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幕開け
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天族の舞が終わると、本格的にパーティーがはじまる。
呼び出しがかかる前に控え室に戻ろうとしたわたしの背後で、リドさまの声がした。
「陛下に代わってご挨拶申し上げる、王太子リドである! 皆の者、今日はよく集ってくれた!」
美しい舞の余韻でどよめいていた会場が、リドさまのあいさつがはじまった途端に静まり返る。
「僕が幼いころよりこの国の繁栄のために尽力してくれている皆には感謝の念に堪えない。陛下はまだご壮健であられるが、将来代替わりしたのちも僕と共に王家のために務めてくれることを願っている。
……さて、堅苦しい話はこのあたりまでにしよう。皆も知っての通り、このたび、僕もついに正式に婚約をすることになった。陛下から彼女との結婚の話を差し向けられるたびにのらりくらりと避けて通っていたのだが、ついに年貢の納め時というわけだ」
会場から起こる笑い。
みんな、王太子がずっと避けて通っていたという婚約者候補がわたし、壁顔令嬢のルミシカだということくらいはもちろん知っている。知っていて、殿下の話に笑ってみせる。
今笑った人の中に、わたしの味方になってくれる人なんて誰もいないだろう。
以前だったら、この後さらされるまなざしに恐怖していたと思う。
だけど、今日身にまとっているわたしの鎧は、その程度で揺らぎはしない。
「さあ、もったいぶらずに今日の主役を紹介しよう。誰か、ルミシカを呼びにやってくれ、あいさつを僕一人に任せて、部屋に閉じこもっているはずだから」
ミーナが慌てた様子で目を白黒させる。彼女はリド様から、呼ぶまで絶対にわたしをおとなしくさせておけ、と命令されていたのだ。
なのにわたしがここにいることが知られてしまったら、自分の面目が潰れてしまうと思っているのだろう。
わたしは裾を握り締めて震えている拳にそっと手を添えて「大丈夫よ」と囁いた。
ミーナははっとした顔をしてわたしを見上げ、しばらく逡巡したのちに拳を解いてくれた。
それを確認して、わたしは大階段の上で立ち上がる。
「いいえ、リドさま。その必要はありません。わたしはここにいます」
会場がざわめく。視線がわたしに集中する。
ずっと、このまなざしが怖かった。
笑われるのも、失望されるのも、聞き取れないくらいの声で、陰で噂話をされるのも。
だから分厚い化粧に頼っていたわたしだったけれど、今日の鎧は、いつもよりとびきり頑丈だ。
誰に見られたって、怖くなんてない。
腹筋に力をいれて背筋を伸ばし、歩き始めたところで、エスコートするはずの王太子は隣にはいない。
高いヒールを履いたまま階段を降りるのは難しいかと思ったが、ミーナがわたしの目の前に進み出てくれて、先導するように手を引いて、一緒に階段を降りてくれた。
「誰です?」「あんなに美しい方が社交界にいましかたか?」「婚約者はルミシカ様じゃないのか?」「ルミシカ様はどこへ?」「あの美しい令嬢は誰だ?」
会場に戸惑いが溢れ、わたしの耳にまでヒソヒソとした声が聞こえてくる。
何を言われても、思っていたよりも、もっとずっと平気だ。
おまじないが効いているのかもしれない。
この会場のどこかに、ルールーさんもシャラもいて、わたしを見てくれているはずだ。
そのことが何より心強い。
そうして一歩ずつ進んでリドさまの前まで進み出ても、彼は混乱したような顔を改めることはなかった。
「ルミシカ? 本当に?」
「ええ、リドさま。知人の勧めで、化粧を変えたのです。驚かれましたか?」
「確かに声は、前のままだが……化粧だけでこれほど変わるか? 替え玉じゃないのか?」
そういう疑いをかけられるとは思っていなかった。
どんなに化粧を変えたところで、顔立ちが変わったわけじゃない。
普段の顔を知っていればわかってもらえるかと思っていたが、逆に言えば普段の顔をよく見ていなければ確かにわからないかもしれない。
声も体も変わらないが、よく似た他人を連れてきたと言われたら、わたしには違うと証明する方法がない。
「目を見てください。虹彩に混じった金色が、彼女がシェンブルクの『祝福された娘』である何よりもの証です」
途方に暮れそうになったわたしの後ろで、声がした。
振り返ってみてみれば、手を振ってウインクしているのは雑技団の楽士の人たちだ。
「シェンブルク家は聖女の血を受け継ぎます。特に女性にはその血が強く出やすい。天族の身体的特徴が、彼女の身にも残っていますよ」
天族の言葉に従い、リドさまがわたしの目を覗き込んだ。
「……ああ、確かに。しかし、以前からそうだったかどうかは僕には判断できないな。ルミシカは、今日何をされるかを察して逃げたんじゃないか? だからきみは用意された天族の替え玉だ。
まったく、もう少し似ている人間を用意しろよ、こんなに美しい人を替え玉にするなんて、あいつはどれだけ自己愛が強いのか」
ねっとりとした視線でわたしを見て、侮蔑するような言葉を吐く。
直球の悪意をぶつけられて身がすくみそうになったところに、もう一度援護射撃が届いた。
「その方はルミシカ様です」
今度は、先ほど部屋で会ったメイド長が宣言した。
「リド様のお世話をしてきたのですから、ルミシカ様とは幼いころより面識があります。お化粧を変えたくらいで見分けがつかなくなるはずがありませんよ」
「メイド長……おまえ、自分の立場が分かっているのか?」
この国の作法において、メイドがパーティーで発言するなんて、しかも王族に意見するなんて、通常では考えられないことだ。
メイド長は、自分の立場を危険にさらしてまで、わたしを庇ってくれた。
「差し出がましいかとは思いましたが、用事があってここまで来たときにちょうど耳に入ったものですから。殿下だって本当はご存知でしょう、シェンブルクの特徴は、シェンブルクの者にしか現れません。だから、その方はルミシカ様以外ではありえません」
きっぱりとそう言うと、彼女はミーナを連れて壁際に控えた。
「ふ、ん。まあいいだろう、ルミシカとして認めてやろう。しかし、だとしても、だ。よくノコノコとこの場に現れたものだな? 存外に面の皮が厚い。壁顔は化粧だと思っていたが、まさか生身だったのか?」
リド様が、人前でここまでわたしを罵倒するのは珍しいことだった。
いつだって人前では、絶対にわたしの方を見ず、一切触れることはなくても、大切に扱っているという態度を崩すことはなかったから。
「何か、ご機嫌を悪くすることをしてしまいましたか……?」
堂々としていなさい、とルールーさんに言われていたのに、リドさまのいつもの態度を見ると、いつもの癖で顔色を伺ってしまう。
「その態度、やはりルミシカで間違いないようだ。だが、よくも装ったものだよ。何一つ逆らいませんという服従の姿勢を表しておきながら、実際は獰猛で凶悪な面を隠し持っていたんだからな!」
「? なにを……」
「とぼけるな! ムールカからすべては聞いているぞ」
ムールカ。美しく優秀な、わたしの妹。
長子でありさえすれば、わたしの立場に立って、そして見事に務めを果たしただろう。
わたしはずっと、あの子に嫉妬していた。あの子の優秀さと美しさが、ほんの少しでもわたしにあれば、きっと今とは違っていたのに、と。
まさかリドさまは、そのことを言っていのだろうか?
まさか、嫉妬することだけで罪になるのだろうか?
「さあ、皆も聞いてくれ。ここにいるルミシカは、王太子妃にふさわしくはないという告発だ!」
わたし、ルミシカは王太子妃にふさわしくない。
それは、わたしがずっと考えていたことと同じだった。
「いつかは王妃になるんだから」という言葉と共に背負わされる期待を裏切り続けるのが怖くて、わたしは自分の殻に閉じこもってしまった。そうすれば自分の『本当のわたし』の姿なんて誰にもわからないと思い込んでいた。
だけど実際はそんな都合のいい話はどこにもなくて、怯えて引きこもっている、みんなに見えているわたしの姿が『本当のわたし』に他ならないと天族の人々に教えられた。
そして自分の姿を晒し、まなざしと戦うための新しい鎧を、彼らはわたしに与えてくれた。
手に入れた新しい鎧で、もう一度戦えるかもしれないと思った。
だけど。
わたしが覚悟を決める前に、ついに、わたしの醜い本性が裁かれるのだとしたら?
素質がないことが罪であると断罪され、みんなから軽蔑のまなざしだけが贈られるのだとしたら?
ルールーさんの作戦は全部、不発のまま終わってしまうのかもしれない。
リドさまは一体何をもってわたしを断罪しようというのだろう、と身構えると、彼は顔を怒りで赤くしてこう言った。
「このルミシカは、家族を虐待している! 妹、父母、使用人たち。全員が彼女の八つ当たりの道具にされているんだ! 王を支え、民に寄り添う王妃として、これ以上資質を疑う罪はない!」
呼び出しがかかる前に控え室に戻ろうとしたわたしの背後で、リドさまの声がした。
「陛下に代わってご挨拶申し上げる、王太子リドである! 皆の者、今日はよく集ってくれた!」
美しい舞の余韻でどよめいていた会場が、リドさまのあいさつがはじまった途端に静まり返る。
「僕が幼いころよりこの国の繁栄のために尽力してくれている皆には感謝の念に堪えない。陛下はまだご壮健であられるが、将来代替わりしたのちも僕と共に王家のために務めてくれることを願っている。
……さて、堅苦しい話はこのあたりまでにしよう。皆も知っての通り、このたび、僕もついに正式に婚約をすることになった。陛下から彼女との結婚の話を差し向けられるたびにのらりくらりと避けて通っていたのだが、ついに年貢の納め時というわけだ」
会場から起こる笑い。
みんな、王太子がずっと避けて通っていたという婚約者候補がわたし、壁顔令嬢のルミシカだということくらいはもちろん知っている。知っていて、殿下の話に笑ってみせる。
今笑った人の中に、わたしの味方になってくれる人なんて誰もいないだろう。
以前だったら、この後さらされるまなざしに恐怖していたと思う。
だけど、今日身にまとっているわたしの鎧は、その程度で揺らぎはしない。
「さあ、もったいぶらずに今日の主役を紹介しよう。誰か、ルミシカを呼びにやってくれ、あいさつを僕一人に任せて、部屋に閉じこもっているはずだから」
ミーナが慌てた様子で目を白黒させる。彼女はリド様から、呼ぶまで絶対にわたしをおとなしくさせておけ、と命令されていたのだ。
なのにわたしがここにいることが知られてしまったら、自分の面目が潰れてしまうと思っているのだろう。
わたしは裾を握り締めて震えている拳にそっと手を添えて「大丈夫よ」と囁いた。
ミーナははっとした顔をしてわたしを見上げ、しばらく逡巡したのちに拳を解いてくれた。
それを確認して、わたしは大階段の上で立ち上がる。
「いいえ、リドさま。その必要はありません。わたしはここにいます」
会場がざわめく。視線がわたしに集中する。
ずっと、このまなざしが怖かった。
笑われるのも、失望されるのも、聞き取れないくらいの声で、陰で噂話をされるのも。
だから分厚い化粧に頼っていたわたしだったけれど、今日の鎧は、いつもよりとびきり頑丈だ。
誰に見られたって、怖くなんてない。
腹筋に力をいれて背筋を伸ばし、歩き始めたところで、エスコートするはずの王太子は隣にはいない。
高いヒールを履いたまま階段を降りるのは難しいかと思ったが、ミーナがわたしの目の前に進み出てくれて、先導するように手を引いて、一緒に階段を降りてくれた。
「誰です?」「あんなに美しい方が社交界にいましかたか?」「婚約者はルミシカ様じゃないのか?」「ルミシカ様はどこへ?」「あの美しい令嬢は誰だ?」
会場に戸惑いが溢れ、わたしの耳にまでヒソヒソとした声が聞こえてくる。
何を言われても、思っていたよりも、もっとずっと平気だ。
おまじないが効いているのかもしれない。
この会場のどこかに、ルールーさんもシャラもいて、わたしを見てくれているはずだ。
そのことが何より心強い。
そうして一歩ずつ進んでリドさまの前まで進み出ても、彼は混乱したような顔を改めることはなかった。
「ルミシカ? 本当に?」
「ええ、リドさま。知人の勧めで、化粧を変えたのです。驚かれましたか?」
「確かに声は、前のままだが……化粧だけでこれほど変わるか? 替え玉じゃないのか?」
そういう疑いをかけられるとは思っていなかった。
どんなに化粧を変えたところで、顔立ちが変わったわけじゃない。
普段の顔を知っていればわかってもらえるかと思っていたが、逆に言えば普段の顔をよく見ていなければ確かにわからないかもしれない。
声も体も変わらないが、よく似た他人を連れてきたと言われたら、わたしには違うと証明する方法がない。
「目を見てください。虹彩に混じった金色が、彼女がシェンブルクの『祝福された娘』である何よりもの証です」
途方に暮れそうになったわたしの後ろで、声がした。
振り返ってみてみれば、手を振ってウインクしているのは雑技団の楽士の人たちだ。
「シェンブルク家は聖女の血を受け継ぎます。特に女性にはその血が強く出やすい。天族の身体的特徴が、彼女の身にも残っていますよ」
天族の言葉に従い、リドさまがわたしの目を覗き込んだ。
「……ああ、確かに。しかし、以前からそうだったかどうかは僕には判断できないな。ルミシカは、今日何をされるかを察して逃げたんじゃないか? だからきみは用意された天族の替え玉だ。
まったく、もう少し似ている人間を用意しろよ、こんなに美しい人を替え玉にするなんて、あいつはどれだけ自己愛が強いのか」
ねっとりとした視線でわたしを見て、侮蔑するような言葉を吐く。
直球の悪意をぶつけられて身がすくみそうになったところに、もう一度援護射撃が届いた。
「その方はルミシカ様です」
今度は、先ほど部屋で会ったメイド長が宣言した。
「リド様のお世話をしてきたのですから、ルミシカ様とは幼いころより面識があります。お化粧を変えたくらいで見分けがつかなくなるはずがありませんよ」
「メイド長……おまえ、自分の立場が分かっているのか?」
この国の作法において、メイドがパーティーで発言するなんて、しかも王族に意見するなんて、通常では考えられないことだ。
メイド長は、自分の立場を危険にさらしてまで、わたしを庇ってくれた。
「差し出がましいかとは思いましたが、用事があってここまで来たときにちょうど耳に入ったものですから。殿下だって本当はご存知でしょう、シェンブルクの特徴は、シェンブルクの者にしか現れません。だから、その方はルミシカ様以外ではありえません」
きっぱりとそう言うと、彼女はミーナを連れて壁際に控えた。
「ふ、ん。まあいいだろう、ルミシカとして認めてやろう。しかし、だとしても、だ。よくノコノコとこの場に現れたものだな? 存外に面の皮が厚い。壁顔は化粧だと思っていたが、まさか生身だったのか?」
リド様が、人前でここまでわたしを罵倒するのは珍しいことだった。
いつだって人前では、絶対にわたしの方を見ず、一切触れることはなくても、大切に扱っているという態度を崩すことはなかったから。
「何か、ご機嫌を悪くすることをしてしまいましたか……?」
堂々としていなさい、とルールーさんに言われていたのに、リドさまのいつもの態度を見ると、いつもの癖で顔色を伺ってしまう。
「その態度、やはりルミシカで間違いないようだ。だが、よくも装ったものだよ。何一つ逆らいませんという服従の姿勢を表しておきながら、実際は獰猛で凶悪な面を隠し持っていたんだからな!」
「? なにを……」
「とぼけるな! ムールカからすべては聞いているぞ」
ムールカ。美しく優秀な、わたしの妹。
長子でありさえすれば、わたしの立場に立って、そして見事に務めを果たしただろう。
わたしはずっと、あの子に嫉妬していた。あの子の優秀さと美しさが、ほんの少しでもわたしにあれば、きっと今とは違っていたのに、と。
まさかリドさまは、そのことを言っていのだろうか?
まさか、嫉妬することだけで罪になるのだろうか?
「さあ、皆も聞いてくれ。ここにいるルミシカは、王太子妃にふさわしくはないという告発だ!」
わたし、ルミシカは王太子妃にふさわしくない。
それは、わたしがずっと考えていたことと同じだった。
「いつかは王妃になるんだから」という言葉と共に背負わされる期待を裏切り続けるのが怖くて、わたしは自分の殻に閉じこもってしまった。そうすれば自分の『本当のわたし』の姿なんて誰にもわからないと思い込んでいた。
だけど実際はそんな都合のいい話はどこにもなくて、怯えて引きこもっている、みんなに見えているわたしの姿が『本当のわたし』に他ならないと天族の人々に教えられた。
そして自分の姿を晒し、まなざしと戦うための新しい鎧を、彼らはわたしに与えてくれた。
手に入れた新しい鎧で、もう一度戦えるかもしれないと思った。
だけど。
わたしが覚悟を決める前に、ついに、わたしの醜い本性が裁かれるのだとしたら?
素質がないことが罪であると断罪され、みんなから軽蔑のまなざしだけが贈られるのだとしたら?
ルールーさんの作戦は全部、不発のまま終わってしまうのかもしれない。
リドさまは一体何をもってわたしを断罪しようというのだろう、と身構えると、彼は顔を怒りで赤くしてこう言った。
「このルミシカは、家族を虐待している! 妹、父母、使用人たち。全員が彼女の八つ当たりの道具にされているんだ! 王を支え、民に寄り添う王妃として、これ以上資質を疑う罪はない!」
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