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歴史の授業
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カイドルさんの授業は意外にもスパルタで、詰め込み式で、そして、内容が濃すぎた。
今まで知ろうともしなかった魔族と人間の間の戦争の、その始まりについてみっちりと語られた時間はとても充実していたけれど、同時にとても疲れてしまった。わたしの集中力が落ちてきたことを察してくれたのだろう、「今日はここまでにしましょうか、食事の用意をしてきます」とカイドルさんは言って、教鞭を置いて扉から出て行く。ごはんの気配を察知したキシールがその後ろを追いかけるのを見送ると、わたしは部屋のベッドにそのまま倒れ込んだ。
あまりに多くの情報をいっぺんに処理しようとしたため脳が悲鳴をあげているのがわかる。体がふわふわして、ベッドに横になってもまだ気持ちが落ち着かなくて、まぶたを閉じてしまった。
そのまま今日の授業を思い返しているうちに、眠ってしまったことにわたしは気が付かない。
授業の始まりは千年前の話からだった。そのころの魔族と人間は、寿命や生活様式の違いによって住む場所こそ隔たれていたものの、関係自体はそれほど悪くはなかったらしい。
しかしある日、魔族の手によって一粒の宝石が掘り出された。大きさは人間の握りこぶしくらい。淡く輝くような薄紅色を放つ宝石は宝玉として磨き上げられ、魔族と人間の交流があった鉱山都市に保存された。
そして、次第にその宝玉の所有者に特異なことが起こり始める。富、名誉、なんでも思いのままに手に入る。持ち主が死んで代替わりすれば、次の所有者も例に続いた。
その原因は、宝玉に含まれる膨大な魔力のエネルギーだった。人間より魔力の多い魔族が百人束になっても到底かなわないほど強い魔力が宝玉には宿っていて、その影響で宝玉は、所有者が望むだけで願いを実現してしまったのだ。
それがわかるや否や、魔族と人間が入り混じって人々は争いを始めた。単純な奪い合いだ。
しかし争いが続けば巻き込まれる人が増えていく。仲間が殺された、家族が殺された。そうやって恨みを重ねるうちに魔族と人間の陣営に分かれ、争いは激化する一方だった。
しばらくの時が過ぎ、奪い、奪われるを繰り返していた宝玉が突如として行方不明になった。人間は魔族を疑い、魔族は人間を疑う。身勝手な欲望と疑念の連鎖はたやすく殺意に発展し、毎日のようにどこかで戦闘が行われるようになってしまう。
血で血を洗うような争いはしばらく続いたが、ある日、戦場のほど近くにあった主神を祀る神殿に少女が降り立ち、自分は主神の使いであると宣言した。
そして、主神の命によってこの争いを終わらせることが自分の務めである、と述べてその神殿で暮らし始めたという。
もちろん、最初は誰も信じなかった。しかし争いに疲れ、救いを求めていた人々は、「宝玉の力は世界を創りし主神の力、宝玉を隠したのは主神ご自身です。人々が争いを続ける限り、主神は宝玉を隠します」という少女の主張に感銘を受けた者も少なくなく、「信じ、祈る者の前に主神は御力を示し、救いをもたらすでしょう」という少女の言葉に次第に縋るようになっていった。
特に人間は魔族に比べて寿命が短い。争いに一生を使うよりは、神に救いを見出して、信仰を通じて人生を取り戻したかったのかもしれない。
いつしか少女は聖女と呼ばれるようになり、魔族に比べて崇拝者の多い人間の陣営に取り込まれた。
そして、聖女は宝玉のために争いが起こることを主神は望んでいないと説いてまわった。同時に争いから宝玉を守るためだといって人間の中から勇者を選び、主神に祈って加護を与えた。主神の化身が勇者だったわけではなく、宝玉によってこれ以上争いが起こらないようにするために聖女によって生み出されたのが、勇者というシステムだったわけだ。
ただし、聖女が勇者のために祈れば祈るほど、勇者の力は大きくなる。いつしか勇者は聖女すら脅かすようになり、暴走した勇者から逃れるために聖女はあらたに主神に神託を問い、魔族の地に向かった。
どこかで聞いたような話である、と言っては当時の聖女に失礼だろうか。
しかし当時の魔族は、聖女を歓迎しなかった。そもそも宝玉は魔族の掘り出したものである。したがって宝玉は魔族の所有物であり、聖女のような代弁者など不要というのがその主張だった。
「いいえ、宝玉は主神の御力そのもの。何人も所有することなどできません」
聖女は根気強く、魔族の長――この頃はまだ『魔王』という呼称がなかった――を説得した。
だが。
勇者として選んだ者に自ら力を与えておきながら、それが手に負えなくなるとあっさりと他の者に寝返って、お互いを争わせようとする。聖女の主張は随分身勝手な話だ、と長は聞く耳を持たなかった。
その後魔族の領土に単身乗り込んできた勇者は聖女と対立し、聖女は死んでしまう。しかし聖女を喪った勇者は同時に主神の加護をも失い、その場に立ち会った魔族の長によって打ち倒された。ほとんど自滅であり、事故に近いような状態だったという。
「しかし、事故だった、という主張は魔族の主観に過ぎません」
カイドルさんはそう言った。
その通り、聖女と勇者を失った人間の陣営はこの事件をもとに魔族を糾弾した。
これによって、魔族と人間の対立はいよいよ決定的になり、以後、千年に近い時間をかけて魔族と人間は戦争を続けていくことになる。
その一方で、聖女と勇者が世界から失われても、宝玉の行方は結局わからずじまいだった。
手に入らない力に意味はない。人間は世代交代が進むにつれて次第に宝玉の存在を忘れたが、聖女が説いた教えはそれまでの主神信仰に組み込まれて人々の間に根付いていった。
それを裏付けるかのように、時折神託に従って聖女が産まれるようになった。聖女は人間の女性として生まれ、聖女降臨の地に建てられた大神殿で育てられる。聖女は生まれる場所も血筋もバラバラだったが、成長するにつれて髪は白に、瞳は薄紅色に変わっていく。初代の聖女がそうであったという、言い伝え通りに。
わたしも同じだ。生まれたてのころ、わたしの髪と瞳は茶色だった、と世話係から聞いたことがある。
確かに幼いころは瞳も髪も今よりもっと中途半端だったが、徐々に色が抜けてすっかり髪は白く、瞳は薄紅色になった。それはずっと、主神に愛された証なのだと教えられていたし、そう信じていたけれど。
わたしが今まで常識だと信じていたことは全部間違っていて、わたしが宝玉の代弁者だという神託に体が従っているだけなのかもしれない。
これもすべて、魔族の話を全部そのまま信用するならば、だけど。
そんなことをつらつらと考えている間にわたしの眠りは次第に深くなり、翌日キシールにおでこをすりすりされて起きたらもう、すっかり日が高く昇っていたのだった。
今まで知ろうともしなかった魔族と人間の間の戦争の、その始まりについてみっちりと語られた時間はとても充実していたけれど、同時にとても疲れてしまった。わたしの集中力が落ちてきたことを察してくれたのだろう、「今日はここまでにしましょうか、食事の用意をしてきます」とカイドルさんは言って、教鞭を置いて扉から出て行く。ごはんの気配を察知したキシールがその後ろを追いかけるのを見送ると、わたしは部屋のベッドにそのまま倒れ込んだ。
あまりに多くの情報をいっぺんに処理しようとしたため脳が悲鳴をあげているのがわかる。体がふわふわして、ベッドに横になってもまだ気持ちが落ち着かなくて、まぶたを閉じてしまった。
そのまま今日の授業を思い返しているうちに、眠ってしまったことにわたしは気が付かない。
授業の始まりは千年前の話からだった。そのころの魔族と人間は、寿命や生活様式の違いによって住む場所こそ隔たれていたものの、関係自体はそれほど悪くはなかったらしい。
しかしある日、魔族の手によって一粒の宝石が掘り出された。大きさは人間の握りこぶしくらい。淡く輝くような薄紅色を放つ宝石は宝玉として磨き上げられ、魔族と人間の交流があった鉱山都市に保存された。
そして、次第にその宝玉の所有者に特異なことが起こり始める。富、名誉、なんでも思いのままに手に入る。持ち主が死んで代替わりすれば、次の所有者も例に続いた。
その原因は、宝玉に含まれる膨大な魔力のエネルギーだった。人間より魔力の多い魔族が百人束になっても到底かなわないほど強い魔力が宝玉には宿っていて、その影響で宝玉は、所有者が望むだけで願いを実現してしまったのだ。
それがわかるや否や、魔族と人間が入り混じって人々は争いを始めた。単純な奪い合いだ。
しかし争いが続けば巻き込まれる人が増えていく。仲間が殺された、家族が殺された。そうやって恨みを重ねるうちに魔族と人間の陣営に分かれ、争いは激化する一方だった。
しばらくの時が過ぎ、奪い、奪われるを繰り返していた宝玉が突如として行方不明になった。人間は魔族を疑い、魔族は人間を疑う。身勝手な欲望と疑念の連鎖はたやすく殺意に発展し、毎日のようにどこかで戦闘が行われるようになってしまう。
血で血を洗うような争いはしばらく続いたが、ある日、戦場のほど近くにあった主神を祀る神殿に少女が降り立ち、自分は主神の使いであると宣言した。
そして、主神の命によってこの争いを終わらせることが自分の務めである、と述べてその神殿で暮らし始めたという。
もちろん、最初は誰も信じなかった。しかし争いに疲れ、救いを求めていた人々は、「宝玉の力は世界を創りし主神の力、宝玉を隠したのは主神ご自身です。人々が争いを続ける限り、主神は宝玉を隠します」という少女の主張に感銘を受けた者も少なくなく、「信じ、祈る者の前に主神は御力を示し、救いをもたらすでしょう」という少女の言葉に次第に縋るようになっていった。
特に人間は魔族に比べて寿命が短い。争いに一生を使うよりは、神に救いを見出して、信仰を通じて人生を取り戻したかったのかもしれない。
いつしか少女は聖女と呼ばれるようになり、魔族に比べて崇拝者の多い人間の陣営に取り込まれた。
そして、聖女は宝玉のために争いが起こることを主神は望んでいないと説いてまわった。同時に争いから宝玉を守るためだといって人間の中から勇者を選び、主神に祈って加護を与えた。主神の化身が勇者だったわけではなく、宝玉によってこれ以上争いが起こらないようにするために聖女によって生み出されたのが、勇者というシステムだったわけだ。
ただし、聖女が勇者のために祈れば祈るほど、勇者の力は大きくなる。いつしか勇者は聖女すら脅かすようになり、暴走した勇者から逃れるために聖女はあらたに主神に神託を問い、魔族の地に向かった。
どこかで聞いたような話である、と言っては当時の聖女に失礼だろうか。
しかし当時の魔族は、聖女を歓迎しなかった。そもそも宝玉は魔族の掘り出したものである。したがって宝玉は魔族の所有物であり、聖女のような代弁者など不要というのがその主張だった。
「いいえ、宝玉は主神の御力そのもの。何人も所有することなどできません」
聖女は根気強く、魔族の長――この頃はまだ『魔王』という呼称がなかった――を説得した。
だが。
勇者として選んだ者に自ら力を与えておきながら、それが手に負えなくなるとあっさりと他の者に寝返って、お互いを争わせようとする。聖女の主張は随分身勝手な話だ、と長は聞く耳を持たなかった。
その後魔族の領土に単身乗り込んできた勇者は聖女と対立し、聖女は死んでしまう。しかし聖女を喪った勇者は同時に主神の加護をも失い、その場に立ち会った魔族の長によって打ち倒された。ほとんど自滅であり、事故に近いような状態だったという。
「しかし、事故だった、という主張は魔族の主観に過ぎません」
カイドルさんはそう言った。
その通り、聖女と勇者を失った人間の陣営はこの事件をもとに魔族を糾弾した。
これによって、魔族と人間の対立はいよいよ決定的になり、以後、千年に近い時間をかけて魔族と人間は戦争を続けていくことになる。
その一方で、聖女と勇者が世界から失われても、宝玉の行方は結局わからずじまいだった。
手に入らない力に意味はない。人間は世代交代が進むにつれて次第に宝玉の存在を忘れたが、聖女が説いた教えはそれまでの主神信仰に組み込まれて人々の間に根付いていった。
それを裏付けるかのように、時折神託に従って聖女が産まれるようになった。聖女は人間の女性として生まれ、聖女降臨の地に建てられた大神殿で育てられる。聖女は生まれる場所も血筋もバラバラだったが、成長するにつれて髪は白に、瞳は薄紅色に変わっていく。初代の聖女がそうであったという、言い伝え通りに。
わたしも同じだ。生まれたてのころ、わたしの髪と瞳は茶色だった、と世話係から聞いたことがある。
確かに幼いころは瞳も髪も今よりもっと中途半端だったが、徐々に色が抜けてすっかり髪は白く、瞳は薄紅色になった。それはずっと、主神に愛された証なのだと教えられていたし、そう信じていたけれど。
わたしが今まで常識だと信じていたことは全部間違っていて、わたしが宝玉の代弁者だという神託に体が従っているだけなのかもしれない。
これもすべて、魔族の話を全部そのまま信用するならば、だけど。
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