ふしあわせに、殿下

古酒らずり

文字の大きさ
29 / 40
三 皇子イザークについて

お砂糖たっぷり 二

しおりを挟む
 帝宮の厨は広々としていて、一角を借りてもなんら問題はない。料理人たちが昼餉の支度を慌ただしくしている中で、アウローラはふざけているような気分になり、やや申し訳なく思った。しかしながら、これも犯人捜しに必要な儀式なのである、怠るわけにはいかない。

 まあ、アウローラとイザーク皇子が厨の中に入った途端に、料理人たちが一斉に作業の手を止めてお辞儀するものだから、だいぶ戸惑った。

「イザーク殿下、おはようございます」

「おはようございます、皆さん」

 好意的な挨拶は、だが、イザークが連れているもう一人の女は誰だ、という探りの視線に変わる。正確には、アウローラがイザークを連れて厨に入った、が正しいのだが。

 さて。厨の片隅には大きな銅製の打ち出し鍋が用意されていた。あらかじめ厨を借りるときに手配するよう申し付けておいたものである。その隣には、籐籠が三つ。中には、大勢の侍女たちに手伝ってもらい人海戦術で集めた薔薇の花びらが山と盛られていた。

「こんなにたくさん……ね」

 アウローラは一つ、皮肉っぽい溜め息をついてみせた。むろん、犯人に向けたものだ。犯人への怒りが内心で増幅していく。

「エリカ、手伝ってくれてありがとうね」

 同行していた侍女エリカが目礼した。

「いえ、奥様をお助けするのは私の喜びとするところでございますから」

 目の前には、水を張ったたらい

「まず、花びらを洗わなければなりませんね、奥様」

「ええ、手伝ってちょうだい、エリカ」

 さあ、とアウローラは手を打った。

「イザーク殿下、どうぞこちらへ。三人寄れば、作業も速いですわ」

「え、ええ……」

 戸惑っているイザークも加わり、三人で作業を始める。もちろん、花びらを一枚一枚、丁寧に水洗いするという地味極まりないものだ。傷んだ花びらを取り除き、使えるものだけを選別していくのには、根気がいる。

「これは、私の薔薇。確かに、私自身で作業せねばなりませんな」

 イザークが慣れない作業に袖を水に濡らしながらそう呟いたので、アウローラは微笑んだ。

「それにしても」

 作業の傍ら、アウローラは口を開いた。

「庭師の方々は、どのような方たちですか」

「そうですね……」

 イザークが思案する口ぶりになる。

「五人とも、よく働いてくれている、優秀で忠誠心の高い者たちばかりです。棟梁のトビアスは、私が生まれる前から帝宮に仕えていまして……」

 イザークは一人一人、庭師たちの経歴を語ってみせた。皇子が庭師たちをここまで気にかけていることに、アウローラの胸がつきりと痛む。

「誰かが裏切ったとは、思いたくありません」

 イザークの横顔が沈痛なものになっていた。

「犯人が庭師たちの中にいるのなら、首謀者に命じられたかもしれませんね。庭師自身の意思で裏切るなど、道理に合いませんから」

 イザークの言いたいことは、アウローラにもすぐ分かった。皇子の世話している薔薇を切り刻むなど、場合によっては死罪だ。そこまでの危険性を冒して、事件を起こす理由がない。あるとしたら、やはり、脅されているか、金のためか。

「おそらくは、その首謀者は皇位継承争いに関わる者なのでしょう」

 アウローラは、イザークの語りを、じっと聞いていた。……首謀者。果たして、ヴァルフリードの信奉者か。はたまた、継承を辞退したアガーテ派の残党か。

「──よし、洗い終わったわね」

 アウローラは服の袖で額の汗をぬぐった。洗い終えた花びらを清潔な布巾の上に広げて、しっかりと水気を取る。

 そして、水を入れた銅鍋を火にかけ始めた。花びらを少しずつ投入していく。

 鍋の中で、花びらたちがゆっくりと踊り始めた。最初は水に浮いていた花びらも、いずれは水に馴染んでいく。その光景を見ているうちに、アウローラはレンゼルの民を思い出してしまった。帝国という巨大な鍋に放り込まれた花びらは、一緒くたに煮込まれているうちに、元の形を失っていく……。

 色素が水に溶けだしていけば、やがて、美しい深紅の液体へと変遷した。

 花びらが柔らかくなってきた頃合いに、木綿の布で花びらを濾し取る。煮汁だけを鍋に戻し、砂糖を加えてさらに煮詰めていく。紅玉のように澄んでいる汁が、水分が蒸発してシロップ状になれば……。

「よい香りですね」

 イザークが目を閉じてそっと呟いた。アウローラは先ほど取り分けておいた花びらを鍋に戻し、再び火にかけて焦がさないよう木べらでかき混ぜていった。あとは、ひたすら完成を待つだけだ。

「仕上げに……」

 薔薇水を匙で数杯。瞬間、爆発的に甘い芳香が立ち昇って、さながら薔薇園の只中にいるようだった。

「よし。完成いたしましたわ」

「流石です、奥様」

 エリカが珍しく正面切って褒めてくれる。

「さて、イザーク殿下」

「はい」

 アウローラがイザークを呼ぶと、彼はぱちりとまばたきを一つ、二つ。

「残りは皆で味わうとして、まずは庭師五人に配ってしまいましょう」

「は、はあ……」

 煮沸消毒したガラス瓶に詰めれば、完成だ。

「怨讐たっぷり薔薇ジャムの、出来上がり」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

沈黙の指輪 ―公爵令嬢の恋慕―

柴田はつみ
恋愛
公爵家の令嬢シャルロッテは、政略結婚で財閥御曹司カリウスと結ばれた。 最初は形式だけの結婚だったが、優しく包み込むような夫の愛情に、彼女の心は次第に解けていく。 しかし、蜜月のあと訪れたのは小さな誤解の連鎖だった。 カリウスの秘書との噂、消えた指輪、隠された手紙――そして「君を幸せにできない」という冷たい言葉。 離婚届の上に、涙が落ちる。 それでもシャルロッテは信じたい。 あの日、薔薇の庭で誓った“永遠”を。 すれ違いと沈黙の夜を越えて、二人の愛はもう一度咲くのだろうか。

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

十年越しの幼馴染は今や冷徹な国王でした

柴田はつみ
恋愛
侯爵令嬢エラナは、父親の命令で突然、10歳年上の国王アレンと結婚することに。 幼馴染みだったものの、年の差と疎遠だった期間のせいですっかり他人行儀な二人の新婚生活は、どこかギクシャクしていました。エラナは国王の冷たい態度に心を閉ざし、離婚を決意します。 そんなある日、国王と聖女マリアが親密に話している姿を頻繁に目撃したエラナは、二人の関係を不審に思い始めます。 護衛騎士レオナルドの協力を得て真相を突き止めることにしますが、逆に国王からはレオナルドとの仲を疑われてしまい、事態は思わぬ方向に進んでいきます。

氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―

柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。 しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。 「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」 屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え―― 「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。 「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」 愛なき結婚、冷遇される王妃。 それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。 ――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

最後にして最幸の転生を満喫していたらある日突然人質に出されました

織本紗綾(おりもとさや)
恋愛
─作者より─  定番かもしれませんが、裏切りとざまぁを書いてみようと思いました。妹のローズ、エランに第四皇子とリリーの周りはくせ者だらけ。幸せとは何か、傷つきながら答えを探していく物語。一話を1000字前後にして短時間で読みやすくを心掛けています。 ─あらすじ─  美しいと有名なロレンス大公爵家の令嬢リリーに転生、豪華で何不自由ない暮らしに将来有望でイケメンな婚約者のランスがいて、通う学園では羨望の眼差しが。  前世で苦労した分、今世は幸せでもいいよね……ずっと夢に見てきた穏やかで幸せな人生がやっと手に入る。  そう思っていたのに──待っていたのは他国で人質として生きる日々だった。

君から逃げる事を赦して下さい

鳴宮鶉子
恋愛
君から逃げる事を赦して下さい。

処理中です...