!私、これも狙ってたのよ!」
花蓮は狂喜乱舞する。コースターはそれぞれ2種類、全体像とアップ顔の2種類が、敵陣と味方陣の人気キャラそれぞれにブラインド仕様となっている。このアップ顔は前回で引き当てていたが、部屋に飾る観賞用の他、保存用は何枚あっても大歓迎だ。
「俺もヒーローのアップ顔が欲しかったので、ありがとうございました。でも凄いですね、コンプリートセット販売券まで引き当てて」
「ちなみに君は、ブラインド缶バッジは買わなかったの?」
「まだ開けてないので。確認します」
バラ売りブラインド缶バッジは制限4個まで。青年はブラインドの包装袋を開ける。4個ともヒーロー出ず、しかも出たのは敵兵ばかりで、うち2個はダブりだ。くじ運のない人っているんだよね。青年はガックリ肩を落とした。
「もし予算あるなら、このコンプリートセットを定価で売ってもいいけど?」
「え?だって、それ滅多に買えない代物じゃー」
「実は前回のコラボカフェのときにも、販売権利クジを引き当てて買ってるの。今回のは保存用にしとくつもりだったけど、そんなこの世の終わりみたいな顔を見てしまうとね。私はあと1回、終日のチケット購入してるし、仮に外しても、保存用のは受注生産まで待てるから」
「本当に、本当にいいんですか!?」
青年は顔を輝かせる。明らかに花蓮より年上なのに、表情は高校生に見えるほど幼い。良くも悪くも、スレていないのだろう。
「コッチから申し出たんだし。あ、ちゃんと定価は払ってよ?」
「もちろんです!何でしたら、御礼の上乗せしてもいいです!」
「そこまでは望んでないというか、推しのアニメで金を稼ぐなんて冒涜を働きたくないから定価。これが守れないなら、譲れないよ」
「分かりました。本当に、貴女は潔い人なんですね」
青年は微笑みながら定価の現金を差し出し、花蓮は未開封コンプリートセットを渡した。
「じゃ、これでお別れね。私、これからアニメショップ本店の限定新作を買いに行くから。今日から始まった『創世記激闘大戦』フェアの、本店ならではのオマケが目的なのよ」
花蓮が席を立つと、咄嗟に青年が彼女の腕を掴む。
「あの…そこに俺も一緒に行ってもいいですか?俺もヒーローの新作買いに行きたかったけど、本店界隈って、いつも道に迷ってしまって」
青年は恥ずかしそうに言う。
花蓮はしばし天を見上げたあと、細腕からは想像もできない力で、青年を立ち上がらせた。
「あの本店は、改装につぐ改装で、場所がたまに変わるからね。同じ地区とはいえ、拠点がコロコロ変わるのは、こっちも迷惑してるのよ。じゃ、早く行くわよ。コラボカフェで時間潰したハンデがついてるから、目当てが売れ残ってるかどうかはもちろん、オマケも余っているかどうか」
花蓮は青年を引っ張っていく。青年は躓きそうになりながらも、背は高くて脚も長いので、急ぎ足の花蓮にも何とかついてくることが出来た。
「そう言えば、名乗ってませんでしたね。俺の名前はー」
「アンタの名前は大河。私はザイール司令官。本名なんて、オタ活に無粋なものは持ち込まない!」
「は、はあ…」
青年こと仮名、赤石大河は困惑しながら頷く。自分はともかく、いくら花蓮の見た目が北欧系ハーフでも、強面イケメンなサーシャ・ザイール司令と呼ぶのは少々抵抗があるが、逆らえない気迫が彼女にはある。
渋谷から池袋へ電車を乗り継ぎ、いつもは迷いながら疲労困憊してたどり着くアニメショップ本店に、仮名青年大河は、難なくたどり着いた。
だが花蓮ことザイール司令と一緒なのはここまで。大挙するオタクの波に物怖じせず突撃していく花蓮に、仮名青年大河はついていけない。しかし、オタクの聖地本店へ来たのだ。仮名青年大河も、負けるわけにはいられない。
目当てのものを見つけて(ヒーローは人気がないので売れ残ってる)、長蛇のレジ待ち30分後、店を出た仮名青年大河は、店舗前で真剣な顔でスマホを打っている花蓮ことザイール司令を見つけて驚いた。てっきり、さっさと帰ってるか、まだ激戦区で戦っていると思っていたからだ。
「待っててくださったんですか?」
仮名青年大河は、涙ぐみそうになるほどの嬉しさを隠そうともせず、花蓮に尋ねた。
花蓮は「ちょっと待ってて」と言いつつ、スマホをイジっている。見れば『創世記激闘大戦・第二部邂逅編』のゲームをしていた。このゲームは仮面青年大河も暇を見つけて挑戦しているが、なかなか先に進めずに撃沈されてしまう。だが花蓮は既に最終局面まで進んでおり、敵勢は陥落寸前だ。ここでいう敵勢が、本編では主人公含む味方なのが複雑なところだ。花蓮はキリのいいところでデータを保存して終わらせた。
「君、鈍臭そうだから、ちゃんと駅までたどり着けるのか、心配だったし。戦利品、GETできた?」
「あ、はい。沢山余ってました。司令は、目当てのもの入手出来たのですか?」
「当たり前よ。最後の1個を、争奪の末にふんだくったわ。これで本日のミッションはコンプリート。あとは君を駅まで遅れ届けて、試写会まで、腹ごなしの暇つぶしをしておくわ」
「試写会って…まさか、『創世記激闘大戦、第四部・天と地の死闘篇』に当選したんですか?あれ、懸賞応募にも関わらず、ものすごい倍率だったらしいのに」
仮名青年大河は、驚きを隠せない。かくいう自分も、仕事で行けない確率が高いながらも、一縷の希望を抱き、好きでもないジュースを飲みまくってポイントを稼ぎ、何十通も懸賞応募した末に落選したのだ。
「運だけはあるのよ。じゃ、駅まで送っていってあげる。私もこれから新宿行くから」
「俺も新宿までついて行っていいですか?」
「新宿に自宅があるの?」
「いえ、自宅は麻布なんですけど、まだ時間があるので。その…良ければ夕飯を一緒に食べてもらえたら嬉しいなぁと」
青年はモジモジしながら、上目遣いで花蓮を見る。見た目は大学生でも通用するほど若いが、二十代半ばの男性の仕草かと思うと、この気の弱さは考えものだ。
「あー、もしかして店舗指定ファミレスの、店内飲食限定ブラインドカードが目当て?」
花蓮が尋ねると、仮名青年大河は勢いよく頷いた。
「そりゃあ開場時間までまだ間があるからいいけど、交換条件受け入れたらね。まずは言葉遣い、俺と言いながら敬語で話される違和感が酷すぎる。普通に話して。あとその服装、誰が選んだか分からないけど、ダサすぎて浮いてるのよ。すぐそこのファストファッションでいいから、すぐ買い替えて着替えてもらうのが、ご飯を一緒に食べる条件」
花蓮はビシッと仮名青年大河を指さした。
「そんなに浮いてましたか?」
青年は自分の服装を確認しながら言った。推しのアニメプリントされたTシャツ、ベージュのハーフパンツ。アニメコラボの朱色のスニーカー。髪はわざと洗い髪のままにしてセットせず、黒縁メガネをかけた。自分では周囲に溶け込んでいると思っていたのだが。
「いかにも変装してしてますって格好は、逆に目立つのよ。そのダサいメガネも、どこで買ってきたのやら。コラボカフェでアンタに気づいてる子、何人かいたわよ」
「えっ!」
仮名青年大河は驚きを隠せない。そして花蓮が、彼の正体に気づいていながら、普通に接してくれていることにも。
「ともかく、擬態はやりすぎると逆に目立つの。昨今の日本男子はそれなりにオシャレだから、そこそこに綺麗な身なりをしていた方が目立たないわ。ほら、行くわよ。ちなみに軍資金はアンタ持ち。私、男に服を貢ぐ趣味はないから」
花蓮は仮名青年大河の腕を引っ張って、近くのファストファッション店へ引きずり込んだ。
仮名青年大河が所在なくオロオロしている最中、花蓮は躊躇なく服を選んでいく。試着室の中までついてきたので、仮名青年大河は動揺を隠せなかったが「アンタのボサボサの髪を整えて、目の下のクマにファンデーション塗るだけだから」と言い、その通りにした。
仮名青年大河の顔と髪を整えてすぐ花蓮は出てきて、彼が着替えている間、花蓮は店員にいま試着している服がサイズピッタリなら、そのまま着せていく交渉をしていた。
そして試着室から出た仮名青年大河は、顔立ちは整っているが、どこにでも居そうな青年の姿に変わっていた。サイズも適当に選んだように見えて、ピッタリだった。
「じゃ、コレを一式お会計お願いします」
花蓮が言うと、店員はタグを切ってレジに持っていった。もちろん、服代を支払ったのは仮名青年大河。縦長の鏡を横目で見ながら、仮名青年大河は、自分が目立ちすぎず浮いてもいない大学生風の姿に、心から感嘆の声をあげた。
アニメの聖地から電車に乗って、新宿へ出る。仮名青年大河は駅に慣れていないようだが、花蓮はどんどん進んでいき、目当ての『創世記激闘大戦』コラボのファミレスに迷うことなく、最短距離で着いた。
2人は店舗に入り、すぐに席に通される。タッチパネルで、景品付きメニューを出して、花蓮は仮名青年大河に見せる。
「私は既にコンプリートしちゃってるけど、まあ、このお店でオススメはグイル副官コラボのビーフシチューハンバーグかな。数を打つなら、サイドメニューをシェアするから。その場合、パンとご飯は抜き。ドリンクバーも抜いて、コラボジュースで攻めるわよ」
「あ、はい。でもさっき甘いもの食べたので、自分はこの司令官土豪オムライスにするよ」
仮名青年大河が選んだのは、ほうれん草を練り込んだオムライスに、エビフライとウインナーが突き刺さったものだった。串の先には人型にくりぬかれたニンジンも突き刺さっている。これは花蓮の推しであるザイール司令官メニューだが、仮名青年大河推しのヒーローコラボは真っ赤な唐辛子担々麺なので、激辛耐性がないとまず頼めない。
それにしても、普段から同世代と話慣れていないのだろう、言葉遣いが変だ。いつも礼儀正しく、本当は一人称も「俺」じゃなくて、「僕」か「私」と言っているのではないだろうかと思いきや、「自分」ときた。完全にヒーロー赤石大河に感化されている。
「構わないけど、大河の胃だとそれだけでお腹いっぱいになりそうね。サイドメニュー、私も一品だけなら協力できるけど。コラボカフェで、さんざん食べてきちゃったから。ま、じゃあ私はグイル副官ビーフシチューハンバーグと、地球復興エビとブロッコリーのサラダ、ザイール司令官ジュースにしとくわ」
花蓮は手慣れた調子でタッチパネルにメニューを打ち込んでいく。
「あ、自分のジュースはヒーローので」
仮名青年大河が、付け加える。
「イチゴジュースに、ストロベリーソフトクリームトッピング。食べ切れるの?」
「頑張って、食べます」
仮名青年大河は、この日初めて満面の笑みを見せた。注文を済ませてから、青年は真向かいの花蓮にモジモジしながら尋ねる。
「あの…聞いてもいいですか?」
「何を?」
「自分のこと…知ってて知らんふりしててくれたのですか?」
「3次元芸能人には興味ないし。つーか、本来なら面倒だから、目立つ職業の人物には近寄りたくもないわね。そう言えば、今クールの『血染めの隠密団』の裏番組、学園ヒロイン攻略ストーリーのアニメをぶつけてきたけど、最初の3分録画見て脱落したわ。いくら歌番組氷河期だからとはいえ、主題歌歌わせるのは百歩譲って許しても、声優の鍛錬を受けていないアイドル勢揃いの棒読みセリフは、内容以前にあり得無いわー。大河も、アニメ声優のオファーがきてもやらないでよ」
花蓮は笑っていない目で仮名青年大河を見つめた。彼にしてみたら、睨みつけられたという方が正しいが。
「…努力はします。でも事務所が取ってくる仕事は、基本断れないので」
「ふーん、そういうものなんだ。仕事とはいえ、嫌なものもあるだろうし。先に相談とかないの?」
「自分に関してはありません。母が多額のお金を事務所から前借りしているので、自分は事務所の言う通りするしかないので」
仮名青年大河は、口をつけていない氷入りグラスを見つめながら俯いた。
花蓮は事情を聴かなかった。芸能人に興味はなくても、目の前の青年に関して、ある程度のことは識っている。別に知りたくもなかったが、秘密を吐露したくならずにはいられない花蓮の資質が、それを赦してくれなかった。
「それに弟の大学資金がかさみますから。弟は関西の大学に進学して一人暮らししているので、父も金銭的負担が大変そうで」
仮名青年大河は、花蓮が何も言わないにも関わらず、心情吐露する。通りすがりのオタク仲間になら、誰にも言えずに自分の内に秘めていたものを漏らしてもいいかと思うかのように。
「大河は、すっかり自分の人生を諦めきちゃってるのね。それでもオタ活する程度に、この世に執着があるのは救いかな」
花蓮の言葉に、仮名青年大河はギョッとする。
「大河は気づいていないか、あるいは気づいてるけど、生きる意味が見いだせない迷子になっているわけね。そんなだから、つい放っておけなかったわけ。ま、大河が人生を続けるのも、止めるのも選択は大河自身が握ってるわけで、他人の私がとやかく言えるわけではないけどさ、私には大河が『誰でもいいから助けて』って聞こえた気がしたわけよ。じゃなきゃ、こんなトコまでわざわざ付き合わないわよ。まあ、私が出来ることは、ヒーローのカードを出す協力の手助けぐらいなものだけど」
花蓮が言うと、青年は見る見る瞳に涙をためる。嗚咽こそ漏らさないが、慌てて俯いた顔から、膝にポタポタ涙がこぼれ落ちるのが見える。花蓮はそれに気づかないフリをして、先程アニメショップで買ったブラインドアクリルキーホルダーの封を開ける。1個目に出たのがヒーローだったので、仮名青年大河のテーブルに滑らせた。
「ハズレが出たから、あげる。カバンにでもつけとけば?」
青年は袖で涙を拭いて顔をあげ、欲しかったアクリルキーホルダーを手に取る。
「ハズレって、酷くない?」
仮名青年大河は、泣き笑いしながら言った。
コラボメニューが一度に運ばれてくる。オマケの中身が分からないよう、銀色の袋に入ったクリアカード。花蓮が3枚、仮名青年大河が2枚を手に取り、早速袋を開封する。花蓮には一推しの司令官が2枚、もう1枚も敵兵司令官の人気部下が出てきて、まずまずの成績だ。
仮名青年大河には、ヒロインとヒーローが出て、彼は思わず小さな歓声を上げた。
仮名青年大河は、先ほどのコラボカフェと違って、オムライスと極甘イチゴジュースを完食した。花蓮も出されたものはお残しせずに食べきったが、さすがに食べすぎた。
食事中、仮名青年大河は、アクリルキーホルダー代金を支払うと言ったが、花蓮はお金もらうよりも、そっちがアニメショップで購入したブラインド缶バッジに、司令官が出たらちょうだいとお願いした。結果は目当てのヒーローも、司令官も出ずに惨敗。仮名青年大河は打ちひしがれた。
「まあ次回の挑戦ということで。この商品、コンプリートボックスがないのがムカつくのよね」
ボックスで買っても被りがあるファン泣かせのブラインド商品なのだ。それについて仮名青年大河と互いに不平不満を言い終えて、時間になったので店を出た。
もちろん会計は、それぞれ別々。仮名青年大河は支払うと言ったが、借りを作るのは嫌いだと花蓮は断言し、ついでに先ほどメールの友達登録したが、しつこく奢ると言うなら今すぐ着信拒否すると脅されたので、仮名青年大河は諦めるしか無かった。
「あの…本当にメールしてもご迷惑じゃないですよね?社交辞令じゃないですよね?」
「オタ活以外の事には、まず返信することはないだろうけど、まあ読むだけは読むから、嫌なことあったら書いて。ただし、さっきも言った通りー」
「嫉妬深い彼氏さんがいるんでしたよね。了解です。自分も思いっきりアニメを語れる友達が出来て、本当に嬉しいので。あ、試写会の感想、いつでもいいので書いてもらえると嬉しいな」
「もちろん書くわよ。じゃ、『創世記激闘大戦』の他にも面白かったアニメや原作の感想やオススメ、イベント情報交換は頻繁に。今からだと開場時間ギリギリだから、急がなきゃ」
仮名青年大河とはファミレス前で別れて、花蓮は試写会会場へ早足に雑踏の中へと消えていった。仮名青年大河こと、俳優の晴川悠一は、花蓮が雑踏に消えたあとも、しばし花蓮が消えた方向を眺めていた。
(本当はもう限界だったけど、神様が救世主をよこしてくれたのかな。もう少し、頑張ってみよう)
晴川悠一もまた歩き出す。本当は、今日は仕事をすっぽかしていた。しばらく歩いていると、花蓮からメールが来た。
ヒーロー大河のオンラインガチャの壁紙だ。
「またハズレた。あげる」
花蓮からそっけないメールと画像付き。
早速、悠一は、その画像をホーム画面背景にした。荒野の中を漆黒の愛馬にまたがって、大剣を敵に振りかざす、物凄く格好いいヒーローの画像。
「これがハズレだなんて、司令官は酷いなぁ」
悠一は、しみじみと送られてきた壁紙を眺めながら苦笑した。
晴川悠一は、これまで親や事務所の言いなりで馬車馬のごとく働いてきた。
母は実母だが、実父は物心ついた時には病死して、いまの父親は父の幼馴染の親友でもあった人だった。悠一が3歳の頃に再婚したので、彼は本当の父親同様に養父に懐いていたが、再婚した2年後に異父弟が誕生すると、親の関心は異父弟の智也に向けられた。
5歳の頃、知人の紹介で子役デビューした悠一は徐々に人気者となった。実母の関心が再び悠一に向けられるようになったのが嬉しくて仕事も楽しかったが、母の金遣いの荒さが目立つようになってきたのもこの頃。養父は子役など成長すれば直に干されると言っていたが、極稀に成長しても人気者であり続ける一握りの逸材が存在する。悠一は、類まれな整った顔立ちもさることながら、努力家で演技力にも定評があり、子役から青年俳優へと華麗に成長した。演じることは好きだった。しかし仕事続きでろくに学校へも行けず、マトモに通えたのは芸能人コースのあった高校ぐらい。
それに関して養父は浮き沈みの激しい芸能界で今後も生き残れるとは限らないから、大学には行かせたほうがいいと主張し、悠一もまた大学進学を熱望した。悠一は癌で亡くなった実父のことが常に頭にあって、医学部に進む夢を持っていた。塾には通わせてもらえなかったので、我流で受験勉強をしていた。
だがもっとも輝かしい10代後半から二十代前半の青年年代は、芸能人として一番の稼ぎ時でもある。実際にドラマや映画のオファーが殺到していた。そういうわけで事務所と実母から猛反対を食らい、進学を諦めるしかなかった。学力は一流大学の医学部こそ微妙だったが、ランクを落とした大学なら医学部合格は充分に可能ということで、養父や学校も進学を事務所に訴えたが、事務所も母親も頑として受け付けずに跳ね除けられてしまった。
一方の5歳年下の異母弟の智也は、幼稚園時代に悠一と同じ子役事務所に入所したものの、天賦の才には恵まれず、小学校進学と同時に退所。その後は普通の学生として生きてきた。智也は気さくで明るく、友人の少ない悠一にとって異父弟は、唯一無二の親友のような存在だったが、有名私立高校在学中に恋人を妊娠させたスキャンダルを起こした。恋人の両親とも話し合い、結局は中絶して破局という結果になったが、多額の慰謝料と手術代は悠一が立て替えることになる。
そして智也は、関西の有名私立大学に進学した。胎児とはいえ人一人を闇に葬った過去などまるで忘れたように学生生活を謳歌する異父弟の姿、相変わらず金遣いの荒い母のために、悠一は夢を諦め人生を犠牲にしてまで働くのが馬鹿馬鹿しくなってきた。養父は異父弟の中絶事件と、悠一の進学を推しきれなかった自責の念から、それ以降は家族から距離を置き、趣味の釣りや登山に没頭していた。
悠一は、もう疲れていた。周囲に人は多いが親友と呼べるほど気の置けない仲の友はおらず、家族もバラバラ。ただひたすら働き続けて、豪華だが無機質なマンションの部屋でボンヤリしていると、虚無感が襲ってくる。
もう疲れ果てた。だから事務所のスマホと母から常時携帯しておくよう言われていた母直通のスマホも自宅に置いて、今日は好きなことを存分にして、しばらく海外へ雲隠れしようかと、クレジットカードを使うと足がつくので預金を引き出し、パスポートを胸に忍ばせていた。
皆には内緒で契約した個人用のスマホの連絡先には、これまで1件も友達登録がされていなかった。ただ趣味のアニメ動画や、情報を保存しておくためのツール。でもさっき、初めての1人目の友達が登録された。
晴川悠司は、本日の戦利品を大事に抱えて、近くのホテルにチェックインした。このまますぐ帰宅したら、頭ごなしに事務所の社長や母から怒られるだろう。でも花蓮とお喋りした余韻をもう少し反芻したかったのと、コンプリートボックス開封を早くしたくてたまらなかった。自分だってもっと楽しんでも良いはずだと、人生で初めて母や事務所に逆らう行動に出た。
3.花蓮の素性
都筑花蓮のプロフィールは、私立一粒万倍女子大学文学部アニメ・マンガ研究科1回生となっている。
現在父親は外交官で、北欧系正統派美人の母と北欧暮らし。兄は北米出向のサラリーマンをしている。花蓮は港区の自宅マンションで一人暮らし。
…ということになっている。
だが実際は、花蓮という名前は偽名だ。それどころか日本人どころか、地球人ですらない。
花蓮の正体は、異世界セントクリアのアンダラ帝国の伯爵令嬢、アリアルイーゼ・グレイという。
異世界セントクリアのアンダラ帝国では、貴族階級は魔力の強さで基本的に決まっている。嫡子であっても魔力が弱ければ、身分降格。弟妹の力が強い場合は嫡男を押しのけ、彼らの中から次の当主を決める下剋上もありのシビアな世界だ。
アリアルイーゼは六人兄弟の末っ子、兄が3人、姉が2人いる。幸いにして長男が伯爵家の資格水準に達した魔力があったのと、グレイ家が代々穏便な家系なために、後継者争いという醜い修羅場無しで済んだ。そもそもが、伯爵家としては権勢の低い家柄で、領地も王都から離れた西方地方のド田舎で穏やかに暮らしている。
そんな平穏な日常に爆誕したのが、アリアルイーゼだった。彼女の魔力は直系皇族に匹敵していたのだ。家族は牧歌的な田舎住まいに波乱を起こしかねないアリアルイーゼの存在を『病弱』と称して世間から隠した。アリアルイーゼも厄介な貴族社会に馴染む気はサラサラなかった。
幸いというか、アリアルイーゼには異世界へ渡るチート能力があった。そして偶然か必然か、彼女は、子供の頃にたまたまこちらの世界へ飛んできたオーパーツこと地球日本の漫画を拾って以来、地球日本を調べ進めるうちに、どんどん憧れを抱くようになった。
そしてデビュタントを迎える16歳になる前に、地球日本に偽装戸籍やマンションを入手して、故郷を出て一人暮らしを始める。家族とはコミュニケーションツールで連絡は取り合っているが、故郷に出た15歳以来、セントクリア世界には戻っていない。地球人として暮らし、ゆくゆくは母国のアンダラ帝国で『病死』として届けられ、完全に地球へ移住することなっている。
アリアルイーゼは、悠々自適なオタクライフを楽しめる現実に満足していた。たとえ家族と離れ離れの生活となっても、ホームシックに陥るどころか、故郷と生半可な繋がりを持ったままでは、いずれ絶対に面倒に巻き込まれるのを確信していたからだ。
アリアルイーゼの本当の容姿は、亜麻色の髪と濃紺の瞳の北欧系正統派美人だが、周囲から悪目立ちしないよう、多少ハーフっぽい顔立ちだが茶褐色の髪と明るい琥珀色の瞳の、周囲に埋没する一般的な女子大生に擬態している。
だがこの擬態を稀に看破する者がいるから厄介だ。恋人の遼しかり、仮名青年大河こと晴川悠一しかり。
特に遼は無自覚に魅了の魔力を放っている。無自覚だからこそ、タチが悪い。目立つ人間には近づくまいと誓っていた花蓮ことアリアルイーゼは、偶然出くわしたその日のうちにお持ち帰りされて、遼の恋人になった。無自覚の魔力に対抗するのは骨が折れる。アリアルイーゼならその楔を壊すことも可能だが、一歩間違えれば、相手を廃人にしかねない。それに遼との付き合いは後々、アリアルイーゼにとって人生の切り札のなり得る貴重な存在でもあった。切り札に使う状況に陥りたくはないのが本音だが。
自宅に入り、リビングの固定電話に目をやると真っ赤な光が点滅する着信履歴。
花蓮はスマホには故郷と遮断するため繋がず、何かあったらホットラインに改造魔術を施した家の電話に連絡がくるようにしている。
普段の定期的な安否確認ならオレンジに点滅するが、赤は緊急事態を意味する。
花蓮は戦利品グッズ入り荷物を床に置くと、固定電話の受話器を取って、短縮番号1番を押す。すぐに3番目の兄で、皇都の騎士団に入隊しているトーイと繋がった。
「バレた!」
開口一番、受話器から聞こえてきた3番目の兄トーイの焦った声。
「何が?」
「だから、お前の魔力が尋常でないっことが、皇都のお偉いさんにバレたんだ!直ちに異世界から連れ戻せと命令がー」
「なに、それ。まさかトーイ兄さんがバラしたわけ?」
「違う!細かい事情はこっち戻ってから話すから、すぐ帰ってきてくれ!」
「いやよ。事情も分からないで敵地に乗り込むなんて。詳細に説明して。でないと、絶対にそっちには帰らないから」
花蓮は厳しい口調で言った。トーイは騎士団に入隊するほどなので、気の強さも腕っぷしも頭の回転も優れているが(玉に瑕は魔力が伯爵家の下っぱで昇格要素がない)、妹の花蓮ことアリアルイーゼには頭が上がらなかった。花蓮が幼い頃から兄たちを調教して、自身に逆らわないよう躾けたからだ。
仕方なく、トーイ・グレイ伯爵子息は事情を語りだす。
昨年末、1千年間アンダラ帝国を治めていたエルファード賢帝が亡くなった。皇位に就いてから1千年間の間に3人の王妃と側妃との間に百人を超える皇子を成したが(皇女を加えれば子供の総数二百人超え)、セントクリア世界での平均寿命は二百歳。7割の皇子は墓の中で、生きている皇子の2割は高齢者だ。
それでも賢帝は遺言によって、皇位継承は第1皇妃の生んだ嫡男ミゲールの子孫を、ミゲール皇太子の血族に男児が絶えた場合は、第2皇妃の生んだアレク皇子の子孫を、それでも駄目なら第3皇妃の生んだブラッド皇子の子孫をと指名していた。
皇位継承権第1位のミゲール皇太子も、その息子も既に亡くなっているが、賢帝の曾孫にあたるアリオス皇子が皇太子となっているため、皇位継承はつつがなく終わるかと思われた。しかし、賢帝を賢帝として認める聖剣アースブレイカーが、アリオス皇太子をソードマスターに認めなかったのだ。正確には、玉座の大剣置き場から離れず、聖剣も黙して語ろうとしない。
聖剣の類は、ソードマスター、あるいは教皇や女教皇(聖女)には語りかけるが、賢帝崩御の後、聖剣はどれほど宥めすかそうとも、沈黙と玉座からの不動を崩さない。
教皇と女教皇は卜占の末に、聖剣と話せる貴族令嬢がいるとことを突き止めた。そこで、まずは未婚の皇女(既に老女とも言えるが)、皇子たちの娘や孫、それから大公家、公爵家、侯爵家、辺境伯家、伯爵家、子爵家、男爵家、准男爵家の令嬢まで呼び出されて、玉座の間で沈黙を貫く聖剣に懇願した。だが誰一人として聖剣の声を聞くことが出来なかった。
再度、卜占をしたところ、まだ聖剣に謁見していない貴族令嬢がいることが判明した。
王室議会が血眼になって貴族名鑑を漁ったところ、数名の病弱で外に出せない貴族令嬢がいた。病身の令嬢に王宮までこさせるのは酷だが、緊急事態である。病に窶れた令嬢が聖剣に語りかける姿は、傍目から観ていても哀れだった。そして病身令嬢には、ド田舎伯爵令嬢のアリアルイーゼの名前も挙がっている。グレイ家は替え玉のアリアルイーゼを皇宮へ連れていき、聖剣の前に立たせて懇願させると、初めて聖剣は反応した。
「このような偽物で、妾を謀る気か!直ちに本物を連れてまいれ!」
聖剣は皇都中に響く怒声を轟かせた。そしてグレイ伯爵家が、偽物のアリアルイーゼを連れてきたことが、皇都中にバレてしまったのである。
すぐさま偽物令嬢とグレイ伯爵夫妻は皇宮に監禁され、全ての事情を吐露する羽目になる。
稀に一般貴族から、突然変異として膨大な魔力を持ち合わせた子供が生まれることがあるが、こうした赤子は誕生の瞬間に教皇や女教皇に感知されて教皇庁に一旦引き取られ、その後は大貴族の養子、もしくは皇宮預かりとなる。
だが特別個体の中でも特出していたアリアルイーゼは、胎児の頃から状況を把握して魔力を封じ込める術を会得し、誕生後も教皇庁の監視の目をかいくぐって、これまでド田舎で病弱令嬢として暮らしてきたわけだ。
「このままだと、グレイ伯爵家は爵位剥奪、領地没収で一般市民に落とされる。だからアリア、一刻も早く帰ってきて、聖剣と謁見してくれ!」
受話器からトーイの絶叫が、花蓮の耳をつんざく。早い段階で受話器を耳から離していたが、それでも耳がキンキンする。このマンションがピアノ演奏も可能な防音設備の整った一室で良かったと、心底から思った。
(トーイ兄さんの様子からして、屋敷には騎士団が駐留していると思ってもいいわよね。それにしても、見ず知らずの私に、聖剣がどうして話したがっているのだか。でも、こっちもいいように振り回されるのは癪だわ)
「トーイ兄さん、そっちに戻るのに3日間、いや2日間時間をくれるように、監視役を説得してくれない?」
「おまえ、家の存亡危機になにを悠長なことを!」
トーイが叫んだそのとき、近衛騎士団団長が受話器を下っ端騎士のトーイから奪い取る。
「初めまして、私はゴンファノン騎士団長です。時間に猶予をくれというのは、どういうことか説明していただいても?」
ゴンファノン騎士団長は丁寧だが威圧的な物言いで尋ねる。
「手土産を少々。何故、聖剣様が私のような小娘を指名して会いたがるのか、少々心当たりがありまして。その準備に最短でも2日は必要となるわけで。ご理解いただけますか?」
「わかりました。ではこれより2日以内に、その手土産とやらを持ってお戻りください。賢帝が崩御してすでに半年、他国の動向も活発化してきているゆえ、早急にアリオス皇太子殿下を新帝に立てる必要があるのです」
「ええ、分かってます。首に縄をつけてでも手土産は持参いたしますので、玉座の間でお待ち下さい。ド田舎の我が家から王都まで行くのは面倒ですから、こちらから直接、皇宮へ参ります」
アリアルイーゼは、ゴンファノン騎士団長に全く臆さずに語って受話器を戻した。
「さて、厄介なことに巻き込んでくれたわね。まあ、私もこれを機に正式に地球移住権を認めてもらう手札が出来たかな?」
アリアルイーゼはニヤリと笑い、床に置いたオタクグッズをテーブルに置きなおし、試写会の感想を手早くスマホに打ち込み、悠一に送信すると、スマホの電源を切った。
瀧宮遼は、鼻歌を歌いながら、遅い朝食を作っていた。悪天候で海外渡航がキャンセルとなり、急に仕事が休みになった。それでも事務所は別の仕事をねじ込んできたが、それでも夜までは久々のオフだ。遼は、今夜まで愛しい恋人と過ごせると上機嫌だった。
そこへ寝室から、鬼の形相の恋人、都筑花蓮が飛び出してくる。
「遼、よくも目覚まし時計止めたわね!だから、アンタのトコに泊まりたくなかったのよ!」
花蓮は恋人に怒鳴りつけるなり、風呂場へ直行した。
遼も慌てて鍵のかかった浴室に駆けつけて、曇りガラスのドア越しに叫ぶ。
「おまえ、俺とオタ活とどっちが大切だ!」
「最初に約束したでしょ、私の趣味の邪魔したら、速攻で別れるって!」
急いでシャワーを浴びながら、花蓮は怒鳴り返した。
非情な返答に、遼は肩を落としてキッチンに戻った。
瀧宮遼こと芸名・御嶽リョウは、大活躍中の4人アイドルグループ『聖剣の騎士団』の1人だった。有名私立大学経済学部の3回生でもある。
そして花蓮は、二流だが個性的な私立一粒万倍女子大文学部1回生で4月生まれの19歳なので、取り敢えず遼は、未成年に手を出したわけではない。だがアイドル業は、ファンの仮想恋人という役割な手前、この恋愛かバレるわけにはいかない。加えて遼の恋人は、恋愛よりもオタ活を優先する、ドライな相手。
今日がアニメコラボカフェな日なのを分かっていて、遼は目覚まし時計を止めて花蓮のオタ活を阻止しようと目論んだのだ。そりゃあ、激戦当選を勝ち抜いた初日なら快く送り出すが、花蓮は名古屋、大阪、東京の計3回、既に赴いている。最推しのアニメキャラには惜しみなく金を振りまくのに、遼の所属する『聖剣の騎士団』には、ライヴに足を運ばないどころか、グッズの1つさえ「無駄遣い」だと、キーホルダーの1つさえ買わない徹底ぶり。
花蓮は自身は冴えないモテない女子高生と自負しているが、亜麻色の髪に濃紺の瞳をした北欧系ハーフの血の濃い整った顔立ちの彼女が、人目を引く容姿なのを自覚していないのだと遼は信じて疑わない。花蓮のためなら、今すぐアイドル廃業してもいいと思うほど惚れ込んでいるのに、どうしてこの想いに花蓮は気づいてくれないのか。
遼が手慣れた手付きでオムレツを皿に乗せたとき、メイクも服装もバッチリの彩衣羅がキッチンを抜けていく。
「おい、せめて飯ぐらい食ってけよ!」
遼はテーブルに、完璧な朝食を用意していた。花蓮の好きなクロワッサンは今朝美味しいと評判のパン屋から買ってきたもの、トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼや、生ハムとも高級品を惜しげもなく切った。ホカホカのオムレツの横にはアスパラガスのバターソテーを加え、コーンクリームスープもレトルトではなく、自ら作った。コーヒーは豆から挽いたものだし、オレンジジュースだって、オレンジをミキサーにかけて作ったのだ。
「カフェで推しのコースター当てるために、今日は食べないって昨夜、言っておいたでしょ。今日はアニメショップの新作グッズ発売日と映画試写会もあるから、カフェが終わっても、コッチに戻る暇はないから、ヨロシク。お仕事、頑張ってね!」
遼が引き留める間もなく、花蓮は無情にも去っていった。
テーブルいっぱいの朝食が虚しい。遼は席に座るなり、苛立ち紛れに花蓮に向けて猛烈にメール打ち始めた。スタンプも次々と送りつける。こうなったら、スマホの容量いっぱいになるまで、送りつけてやる。
普段の遼はクールな見た目と淡白な性質をしているが、こと花蓮に関してだけは、凄まじいほどの独占欲を持っていた。
「アイツの推しのアニメなんて、滅びてしまえ!」
遼は、アイドルにあるまじき形相で、花蓮が愛するアニメを呪った。
花蓮はスマホを2つ使い分けている。もう一つのスマホの存在は、遼には内緒だ。そうでないと、コラボカフェや展示会で撮影した推しの画像を消されかねない。
「なんだって、こんな粘着質なんだか。キリのいいところで、さっさと別れるか」
花蓮はそう呟きながらも、遼と別れられずにいる。粘着質なのは玉に瑕だが、容姿も3次元も物体の中では理想的だし、甘やかされるのも悪い気はしない。だが心理的ではなく、もっと根本的なところで、別れるに別れられないのだ。
もし別れるとしたら、それは花蓮からではなく、遼の方から断ち切らねばならない。そして、いまのところ、その兆候はない。
2.薄幸のオタ友
花蓮は基本、1人でオタ活をしている。学生仲間と一緒のときもたまにあるが、なにしろ文学部アニメ・マンガ研究科所属からして、皆の推しのキャラ愛は濃密を通り越して、ドロドロである。なので討論から口論に発展することも絶えないため、純粋にオタ活を満喫するには1人で動くのに限る。
コラボカフェで、スマホの予約コードを提示して中へ入る。よしよし、大好きなキャラクターの絵が描かれたテーブルだ。早速、花蓮はバシバシとスマホで撮影する。
カフェコンセプトのウエイターが、入店時に注文した食事とドリンクを持ってくる。推しのカラーのグリーンソーダ、ケールスムージーを混ぜ込んだ緑のオムライス、緑のメロンゼリーケーキ、敵キャラ総動員のハンバーグステーキ。
味は正直今一つだが、メニューコンセプトと、なによりブラインド包装されたコースターが目当てだ。そしてこのコラボカフェでは、缶バッジコンプリートセット税込み5500円は、このブラインド包装の中の当たり券がなければ買う権利がない。当選くじに外れた者は、受注生産半年後まで待たねばならない。
花蓮はヒーローのコースターの入った袋の中に、当たりくじを見つける。当然、コンプリートセットは買うが、ヒーローは花蓮の推しではない。花蓮の推しは、敵役のザイール総司令官だ。ブラインド袋3枚目でザイール総司令官コースターを当てた時にはガッツポーズをした。以前行った地方コラボカフェでも推しは引き当てているが、地方によってキャラのポージングが違うので、前回の東京カフェで逃したデザインコースターを当てることができ、今回は大満足だ。
周囲からも歓喜や落胆の声でざわめく。さて、購買順番が来るまでに、料理を食べ尽くさねば。料理を注文だけしてお残しする女子も多いが、たとえ味はイマイチでも、キャラコンセプトの料理をお残しするのは、花蓮には許されざる行為だ。
花蓮は猛烈な勢いで食べる。テーブルに描かれた推しキャラを眺めながらの食事は格別だ、味はイマイチであったとしても。
「あの…」
隣の席の男性1人客が躊躇いがちに、花蓮に声をかける。
「もしかして、ヒーローのコースター引き当てましたか?もしよければ、俺のと交換して欲しいのですが」
「駄目よ、他人同士でのコースター交換はトラブルになるから、規定で禁止されてるもの」
花蓮はウエイターの様子を伺いながらそう言いつつ、監視の隙をついて左手で素早く書いたメモを隣の席の男性に渡す。そこには「店を離れてから交渉」と書かれていた。
購買の順番が来て、花蓮はコンプリートセットの他にも、後期販売グッズをカゴに手早く入れて会計する。さすが人気を二分する味方軍の脇役元帥と、花蓮推しの敵方総司令官の売れ行きは、個数制限があっても、既に品薄だ。買えてよかったと、花蓮はホクホクだ。
(それにしても)
席に戻る傍らでチラ見した、先ほどの青年は、ヒーローファンなのか赤をコンセプトにしたメニューを頼んでいた。品数は3つ、ドリンク2種類(ヒーローと脇役味方元帥)と、ドギツい赤のホットケーキだ。青年はボソボソ食べているが、不味いというより、食欲そのものがないように思えた。
(ああいうタイプとは、出来れば近寄りたくないけど、『視えちゃった』以上は、それなりに優しくしてあげないとね)
青年もコラボカフェグッズを買いに席を立つ。昨今のアニメは脇役が人気で、ヒーローが数段人気が落ちる傾向が強いため、ヒーローグッズは難なく買えるだろう。幸薄そうな青年は、先ほどより血色の良くなった顔で、有料ショッパーに入ったグッズを大切そうに胸に抱いている。
花蓮が料理を完食した時点で、タイムオーバーとなり、退出を余儀なくされた。テーブルでは、大量に残された料理が山積みとなっている。決して安い値段ではないコラボカフェメニューの料理を、コースター目当てで注文して残すのは許せなかったが、コラボカフェもそれを承知の上で運営しているだから、仕方がない。
コラボカフェから離れた場所の駅ビルベンチに座ると、ついてきた青年が躊躇いがちに座る。
「あの、司令官のコースターが出たので。貴方はヒーローのコースターを出してましたよね?」
青年は小さな声で言う。変装はしているが、端正な顔立ちだ。だが3次元芸能人に興味のない花蓮でさえ、彼が昨年より随分と窶れたのが気にかかる。
「うん。ヒーローは別に興味ないから、交換は歓迎…って、これ司令官のアップ顔!私、これも狙ってたのよ!」
花蓮は狂喜乱舞する。コースターはそれぞれ2種類、全体像とアップ顔の2種類が、敵陣と味方陣の人気キャラそれぞれにブラインド仕様となっている。このアップ顔は前回で引き当てていたが、部屋に飾る観賞用の他、保存用は何枚あっても大歓迎だ。
「俺もヒーローのアップ顔が欲しかったので、ありがとうございました。でも凄いですね、コンプリートセット販売券まで引き当てて」
「ちなみに君は、ブラインド缶バッジは買わなかったの?」
「まだ開けてないので。確認します」
バラ売りブラインド缶バッジは制限4個まで。青年はブラインドの包装袋を開ける。4個ともヒーロー出ず、しかも出たのは敵兵ばかりで、うち2個はダブりだ。くじ運のない人っているんだよね。青年はガックリ肩を落とした。
「もし予算あるなら、このコンプリートセットを定価で売ってもいいけど?」
「え?だって、それ滅多に買えない代物じゃー」
「実は前回のコラボカフェのときにも、販売権利クジを引き当てて買ってるの。今回のは保存用にしとくつもりだったけど、そんなこの世の終わりみたいな顔を見てしまうとね。私はあと1回、終日のチケット購入してるし、仮に外しても、保存用のは受注生産まで待てるから」
「本当に、本当にいいんですか!?」
青年は顔を輝かせる。明らかに花蓮より年上なのに、表情は高校生に見えるほど幼い。良くも悪くも、スレていないのだろう。
「コッチから申し出たんだし。あ、ちゃんと定価は払ってよ?」
「もちろんです!何でしたら、御礼の上乗せしてもいいです!」
「そこまでは望んでないというか、推しのアニメで金を稼ぐなんて冒涜を働きたくないから定価。これが守れないなら、譲れないよ」
「分かりました。本当に、貴女は潔い人なんですね」
青年は微笑みながら定価の現金を差し出し、花蓮は未開封コンプリートセットを渡した。
「じゃ、これでお別れね。私、これからアニメショップ本店の限定新作を買いに行くから。今日から始まった『創世記激闘大戦』フェアの、本店ならではのオマケが目的なのよ」
花蓮が席を立つと、咄嗟に青年が彼女の腕を掴む。
「あの…そこに俺も一緒に行ってもいいですか?俺もヒーローの新作買いに行きたかったけど、本店界隈って、いつも道に迷ってしまって」
青年は恥ずかしそうに言う。
花蓮はしばし天を見上げたあと、細腕からは想像もできない力で、青年を立ち上がらせた。
「あの本店は、改装につぐ改装で、場所がたまに変わるからね。同じ地区とはいえ、拠点がコロコロ変わるのは、こっちも迷惑してるのよ。じゃ、早く行くわよ。コラボカフェで時間潰したハンデがついてるから、目当てが売れ残ってるかどうかはもちろん、オマケも余っているかどうか」
花蓮は青年を引っ張っていく。青年は躓きそうになりながらも、背は高くて脚も長いので、急ぎ足の花蓮にも何とかついてくることが出来た。
「そう言えば、名乗ってませんでしたね。俺の名前はー」
「アンタの名前は大河。私はザイール司令官。本名なんて、オタ活に無粋なものは持ち込まない!」
「は、はあ…」
青年こと仮名、赤石大河は困惑しながら頷く。自分はともかく、いくら花蓮の見た目が北欧系ハーフでも、強面イケメンなサーシャ・ザイール司令と呼ぶのは少々抵抗があるが、逆らえない気迫が彼女にはある。
渋谷から池袋へ電車を乗り継ぎ、いつもは迷いながら疲労困憊してたどり着くアニメショップ本店に、仮名青年大河は、難なくたどり着いた。
だが花蓮ことザイール司令と一緒なのはここまで。大挙するオタクの波に物怖じせず突撃していく花蓮に、仮名青年大河はついていけない。しかし、オタクの聖地本店へ来たのだ。仮名青年大河も、負けるわけにはいられない。
目当てのものを見つけて(ヒーローは人気がないので売れ残ってる)、長蛇のレジ待ち30分後、店を出た仮名青年大河は、店舗前で真剣な顔でスマホを打っている花蓮ことザイール司令を見つけて驚いた。てっきり、さっさと帰ってるか、まだ激戦区で戦っていると思っていたからだ。
「待っててくださったんですか?」
仮名青年大河は、涙ぐみそうになるほどの嬉しさを隠そうともせず、花蓮に尋ねた。
花蓮は「ちょっと待ってて」と言いつつ、スマホをイジっている。見れば『創世記激闘大戦・第二部邂逅編』のゲームをしていた。このゲームは仮面青年大河も暇を見つけて挑戦しているが、なかなか先に進めずに撃沈されてしまう。だが花蓮は既に最終局面まで進んでおり、敵勢は陥落寸前だ。ここでいう敵勢が、本編では主人公含む味方なのが複雑なところだ。花蓮はキリのいいところでデータを保存して終わらせた。
「君、鈍臭そうだから、ちゃんと駅までたどり着けるのか、心配だったし。戦利品、GETできた?」
「あ、はい。沢山余ってました。司令は、目当てのもの入手出来たのですか?」
「当たり前よ。最後の1個を、争奪の末にふんだくったわ。これで本日のミッションはコンプリート。あとは君を駅まで遅れ届けて、試写会まで、腹ごなしの暇つぶしをしておくわ」
「試写会って…まさか、『創世記激闘大戦、第四部・天と地の死闘篇』に当選したんですか?あれ、懸賞応募にも関わらず、ものすごい倍率だったらしいのに」
仮名青年大河は、驚きを隠せない。かくいう自分も、仕事で行けない確率が高いながらも、一縷の希望を抱き、好きでもないジュースを飲みまくってポイントを稼ぎ、何十通も懸賞応募した末に落選したのだ。
「運だけはあるのよ。じゃ、駅まで送っていってあげる。私もこれから新宿行くから」
「俺も新宿までついて行っていいですか?」
「新宿に自宅があるの?」
「いえ、自宅は麻布なんですけど、まだ時間があるので。その…良ければ夕飯を一緒に食べてもらえたら嬉しいなぁと」
青年はモジモジしながら、上目遣いで花蓮を見る。見た目は大学生でも通用するほど若いが、二十代半ばの男性の仕草かと思うと、この気の弱さは考えものだ。
「あー、もしかして店舗指定ファミレスの、店内飲食限定ブラインドカードが目当て?」
花蓮が尋ねると、仮名青年大河は勢いよく頷いた。
「そりゃあ開場時間までまだ間があるからいいけど、交換条件受け入れたらね。まずは言葉遣い、俺と言いながら敬語で話される違和感が酷すぎる。普通に話して。あとその服装、誰が選んだか分からないけど、ダサすぎて浮いてるのよ。すぐそこのファストファッションでいいから、すぐ買い替えて着替えてもらうのが、ご飯を一緒に食べる条件」
花蓮はビシッと仮名青年大河を指さした。
「そんなに浮いてましたか?」
青年は自分の服装を確認しながら言った。推しのアニメプリントされたTシャツ、ベージュのハーフパンツ。アニメコラボの朱色のスニーカー。髪はわざと洗い髪のままにしてセットせず、黒縁メガネをかけた。自分では周囲に溶け込んでいると思っていたのだが。
「いかにも変装してしてますって格好は、逆に目立つのよ。そのダサいメガネも、どこで買ってきたのやら。コラボカフェでアンタに気づいてる子、何人かいたわよ」
「えっ!」
仮名青年大河は驚きを隠せない。そして花蓮が、彼の正体に気づいていながら、普通に接してくれていることにも。
「ともかく、擬態はやりすぎると逆に目立つの。昨今の日本男子はそれなりにオシャレだから、そこそこに綺麗な身なりをしていた方が目立たないわ。ほら、行くわよ。ちなみに軍資金はアンタ持ち。私、男に服を貢ぐ趣味はないから」
花蓮は仮名青年大河の腕を引っ張って、近くのファストファッション店へ引きずり込んだ。
仮名青年大河が所在なくオロオロしている最中、花蓮は躊躇なく服を選んでいく。試着室の中までついてきたので、仮名青年大河は動揺を隠せなかったが「アンタのボサボサの髪を整えて、目の下のクマにファンデーション塗るだけだから」と言い、その通りにした。
仮名青年大河の顔と髪を整えてすぐ花蓮は出てきて、彼が着替えている間、花蓮は店員にいま試着している服がサイズピッタリなら、そのまま着せていく交渉をしていた。
そして試着室から出た仮名青年大河は、顔立ちは整っているが、どこにでも居そうな青年の姿に変わっていた。サイズも適当に選んだように見えて、ピッタリだった。
「じゃ、コレを一式お会計お願いします」
花蓮が言うと、店員はタグを切ってレジに持っていった。もちろん、服代を支払ったのは仮名青年大河。縦長の鏡を横目で見ながら、仮名青年大河は、自分が目立ちすぎず浮いてもいない大学生風の姿に、心から感嘆の声をあげた。
アニメの聖地から電車に乗って、新宿へ出る。仮名青年大河は駅に慣れていないようだが、花蓮はどんどん進んでいき、目当ての『創世記激闘大戦』コラボのファミレスに迷うことなく、最短距離で着いた。
2人は店舗に入り、すぐに席に通される。タッチパネルで、景品付きメニューを出して、花蓮は仮名青年大河に見せる。
「私は既にコンプリートしちゃってるけど、まあ、このお店でオススメはグイル副官コラボのビーフシチューハンバーグかな。数を打つなら、サイドメニューをシェアするから。その場合、パンとご飯は抜き。ドリンクバーも抜いて、コラボジュースで攻めるわよ」
「あ、はい。でもさっき甘いもの食べたので、自分はこの司令官土豪オムライスにするよ」
仮名青年大河が選んだのは、ほうれん草を練り込んだオムライスに、エビフライとウインナーが突き刺さったものだった。串の先には人型にくりぬかれたニンジンも突き刺さっている。これは花蓮の推しであるザイール司令官メニューだが、仮名青年大河推しのヒーローコラボは真っ赤な唐辛子担々麺なので、激辛耐性がないとまず頼めない。
それにしても、普段から同世代と話慣れていないのだろう、言葉遣いが変だ。いつも礼儀正しく、本当は一人称も「俺」じゃなくて、「僕」か「私」と言っているのではないだろうかと思いきや、「自分」ときた。完全にヒーロー赤石大河に感化されている。
「構わないけど、大河の胃だとそれだけでお腹いっぱいになりそうね。サイドメニュー、私も一品だけなら協力できるけど。コラボカフェで、さんざん食べてきちゃったから。ま、じゃあ私はグイル副官ビーフシチューハンバーグと、地球復興エビとブロッコリーのサラダ、ザイール司令官ジュースにしとくわ」
花蓮は手慣れた調子でタッチパネルにメニューを打ち込んでいく。
「あ、自分のジュースはヒーローので」
仮名青年大河が、付け加える。
「イチゴジュースに、ストロベリーソフトクリームトッピング。食べ切れるの?」
「頑張って、食べます」
仮名青年大河は、この日初めて満面の笑みを見せた。注文を済ませてから、青年は真向かいの花蓮にモジモジしながら尋ねる。
「あの…聞いてもいいですか?」
「何を?」
「自分のこと…知ってて知らんふりしててくれたのですか?」
「3次元芸能人には興味ないし。つーか、本来なら面倒だから、目立つ職業の人物には近寄りたくもないわね。そう言えば、今クールの『血染めの隠密団』の裏番組、学園ヒロイン攻略ストーリーのアニメをぶつけてきたけど、最初の3分録画見て脱落したわ。いくら歌番組氷河期だからとはいえ、主題歌歌わせるのは百歩譲って許しても、声優の鍛錬を受けていないアイドル勢揃いの棒読みセリフは、内容以前にあり得無いわー。大河も、アニメ声優のオファーがきてもやらないでよ」
花蓮は笑っていない目で仮名青年大河を見つめた。彼にしてみたら、睨みつけられたという方が正しいが。
「…努力はします。でも事務所が取ってくる仕事は、基本断れないので」
「ふーん、そういうものなんだ。仕事とはいえ、嫌なものもあるだろうし。先に相談とかないの?」
「自分に関してはありません。母が多額のお金を事務所から前借りしているので、自分は事務所の言う通りするしかないので」
仮名青年大河は、口をつけていない氷入りグラスを見つめながら俯いた。
花蓮は事情を聴かなかった。芸能人に興味はなくても、目の前の青年に関して、ある程度のことは識っている。別に知りたくもなかったが、秘密を吐露したくならずにはいられない花蓮の資質が、それを赦してくれなかった。
「それに弟の大学資金がかさみますから。弟は関西の大学に進学して一人暮らししているので、父も金銭的負担が大変そうで」
仮名青年大河は、花蓮が何も言わないにも関わらず、心情吐露する。通りすがりのオタク仲間になら、誰にも言えずに自分の内に秘めていたものを漏らしてもいいかと思うかのように。
「大河は、すっかり自分の人生を諦めきちゃってるのね。それでもオタ活する程度に、この世に執着があるのは救いかな」
花蓮の言葉に、仮名青年大河はギョッとする。
「大河は気づいていないか、あるいは気づいてるけど、生きる意味が見いだせない迷子になっているわけね。そんなだから、つい放っておけなかったわけ。ま、大河が人生を続けるのも、止めるのも選択は大河自身が握ってるわけで、他人の私がとやかく言えるわけではないけどさ、私には大河が『誰でもいいから助けて』って聞こえた気がしたわけよ。じゃなきゃ、こんなトコまでわざわざ付き合わないわよ。まあ、私が出来ることは、ヒーローのカードを出す協力の手助けぐらいなものだけど」
花蓮が言うと、青年は見る見る瞳に涙をためる。嗚咽こそ漏らさないが、慌てて俯いた顔から、膝にポタポタ涙がこぼれ落ちるのが見える。花蓮はそれに気づかないフリをして、先程アニメショップで買ったブラインドアクリルキーホルダーの封を開ける。1個目に出たのがヒーローだったので、仮名青年大河のテーブルに滑らせた。
「ハズレが出たから、あげる。カバンにでもつけとけば?」
青年は袖で涙を拭いて顔をあげ、欲しかったアクリルキーホルダーを手に取る。
「ハズレって、酷くない?」
仮名青年大河は、泣き笑いしながら言った。
コラボメニューが一度に運ばれてくる。オマケの中身が分からないよう、銀色の袋に入ったクリアカード。花蓮が3枚、仮名青年大河が2枚を手に取り、早速袋を開封する。花蓮には一推しの司令官が2枚、もう1枚も敵兵司令官の人気部下が出てきて、まずまずの成績だ。
仮名青年大河には、ヒロインとヒーローが出て、彼は思わず小さな歓声を上げた。
仮名青年大河は、先ほどのコラボカフェと違って、オムライスと極甘イチゴジュースを完食した。花蓮も出されたものはお残しせずに食べきったが、さすがに食べすぎた。
食事中、仮名青年大河は、アクリルキーホルダー代金を支払うと言ったが、花蓮はお金もらうよりも、そっちがアニメショップで購入したブラインド缶バッジに、司令官が出たらちょうだいとお願いした。結果は目当てのヒーローも、司令官も出ずに惨敗。仮名青年大河は打ちひしがれた。
「まあ次回の挑戦ということで。この商品、コンプリートボックスがないのがムカつくのよね」
ボックスで買っても被りがあるファン泣かせのブラインド商品なのだ。それについて仮名青年大河と互いに不平不満を言い終えて、時間になったので店を出た。
もちろん会計は、それぞれ別々。仮名青年大河は支払うと言ったが、借りを作るのは嫌いだと花蓮は断言し、ついでに先ほどメールの友達登録したが、しつこく奢ると言うなら今すぐ着信拒否すると脅されたので、仮名青年大河は諦めるしか無かった。
「あの…本当にメールしてもご迷惑じゃないですよね?社交辞令じゃないですよね?」
「オタ活以外の事には、まず返信することはないだろうけど、まあ読むだけは読むから、嫌なことあったら書いて。ただし、さっきも言った通りー」
「嫉妬深い彼氏さんがいるんでしたよね。了解です。自分も思いっきりアニメを語れる友達が出来て、本当に嬉しいので。あ、試写会の感想、いつでもいいので書いてもらえると嬉しいな」
「もちろん書くわよ。じゃ、『創世記激闘大戦』の他にも面白かったアニメや原作の感想やオススメ、イベント情報交換は頻繁に。今からだと開場時間ギリギリだから、急がなきゃ」
仮名青年大河とはファミレス前で別れて、花蓮は試写会会場へ早足に雑踏の中へと消えていった。仮名青年大河こと、俳優の晴川悠一は、花蓮が雑踏に消えたあとも、しばし花蓮が消えた方向を眺めていた。
(本当はもう限界だったけど、神様が救世主をよこしてくれたのかな。もう少し、頑張ってみよう)
晴川悠一もまた歩き出す。本当は、今日は仕事をすっぽかしていた。しばらく歩いていると、花蓮からメールが来た。
ヒーロー大河のオンラインガチャの壁紙だ。
「またハズレた。あげる」
花蓮からそっけないメールと画像付き。
早速、悠一は、その画像をホーム画面背景にした。荒野の中を漆黒の愛馬にまたがって、大剣を敵に振りかざす、物凄く格好いいヒーローの画像。
「これがハズレだなんて、司令官は酷いなぁ」
悠一は、しみじみと送られてきた壁紙を眺めながら苦笑した。
晴川悠一は、これまで親や事務所の言いなりで馬車馬のごとく働いてきた。
母は実母だが、実父は物心ついた時には病死して、いまの父親は父の幼馴染の親友でもあった人だった。悠一が3歳の頃に再婚したので、彼は本当の父親同様に養父に懐いていたが、再婚した2年後に異父弟が誕生すると、親の関心は異父弟の智也に向けられた。
5歳の頃、知人の紹介で子役デビューした悠一は徐々に人気者となった。実母の関心が再び悠一に向けられるようになったのが嬉しくて仕事も楽しかったが、母の金遣いの荒さが目立つようになってきたのもこの頃。養父は子役など成長すれば直に干されると言っていたが、極稀に成長しても人気者であり続ける一握りの逸材が存在する。悠一は、類まれな整った顔立ちもさることながら、努力家で演技力にも定評があり、子役から青年俳優へと華麗に成長した。演じることは好きだった。しかし仕事続きでろくに学校へも行けず、マトモに通えたのは芸能人コースのあった高校ぐらい。
それに関して養父は浮き沈みの激しい芸能界で今後も生き残れるとは限らないから、大学には行かせたほうがいいと主張し、悠一もまた大学進学を熱望した。悠一は癌で亡くなった実父のことが常に頭にあって、医学部に進む夢を持っていた。塾には通わせてもらえなかったので、我流で受験勉強をしていた。
だがもっとも輝かしい10代後半から二十代前半の青年年代は、芸能人として一番の稼ぎ時でもある。実際にドラマや映画のオファーが殺到していた。そういうわけで事務所と実母から猛反対を食らい、進学を諦めるしかなかった。学力は一流大学の医学部こそ微妙だったが、ランクを落とした大学なら医学部合格は充分に可能ということで、養父や学校も進学を事務所に訴えたが、事務所も母親も頑として受け付けずに跳ね除けられてしまった。
一方の5歳年下の異母弟の智也は、幼稚園時代に悠一と同じ子役事務所に入所したものの、天賦の才には恵まれず、小学校進学と同時に退所。その後は普通の学生として生きてきた。智也は気さくで明るく、友人の少ない悠一にとって異父弟は、唯一無二の親友のような存在だったが、有名私立高校在学中に恋人を妊娠させたスキャンダルを起こした。恋人の両親とも話し合い、結局は中絶して破局という結果になったが、多額の慰謝料と手術代は悠一が立て替えることになる。
そして智也は、関西の有名私立大学に進学した。胎児とはいえ人一人を闇に葬った過去などまるで忘れたように学生生活を謳歌する異父弟の姿、相変わらず金遣いの荒い母のために、悠一は夢を諦め人生を犠牲にしてまで働くのが馬鹿馬鹿しくなってきた。養父は異父弟の中絶事件と、悠一の進学を推しきれなかった自責の念から、それ以降は家族から距離を置き、趣味の釣りや登山に没頭していた。
悠一は、もう疲れていた。周囲に人は多いが親友と呼べるほど気の置けない仲の友はおらず、家族もバラバラ。ただひたすら働き続けて、豪華だが無機質なマンションの部屋でボンヤリしていると、虚無感が襲ってくる。
もう疲れ果てた。だから事務所のスマホと母から常時携帯しておくよう言われていた母直通のスマホも自宅に置いて、今日は好きなことを存分にして、しばらく海外へ雲隠れしようかと、クレジットカードを使うと足がつくので預金を引き出し、パスポートを胸に忍ばせていた。
皆には内緒で契約した個人用のスマホの連絡先には、これまで1件も友達登録がされていなかった。ただ趣味のアニメ動画や、情報を保存しておくためのツール。でもさっき、初めての1人目の友達が登録された。
晴川悠司は、本日の戦利品を大事に抱えて、近くのホテルにチェックインした。このまますぐ帰宅したら、頭ごなしに事務所の社長や母から怒られるだろう。でも花蓮とお喋りした余韻をもう少し反芻したかったのと、コンプリートボックス開封を早くしたくてたまらなかった。自分だってもっと楽しんでも良いはずだと、人生で初めて母や事務所に逆らう行動に出た。
3.花蓮の素性
都筑花蓮のプロフィールは、私立一粒万倍女子大学文学部アニメ・マンガ研究科1回生となっている。
現在父親は外交官で、北欧系正統派美人の母と北欧暮らし。兄は北米出向のサラリーマンをしている。花蓮は港区の自宅マンションで一人暮らし。
…ということになっている。
だが実際は、花蓮という名前は偽名だ。それどころか日本人どころか、地球人ですらない。
花蓮の正体は、異世界セントクリアのアンダラ帝国の伯爵令嬢、アリアルイーゼ・グレイという。
異世界セントクリアのアンダラ帝国では、貴族階級は魔力の強さで基本的に決まっている。嫡子であっても魔力が弱ければ、身分降格。弟妹の力が強い場合は嫡男を押しのけ、彼らの中から次の当主を決める下剋上もありのシビアな世界だ。
アリアルイーゼは六人兄弟の末っ子、兄が3人、姉が2人いる。幸いにして長男が伯爵家の資格水準に達した魔力があったのと、グレイ家が代々穏便な家系なために、後継者争いという醜い修羅場無しで済んだ。そもそもが、伯爵家としては権勢の低い家柄で、領地も王都から離れた西方地方のド田舎で穏やかに暮らしている。
そんな平穏な日常に爆誕したのが、アリアルイーゼだった。彼女の魔力は直系皇族に匹敵していたのだ。家族は牧歌的な田舎住まいに波乱を起こしかねないアリアルイーゼの存在を『病弱』と称して世間から隠した。アリアルイーゼも厄介な貴族社会に馴染む気はサラサラなかった。
幸いというか、アリアルイーゼには異世界へ渡るチート能力があった。そして偶然か必然か、彼女は、子供の頃にたまたまこちらの世界へ飛んできたオーパーツこと地球日本の漫画を拾って以来、地球日本を調べ進めるうちに、どんどん憧れを抱くようになった。
そしてデビュタントを迎える16歳になる前に、地球日本に偽装戸籍やマンションを入手して、故郷を出て一人暮らしを始める。家族とはコミュニケーションツールで連絡は取り合っているが、故郷に出た15歳以来、セントクリア世界には戻っていない。地球人として暮らし、ゆくゆくは母国のアンダラ帝国で『病死』として届けられ、完全に地球へ移住することなっている。
アリアルイーゼは、悠々自適なオタクライフを楽しめる現実に満足していた。たとえ家族と離れ離れの生活となっても、ホームシックに陥るどころか、故郷と生半可な繋がりを持ったままでは、いずれ絶対に面倒に巻き込まれるのを確信していたからだ。
アリアルイーゼの本当の容姿は、亜麻色の髪と濃紺の瞳の北欧系正統派美人だが、周囲から悪目立ちしないよう、多少ハーフっぽい顔立ちだが茶褐色の髪と明るい琥珀色の瞳の、周囲に埋没する一般的な女子大生に擬態している。
だがこの擬態を稀に看破する者がいるから厄介だ。恋人の遼しかり、仮名青年大河こと晴川悠一しかり。
特に遼は無自覚に魅了の魔力を放っている。無自覚だからこそ、タチが悪い。目立つ人間には近づくまいと誓っていた花蓮ことアリアルイーゼは、偶然出くわしたその日のうちにお持ち帰りされて、遼の恋人になった。無自覚の魔力に対抗するのは骨が折れる。アリアルイーゼならその楔を壊すことも可能だが、一歩間違えれば、相手を廃人にしかねない。それに遼との付き合いは後々、アリアルイーゼにとって人生の切り札のなり得る貴重な存在でもあった。切り札に使う状況に陥りたくはないのが本音だが。
自宅に入り、リビングの固定電話に目をやると真っ赤な光が点滅する着信履歴。
花蓮はスマホには故郷と遮断するため繋がず、何かあったらホットラインに改造魔術を施した家の電話に連絡がくるようにしている。
普段の定期的な安否確認ならオレンジに点滅するが、赤は緊急事態を意味する。
花蓮は戦利品グッズ入り荷物を床に置くと、固定電話の受話器を取って、短縮番号1番を押す。すぐに3番目の兄で、皇都の騎士団に入隊しているトーイと繋がった。
「バレた!」
開口一番、受話器から聞こえてきた3番目の兄トーイの焦った声。
「何が?」
「だから、お前の魔力が尋常でないっことが、皇都のお偉いさんにバレたんだ!直ちに異世界から連れ戻せと命令がー」
「なに、それ。まさかトーイ兄さんがバラしたわけ?」
「違う!細かい事情はこっち戻ってから話すから、すぐ帰ってきてくれ!」
「いやよ。事情も分からないで敵地に乗り込むなんて。詳細に説明して。でないと、絶対にそっちには帰らないから」
花蓮は厳しい口調で言った。トーイは騎士団に入隊するほどなので、気の強さも腕っぷしも頭の回転も優れているが(玉に瑕は魔力が伯爵家の下っぱで昇格要素がない)、妹の花蓮ことアリアルイーゼには頭が上がらなかった。花蓮が幼い頃から兄たちを調教して、自身に逆らわないよう躾けたからだ。
仕方なく、トーイ・グレイ伯爵子息は事情を語りだす。
昨年末、1千年間アンダラ帝国を治めていたエルファード賢帝が亡くなった。皇位に就いてから1千年間の間に3人の王妃と側妃との間に百人を超える皇子を成したが(皇女を加えれば子供の総数二百人超え)、セントクリア世界での平均寿命は二百歳。7割の皇子は墓の中で、生きている皇子の2割は高齢者だ。
それでも賢帝は遺言によって、皇位継承は第1皇妃の生んだ嫡男ミゲールの子孫を、ミゲール皇太子の血族に男児が絶えた場合は、第2皇妃の生んだアレク皇子の子孫を、それでも駄目なら第3皇妃の生んだブラッド皇子の子孫をと指名していた。
皇位継承権第1位のミゲール皇太子も、その息子も既に亡くなっているが、賢帝の曾孫にあたるアリオス皇子が皇太子となっているため、皇位継承はつつがなく終わるかと思われた。しかし、賢帝を賢帝として認める聖剣アースブレイカーが、アリオス皇太子をソードマスターに認めなかったのだ。正確には、玉座の大剣置き場から離れず、聖剣も黙して語ろうとしない。
聖剣の類は、ソードマスター、あるいは教皇や女教皇(聖女)には語りかけるが、賢帝崩御の後、聖剣はどれほど宥めすかそうとも、沈黙と玉座からの不動を崩さない。
教皇と女教皇は卜占の末に、聖剣と話せる貴族令嬢がいるとことを突き止めた。そこで、まずは未婚の皇女(既に老女とも言えるが)、皇子たちの娘や孫、それから大公家、公爵家、侯爵家、辺境伯家、伯爵家、子爵家、男爵家、准男爵家の令嬢まで呼び出されて、玉座の間で沈黙を貫く聖剣に懇願した。だが誰一人として聖剣の声を聞くことが出来なかった。
再度、卜占をしたところ、まだ聖剣に謁見していない貴族令嬢がいることが判明した。
王室議会が血眼になって貴族名鑑を漁ったところ、数名の病弱で外に出せない貴族令嬢がいた。病身の令嬢に王宮までこさせるのは酷だが、緊急事態である。病に窶れた令嬢が聖剣に語りかける姿は、傍目から観ていても哀れだった。そして病身令嬢には、ド田舎伯爵令嬢のアリアルイーゼの名前も挙がっている。グレイ家は替え玉のアリアルイーゼを皇宮へ連れていき、聖剣の前に立たせて懇願させると、初めて聖剣は反応した。
「このような偽物で、妾を謀る気か!直ちに本物を連れてまいれ!」
聖剣は皇都中に響く怒声を轟かせた。そしてグレイ伯爵家が、偽物のアリアルイーゼを連れてきたことが、皇都中にバレてしまったのである。
すぐさま偽物令嬢とグレイ伯爵夫妻は皇宮に監禁され、全ての事情を吐露する羽目になる。
稀に一般貴族から、突然変異として膨大な魔力を持ち合わせた子供が生まれることがあるが、こうした赤子は誕生の瞬間に教皇や女教皇に感知されて教皇庁に一旦引き取られ、その後は大貴族の養子、もしくは皇宮預かりとなる。
だが特別個体の中でも特出していたアリアルイーゼは、胎児の頃から状況を把握して魔力を封じ込める術を会得し、誕生後も教皇庁の監視の目をかいくぐって、これまでド田舎で病弱令嬢として暮らしてきたわけだ。
「このままだと、グレイ伯爵家は爵位剥奪、領地没収で一般市民に落とされる。だからアリア、一刻も早く帰ってきて、聖剣と謁見してくれ!」
受話器からトーイの絶叫が、花蓮の耳をつんざく。早い段階で受話器を耳から離していたが、それでも耳がキンキンする。このマンションがピアノ演奏も可能な防音設備の整った一室で良かったと、心底から思った。
(トーイ兄さんの様子からして、屋敷には騎士団が駐留していると思ってもいいわよね。それにしても、見ず知らずの私に、聖剣がどうして話したがっているのだか。でも、こっちもいいように振り回されるのは癪だわ)
「トーイ兄さん、そっちに戻るのに3日間、いや2日間時間をくれるように、監視役を説得してくれない?」
「おまえ、家の存亡危機になにを悠長なことを!」
トーイが叫んだそのとき、近衛騎士団団長が受話器を下っ端騎士のトーイから奪い取る。
「初めまして、私はゴンファノン騎士団長です。時間に猶予をくれというのは、どういうことか説明していただいても?」
ゴンファノン騎士団長は丁寧だが威圧的な物言いで尋ねる。
「手土産を少々。何故、聖剣様が私のような小娘を指名して会いたがるのか、少々心当たりがありまして。その準備に最短でも2日は必要となるわけで。ご理解いただけますか?」
「わかりました。ではこれより2日以内に、その手土産とやらを持ってお戻りください。賢帝が崩御してすでに半年、他国の動向も活発化してきているゆえ、早急にアリオス皇太子殿下を新帝に立てる必要があるのです」
「ええ、分かってます。首に縄をつけてでも手土産は持参いたしますので、玉座の間でお待ち下さい。ド田舎の我が家から王都まで行くのは面倒ですから、こちらから直接、皇宮へ参ります」
アリアルイーゼは、ゴンファノン騎士団長に全く臆さずに語って受話器を戻した。
「さて、厄介なことに巻き込んでくれたわね。まあ、私もこれを機に正式に地球移住権を認めてもらう手札が出来たかな?」
アリアルイーゼはニヤリと笑い、床に置いたオタクグッズをテーブルに置きなおし、試写会の感想を手早くスマホに打ち込み、悠一に送信すると、スマホの電源を切った。
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