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第三章 ダイアナでなければならない理由
ウチの図書室には妙なものが飛んでくる
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1.返り討ち
「そうきたか。国王陛下も、王都を南の辺境に遷都すれば、状況も分かるのにね」
トワイニング辺境伯城から舞い戻ってきた父親から話を聞いて、ダイアナはあきれ果てた。
「おまえには申し訳なく思っている。だが、こちらから抗議の書簡を出す前に、勅使がきてしまった。まったく、どれだけあの男はタチが悪いんだ」
リング伯爵は、頭から湯気を出さんばかりに怒り狂っていた。このまま脳や心臓に異変が起きたら心配だ。
「落ち着いてください、お父様。何となく覚悟はしてましたから。でも、やられっぱなしは南部地方の貴族の娘としての矜持が許しませんので、こちらも噛みつく程度の反撃はしてやりますわ」
ダイアナは怖いほど冷静に、淡々と言った。
それが憐れみを誘う諦念というより、なにやらとんでもないことを企んでいるような顔なので、リング伯爵は「本当にあの顔だけ公子は、よりによってダイアナに執着するんだ?」と首を傾げた。
基本、ダイアナは図書室の異世界グッズは、ザバイバルグッズ以外は持ち出さないが、いつここに帰れるか分からないので、お宝フィギュアをドレスに包んでトランクに詰めた。マンガとライトノベルも最高に気に入ったものだけ入れた。マストはザバイバルグッズ、あとは最低限の着替えとアクサリーを少々。
リング伯爵夫人が、自分の持っている中で極上の装飾品を持たせようとしたが、ダイアナは断った。そもそも母の背後に立って、母が出してくる宝石がダイアナに渡らないか監視している目が怖い。「装飾品いらないし」と母親に言えば、アテナが「そうよね、極上の逸品をエーヴェル様が揃えてくださるのですもの」と鼻を鳴らした。
昔というほど昔でもない頃は、それなりに仲良し姉妹だったアテナとダイアナだったが、ダイアナがエーヴェルの婚約者となってからは、徹底的にアテナは妹に憎しみをぶつけてくるようになった。「女性が男で変わっるってのが、つくづく本当なのだな」と、ダイアナは思う。普通は恋人ができた側が変わるものなのだろうけど。
侍女として同行することになった翔子にも、リング伯爵夫妻は多くの品を持たせた。侍女はメイドと違ってそれなりのドレスが必要になる場合もあるので、新たに購入した宝飾品共々持たせたのだ。
チャニング伯爵家の騎士団が迎えに来た。一隊ではなく団でよこすとは、先方の邸の護りはどうなっているか気になるところだが、どうせ王家や公爵家から応援が駆けつけているのだろう。
それよりもダイアナが逃げ出さないよう、エーヴェルは注意を払ったらしい。辺境伯交代を盾に取られたら滅多なことをするわけもないのに。
見送りには、グレイ子爵家の元婚約者カイルも来た。暫く見ないうちに、随分と男っぽくなったものだ。あの日、エーヴェルとの出会いがなければ、幼馴染の延長として結ばれていたはずの相手に、ダイアナも心が痛む。
が、カイルはダイアナよりも、オリエンタル美人の翔子を見るなり目の色が変わった。「あ、カイルの奴、この場で翔子に一目惚れしたな」と勘の良いダイアナは気づいたが、こちらも報われない恋だ。翔子は男なんて懲り懲りと言っているし、仮に翔子と結ばれるとしたら、リング伯爵邸の図書室に残る敦史だろう。まあ、帰れるかどうかは賭けにも等しいのだが。
数日かけて、豪華な宿泊施設に泊まりながら、のんびりと馬車に揺られて王都に向かう。ダイアナの馬車に同乗しているのは、翔子と、チャニング伯爵邸から迎えの馬車とともにやってきた侍女ミリアムだった。
ミリアムは今度こそ醜態を晒すまいと気を張っているのが見え見えだ。そんなに気張ったら疲れるだろうに。まあ良くしてもらったが、あくまでも敵サイドなので、気に掛ける必要もない。
ダイアナと翔子は、マンガの話しに夢中だった。ミリアムにはちんぷんかんぷんだったが、それでいい。そもそも話しているのが次元の違う内容なのだから。
そして王都に程近いチャニング伯爵邸に到着する。エーヴェルは歓喜を露わにしていたが、前回のように抱きついてきたりしなかった。ダイアナを危うく愛しさのあまり殺しかけたのがトラウマとなっているのだろう。
相変わらずの趣味の悪いパステルカラーのフリルとレースの部屋で、ダイアナは侍女総掛かりで訪問着から部屋着ドレスに、着替えさせられる。翔子はマンガやアニメでそれなりの知識があったものの、まさか本当に日に何度も着替えが必要なことに驚いていた。
そして翔子を伴ってダイアナは、リビングへ行く。エーヴェルがテーブルいっぱいのアフタヌーンティーセットを並べていた。座席は3席分。意外なことに、翔子の席もダイアナの隣に用意されていた。
「彼女は恩人だからね。こちらでも相応の待遇をするよ」
エーヴェルは美しすぎる笑顔をダイアナに向けるが、ダイアナは無反応。そして翔子もお礼こそ述べたが、反応なし。
エーヴェルはこれまでの女性からの猛烈アプローチと熱視線が当たり前だったので、この2人の反応には戸惑った。
「それにしても、ショウコと言ったっけ。彼女はこの国の人ではないよね?移民?」
「まあ、そう言うことになりますかね。エーヴェル様は、黒髪の小柄な女性がタイプなのですか?」
遠慮なくサンドウィッチをつまみながら、ダイアナは尋ねる。
「いや、君以外に僕の愛は向かないよ。浮気はしないから、安心して」
エーヴェルは微笑んで言うが、ダイアナにしてみれば、今すぐ心変わりして他の女性と結婚しろと言いたいところだ。
「どうして、そこまで彼女をお気に召されたのですか?」
尋ねられないのに格下のものが質問するのは本来ならマナー違反。現に翔子がエーヴェルに質問したことに、周囲で給仕する者たちは信じられないという顔をしてから、「ウチのご主人様に無礼な」と憤りを表情に出していた。
「そう言えば、聞いたこと無かったわ。変態だからで片付けていたから」
ダイアナの言葉に、周囲はさらにギョッとする。そもそもこの女性は、エーヴェル様を見て何とも思わないことからして、目が相当悪いのではないかと憶測していた。
「君に恋をしたのは、王太子殿下の茶番婚約破棄のときだよ。王太子殿下の婚約破棄茶番の舞台裏を知りながらも、演劇を楽しむように、普通の令嬢たちは瞳を煌めかせていたのに、君だけは馬鹿馬鹿しいと顔に出していた。君は覚えていないだろうけど、僕が舞踏会から逃げ出そうとしたしたとき、様々なオードブルを皿に取っていた君とぶつかったんだ。その時の君の鬼の形相ときたら、僕はあんな顔で睨まれたことなくて、ドキドキしてしまったよ。その後、皆から隠れて君を目で追っていたんだ。スカーレット嬢が、大国の王太子から熱烈プロポーズを受けて、その場の老若関係なく女性は感動の涙を流していたのに、君だけは軽食に文句を言いながら、幼馴染の婚約者と痛烈な茶番劇批判を楽しんでいた。そのやり取りが可愛らしくて、僕は一目惚れした。そして化粧室に立った君を追いかけて、愛を告白しようと思ったんだ」
エーヴェルは当時を回想しながら夢見るように言う。それ、第三者目線からすると、恋する要素が全くないのだが。
「あーそれって恋に恋するパターン?」
翔子が言うと、ダイアナも続けて批判する。
「迷惑極まりない。愛なんて告白された憶えもないし、されても断るけどさ。そもそも婚約者が居る女性に手出しするって、マナー違反だよね」
「ダイアナは、満年齢で14歳だよね。我が国最初の物語と評判高いあの話の馬鹿主人公が、マザコンらせて養女に出を出したのが一応15歳になっているけど、数え年だから14歳か下手すると13歳なんだよね。いまなら犯罪だよ。大人の印はきてても、まだ体が発育途中の少女に手を出すなんてさ」
「だよね。あの馬鹿主人公、結局は失ってから本当に大事な人に気づいて悲劇に酔ってて、私ったら最後は『この馬鹿主人公、地獄に落ちろ』って、本気で思っちゃったもん」
「ウチの国だと、二次創作が盛んだから、転生して女性になって、異母兄と道ならぬ恋に落ちる話とか沢山あるよ。あ、そう言えばダイアナ、アレを頼まなきゃいけなくなかったっけ?」
「あ、すっかり忘れてた。翔子と話していると楽しすぎて、つい何でも忘れちゃうのよね」
そしてダイアナは、エーヴェルに向き直る。
「私をウェルハーズ公爵邸、王都のタウンハウスではなく、本邸へ連れて行ってくださいませんか?義父と義母になられる方とご挨拶もしたいですし」
ダイアナは真顔でエーヴェルに頼んだ。
「もちろん。早速、使者を使わせて訪問の日取りを決めるよ。君が僕に初めて興味持ってくれたのが嬉しいな」
エーヴェルは輝く笑顔で言った。
(それ、プラグだけどね)
ダイアナと翔子は同時に思ってニヤリと心の中で笑った。
2.王家の秘密
「まったく、加減を知らない馬鹿ほど手に負えないものはないわ」
「聞きしに勝る寵愛ぶりね」
ダイアナは翔子と2人きりになった僅かなタイミングで避妊薬を飲んだ。これが切れたら漢方薬に頼るしかないが、匂いがキツイので詮索されるのは必須だ。せめて避妊薬を作れる魔法でもあればいいのだが、現実はそうはいかない。
今夜はウェルハーズ公爵邸の夕食会に招かれているので、朝から入念にダイアナは侍女総掛かりで磨かれた。しかし加減を知らないエーヴェルの所有印が病気のように全身に散っているので、ファンデーションで誤魔化すしかない。
ダイアナの準備風景を見て、自分はつくづく貴族でなくて良かったと心から思った。実際にコルセットを締める場面を見た時には、「内臓が潰れる!」と震え上がったほどだ。翔子は美術館で中世の美女の全身肖像画を見たことがあるが、腰が異様に細かったが、それってこれのせいかと、早くこの世界にも体に優しい矯正下着が出るのを祈った。
夕食会には翔子の同行も許された。ただしチャニング伯爵邸のように、翔子の席が用意されるはずもなく、ダイアナの背後に侍女として立つのが役目だ。
翔子はチャニング伯爵邸では部屋を与えられて、衣服や宝飾品も用意されている。部屋はごく普通の豪華な中世部屋だったので、翔子はホッとした。悪趣味なダイアナの部屋を見ていたので、あんな部屋ならメイドの大部屋で寝たほうがマシだと思っていた。
ウェルハーズ公爵邸は、王宮を思わせるほど絢爛豪華たった。
夕食会の前に、まず応接室に通されて、ウェルハーズ公爵夫妻と、エーヴェルとダイアナは挨拶する。着飾っできても、エーヴェルがあまりに浮くしすぎるので、ただでさえ地味めな顔立ちのダイアナの影は薄い。ウェルハーズ公爵は、やっと次男に婚約者が出来たと大喜びだが、公爵夫人の方は「もっと綺麗な子を選べなかったの?」と不満げだ。
一連の挨拶を終えた後、ダイアナはウェルハーズ公爵に微笑みかける。
「実は公爵閣下に、こちらをお渡しするよう申し使っておりまして」
ダイアナはポーチから封書を出して、公爵に手渡す。
本来なら執事が一旦封を開けて中身に危険性がないか確認してから主君に手渡すのだが、息子の婚約者にその行為は失礼すぎる。そういうわけで、「恐らくはリング伯爵からの挨拶状だろう」と軽い気持ちで受け取って、ウェルハーズ公爵は手紙に目を通した。そして見る見る顔色が悪くなる。
「こちらの図書室は、随分とご立派なそうですね。よろしければ、拝見させていたたげますか?」
顔色の悪いウェルハーズ公爵に対して、ダイアナはニッコリ笑った。
ウェルハーズ公爵は承諾し、エーヴェルとダイアナ、そして翔子の同行を許可した。
エーヴェルは、図書室が一般的に使っている図書室ではなく、離れに建てられた図書館に向かっていたので驚いた。ここは歴代当主と司書しか入れない場所で、エーヴェルはもちろん、兄のアーサーでさえ立ち入りを許されていない。更に言えば、本来、父はシュルツバウム公爵となるはずだった。しかしエーヴェルの祖父にあたる前王の采配により、シュルツバウム公爵には先代のウェルハーズ公爵が代わり、新たなウエルハーズ公爵になった父親は爵位と領地と邸宅を譲り受けた。
ウェルハーズ公爵が、図書館の扉の鍵を開ける。この鍵は不思議な形をしていて、現在の技術ではコピー不可能とされている。
扉を開けると、エーヴェルに良く似た顔の女性が出てきた。エーヴェルも初めて会う、双子の妹ステーシアだった。彼女は1歳のときに別所で育てられ、8歳でこの図書館の司書助手になった。
エーヴェルは風の噂で双子の妹の消息を知り、哀れに思った。何故、父はこのような仕打ちをしたのだろうか。昔、問い詰めたことがあるが、明確な答えは得られなかった。この国に双子を忌む慣習はない。なのにどうして、双子の妹はここに閉じ込められているのだろうか?
皆が図書館へ入ると、ステーシアは内側から複雑な鍵でもって扉に鍵をかけた。
「ご当主、これはいったい?」
奥から中年の男性が現れる。エーヴェルは、ここにステーシアしかいないものだとばかり思っていので、知らない中年の存在に驚いた。
「行方知れずだったセリザワが、リング伯爵邸の図書室に居ることが分かった。彼女はダイアナ・リング、リング家の解読者だ。こちらの女性は、ショウコ・ムラタ。そなたと同じ世界から来た異世界人らしい」
「なんと!」
中年男性は驚きを隠せなかった。ステーシアも、目を見開いて翔子を見ている。
「貴方がウチの司書が言っていた、安達五郎ね。公爵閣下、手紙に私と翔子のことは、なんと書いてありますか?」
ダイアナが尋ねると、ウェルハーズ公爵はポケットにしまい込んでいた手紙をダイアナに渡す。ダイアナはそれをザッと読み流した。
「本当に要点しか書かれていないのね。私もウチの芹沢から、内情は聞かされていたけど、まさかウェルハーズと王宮に、芹沢の仲間が居ることまでは最近まで知らなかったわ。芹沢が行方をくらませたのは、英雄と讃えられた自分らや解読者の図書館幽閉制度に嫌気が差したからですってね。図書館に閉じ込めて、ひたすら異世界の書物を読ませる哀れな生贄。そもそも我が家では解読者の存在さえ知られていないから、異世界の書物を読める者を閉じ込めたりしないけど」
「君は自分がどれだけ貴重な存在か分かっていないのだ。解読者のもたらす情報は、ときとしてこの世界の猛毒になり得る。エーヴェル、ダイアナ嬢が解読者と分かった以上、この婚約は無効だ。彼女はリング伯爵邸に戻さなくてはならない」
「そんな!父上、私は彼女を愛しているのです!手放したくありません!」
「ならば、おまえもリング伯爵邸へ行くのだな。陛下に申し上げれば、お前がリング伯爵家の次期当主になる。そして解読者を途切れされないよう、妻との間に解読者の資格を持つ子供を産ませるのがおまえの、そしてそれは私や兄王が行ってきた使命だ」
「なるほど。国王陛下とウエルハーズ公爵家の子沢山が他家とは桁違いだから妙だなと思っていたけど、そういうことね。でも矛盾してるわよね。解読者から秘密が漏れないようにしながら、なおかつ解読者が途切れないよう子供を沢山妻に産ませるなんて。なら解読者なんて、最初から居なくていいじゃない」
「解読者を途切れさせるわけにはいかんのだ。私とて、長い年月を生きてきたが、不死でないことは何となく理解している。もしも私が亡くなることになればー」
「芹沢は、自分達の寿命が尽きれば、この妙な現象は消えると確信しているわ。私もそう思う。それに飛んでくるものなんて、ろくに役に立たないものばかりじゃない」
ダイアナが両手を広げて目を閉じると、いつの間にか両手には某有名弁当が現れた。
「それは、陽陽軒の牛肉メンチカツ弁当!」
安達は懐かしい弁当をダイアナから奪い取ると、泣きながら弁当を貪り食べた。
「ダイアナ、本当は何を思い浮かべたの?」
「特撮ヒーローフィギュア。芹沢が、ここの安達は特撮ヒーローマニアオタクだと聞いてたから。でも相変わらず、欲しいものは出てこないわねぇ」
ダイアナと翔子が呑気に話していると、ウェルハーズ公爵が割って入る。
「君は、異世界のものを自由に取り寄せることが出来るのか!」
その目は血走っている。あ、これヤバい展開だな。そう思いつつもダイアナは肩を激しく揺さぶられたので、頷いた。
「ステーシア!ダイアナに出来るなら、おまえにも出来るはずだ!ピストルを思い浮かべろ、異世界の本で見たことがあるだろう!」
ウエルハーズ公爵は興奮しながら、娘に詰めよる。
「なーにが、この世界の、秩序を守るためたか」
ダイアナが呆れ果てる。
「仕方ないよ、この人って順番違ったら国王になってた人でしょ?」
翔子も残念なものを見る目で興奮しきったウェルハーズ公爵と、表情の乏しいステーシアを見る。
「あー、なるほど。王になりたかったんだ、この人」
「国王なんて、自由なくて不便じゃん。公爵のがよっぽど気楽に過ごせると思うけど」
「男なら王に、って思うのかしらね。でも大人の私に言わせると、責任が重くなるほど辛くなるんだけどね。鬱になる人も増えるし」
「それ、翔子が言っちゃう?」
「いやはや、ここでの暮らしが楽しくてさ。あ、やり始めたよ。何が出てくるだろうね」
先程、ダイアナがやった通りの仕草で、ステーシアは両手を広げて掌を捧げ、目を閉じて本の内容をイメージする。出てきたのはー
「炎?なんてもの出すのよ!」
ダイアナと翔子は同時に叫ぶ。
エーヴェルは妹の手から炎を振り払い、出口に向かう。そしてステーシアの持っていた鍵を取り上げて内鍵を開けて、ステーシアを肩に担ぎ、ダイアナの手を掴んで図書館から離れた。その後を翔子が追う。安全と思われる場所まで来て振り返ると、図書館は勢い良く燃えていた。内からは、司書の安達の泣き声と、「消えろ、消えろ」と必死に消火活動しているらしいウェルハーズ公爵の声が聞こえてくる。
咄嗟に飛び出そうとしたエーヴェルを、ダイアナは掴んだ。
「アンタの父親が出そうとしていたものはね、弓矢より殺傷能力と飛距離のある異世界の武器。それを何に使うつもりだったか、頭が残念でなければ、大凡の想像はつくでしょ!」
ダイアナは、暗にウェルハーズ公爵が国王と王太子を暗殺しようとしていたと示唆した。
エーヴェルはステーシアを肩からずりおろし、その場に座り込む。
「だが父上は…陛下をとても慕っていて…」
「だからこそ、その裏側の感情がどす黒く育つこともある。私と姉のアテナがその典型。アンタが現れるまでは上手く仲の良い姉妹をやってきたけど、アンタの出現によって、アテナのドス黒い私への憎しみが表面化した。元のアテナに戻るか、それともこのままかは分からない」
4人の横を、騎士団や兵士が走っていき、消火活動に努める。だが石造りの図書館の中身は古い蔵書が多く眠っている。そして爆音と共に、花火まで夕方の空に3発上がった。
「花火玉なんて、爆弾と同じじゃない。何で水につけて火薬を無効化させなかったのよ!」
翔子が見事な花火を見上げながら悪態をつく。
「3発の花火、かつてこの国の危機を救った3人の異世界人。いつの日か、3人で花火を見あげたかったんじゃないの?」
「でもいつの花火か知らないけど、よく湿気らずに残っていたわよね」
「でも安達は、最期に泣きながら故郷の名物弁当食べれたんだから、悔いはないんじゃない?」
ダイアナは、泣きながら弁当を貪り食べるウェルハーズ公爵家の司書の最後の姿を思い浮かべる。彼もステーシアも、あの図書館からずっと出れない日々を送ってきたのだろうか。そう思うと、対照的にリング伯爵邸の図書室の司書をしている芹沢は、好きなものを食べ、外へ出たい時は庭で日光浴をし、人恋しい時には調理場の裏方に出向いて、お菓子を分けてもらいながら雑談していた。
「問題はこの子よね。人ととの交流が司書と父親しかいなかったなら、今後の生活に困るんじゃない?」
翔子は、絶世の美女でありながら、男のような司書服を来たステーシアがボンヤリ火事を眺めているのを見て、医師としての自覚が蘇ってきた。外科だが、研修医時代に各科を回っていたので、精神科の基礎も学んでいる。もっとも、翔子の出番はなかったが。
2.絶世の美女現る
ウェルハーズ公爵は骨の欠片で見つかった。骨は下男が総出で探しても一体分のみ。安達五郎司書らしき骨はなかったようだ。
火事に駆けつけた公爵夫人は、夫の安否よりも、可愛い盛りの娘を無理矢理取り上げられて行方知れずとなっていたステーシアがいた事に驚き、娘を抱きしめておいおい泣いた。多くの子供に恵まれながら、長女の安否をずっと気にかけ、夫に内緒でずっと探し続けていた。
ウェルハーズ公爵夫人は、夫の死には大した打撃を受けなかったようだ。むしろ長女を取り上げた憎しみのが強かったと思われる。公爵夫人は、ステーシアを溺愛した。その過度な愛が、表情の乏しかったステーシアに笑顔を取り戻させる。
また、ステーシアも異世界の恋愛系マンガやライトノベルが大好きだった。ダイアナと翔子もオタク一歩手前のマンガとライトノベル好きと知ると、たびたび彼女たちを呼び出したり、兄の邸に向かってマンガ話に花を咲かせた。それもステーシアの感情表現を豊かにさせるリハビリとなった。
エーヴェルは国王に人払いをお願いして、国を救った3人の英雄の話をした。そしてウエルハーズ公爵家の司書をしていた安達五郎の最期のことも話す。父が兄を殺す画策をしていたらしいことは、憶測でもあったので言わなかった。
国王は、王宮の国王以外は出入り禁止の図書館へエーヴェルを連れて行った。そこの司書は来宮朔也、安達と同じぐらいの年齢だった。そして解読者は国王の第三王子と第六王子。司書の来宮朔也は王宮からは出れないが、王宮内の散策や他人との会話は許されていた。第三王子は既婚者で、仕事の関係上という理由で爵位は与えられず王子のまま、王宮の一画で夫婦で暮らしている。第六王子もいずれ兄と同じ道を辿るだろう。生活拠点は王宮以外許されないが、半月ほどなら王都周辺を泊まりがけで散策することも許されていた。ウェルハーズ公爵家のステーシアや司書の安達五郎とは待遇が大違いだ。
王宮図書館に異世界から飛んでくる書物や小物は、図書館地下に保管してある。書物は解読させて、良いところは国の運営の参考に取り入れている。それがレムリアン王国の古来からのやり方だった。
エーヴェルは、父親の図書館の保護方法が間違えていたのを痛感する。それを国王に吐露すると、国王は言った。
「昔は異世界の英雄が逃げないよう幽閉していたさ。だが芹沢がこんな生活耐えられないと逃亡してから、当時の国王が考え方を改めたのだ。逃げられるより、拘束を緩くして、ある程度の自由を認めさせたほうが良いとな。それを弟にも伝えたつもりだったが、あいつは昔の伝統を選択したのだな」
国王は寂しげにつぶやいた。
エーヴェルは、本来なら父の喪に服して屋敷に閉じこもっていなければならない。しかし、安達五郎の死をどうして伝えたくて、そしてダイアナをリング伯爵邸に返すべきか尋ねたくて、ダイアナと翔子を伴い、身をやつしてリング伯爵邸を訪れた。
リング伯爵は何も知らないというので、直接、邸の離れの図書室に向かう。そこは鍵もかけられておらず、ちょうど司書の芹沢と司書助手の富永敦史が芝生に敷物を敷いて将棋を打っていた。この将棋盤セットも異世界から飛んできたものだ。芹沢も敦史も、ゲームで将棋をやっていたので、実際に対戦もできるが、双方ともゲームが主体だったので、プロ棋士ののようにパチンと良い音は出ない。
ダイアナと翔子とエーヴェルが話がしたいと言うので、芹沢と敦史は司書室の奥の私室に場を移す。
「そうですか…」
芹沢は、安達のために涙を流す。だが最期に、彼が大好物だった陽陽軒の牛肉メンチカツ弁当を食べてから最期を迎えたと知って「あいつらしい最期だ」と笑い、王宮の来宮朔也も王宮内でなら、これまでの制度が改められて自由に散策や召使と会話できると知って喜んだ。
「芹沢、貴方はここに閉じこもってて満足なの?」
ダイアナが尋ねる。思えば初めて会った日から、芹沢は全く容姿が変わっていなかった。いや、少しずつだがこれでも老けているのだと言う。
「こちらの代々の当主はお優しくて、居心地が良いのですよ。たまにダイアナ様のようなお子が訪ねてきたりと、その成長を見るのが楽しくて」
「え?まさか、お父様も芹沢の正体を知っているの?」
ダイアナは仰天する。
「ええ、ご存知ですよ。ごくたまに会話するときなどは、たまには旧友に会いに行ったり、旅をしてきてもいいのだぞと仰ってくださいますが、私がここに居たいのです。遠い昔、まだ我々が若かった頃、この国を救うためにとの使命に燃えて、異世界の知識を駆使して戦いました。だが歳を重ねるごとに、奪った命の重さに我々は耐えられなくなったのです。英雄なんかじゃない、俺たちは手を血で穢した下等な人間だと。だから、外へ旅をしたところで、楽しむよりも過去の罪悪感に押しつぶされて動けなくなってしまう。自害を考えたこともありました。ですが奪われた命の数を思うと、辛くても生きなければと思うのです。我々にできることは、天寿を全うすることだけです」
芹沢はコーヒーを口にする。そして敦史と翔子に向き直った。
「元の世界に戻りたいなら、いつでも言いなさい。私は君たちを帰す方法を知っている」
「え?」
「マジで?」
驚愕する翔子と敦史に、司書の芹沢は穏やかに微笑みかける。
「飛んできた書物に、人間を元の世界へ帰す方法が書いてあるからね。特に敦史君は、早く戻りたいだろ?」
芹沢が尋ねると、敦史は腕組みをして「うーん」と唸る。
「俺さ、芹沢さんには前にも話したけど、天涯孤独なの。でも芹沢さんと居ると、ここの皆といると、なんか胸が温かいんだ。日本に居た時、仕事は多忙でも嫌いじゃなかった。自分居場所はここだって、充実感もあった。なのに、どれだけ歓声を浴びても、どれだけ親切にされても、何処か心が冷えていたんだ。ずっと寂しくて寒かった。ここにきてから、それを少しも感じないんだ。だから、ここにいさせて欲しい。俺が本当に帰りたいと思うときまで」
「私も同じです。いえ、私は恐らくずっと帰りたいとは思えない。もう、自由のない生活には懲り懲り」
敦史も翔子と、芹沢の申し出を断った。特に翔子は自殺してまで、あの世界から逃げようとした身だ。
「そうか。だが、そのときが来たなら遠慮なく言うんだよ」
「芹沢は元の世界へ、戻りたくないの?」
ダイアナは、もっともな疑問を尋ねる。ここでの不自由な生活を顧みれば、仲間を連れてどうして帰らなかったのか不思議でならなかった。
「私も翔子君と似たような立場でね、日本に居場所がないと絶望して自殺を試みたんだよ。来宮は不治の病で苦しみ、安達は事故で臨終間近だったらしい。私はあちらへ戻っても生きる可能性があるが、来宮と安達はどちらにせよ死から免れなかったのではないだろうか。3人とも、ここでおまけの人生を歩んでいるのさ。安達は一足早く卒業したけど」
芹沢は自虐的な微笑みを浮かべながら言った。
「いにしえの英雄殿、いやいまはリング家の司書殿のが相応しいかもしれないが、ダイアナはこちらへ帰すべだろうか。それならば、僕もこちらの次期当主となる手筈を整えねばならない」
「ちょっと!なんでアンタまでくっついてくるのよ!ウザいから王都で別の女性と結婚してよ!」
リング家に戻すと言うエーヴェルの提案に歓喜して戻ってきたのに、よりによって面倒なお邪魔虫までコッチに来るなんて冗談じゃない。そもそも王都の大貴族が、辺境伯を総領に掲げる地方貴族と上手くやっていけるはずがない。そのぐらい、地方と王都は大きな溝があるのだ。
「以前、王女殿下との婚約が持ち上がったことがある。陛下が、僕を巡って女性の乱闘が絶えないのを憂いてのことだ。だが王女殿下からも、断られた。王女殿下は、僕の顔は好きだけど、妻として並び立つのは嫌だと。だがそれは建前で、本当は好きな人が別に居たんだ。いま降嫁されて、好きだった相手と幸せに暮らしてらっしゃるよ」
「あー、憧れと真実の恋って、大抵は全く別物ものなのよね。聡い王女様は、それを知っていたのね」
翔子は「うん、うん」と納得した。
「だからって、私がコイツと結婚はあり得ないんだけど!」
ダイアナがエーヴェルを指さすが、エーヴェルほその手を取ってキスを落とす。
「駄目だよ、君でなきゃ僕はもう誰とも結婚できない体になってしまった。体が君以外に反応しない」
「生々しいことを真顔で言わないでよ!そもそもウェルハーズ家は解読者も必要なくなったのだから、アンタが私以外と結婚したくないなら、生涯独身で暮らせばいいじゃない!アンタのような毒の強い美形は、1人の女性が背負うのが、そもそも荷が重すぎるのよ。皆のアイドルとして、人々に夢を与えなさい!」
「だーめ。知らなかったとはいえ、君を解読者を生ませる道具にするつもりはそもそもなかったし。こんなに激しい愛を感じたのも初めてなんだ」
エーヴェルがダイアナを抱きしめる。力の加減はしているが、強いホールドでダイアナが必死に抵抗しても逃れられない。
「いーんじゃない?その美貌が猛毒だからこそ、誰かが重石になってあげた方が。司書助手は俺がいるから、リング伯爵家の図書室問題にダイアナが関わる必要ないし」
「そもそも歴代リング伯爵は、解読者を必要としていませんから」
敦史司書助手と芹沢司書が追随する。
「裏切り者ー!」
ダイアナの絶叫が響いた。
結局、ダイアナは項垂れながらエーヴェルと共に王都へ戻った。婚約破棄をダイアナは主張したが、国王がそれを許してくれず、勅使が直々にエーヴェルとダイアナの王都帰還を命じたのだ。替え玉まで使ってリング伯爵家へ戻っていたのに、どうやら国王には筒抜けだったようだ。
ウェルハーズ公爵家の司書と図書館は消えた。だが新たな異世界人がダイアナの侍女として仕えている以上、ウェルハーズ公爵家の解読者の血筋は必要と国王は断じたのだ。
もっともウェルハーズ公爵家は、既にエーヴェルの兄アーサーが継いでいる。そういうわけで、エーヴェルには予定通り結婚を期に侯爵を叙爵して、新たな領土に新たな邸と図書館を建てることとなった。父親の喪中でもあるので、準備期間には良かったかもしれない。
そしてダイアナは結婚式が翌年から再来年に延びたことで、その間に婚約破棄を画策している。
「やっぱりさあ、私よりも翔子のがエーヴェルの奥さんに向いてない?父様に話せば、翔子を養女にしてくれるとおもうのよ!」
チャニング伯爵本邸の自室で、ダイアナは提案する。この部屋はダイアナの主張が通り、ダイアナ好みの渋い家具や調度品でまとめられた。もちろん、カーテンや絨毯も。代わりに夫婦の寝室の悪趣味はアップした。純白総レースの天蓋付きベッド、フリルのピンカーテンが一際寒気を演出する。壁紙も桜色。絨毯も白地にピンクの薔薇模様。調度品もパステルカラーで、ぬいぐるみはコチラの棚にに移動となった。
ダイアナは私室から人払いはしたが、エーヴェルの命令で必ず1人は見張りが必要ということで、口の固いチャニング伯爵家の侍女ミリアムは追い払えなかった。まあ、さんざんダイアナと翔子の会話は聞いているので、ミリアムは王家に纏わる事情も十分把握している。
今日の昼食は、いま大貴族の間で大流行のカレーライス。キッカケは翔子がレシピ集を見つけ、チャニング伯爵の権力で黄金より貴重な香辛料を集めまくってカレー粉を作り、レシピ通りにカレーライスを作ったのだ。米もこの国にはサラダ用のインディカ米はあるが、わざわざ東の国からジャポニカ米を取り寄せさせる念の入れよう。翔子は無類のカレー好きで、大学時代や医者になった後も僅かな休暇で、カレー屋巡りをしていた。ダイアナも異世界マンガお馴染みのカレーが一度は食べてみたくて、楽しみにしていた。そして口にしたときの刺激と後を引く美味しさ。
エーヴェルも、チャニング伯爵家勤務の者達もその魅惑的な香りの虜になり、以来エーヴェルがカレーを月イチのご馳走として恒例化したのが、いつの間にか大貴族の間に広まった。
カレーライスの噂を聞きつけて、リング伯爵邸からわざわざ清沢と敦史、そして王宮からも特別許可を貰った来宮と第三王子、第六王子が食べに来た。
数世紀ぶりの対面に、当初は芹沢と来宮もギクシャクしていたが、カツカレーの旨さに饒舌となって、元の盟友に復活した。芹沢は地方貴族勤務だし、来宮も国王の許可がないと王宮から出られないが、半年に一度は会おうと言う約束を交わした。会合場所はチャニング伯爵本邸もしくはタウンハウス。そして食事はカツカレーと決まっていた。だが他にも芹沢が「餃子が食べたい」と言い、来宮は安達を偲んで「メンチカツも」と言い出したので、翔子は「仕方ないなぁ」と言いつつレシピを探して会合の日に振る舞っている。
閑話休題。
「ダイアナ、いい加減に腹をくくりなさいよ。エーヴェルは、アンタの容姿より、図太い性格に惚れ込んでいるのよ。あれだけ毎晩、アンタの婚約者が盛ってるのだから、授り婚も時間の問題ね」
「やめてー!」
ダイアナは絶叫する。だが翔子手持ちの避妊薬は等の昔に使い切ってしまったし、翔子調合の漢方薬もエーヴェルが気付かれて禁じられた。エーヴェルは避妊もしないので、ダイアナは八方塞がりだった。
「残酷なことを申し上げますと、既にダイアナ様は身ごもっておられる兆候がおありかと。月のものが途切れたままですし、体つきも変化が見られます」
ミリアムが口を挟む。
「あ、それまだ確定じゃないから言っちゃ駄目と言ったのに」
翔子はミリアムに注意する。その傍らでダイアナはこの世の終わりのような顔をしていた。
「嘘でしょ、子供なんか出来たら、変態との結婚は詰んだじゃない」
「いや、既にダイアナは人生詰んでるから。結婚証明書製作は早まるだろうけど、結婚式はもう1年、引き延ばせるんじゃない?」
「冗談でもやめてよ!そもそも悪阻なんてものもないし、食欲も旺盛なわけでもないわよ!」
「悪阻の有無は人ぞれぞれ。食欲は、これから増してくるかもね。栄養管理は任せて!」
「栄養管理より、あの変態を翔子に任せたい」
「無理、絶対に。そもそもダイアナ以外には役立たずと、エーヴェルは公言してるじゃない」
「やってみなけりゃ分からんでしよ、そんなもの!」
ダイアナは尚もエーヴェルとの婚約破棄を模索していたが、妊娠が本物だったも判明して、ダイアナは無念の白旗を揚げるしかなかった。
前ウェルハーズ公爵の喪が明けて、社交界シーズンが始まった。ダイアナにとって幸いだったのは、妊娠中で社交界出席免除となった。
「これで他の貴族令嬢からの嫌がらせが先延ばしされる」
ダイアナは結婚には観念した。そして懐妊については最初こそ絶望的になっていたが、医師の翔子やチャニング伯爵家主治医からも夜の生活は禁じられ、ダイアナは出産まで自室で眠ることになった。エーヴェルはせめて一緒に寝るぐらいは主張して妥協した事もあったが、我慢が出来ずにダイアナを気絶させるほど行為が激しかったのを重く見た翔子と主治医が「夫婦別室で就寝!」と診断を下したのだった。お陰でダイアナは毎夜、安眠できている。
懐妊と同時に、結婚証明書が公式文書として国王に受理されて、貴族譜にエーヴェルの妻の欄にダイアナ・リング伯爵令嬢が記載された。
社交界でエーヴェルのエスコート相手は、双子の妹ステーシアだった。ステーシアは淑女マナーこそ自主的に本で学んでいたが、ダンスや所作などは、前ウェルハーズ夫人であるステーシアの実母が講師となって叩き込んだ。ステーシアの社交界デビューのドレスや宝飾品も母親が全て最高のものを揃え、王宮デビュタント時には、全出席者の注目を集めた。ステーシアが舞踏会や晩餐会へ出るごとに、主催者宅に招待客以外の貴族も殺到する。
ステーシアは年齢的には行き遅れだが、他国からも婚姻申込みが殺到した。まさに傾国の美女。だがステーシアが恋した相手は、意外だが、当然の成り行きとも言える人物だった。リング伯爵邸司書助手の敦史だ。
敦史がカツカレーパーティーに、芹沢司書と同行して王都に来るうちに、ステーシアは敦史に恋をした。だがそもそも、身分が違いすぎる。敦史はリング伯爵邸を気に入っていて住まいも王都に移す気が全くないし、そもそも敦史の恋愛対象は翔子だ。だが押しの強さが双子の兄譲りなステーシアは、敦史を追ってリング伯爵邸を頻繁に訪れ、敦史を追い回した。敦史は、これまでダイアナがエーヴェルに追い回されるのを「美形に追いまわされて、恋愛小説みたいでイカすじゃん」と面白がっていたが、いざ自分の身になると、なりふり構わず周囲にヘルプを求めた。だが敦史を助ける者はいなかった。
前ウェルハーズ夫人は「この子は、不遇な子供時代を送ってきたのだから、希望は何でも叶えてやりたい」と、現当主の長男アーサー・ウェルハーズの反対を押し切って、敦史との結婚を認めた。しかし、さすがに平民と公爵令嬢との結婚は体裁が悪すぎる。そこで敦史はリング伯爵の養子となり、家督を継ぐことになった。
これまで後継者となるはずだったアテナは、代わりに王都近郊の領地と伯爵位が与えられた。アテナは地方貴族であることが嫌で、王都への憧れが人一倍だったから、喜んでこの話に飛びついた。既にアテナと結婚している夫も、元は王都の学園に通っていた経験から地方暮らしには辟易としていたので、王都の貴族仲間入りは大歓迎だった。
ステーシアの結婚は、兄エーヴェルの結婚の後に決まった。それまでは頻繁にリング伯爵邸を訪れるものの、母親との短い親子時間を大切にするためにも、結婚するまで王都に残り、妊婦のダイアナの代役としてエーヴェルの相手役として、主に王宮主催の様々な行事に参加した。
ステーシアが出席すると、彼女を諦めきれない大貴族子息が何らかの刃傷騒ぎを起こしてドタバタで幕を閉じる。
その話を聞くたびにダイアナは、「いいなぁ、傾国の美女を巡る男たちの虚しい闘いが、その場で観れるなんて」と羨ましがるのだった。ステーシアも「マンガみたいで楽しいよね」と、罪悪感どころか悪役令嬢気分を満喫していた。
蛇足だが、ステーシアと彼女の母親は、現ウェルハーズ公爵邸ではなく、次男のチャニング伯爵邸で暮らしている。ステーシアがリング伯爵家に嫁入りしたあとは、前ウェルハーズ夫人も長男の邸に移って居候が決まっているが、もしかしたらステーシアにくっついて、リング伯爵邸に住み込むかもしれない。
(前公爵夫人に居座られたら、お父様とお母様、居心地悪いだろうなぁ)
リング伯爵夫妻を心配するダイアナだった。
「そうきたか。国王陛下も、王都を南の辺境に遷都すれば、状況も分かるのにね」
トワイニング辺境伯城から舞い戻ってきた父親から話を聞いて、ダイアナはあきれ果てた。
「おまえには申し訳なく思っている。だが、こちらから抗議の書簡を出す前に、勅使がきてしまった。まったく、どれだけあの男はタチが悪いんだ」
リング伯爵は、頭から湯気を出さんばかりに怒り狂っていた。このまま脳や心臓に異変が起きたら心配だ。
「落ち着いてください、お父様。何となく覚悟はしてましたから。でも、やられっぱなしは南部地方の貴族の娘としての矜持が許しませんので、こちらも噛みつく程度の反撃はしてやりますわ」
ダイアナは怖いほど冷静に、淡々と言った。
それが憐れみを誘う諦念というより、なにやらとんでもないことを企んでいるような顔なので、リング伯爵は「本当にあの顔だけ公子は、よりによってダイアナに執着するんだ?」と首を傾げた。
基本、ダイアナは図書室の異世界グッズは、ザバイバルグッズ以外は持ち出さないが、いつここに帰れるか分からないので、お宝フィギュアをドレスに包んでトランクに詰めた。マンガとライトノベルも最高に気に入ったものだけ入れた。マストはザバイバルグッズ、あとは最低限の着替えとアクサリーを少々。
リング伯爵夫人が、自分の持っている中で極上の装飾品を持たせようとしたが、ダイアナは断った。そもそも母の背後に立って、母が出してくる宝石がダイアナに渡らないか監視している目が怖い。「装飾品いらないし」と母親に言えば、アテナが「そうよね、極上の逸品をエーヴェル様が揃えてくださるのですもの」と鼻を鳴らした。
昔というほど昔でもない頃は、それなりに仲良し姉妹だったアテナとダイアナだったが、ダイアナがエーヴェルの婚約者となってからは、徹底的にアテナは妹に憎しみをぶつけてくるようになった。「女性が男で変わっるってのが、つくづく本当なのだな」と、ダイアナは思う。普通は恋人ができた側が変わるものなのだろうけど。
侍女として同行することになった翔子にも、リング伯爵夫妻は多くの品を持たせた。侍女はメイドと違ってそれなりのドレスが必要になる場合もあるので、新たに購入した宝飾品共々持たせたのだ。
チャニング伯爵家の騎士団が迎えに来た。一隊ではなく団でよこすとは、先方の邸の護りはどうなっているか気になるところだが、どうせ王家や公爵家から応援が駆けつけているのだろう。
それよりもダイアナが逃げ出さないよう、エーヴェルは注意を払ったらしい。辺境伯交代を盾に取られたら滅多なことをするわけもないのに。
見送りには、グレイ子爵家の元婚約者カイルも来た。暫く見ないうちに、随分と男っぽくなったものだ。あの日、エーヴェルとの出会いがなければ、幼馴染の延長として結ばれていたはずの相手に、ダイアナも心が痛む。
が、カイルはダイアナよりも、オリエンタル美人の翔子を見るなり目の色が変わった。「あ、カイルの奴、この場で翔子に一目惚れしたな」と勘の良いダイアナは気づいたが、こちらも報われない恋だ。翔子は男なんて懲り懲りと言っているし、仮に翔子と結ばれるとしたら、リング伯爵邸の図書室に残る敦史だろう。まあ、帰れるかどうかは賭けにも等しいのだが。
数日かけて、豪華な宿泊施設に泊まりながら、のんびりと馬車に揺られて王都に向かう。ダイアナの馬車に同乗しているのは、翔子と、チャニング伯爵邸から迎えの馬車とともにやってきた侍女ミリアムだった。
ミリアムは今度こそ醜態を晒すまいと気を張っているのが見え見えだ。そんなに気張ったら疲れるだろうに。まあ良くしてもらったが、あくまでも敵サイドなので、気に掛ける必要もない。
ダイアナと翔子は、マンガの話しに夢中だった。ミリアムにはちんぷんかんぷんだったが、それでいい。そもそも話しているのが次元の違う内容なのだから。
そして王都に程近いチャニング伯爵邸に到着する。エーヴェルは歓喜を露わにしていたが、前回のように抱きついてきたりしなかった。ダイアナを危うく愛しさのあまり殺しかけたのがトラウマとなっているのだろう。
相変わらずの趣味の悪いパステルカラーのフリルとレースの部屋で、ダイアナは侍女総掛かりで訪問着から部屋着ドレスに、着替えさせられる。翔子はマンガやアニメでそれなりの知識があったものの、まさか本当に日に何度も着替えが必要なことに驚いていた。
そして翔子を伴ってダイアナは、リビングへ行く。エーヴェルがテーブルいっぱいのアフタヌーンティーセットを並べていた。座席は3席分。意外なことに、翔子の席もダイアナの隣に用意されていた。
「彼女は恩人だからね。こちらでも相応の待遇をするよ」
エーヴェルは美しすぎる笑顔をダイアナに向けるが、ダイアナは無反応。そして翔子もお礼こそ述べたが、反応なし。
エーヴェルはこれまでの女性からの猛烈アプローチと熱視線が当たり前だったので、この2人の反応には戸惑った。
「それにしても、ショウコと言ったっけ。彼女はこの国の人ではないよね?移民?」
「まあ、そう言うことになりますかね。エーヴェル様は、黒髪の小柄な女性がタイプなのですか?」
遠慮なくサンドウィッチをつまみながら、ダイアナは尋ねる。
「いや、君以外に僕の愛は向かないよ。浮気はしないから、安心して」
エーヴェルは微笑んで言うが、ダイアナにしてみれば、今すぐ心変わりして他の女性と結婚しろと言いたいところだ。
「どうして、そこまで彼女をお気に召されたのですか?」
尋ねられないのに格下のものが質問するのは本来ならマナー違反。現に翔子がエーヴェルに質問したことに、周囲で給仕する者たちは信じられないという顔をしてから、「ウチのご主人様に無礼な」と憤りを表情に出していた。
「そう言えば、聞いたこと無かったわ。変態だからで片付けていたから」
ダイアナの言葉に、周囲はさらにギョッとする。そもそもこの女性は、エーヴェル様を見て何とも思わないことからして、目が相当悪いのではないかと憶測していた。
「君に恋をしたのは、王太子殿下の茶番婚約破棄のときだよ。王太子殿下の婚約破棄茶番の舞台裏を知りながらも、演劇を楽しむように、普通の令嬢たちは瞳を煌めかせていたのに、君だけは馬鹿馬鹿しいと顔に出していた。君は覚えていないだろうけど、僕が舞踏会から逃げ出そうとしたしたとき、様々なオードブルを皿に取っていた君とぶつかったんだ。その時の君の鬼の形相ときたら、僕はあんな顔で睨まれたことなくて、ドキドキしてしまったよ。その後、皆から隠れて君を目で追っていたんだ。スカーレット嬢が、大国の王太子から熱烈プロポーズを受けて、その場の老若関係なく女性は感動の涙を流していたのに、君だけは軽食に文句を言いながら、幼馴染の婚約者と痛烈な茶番劇批判を楽しんでいた。そのやり取りが可愛らしくて、僕は一目惚れした。そして化粧室に立った君を追いかけて、愛を告白しようと思ったんだ」
エーヴェルは当時を回想しながら夢見るように言う。それ、第三者目線からすると、恋する要素が全くないのだが。
「あーそれって恋に恋するパターン?」
翔子が言うと、ダイアナも続けて批判する。
「迷惑極まりない。愛なんて告白された憶えもないし、されても断るけどさ。そもそも婚約者が居る女性に手出しするって、マナー違反だよね」
「ダイアナは、満年齢で14歳だよね。我が国最初の物語と評判高いあの話の馬鹿主人公が、マザコンらせて養女に出を出したのが一応15歳になっているけど、数え年だから14歳か下手すると13歳なんだよね。いまなら犯罪だよ。大人の印はきてても、まだ体が発育途中の少女に手を出すなんてさ」
「だよね。あの馬鹿主人公、結局は失ってから本当に大事な人に気づいて悲劇に酔ってて、私ったら最後は『この馬鹿主人公、地獄に落ちろ』って、本気で思っちゃったもん」
「ウチの国だと、二次創作が盛んだから、転生して女性になって、異母兄と道ならぬ恋に落ちる話とか沢山あるよ。あ、そう言えばダイアナ、アレを頼まなきゃいけなくなかったっけ?」
「あ、すっかり忘れてた。翔子と話していると楽しすぎて、つい何でも忘れちゃうのよね」
そしてダイアナは、エーヴェルに向き直る。
「私をウェルハーズ公爵邸、王都のタウンハウスではなく、本邸へ連れて行ってくださいませんか?義父と義母になられる方とご挨拶もしたいですし」
ダイアナは真顔でエーヴェルに頼んだ。
「もちろん。早速、使者を使わせて訪問の日取りを決めるよ。君が僕に初めて興味持ってくれたのが嬉しいな」
エーヴェルは輝く笑顔で言った。
(それ、プラグだけどね)
ダイアナと翔子は同時に思ってニヤリと心の中で笑った。
2.王家の秘密
「まったく、加減を知らない馬鹿ほど手に負えないものはないわ」
「聞きしに勝る寵愛ぶりね」
ダイアナは翔子と2人きりになった僅かなタイミングで避妊薬を飲んだ。これが切れたら漢方薬に頼るしかないが、匂いがキツイので詮索されるのは必須だ。せめて避妊薬を作れる魔法でもあればいいのだが、現実はそうはいかない。
今夜はウェルハーズ公爵邸の夕食会に招かれているので、朝から入念にダイアナは侍女総掛かりで磨かれた。しかし加減を知らないエーヴェルの所有印が病気のように全身に散っているので、ファンデーションで誤魔化すしかない。
ダイアナの準備風景を見て、自分はつくづく貴族でなくて良かったと心から思った。実際にコルセットを締める場面を見た時には、「内臓が潰れる!」と震え上がったほどだ。翔子は美術館で中世の美女の全身肖像画を見たことがあるが、腰が異様に細かったが、それってこれのせいかと、早くこの世界にも体に優しい矯正下着が出るのを祈った。
夕食会には翔子の同行も許された。ただしチャニング伯爵邸のように、翔子の席が用意されるはずもなく、ダイアナの背後に侍女として立つのが役目だ。
翔子はチャニング伯爵邸では部屋を与えられて、衣服や宝飾品も用意されている。部屋はごく普通の豪華な中世部屋だったので、翔子はホッとした。悪趣味なダイアナの部屋を見ていたので、あんな部屋ならメイドの大部屋で寝たほうがマシだと思っていた。
ウェルハーズ公爵邸は、王宮を思わせるほど絢爛豪華たった。
夕食会の前に、まず応接室に通されて、ウェルハーズ公爵夫妻と、エーヴェルとダイアナは挨拶する。着飾っできても、エーヴェルがあまりに浮くしすぎるので、ただでさえ地味めな顔立ちのダイアナの影は薄い。ウェルハーズ公爵は、やっと次男に婚約者が出来たと大喜びだが、公爵夫人の方は「もっと綺麗な子を選べなかったの?」と不満げだ。
一連の挨拶を終えた後、ダイアナはウェルハーズ公爵に微笑みかける。
「実は公爵閣下に、こちらをお渡しするよう申し使っておりまして」
ダイアナはポーチから封書を出して、公爵に手渡す。
本来なら執事が一旦封を開けて中身に危険性がないか確認してから主君に手渡すのだが、息子の婚約者にその行為は失礼すぎる。そういうわけで、「恐らくはリング伯爵からの挨拶状だろう」と軽い気持ちで受け取って、ウェルハーズ公爵は手紙に目を通した。そして見る見る顔色が悪くなる。
「こちらの図書室は、随分とご立派なそうですね。よろしければ、拝見させていたたげますか?」
顔色の悪いウェルハーズ公爵に対して、ダイアナはニッコリ笑った。
ウェルハーズ公爵は承諾し、エーヴェルとダイアナ、そして翔子の同行を許可した。
エーヴェルは、図書室が一般的に使っている図書室ではなく、離れに建てられた図書館に向かっていたので驚いた。ここは歴代当主と司書しか入れない場所で、エーヴェルはもちろん、兄のアーサーでさえ立ち入りを許されていない。更に言えば、本来、父はシュルツバウム公爵となるはずだった。しかしエーヴェルの祖父にあたる前王の采配により、シュルツバウム公爵には先代のウェルハーズ公爵が代わり、新たなウエルハーズ公爵になった父親は爵位と領地と邸宅を譲り受けた。
ウェルハーズ公爵が、図書館の扉の鍵を開ける。この鍵は不思議な形をしていて、現在の技術ではコピー不可能とされている。
扉を開けると、エーヴェルに良く似た顔の女性が出てきた。エーヴェルも初めて会う、双子の妹ステーシアだった。彼女は1歳のときに別所で育てられ、8歳でこの図書館の司書助手になった。
エーヴェルは風の噂で双子の妹の消息を知り、哀れに思った。何故、父はこのような仕打ちをしたのだろうか。昔、問い詰めたことがあるが、明確な答えは得られなかった。この国に双子を忌む慣習はない。なのにどうして、双子の妹はここに閉じ込められているのだろうか?
皆が図書館へ入ると、ステーシアは内側から複雑な鍵でもって扉に鍵をかけた。
「ご当主、これはいったい?」
奥から中年の男性が現れる。エーヴェルは、ここにステーシアしかいないものだとばかり思っていので、知らない中年の存在に驚いた。
「行方知れずだったセリザワが、リング伯爵邸の図書室に居ることが分かった。彼女はダイアナ・リング、リング家の解読者だ。こちらの女性は、ショウコ・ムラタ。そなたと同じ世界から来た異世界人らしい」
「なんと!」
中年男性は驚きを隠せなかった。ステーシアも、目を見開いて翔子を見ている。
「貴方がウチの司書が言っていた、安達五郎ね。公爵閣下、手紙に私と翔子のことは、なんと書いてありますか?」
ダイアナが尋ねると、ウェルハーズ公爵はポケットにしまい込んでいた手紙をダイアナに渡す。ダイアナはそれをザッと読み流した。
「本当に要点しか書かれていないのね。私もウチの芹沢から、内情は聞かされていたけど、まさかウェルハーズと王宮に、芹沢の仲間が居ることまでは最近まで知らなかったわ。芹沢が行方をくらませたのは、英雄と讃えられた自分らや解読者の図書館幽閉制度に嫌気が差したからですってね。図書館に閉じ込めて、ひたすら異世界の書物を読ませる哀れな生贄。そもそも我が家では解読者の存在さえ知られていないから、異世界の書物を読める者を閉じ込めたりしないけど」
「君は自分がどれだけ貴重な存在か分かっていないのだ。解読者のもたらす情報は、ときとしてこの世界の猛毒になり得る。エーヴェル、ダイアナ嬢が解読者と分かった以上、この婚約は無効だ。彼女はリング伯爵邸に戻さなくてはならない」
「そんな!父上、私は彼女を愛しているのです!手放したくありません!」
「ならば、おまえもリング伯爵邸へ行くのだな。陛下に申し上げれば、お前がリング伯爵家の次期当主になる。そして解読者を途切れされないよう、妻との間に解読者の資格を持つ子供を産ませるのがおまえの、そしてそれは私や兄王が行ってきた使命だ」
「なるほど。国王陛下とウエルハーズ公爵家の子沢山が他家とは桁違いだから妙だなと思っていたけど、そういうことね。でも矛盾してるわよね。解読者から秘密が漏れないようにしながら、なおかつ解読者が途切れないよう子供を沢山妻に産ませるなんて。なら解読者なんて、最初から居なくていいじゃない」
「解読者を途切れさせるわけにはいかんのだ。私とて、長い年月を生きてきたが、不死でないことは何となく理解している。もしも私が亡くなることになればー」
「芹沢は、自分達の寿命が尽きれば、この妙な現象は消えると確信しているわ。私もそう思う。それに飛んでくるものなんて、ろくに役に立たないものばかりじゃない」
ダイアナが両手を広げて目を閉じると、いつの間にか両手には某有名弁当が現れた。
「それは、陽陽軒の牛肉メンチカツ弁当!」
安達は懐かしい弁当をダイアナから奪い取ると、泣きながら弁当を貪り食べた。
「ダイアナ、本当は何を思い浮かべたの?」
「特撮ヒーローフィギュア。芹沢が、ここの安達は特撮ヒーローマニアオタクだと聞いてたから。でも相変わらず、欲しいものは出てこないわねぇ」
ダイアナと翔子が呑気に話していると、ウェルハーズ公爵が割って入る。
「君は、異世界のものを自由に取り寄せることが出来るのか!」
その目は血走っている。あ、これヤバい展開だな。そう思いつつもダイアナは肩を激しく揺さぶられたので、頷いた。
「ステーシア!ダイアナに出来るなら、おまえにも出来るはずだ!ピストルを思い浮かべろ、異世界の本で見たことがあるだろう!」
ウエルハーズ公爵は興奮しながら、娘に詰めよる。
「なーにが、この世界の、秩序を守るためたか」
ダイアナが呆れ果てる。
「仕方ないよ、この人って順番違ったら国王になってた人でしょ?」
翔子も残念なものを見る目で興奮しきったウェルハーズ公爵と、表情の乏しいステーシアを見る。
「あー、なるほど。王になりたかったんだ、この人」
「国王なんて、自由なくて不便じゃん。公爵のがよっぽど気楽に過ごせると思うけど」
「男なら王に、って思うのかしらね。でも大人の私に言わせると、責任が重くなるほど辛くなるんだけどね。鬱になる人も増えるし」
「それ、翔子が言っちゃう?」
「いやはや、ここでの暮らしが楽しくてさ。あ、やり始めたよ。何が出てくるだろうね」
先程、ダイアナがやった通りの仕草で、ステーシアは両手を広げて掌を捧げ、目を閉じて本の内容をイメージする。出てきたのはー
「炎?なんてもの出すのよ!」
ダイアナと翔子は同時に叫ぶ。
エーヴェルは妹の手から炎を振り払い、出口に向かう。そしてステーシアの持っていた鍵を取り上げて内鍵を開けて、ステーシアを肩に担ぎ、ダイアナの手を掴んで図書館から離れた。その後を翔子が追う。安全と思われる場所まで来て振り返ると、図書館は勢い良く燃えていた。内からは、司書の安達の泣き声と、「消えろ、消えろ」と必死に消火活動しているらしいウェルハーズ公爵の声が聞こえてくる。
咄嗟に飛び出そうとしたエーヴェルを、ダイアナは掴んだ。
「アンタの父親が出そうとしていたものはね、弓矢より殺傷能力と飛距離のある異世界の武器。それを何に使うつもりだったか、頭が残念でなければ、大凡の想像はつくでしょ!」
ダイアナは、暗にウェルハーズ公爵が国王と王太子を暗殺しようとしていたと示唆した。
エーヴェルはステーシアを肩からずりおろし、その場に座り込む。
「だが父上は…陛下をとても慕っていて…」
「だからこそ、その裏側の感情がどす黒く育つこともある。私と姉のアテナがその典型。アンタが現れるまでは上手く仲の良い姉妹をやってきたけど、アンタの出現によって、アテナのドス黒い私への憎しみが表面化した。元のアテナに戻るか、それともこのままかは分からない」
4人の横を、騎士団や兵士が走っていき、消火活動に努める。だが石造りの図書館の中身は古い蔵書が多く眠っている。そして爆音と共に、花火まで夕方の空に3発上がった。
「花火玉なんて、爆弾と同じじゃない。何で水につけて火薬を無効化させなかったのよ!」
翔子が見事な花火を見上げながら悪態をつく。
「3発の花火、かつてこの国の危機を救った3人の異世界人。いつの日か、3人で花火を見あげたかったんじゃないの?」
「でもいつの花火か知らないけど、よく湿気らずに残っていたわよね」
「でも安達は、最期に泣きながら故郷の名物弁当食べれたんだから、悔いはないんじゃない?」
ダイアナは、泣きながら弁当を貪り食べるウェルハーズ公爵家の司書の最後の姿を思い浮かべる。彼もステーシアも、あの図書館からずっと出れない日々を送ってきたのだろうか。そう思うと、対照的にリング伯爵邸の図書室の司書をしている芹沢は、好きなものを食べ、外へ出たい時は庭で日光浴をし、人恋しい時には調理場の裏方に出向いて、お菓子を分けてもらいながら雑談していた。
「問題はこの子よね。人ととの交流が司書と父親しかいなかったなら、今後の生活に困るんじゃない?」
翔子は、絶世の美女でありながら、男のような司書服を来たステーシアがボンヤリ火事を眺めているのを見て、医師としての自覚が蘇ってきた。外科だが、研修医時代に各科を回っていたので、精神科の基礎も学んでいる。もっとも、翔子の出番はなかったが。
2.絶世の美女現る
ウェルハーズ公爵は骨の欠片で見つかった。骨は下男が総出で探しても一体分のみ。安達五郎司書らしき骨はなかったようだ。
火事に駆けつけた公爵夫人は、夫の安否よりも、可愛い盛りの娘を無理矢理取り上げられて行方知れずとなっていたステーシアがいた事に驚き、娘を抱きしめておいおい泣いた。多くの子供に恵まれながら、長女の安否をずっと気にかけ、夫に内緒でずっと探し続けていた。
ウェルハーズ公爵夫人は、夫の死には大した打撃を受けなかったようだ。むしろ長女を取り上げた憎しみのが強かったと思われる。公爵夫人は、ステーシアを溺愛した。その過度な愛が、表情の乏しかったステーシアに笑顔を取り戻させる。
また、ステーシアも異世界の恋愛系マンガやライトノベルが大好きだった。ダイアナと翔子もオタク一歩手前のマンガとライトノベル好きと知ると、たびたび彼女たちを呼び出したり、兄の邸に向かってマンガ話に花を咲かせた。それもステーシアの感情表現を豊かにさせるリハビリとなった。
エーヴェルは国王に人払いをお願いして、国を救った3人の英雄の話をした。そしてウエルハーズ公爵家の司書をしていた安達五郎の最期のことも話す。父が兄を殺す画策をしていたらしいことは、憶測でもあったので言わなかった。
国王は、王宮の国王以外は出入り禁止の図書館へエーヴェルを連れて行った。そこの司書は来宮朔也、安達と同じぐらいの年齢だった。そして解読者は国王の第三王子と第六王子。司書の来宮朔也は王宮からは出れないが、王宮内の散策や他人との会話は許されていた。第三王子は既婚者で、仕事の関係上という理由で爵位は与えられず王子のまま、王宮の一画で夫婦で暮らしている。第六王子もいずれ兄と同じ道を辿るだろう。生活拠点は王宮以外許されないが、半月ほどなら王都周辺を泊まりがけで散策することも許されていた。ウェルハーズ公爵家のステーシアや司書の安達五郎とは待遇が大違いだ。
王宮図書館に異世界から飛んでくる書物や小物は、図書館地下に保管してある。書物は解読させて、良いところは国の運営の参考に取り入れている。それがレムリアン王国の古来からのやり方だった。
エーヴェルは、父親の図書館の保護方法が間違えていたのを痛感する。それを国王に吐露すると、国王は言った。
「昔は異世界の英雄が逃げないよう幽閉していたさ。だが芹沢がこんな生活耐えられないと逃亡してから、当時の国王が考え方を改めたのだ。逃げられるより、拘束を緩くして、ある程度の自由を認めさせたほうが良いとな。それを弟にも伝えたつもりだったが、あいつは昔の伝統を選択したのだな」
国王は寂しげにつぶやいた。
エーヴェルは、本来なら父の喪に服して屋敷に閉じこもっていなければならない。しかし、安達五郎の死をどうして伝えたくて、そしてダイアナをリング伯爵邸に返すべきか尋ねたくて、ダイアナと翔子を伴い、身をやつしてリング伯爵邸を訪れた。
リング伯爵は何も知らないというので、直接、邸の離れの図書室に向かう。そこは鍵もかけられておらず、ちょうど司書の芹沢と司書助手の富永敦史が芝生に敷物を敷いて将棋を打っていた。この将棋盤セットも異世界から飛んできたものだ。芹沢も敦史も、ゲームで将棋をやっていたので、実際に対戦もできるが、双方ともゲームが主体だったので、プロ棋士ののようにパチンと良い音は出ない。
ダイアナと翔子とエーヴェルが話がしたいと言うので、芹沢と敦史は司書室の奥の私室に場を移す。
「そうですか…」
芹沢は、安達のために涙を流す。だが最期に、彼が大好物だった陽陽軒の牛肉メンチカツ弁当を食べてから最期を迎えたと知って「あいつらしい最期だ」と笑い、王宮の来宮朔也も王宮内でなら、これまでの制度が改められて自由に散策や召使と会話できると知って喜んだ。
「芹沢、貴方はここに閉じこもってて満足なの?」
ダイアナが尋ねる。思えば初めて会った日から、芹沢は全く容姿が変わっていなかった。いや、少しずつだがこれでも老けているのだと言う。
「こちらの代々の当主はお優しくて、居心地が良いのですよ。たまにダイアナ様のようなお子が訪ねてきたりと、その成長を見るのが楽しくて」
「え?まさか、お父様も芹沢の正体を知っているの?」
ダイアナは仰天する。
「ええ、ご存知ですよ。ごくたまに会話するときなどは、たまには旧友に会いに行ったり、旅をしてきてもいいのだぞと仰ってくださいますが、私がここに居たいのです。遠い昔、まだ我々が若かった頃、この国を救うためにとの使命に燃えて、異世界の知識を駆使して戦いました。だが歳を重ねるごとに、奪った命の重さに我々は耐えられなくなったのです。英雄なんかじゃない、俺たちは手を血で穢した下等な人間だと。だから、外へ旅をしたところで、楽しむよりも過去の罪悪感に押しつぶされて動けなくなってしまう。自害を考えたこともありました。ですが奪われた命の数を思うと、辛くても生きなければと思うのです。我々にできることは、天寿を全うすることだけです」
芹沢はコーヒーを口にする。そして敦史と翔子に向き直った。
「元の世界に戻りたいなら、いつでも言いなさい。私は君たちを帰す方法を知っている」
「え?」
「マジで?」
驚愕する翔子と敦史に、司書の芹沢は穏やかに微笑みかける。
「飛んできた書物に、人間を元の世界へ帰す方法が書いてあるからね。特に敦史君は、早く戻りたいだろ?」
芹沢が尋ねると、敦史は腕組みをして「うーん」と唸る。
「俺さ、芹沢さんには前にも話したけど、天涯孤独なの。でも芹沢さんと居ると、ここの皆といると、なんか胸が温かいんだ。日本に居た時、仕事は多忙でも嫌いじゃなかった。自分居場所はここだって、充実感もあった。なのに、どれだけ歓声を浴びても、どれだけ親切にされても、何処か心が冷えていたんだ。ずっと寂しくて寒かった。ここにきてから、それを少しも感じないんだ。だから、ここにいさせて欲しい。俺が本当に帰りたいと思うときまで」
「私も同じです。いえ、私は恐らくずっと帰りたいとは思えない。もう、自由のない生活には懲り懲り」
敦史も翔子と、芹沢の申し出を断った。特に翔子は自殺してまで、あの世界から逃げようとした身だ。
「そうか。だが、そのときが来たなら遠慮なく言うんだよ」
「芹沢は元の世界へ、戻りたくないの?」
ダイアナは、もっともな疑問を尋ねる。ここでの不自由な生活を顧みれば、仲間を連れてどうして帰らなかったのか不思議でならなかった。
「私も翔子君と似たような立場でね、日本に居場所がないと絶望して自殺を試みたんだよ。来宮は不治の病で苦しみ、安達は事故で臨終間近だったらしい。私はあちらへ戻っても生きる可能性があるが、来宮と安達はどちらにせよ死から免れなかったのではないだろうか。3人とも、ここでおまけの人生を歩んでいるのさ。安達は一足早く卒業したけど」
芹沢は自虐的な微笑みを浮かべながら言った。
「いにしえの英雄殿、いやいまはリング家の司書殿のが相応しいかもしれないが、ダイアナはこちらへ帰すべだろうか。それならば、僕もこちらの次期当主となる手筈を整えねばならない」
「ちょっと!なんでアンタまでくっついてくるのよ!ウザいから王都で別の女性と結婚してよ!」
リング家に戻すと言うエーヴェルの提案に歓喜して戻ってきたのに、よりによって面倒なお邪魔虫までコッチに来るなんて冗談じゃない。そもそも王都の大貴族が、辺境伯を総領に掲げる地方貴族と上手くやっていけるはずがない。そのぐらい、地方と王都は大きな溝があるのだ。
「以前、王女殿下との婚約が持ち上がったことがある。陛下が、僕を巡って女性の乱闘が絶えないのを憂いてのことだ。だが王女殿下からも、断られた。王女殿下は、僕の顔は好きだけど、妻として並び立つのは嫌だと。だがそれは建前で、本当は好きな人が別に居たんだ。いま降嫁されて、好きだった相手と幸せに暮らしてらっしゃるよ」
「あー、憧れと真実の恋って、大抵は全く別物ものなのよね。聡い王女様は、それを知っていたのね」
翔子は「うん、うん」と納得した。
「だからって、私がコイツと結婚はあり得ないんだけど!」
ダイアナがエーヴェルを指さすが、エーヴェルほその手を取ってキスを落とす。
「駄目だよ、君でなきゃ僕はもう誰とも結婚できない体になってしまった。体が君以外に反応しない」
「生々しいことを真顔で言わないでよ!そもそもウェルハーズ家は解読者も必要なくなったのだから、アンタが私以外と結婚したくないなら、生涯独身で暮らせばいいじゃない!アンタのような毒の強い美形は、1人の女性が背負うのが、そもそも荷が重すぎるのよ。皆のアイドルとして、人々に夢を与えなさい!」
「だーめ。知らなかったとはいえ、君を解読者を生ませる道具にするつもりはそもそもなかったし。こんなに激しい愛を感じたのも初めてなんだ」
エーヴェルがダイアナを抱きしめる。力の加減はしているが、強いホールドでダイアナが必死に抵抗しても逃れられない。
「いーんじゃない?その美貌が猛毒だからこそ、誰かが重石になってあげた方が。司書助手は俺がいるから、リング伯爵家の図書室問題にダイアナが関わる必要ないし」
「そもそも歴代リング伯爵は、解読者を必要としていませんから」
敦史司書助手と芹沢司書が追随する。
「裏切り者ー!」
ダイアナの絶叫が響いた。
結局、ダイアナは項垂れながらエーヴェルと共に王都へ戻った。婚約破棄をダイアナは主張したが、国王がそれを許してくれず、勅使が直々にエーヴェルとダイアナの王都帰還を命じたのだ。替え玉まで使ってリング伯爵家へ戻っていたのに、どうやら国王には筒抜けだったようだ。
ウェルハーズ公爵家の司書と図書館は消えた。だが新たな異世界人がダイアナの侍女として仕えている以上、ウェルハーズ公爵家の解読者の血筋は必要と国王は断じたのだ。
もっともウェルハーズ公爵家は、既にエーヴェルの兄アーサーが継いでいる。そういうわけで、エーヴェルには予定通り結婚を期に侯爵を叙爵して、新たな領土に新たな邸と図書館を建てることとなった。父親の喪中でもあるので、準備期間には良かったかもしれない。
そしてダイアナは結婚式が翌年から再来年に延びたことで、その間に婚約破棄を画策している。
「やっぱりさあ、私よりも翔子のがエーヴェルの奥さんに向いてない?父様に話せば、翔子を養女にしてくれるとおもうのよ!」
チャニング伯爵本邸の自室で、ダイアナは提案する。この部屋はダイアナの主張が通り、ダイアナ好みの渋い家具や調度品でまとめられた。もちろん、カーテンや絨毯も。代わりに夫婦の寝室の悪趣味はアップした。純白総レースの天蓋付きベッド、フリルのピンカーテンが一際寒気を演出する。壁紙も桜色。絨毯も白地にピンクの薔薇模様。調度品もパステルカラーで、ぬいぐるみはコチラの棚にに移動となった。
ダイアナは私室から人払いはしたが、エーヴェルの命令で必ず1人は見張りが必要ということで、口の固いチャニング伯爵家の侍女ミリアムは追い払えなかった。まあ、さんざんダイアナと翔子の会話は聞いているので、ミリアムは王家に纏わる事情も十分把握している。
今日の昼食は、いま大貴族の間で大流行のカレーライス。キッカケは翔子がレシピ集を見つけ、チャニング伯爵の権力で黄金より貴重な香辛料を集めまくってカレー粉を作り、レシピ通りにカレーライスを作ったのだ。米もこの国にはサラダ用のインディカ米はあるが、わざわざ東の国からジャポニカ米を取り寄せさせる念の入れよう。翔子は無類のカレー好きで、大学時代や医者になった後も僅かな休暇で、カレー屋巡りをしていた。ダイアナも異世界マンガお馴染みのカレーが一度は食べてみたくて、楽しみにしていた。そして口にしたときの刺激と後を引く美味しさ。
エーヴェルも、チャニング伯爵家勤務の者達もその魅惑的な香りの虜になり、以来エーヴェルがカレーを月イチのご馳走として恒例化したのが、いつの間にか大貴族の間に広まった。
カレーライスの噂を聞きつけて、リング伯爵邸からわざわざ清沢と敦史、そして王宮からも特別許可を貰った来宮と第三王子、第六王子が食べに来た。
数世紀ぶりの対面に、当初は芹沢と来宮もギクシャクしていたが、カツカレーの旨さに饒舌となって、元の盟友に復活した。芹沢は地方貴族勤務だし、来宮も国王の許可がないと王宮から出られないが、半年に一度は会おうと言う約束を交わした。会合場所はチャニング伯爵本邸もしくはタウンハウス。そして食事はカツカレーと決まっていた。だが他にも芹沢が「餃子が食べたい」と言い、来宮は安達を偲んで「メンチカツも」と言い出したので、翔子は「仕方ないなぁ」と言いつつレシピを探して会合の日に振る舞っている。
閑話休題。
「ダイアナ、いい加減に腹をくくりなさいよ。エーヴェルは、アンタの容姿より、図太い性格に惚れ込んでいるのよ。あれだけ毎晩、アンタの婚約者が盛ってるのだから、授り婚も時間の問題ね」
「やめてー!」
ダイアナは絶叫する。だが翔子手持ちの避妊薬は等の昔に使い切ってしまったし、翔子調合の漢方薬もエーヴェルが気付かれて禁じられた。エーヴェルは避妊もしないので、ダイアナは八方塞がりだった。
「残酷なことを申し上げますと、既にダイアナ様は身ごもっておられる兆候がおありかと。月のものが途切れたままですし、体つきも変化が見られます」
ミリアムが口を挟む。
「あ、それまだ確定じゃないから言っちゃ駄目と言ったのに」
翔子はミリアムに注意する。その傍らでダイアナはこの世の終わりのような顔をしていた。
「嘘でしょ、子供なんか出来たら、変態との結婚は詰んだじゃない」
「いや、既にダイアナは人生詰んでるから。結婚証明書製作は早まるだろうけど、結婚式はもう1年、引き延ばせるんじゃない?」
「冗談でもやめてよ!そもそも悪阻なんてものもないし、食欲も旺盛なわけでもないわよ!」
「悪阻の有無は人ぞれぞれ。食欲は、これから増してくるかもね。栄養管理は任せて!」
「栄養管理より、あの変態を翔子に任せたい」
「無理、絶対に。そもそもダイアナ以外には役立たずと、エーヴェルは公言してるじゃない」
「やってみなけりゃ分からんでしよ、そんなもの!」
ダイアナは尚もエーヴェルとの婚約破棄を模索していたが、妊娠が本物だったも判明して、ダイアナは無念の白旗を揚げるしかなかった。
前ウェルハーズ公爵の喪が明けて、社交界シーズンが始まった。ダイアナにとって幸いだったのは、妊娠中で社交界出席免除となった。
「これで他の貴族令嬢からの嫌がらせが先延ばしされる」
ダイアナは結婚には観念した。そして懐妊については最初こそ絶望的になっていたが、医師の翔子やチャニング伯爵家主治医からも夜の生活は禁じられ、ダイアナは出産まで自室で眠ることになった。エーヴェルはせめて一緒に寝るぐらいは主張して妥協した事もあったが、我慢が出来ずにダイアナを気絶させるほど行為が激しかったのを重く見た翔子と主治医が「夫婦別室で就寝!」と診断を下したのだった。お陰でダイアナは毎夜、安眠できている。
懐妊と同時に、結婚証明書が公式文書として国王に受理されて、貴族譜にエーヴェルの妻の欄にダイアナ・リング伯爵令嬢が記載された。
社交界でエーヴェルのエスコート相手は、双子の妹ステーシアだった。ステーシアは淑女マナーこそ自主的に本で学んでいたが、ダンスや所作などは、前ウェルハーズ夫人であるステーシアの実母が講師となって叩き込んだ。ステーシアの社交界デビューのドレスや宝飾品も母親が全て最高のものを揃え、王宮デビュタント時には、全出席者の注目を集めた。ステーシアが舞踏会や晩餐会へ出るごとに、主催者宅に招待客以外の貴族も殺到する。
ステーシアは年齢的には行き遅れだが、他国からも婚姻申込みが殺到した。まさに傾国の美女。だがステーシアが恋した相手は、意外だが、当然の成り行きとも言える人物だった。リング伯爵邸司書助手の敦史だ。
敦史がカツカレーパーティーに、芹沢司書と同行して王都に来るうちに、ステーシアは敦史に恋をした。だがそもそも、身分が違いすぎる。敦史はリング伯爵邸を気に入っていて住まいも王都に移す気が全くないし、そもそも敦史の恋愛対象は翔子だ。だが押しの強さが双子の兄譲りなステーシアは、敦史を追ってリング伯爵邸を頻繁に訪れ、敦史を追い回した。敦史は、これまでダイアナがエーヴェルに追い回されるのを「美形に追いまわされて、恋愛小説みたいでイカすじゃん」と面白がっていたが、いざ自分の身になると、なりふり構わず周囲にヘルプを求めた。だが敦史を助ける者はいなかった。
前ウェルハーズ夫人は「この子は、不遇な子供時代を送ってきたのだから、希望は何でも叶えてやりたい」と、現当主の長男アーサー・ウェルハーズの反対を押し切って、敦史との結婚を認めた。しかし、さすがに平民と公爵令嬢との結婚は体裁が悪すぎる。そこで敦史はリング伯爵の養子となり、家督を継ぐことになった。
これまで後継者となるはずだったアテナは、代わりに王都近郊の領地と伯爵位が与えられた。アテナは地方貴族であることが嫌で、王都への憧れが人一倍だったから、喜んでこの話に飛びついた。既にアテナと結婚している夫も、元は王都の学園に通っていた経験から地方暮らしには辟易としていたので、王都の貴族仲間入りは大歓迎だった。
ステーシアの結婚は、兄エーヴェルの結婚の後に決まった。それまでは頻繁にリング伯爵邸を訪れるものの、母親との短い親子時間を大切にするためにも、結婚するまで王都に残り、妊婦のダイアナの代役としてエーヴェルの相手役として、主に王宮主催の様々な行事に参加した。
ステーシアが出席すると、彼女を諦めきれない大貴族子息が何らかの刃傷騒ぎを起こしてドタバタで幕を閉じる。
その話を聞くたびにダイアナは、「いいなぁ、傾国の美女を巡る男たちの虚しい闘いが、その場で観れるなんて」と羨ましがるのだった。ステーシアも「マンガみたいで楽しいよね」と、罪悪感どころか悪役令嬢気分を満喫していた。
蛇足だが、ステーシアと彼女の母親は、現ウェルハーズ公爵邸ではなく、次男のチャニング伯爵邸で暮らしている。ステーシアがリング伯爵家に嫁入りしたあとは、前ウェルハーズ夫人も長男の邸に移って居候が決まっているが、もしかしたらステーシアにくっついて、リング伯爵邸に住み込むかもしれない。
(前公爵夫人に居座られたら、お父様とお母様、居心地悪いだろうなぁ)
リング伯爵夫妻を心配するダイアナだった。
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