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二 皇女アガーテについて
アウローラ流の風刺
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この屋敷はほとんど新築で、ヴァルフリードが大公位に叙せられたときにそれまでに得た莫大な褒賞金で手に入れたものだという。悪しざまに言うのであれば、他国を滅ぼして得た財宝が彼の懐に入っているというわけである。
「まあ、帝国の領土拡大がおれの主な仕事なのでな」
薔薇園のテーブルでお茶をしながら、衒いも嫌味もなく彼はそう語ってみせた。ミツバチたちが蜜を集めにのんびりと花々を巡っている。
「まるで、ミツバチから蜂蜜を掠め取る人間みたいですね」
「ミツバチに巣箱を提供しているのは人間側だ」
帝国も、併合した領土の税率を下げたり、帝国人としての権利を保証したり、その土地の元々の文化を保護したり、と様々な共生政策を展開しているという。
「あーあ、搾取搾取。ですが、搾り取った巣ですら美味しいし、蜜蝋が採れますし」
「そういうことさ、幾らでも搾り取れる」
「私は、花畑が好きですわ。人間より」
「そうだな、花畑は喋らない。ミツバチに税金という名の蜜を集めさせ、それを人間が収穫する。だが、花は花だものな」
「そうですわよ」
花は搾取される土地そのものであり、そこに暮らす一般の人々である。自分は、そういう自由な存在でいたかった、とアウローラがこぼすと、ヴァルフリードは笑った。
「おれはスズメバチか熊かな」
「よくお分かりで」
アウローラは、言葉を選びながら続けた。
「もし、私が正妃の座を拝戴したら、私は、ただの雑草ではいられなくなってしまいますもの」
「おれも、トリカブトとか、キョウチクトウとか、そういう花がよかったな」
「なんで、毒花なんですかっ」
♢
午後になると、一人の来客があった。普段用のドレスに身を包んだアウローラは、少し緊張して応接間にてその来客を出迎えることになった。
来客の男は、応接間に入ってくるなり、まるで自分の屋敷のような仕草でソファにどかっと腰かけた。侍女のエリカが速やかに、アウローラとヴァルフリードのものも含めた三人分の紅茶を淹れて、歓談を促すように引き取っていった。客人は、静かに紅茶を啜った。
「いやあ、エリカが淹れた紅茶はまこと絶品! この朴念仁が淹れたものは紅茶色の湯だものな。不味くて飲めたもんじゃない」
客人は本当に喜ばしそうに満面の笑みを浮かべている。
「ふん、それは悪かったな」
ヴァルフリードは客人の言葉にさほど気を悪くした様子もなさそうであるが、突然の来客とのやり取りに目を丸くしているアウローラの方に気づいた。
「ほら、いい加減に、おれの妻へと挨拶しろ」
「へいへい、分かりましたよ、上官殿」
男はふざけた返事をしつつも、立ち上がるとアウローラに丁寧な礼をとって、その涼やかな目元を細めて名乗り始める。
「またお会いいたしましたね、アウローラ王女殿下。帝国軍騎士部隊副長エディング・エーデルシュタット准将です。……ヴァルフリード大公殿下の部下です」
アウローラはエディングの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「また……?」
「そうだ」
エディングの代わりに答えたのは、アウローラの隣に座っていたヴァルフリードだった。ヴァルフリードはエディングを親指で指し示しながら、アウローラに片頬でにやりと笑いかける。
「こいつとは腐れ縁でな。悪友というやつだ。今回のレンゼル遠征におれの側近としてずっと付き従っていた阿呆だから、きみも見覚えはあるはずだ」
言われて、アウローラはまじまじとエディングを観察した。蜂蜜色の髪。翠玉色の瞳。確かに、ヴァルフリードの近くでよく警護をしていた騎士と特徴が一致した。
「……あ」
これ見よがしにヴァルフリードはエディングの方を向いてわざとらしく肩をすくめた。
「ほらな。妻は、おれのことしか眼中になくて、困ったものだ」
「おまえの惚気など、本当にどうでもいい。それに訂正するが、おまえと腐れ縁になったのはおれの本意でなければ、人生計画に微塵も存在ないし、なおさら悪友と言われるのは極めて心外だ。……それと王女殿下、阿呆は否定してください」
ヴァルフリードに文句を言ったかと思えば、アウローラに助けを求める視線を送ってくる。くるくると忙しい人だ、とアウローラはエディングにそんな印象を抱いた。
「は、はあ」
「よかった、おまえの人生計画を狂わすことができて、よかった」
「しみじみ言うなっ」
「昨日に作ったラズベリージャム、お召し上がりになります?」
「ありがとうございます、王女殿下のあたたかいお心遣い、痛み入ります」
エディングは、ビスケットに紅いジャムをつけて、さくりと一口齧ると、目を輝かせた。
「お口に合ったようでなによりですわ」
「ええ、本当に美味です、王女殿下」
エディングは感動したように、しきりにうなずいている。
「見ろ、アウローラ。肥沃な土を与えられたミミズのごとき喜びようだ」
ヴァルフリードがその光景をアウローラ流に例えたものだから、アウローラもそれに乗じた。
「本当ですね。生き生きしていらっしゃいます。これだけ生きがよければ、それこそ、いいモグラの餌になりそうですわ」
「モグラもこんなやつを食べた日には、胃の調子が悪くなる」
アウローラとヴァルフリードの会話が弾む中、居心地悪そうにエディングは咳払いをして、話題を転じた。
「ところでおまえ、皇帝陛下の元帥号授与を断っただろう」
ああ……と、ヴァルフリードは思い出したように視線を天井のシャンデリアへと向けた。
「前から言っている。大将という大層な階級だけでも充分だ。……何が悪かった? 陛下のご厚意をお断りして無礼だったか? 帝国貴族にこれ以上、『欲深な血まみれ妾腹』と揶揄される材料を渡してはたまらないからな」
「はあ、そう言うと思った」
エディングは紅茶のカップを片手に溜め息をつく。
「なあ」
「なんだ」
「鹿のうまい店があるんだ」
「断る」
「まだ、何も言っていないだろうが」
「おまえのような辛気臭い男と飯を食いたくない。だから、断る」
ヴァルフリードは、空にしたカップを手で弄びながら、すげもなく断った。
「私、行きたいです。鹿の店」
そのために、アウローラが鹿肉料理店に行きたい旨を伝えると、ヴァルフリードは決まりの悪そうな顔になった。
「まあ、帝国の領土拡大がおれの主な仕事なのでな」
薔薇園のテーブルでお茶をしながら、衒いも嫌味もなく彼はそう語ってみせた。ミツバチたちが蜜を集めにのんびりと花々を巡っている。
「まるで、ミツバチから蜂蜜を掠め取る人間みたいですね」
「ミツバチに巣箱を提供しているのは人間側だ」
帝国も、併合した領土の税率を下げたり、帝国人としての権利を保証したり、その土地の元々の文化を保護したり、と様々な共生政策を展開しているという。
「あーあ、搾取搾取。ですが、搾り取った巣ですら美味しいし、蜜蝋が採れますし」
「そういうことさ、幾らでも搾り取れる」
「私は、花畑が好きですわ。人間より」
「そうだな、花畑は喋らない。ミツバチに税金という名の蜜を集めさせ、それを人間が収穫する。だが、花は花だものな」
「そうですわよ」
花は搾取される土地そのものであり、そこに暮らす一般の人々である。自分は、そういう自由な存在でいたかった、とアウローラがこぼすと、ヴァルフリードは笑った。
「おれはスズメバチか熊かな」
「よくお分かりで」
アウローラは、言葉を選びながら続けた。
「もし、私が正妃の座を拝戴したら、私は、ただの雑草ではいられなくなってしまいますもの」
「おれも、トリカブトとか、キョウチクトウとか、そういう花がよかったな」
「なんで、毒花なんですかっ」
♢
午後になると、一人の来客があった。普段用のドレスに身を包んだアウローラは、少し緊張して応接間にてその来客を出迎えることになった。
来客の男は、応接間に入ってくるなり、まるで自分の屋敷のような仕草でソファにどかっと腰かけた。侍女のエリカが速やかに、アウローラとヴァルフリードのものも含めた三人分の紅茶を淹れて、歓談を促すように引き取っていった。客人は、静かに紅茶を啜った。
「いやあ、エリカが淹れた紅茶はまこと絶品! この朴念仁が淹れたものは紅茶色の湯だものな。不味くて飲めたもんじゃない」
客人は本当に喜ばしそうに満面の笑みを浮かべている。
「ふん、それは悪かったな」
ヴァルフリードは客人の言葉にさほど気を悪くした様子もなさそうであるが、突然の来客とのやり取りに目を丸くしているアウローラの方に気づいた。
「ほら、いい加減に、おれの妻へと挨拶しろ」
「へいへい、分かりましたよ、上官殿」
男はふざけた返事をしつつも、立ち上がるとアウローラに丁寧な礼をとって、その涼やかな目元を細めて名乗り始める。
「またお会いいたしましたね、アウローラ王女殿下。帝国軍騎士部隊副長エディング・エーデルシュタット准将です。……ヴァルフリード大公殿下の部下です」
アウローラはエディングの言葉に引っ掛かりを覚えた。
「また……?」
「そうだ」
エディングの代わりに答えたのは、アウローラの隣に座っていたヴァルフリードだった。ヴァルフリードはエディングを親指で指し示しながら、アウローラに片頬でにやりと笑いかける。
「こいつとは腐れ縁でな。悪友というやつだ。今回のレンゼル遠征におれの側近としてずっと付き従っていた阿呆だから、きみも見覚えはあるはずだ」
言われて、アウローラはまじまじとエディングを観察した。蜂蜜色の髪。翠玉色の瞳。確かに、ヴァルフリードの近くでよく警護をしていた騎士と特徴が一致した。
「……あ」
これ見よがしにヴァルフリードはエディングの方を向いてわざとらしく肩をすくめた。
「ほらな。妻は、おれのことしか眼中になくて、困ったものだ」
「おまえの惚気など、本当にどうでもいい。それに訂正するが、おまえと腐れ縁になったのはおれの本意でなければ、人生計画に微塵も存在ないし、なおさら悪友と言われるのは極めて心外だ。……それと王女殿下、阿呆は否定してください」
ヴァルフリードに文句を言ったかと思えば、アウローラに助けを求める視線を送ってくる。くるくると忙しい人だ、とアウローラはエディングにそんな印象を抱いた。
「は、はあ」
「よかった、おまえの人生計画を狂わすことができて、よかった」
「しみじみ言うなっ」
「昨日に作ったラズベリージャム、お召し上がりになります?」
「ありがとうございます、王女殿下のあたたかいお心遣い、痛み入ります」
エディングは、ビスケットに紅いジャムをつけて、さくりと一口齧ると、目を輝かせた。
「お口に合ったようでなによりですわ」
「ええ、本当に美味です、王女殿下」
エディングは感動したように、しきりにうなずいている。
「見ろ、アウローラ。肥沃な土を与えられたミミズのごとき喜びようだ」
ヴァルフリードがその光景をアウローラ流に例えたものだから、アウローラもそれに乗じた。
「本当ですね。生き生きしていらっしゃいます。これだけ生きがよければ、それこそ、いいモグラの餌になりそうですわ」
「モグラもこんなやつを食べた日には、胃の調子が悪くなる」
アウローラとヴァルフリードの会話が弾む中、居心地悪そうにエディングは咳払いをして、話題を転じた。
「ところでおまえ、皇帝陛下の元帥号授与を断っただろう」
ああ……と、ヴァルフリードは思い出したように視線を天井のシャンデリアへと向けた。
「前から言っている。大将という大層な階級だけでも充分だ。……何が悪かった? 陛下のご厚意をお断りして無礼だったか? 帝国貴族にこれ以上、『欲深な血まみれ妾腹』と揶揄される材料を渡してはたまらないからな」
「はあ、そう言うと思った」
エディングは紅茶のカップを片手に溜め息をつく。
「なあ」
「なんだ」
「鹿のうまい店があるんだ」
「断る」
「まだ、何も言っていないだろうが」
「おまえのような辛気臭い男と飯を食いたくない。だから、断る」
ヴァルフリードは、空にしたカップを手で弄びながら、すげもなく断った。
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