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「とはいえ、しばらくはお肌の養生が必要ねえ……ここまで肌が薄くなってると、保湿だけじゃ心もとないから何か薬を使った方が……」
そこまで言うとルールーさんが突然黙ってしまったので、不思議に思ってわたしは彼を見た。
目が合う。彼はまるでネズミを目の前にした猫みたいな顔で、わたしを見つめてにんまりと笑っていた。
「いいこと、思いついちゃった」
彼は笑っているだけなのに、わたしはなぜか落ち着かない。
「あの、何をするつもりなんですか?」
そう問えば彼はうふふ、と笑って、衣装箱の中からずんぐりとした薬瓶を取り出した。
「お化粧することはしばらく内緒にして、この薬を塗って過ごしましょう」
軽やかに栓を抜いて手のひらに出した薬は、白くてドロッとしている。
「これを塗ると、まるで今までのおしろいみたいに顔が真っ白になるわ。だけどおしろいみたいに肌の負担にはならないから安心して。
皮膚の炎症を取り除き、足りない組織を補って、強くしてくれる薬なの。しばらくはこれを塗って、お肌の養生に務めて頂戴」
「……それが『いいこと』って、どういうことです?」
わたしはルールーさんから薬瓶を受け取って、首をかしげた。
すると彼は今度は花開くように笑い、とっておきのいたずらを告白するようにこう言ったのだ。
「婚約披露宴で、あなたのこの姿を初めてお披露目するの!」
「え?」
二か月後に迫っているパーティーに、壁ではないこの顔で登場するのだと彼は言う。
「とびきりおしゃれをして、所作も堂々として。そんなあなたを見たら、みんなどんな反応をすると思う?」
まったく予想ができない。
「大変身にきっとみんな驚くわよ。そしてみんなが、あなたの美しさに感嘆し、あなたへの評価を改めざるを得ない。そういう状況を演出するの。そのために、この二か月は白塗りの顔で我慢してもらうわ」
「白塗りは構いませんが、みんなを驚かせるなんてできませんよ」
「いいえ。人の心を動かすのに必要なのは、ドラマなのよ。誰かの注意を集めたいなら、劇的なことが起こればそれでいいの。
みんなができないことをやって見せるのよ。例えば、昨日まで壁顔だった令嬢が美しい蝶に早変わり、とかね?」
「……」
「あなただって、鏡を見て驚いていたじゃない。同じことをパーティーでやるだけよ。あなたはもっとずっと美しくなるわ……そこにドラマが生まれる。それにみんな感動して、美しい王太子妃の誕生をきっと祝福してくれる。
そうすればお飾りの王妃になんてならずに、日の当たるところで暮らしていけるじゃない」
そんなにうまくいきっこない。わたしはずっと『壁顔』だったし、人の印象がそんな一朝一夕で変わるはずがない。
何より中身が、わたしのままなのだ。
後ろめたく、ずっと隠したかった『わたし』のままで、誰かに受け入れてもらえるはずなんてない。
「ほら、またネガティブなことを考えていたでしょう? もうやめちゃいなさいよ、そういうの。どんなに自分が嫌いでも、あなたはあなたにしかなれないんだから」
「わたしは、わたしにしかなれない……」
「そうよ。だけど変わることはできるって、今日わかったでしょう?」
鏡を指し示してルールーさんは言う。鏡に映るのは眉毛を下げた女性の姿。
それをよく見れば、顔立ちはわたしのままだ。
だけど、このまま絵になってもおかしくない程度には、うつくしい。
「本当は、どんなに醜くたって自信をもって生きて行けばいいのよ。それでも美しいことが自信につながるのは、醜くあるより美しくあるほうが自分を好きになれるからだわ。
自分が汚いと思うなら、きれいを目指せばいい。化粧はそれを可能にしてくれる。化粧が鎧になるのは、『きれい』を目指すことが自信につながるからよ。自分を偽って隠してくれるからじゃない」
諭すようなことを言いながら、甘やかすように、ルールーさんはわたしの頭を撫でている。
ずっと、心に踏み込まれるのが怖かった。本心を知られるのが恐ろしかった。だからおしろいを何包も使って毎日化粧をしていた。
そんなわたしを止める人はいなかった。ただ、距離を置いて、ヒソヒソと遠巻きに『壁顔令嬢』と噂するだけ。
それがまた、わたしの化粧を厚くした。
化粧が厚い自覚はある。だけど、鎧を外すには遅すぎる。
そう思っていたのに。
この人はたやすくわたしの鎧を解き、手をとって日の当たる場所へ導こうとしてくれる。
この人の胸で、こどもみたいに泣けたらどんなに楽だろう。
だけどそれはできない。
いくら何でも今日初めて会った人にそんなことをするのは非常識で、醜聞のもとで、
わたしは王太子の婚約者なのだ。
婚約披露宴は、もう二か月後に迫っている。
「パーティが楽しみね! それまでに、色々仕込んでおかないとね?」
だから楽し気に笑い続けるルールーさんに、わたしはまだぎこちない微笑みを向けるだけ。
そこまで言うとルールーさんが突然黙ってしまったので、不思議に思ってわたしは彼を見た。
目が合う。彼はまるでネズミを目の前にした猫みたいな顔で、わたしを見つめてにんまりと笑っていた。
「いいこと、思いついちゃった」
彼は笑っているだけなのに、わたしはなぜか落ち着かない。
「あの、何をするつもりなんですか?」
そう問えば彼はうふふ、と笑って、衣装箱の中からずんぐりとした薬瓶を取り出した。
「お化粧することはしばらく内緒にして、この薬を塗って過ごしましょう」
軽やかに栓を抜いて手のひらに出した薬は、白くてドロッとしている。
「これを塗ると、まるで今までのおしろいみたいに顔が真っ白になるわ。だけどおしろいみたいに肌の負担にはならないから安心して。
皮膚の炎症を取り除き、足りない組織を補って、強くしてくれる薬なの。しばらくはこれを塗って、お肌の養生に務めて頂戴」
「……それが『いいこと』って、どういうことです?」
わたしはルールーさんから薬瓶を受け取って、首をかしげた。
すると彼は今度は花開くように笑い、とっておきのいたずらを告白するようにこう言ったのだ。
「婚約披露宴で、あなたのこの姿を初めてお披露目するの!」
「え?」
二か月後に迫っているパーティーに、壁ではないこの顔で登場するのだと彼は言う。
「とびきりおしゃれをして、所作も堂々として。そんなあなたを見たら、みんなどんな反応をすると思う?」
まったく予想ができない。
「大変身にきっとみんな驚くわよ。そしてみんなが、あなたの美しさに感嘆し、あなたへの評価を改めざるを得ない。そういう状況を演出するの。そのために、この二か月は白塗りの顔で我慢してもらうわ」
「白塗りは構いませんが、みんなを驚かせるなんてできませんよ」
「いいえ。人の心を動かすのに必要なのは、ドラマなのよ。誰かの注意を集めたいなら、劇的なことが起こればそれでいいの。
みんなができないことをやって見せるのよ。例えば、昨日まで壁顔だった令嬢が美しい蝶に早変わり、とかね?」
「……」
「あなただって、鏡を見て驚いていたじゃない。同じことをパーティーでやるだけよ。あなたはもっとずっと美しくなるわ……そこにドラマが生まれる。それにみんな感動して、美しい王太子妃の誕生をきっと祝福してくれる。
そうすればお飾りの王妃になんてならずに、日の当たるところで暮らしていけるじゃない」
そんなにうまくいきっこない。わたしはずっと『壁顔』だったし、人の印象がそんな一朝一夕で変わるはずがない。
何より中身が、わたしのままなのだ。
後ろめたく、ずっと隠したかった『わたし』のままで、誰かに受け入れてもらえるはずなんてない。
「ほら、またネガティブなことを考えていたでしょう? もうやめちゃいなさいよ、そういうの。どんなに自分が嫌いでも、あなたはあなたにしかなれないんだから」
「わたしは、わたしにしかなれない……」
「そうよ。だけど変わることはできるって、今日わかったでしょう?」
鏡を指し示してルールーさんは言う。鏡に映るのは眉毛を下げた女性の姿。
それをよく見れば、顔立ちはわたしのままだ。
だけど、このまま絵になってもおかしくない程度には、うつくしい。
「本当は、どんなに醜くたって自信をもって生きて行けばいいのよ。それでも美しいことが自信につながるのは、醜くあるより美しくあるほうが自分を好きになれるからだわ。
自分が汚いと思うなら、きれいを目指せばいい。化粧はそれを可能にしてくれる。化粧が鎧になるのは、『きれい』を目指すことが自信につながるからよ。自分を偽って隠してくれるからじゃない」
諭すようなことを言いながら、甘やかすように、ルールーさんはわたしの頭を撫でている。
ずっと、心に踏み込まれるのが怖かった。本心を知られるのが恐ろしかった。だからおしろいを何包も使って毎日化粧をしていた。
そんなわたしを止める人はいなかった。ただ、距離を置いて、ヒソヒソと遠巻きに『壁顔令嬢』と噂するだけ。
それがまた、わたしの化粧を厚くした。
化粧が厚い自覚はある。だけど、鎧を外すには遅すぎる。
そう思っていたのに。
この人はたやすくわたしの鎧を解き、手をとって日の当たる場所へ導こうとしてくれる。
この人の胸で、こどもみたいに泣けたらどんなに楽だろう。
だけどそれはできない。
いくら何でも今日初めて会った人にそんなことをするのは非常識で、醜聞のもとで、
わたしは王太子の婚約者なのだ。
婚約披露宴は、もう二か月後に迫っている。
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だから楽し気に笑い続けるルールーさんに、わたしはまだぎこちない微笑みを向けるだけ。
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