10 / 15
追憶
泡沫・ハリガネムシ
しおりを挟む
泡沫
海に来るのはいつぶりだろう。あの時からずっと避けていた。砂浜を歩くのも岩場で磯の生物を観察するのも昔は好きだった。泳ぎは苦手だったが大きな波には憧れを抱くものだ。
今日は満月のようだ。深夜だが水面がよく見える。鈍く揺れる水は永遠の安息を感じさせる。何にも干渉されない普遍的な存在。遥か昔からありとあらゆる生物を見てきた原点。神秘的だと感じるのは私が生物であるからだろうか。何故か声は聞こえなくなった。
ひたすら浜を歩く。入口を探しているのだ。声が誘導してくれると期待していたがどうやら自分で探す必要があるらしい。
「海とはこれほど肌寒いものだったのね。すっかり忘れていた。」
夏はとっくに終わっているのだ。こんな時間の海は寒いに決まっている。
―トモチャン、キテクレタンダネ。コッチ、コッチ。ソトハ、サムイデショ?ダイジョウブ、ウミノナカハ、トッテモアッタカインダ。―
声が聞こえた。いつもよりもよく聞こえる。
「あなたは一体どこにいるの?私はどこに行けばあなたに会えるの?」
―ダイジョウブ、ミチビイテアゲル。ズットアルキツヅケテ。オレガ、イイヨッテ、アイズスルカラ、ソシタラ、ミズノホウニキテ。―
「…わかりました。」
目的地がわかれば一安心だ。あとはひたすら歩くのみ。何も障害物のない海岸のはずなのに何故か歩くにつれて月の光がより明るくなっているような気がする。
「なにここ…夜なのに昼間みたいに明るい…。理研特区にこんな綺麗な景色が見られるところがあるなんて…。」
―ソウ、ココハトテモウツクシイバショ。サア、オイデ。ココガラクエンヘノイリグチ。―
だいぶ落ち着いてきたことだし、施設の中を巡回することにした。さすがは理研特区の中枢だけあってとてもつなくでかい建物だ。古い東棟はどの階も同じような造りになっており気を付けなければ迷子になりそうだ。この東棟は何フロアかが大規模な資料室になっており、他は研究員の寮だ。最先端の研究の資料も気になったがまず俺にはやるべきことがある。
「ここか。御門のやつめ、余計なことしやがって…!死人に部屋はいらねぇんだよ!」
俺は散々に部屋を荒らした。だがそんなことをしても満たされなかった。あいつはもうこの世にはいない。あいつが遺した物に当たり散らしたところで何も解決しない。再び込み上げてきた怒りはどうにも発散できない。この街のほとんどの人々を従えても何も感じない。俺はどうしたらいい。
「うわっ、っとと…。痛っ!」
何かに躓いた。見るとそこには分厚い図鑑が転がっていた。俺が暴れた拍子に机の端から落ちたらしい。
「海洋生物の図鑑か。それも小学生用の。こんなもの高度な研究をしているあいつには使えないものだろうに。」
机の上を見るともう一冊本があった。表紙には美しい絵が描かれており、『人魚姫』と題されている。
「なんだよ、こんなメルヘンチックな子供向けの絵本なんて読んでいたのか。理研特区のエリートもとんだお子ちゃまだったようだな。」
そんな言葉を吐き捨てて部屋を後にした。
水が肩あたりまで来た。こういう中途半端な状態が一番寒いのだ。それ以上進むことに躊躇いなど無かった。きっと少し海水が目にしみるだけだ。息は苦しいのだろうか。苦しいのだろうけれどきっと一瞬だけだ。
ある地点まで歩くと急に足を引っ張られ、私は頭まで海に浸かった。
「ぐっ…、何かが下へ、下へと私を引っ張っている…?」
―トモチャン、コノサキガ、ラクエンダヨ。チョットクルシイカモシレナイケド、ガンバッテネ。―
「瑞希さん…?じゃあこの先が楽園…?私はあなたとずっと一緒にいられるの…?」
―ソウダヨ。ズート、イッショ。キレイナオサカナサンタチモ、カンゲイシテイルヨ。―
「ああ…ずっと聞こえていたこの声はあなたの呼びかけだったのか…。夜の海なのに青くて綺麗…。」
ハリガネムシ
夜と水圧のせいで失いつつあった意識を辛うじて取り戻し、怪物を振り払う。それは意外そうな顔をした。
「…ドウ…シテ…?」
「私が憧れていたのは神秘的なマーメイド。でもあなたは違う。」
「ナンデ?オレハミズキダヨ…?ネエ、イッショニ…ミズノナカデ…クラソウヨ…?」
「あの人は…例え私でも…他人を自分の世界に立ち入らせてくれるような人では無かった。優しい人だったけど…そこだけは譲らなかった。だからいいの。絶対に届かないところが…!」
私の話が通じているのか、目の前の化物は何故か少し悲しそうな顔をした。
「トモチャン…」
「私は蟷螂、陸じゃなきゃ生きられない!だから私は美しい人魚を見ているだけで充分!…さようならハリガネムシさん。水の中は素晴らしいところだけど私はゴメンだわ。」
そう言うと目の前の杉谷瑞希を模した何かは水の中に溶けていった。そこで意識が飛んだが、身体が浮いていく感覚だけは覚えている。
海に来るのはいつぶりだろう。あの時からずっと避けていた。砂浜を歩くのも岩場で磯の生物を観察するのも昔は好きだった。泳ぎは苦手だったが大きな波には憧れを抱くものだ。
今日は満月のようだ。深夜だが水面がよく見える。鈍く揺れる水は永遠の安息を感じさせる。何にも干渉されない普遍的な存在。遥か昔からありとあらゆる生物を見てきた原点。神秘的だと感じるのは私が生物であるからだろうか。何故か声は聞こえなくなった。
ひたすら浜を歩く。入口を探しているのだ。声が誘導してくれると期待していたがどうやら自分で探す必要があるらしい。
「海とはこれほど肌寒いものだったのね。すっかり忘れていた。」
夏はとっくに終わっているのだ。こんな時間の海は寒いに決まっている。
―トモチャン、キテクレタンダネ。コッチ、コッチ。ソトハ、サムイデショ?ダイジョウブ、ウミノナカハ、トッテモアッタカインダ。―
声が聞こえた。いつもよりもよく聞こえる。
「あなたは一体どこにいるの?私はどこに行けばあなたに会えるの?」
―ダイジョウブ、ミチビイテアゲル。ズットアルキツヅケテ。オレガ、イイヨッテ、アイズスルカラ、ソシタラ、ミズノホウニキテ。―
「…わかりました。」
目的地がわかれば一安心だ。あとはひたすら歩くのみ。何も障害物のない海岸のはずなのに何故か歩くにつれて月の光がより明るくなっているような気がする。
「なにここ…夜なのに昼間みたいに明るい…。理研特区にこんな綺麗な景色が見られるところがあるなんて…。」
―ソウ、ココハトテモウツクシイバショ。サア、オイデ。ココガラクエンヘノイリグチ。―
だいぶ落ち着いてきたことだし、施設の中を巡回することにした。さすがは理研特区の中枢だけあってとてもつなくでかい建物だ。古い東棟はどの階も同じような造りになっており気を付けなければ迷子になりそうだ。この東棟は何フロアかが大規模な資料室になっており、他は研究員の寮だ。最先端の研究の資料も気になったがまず俺にはやるべきことがある。
「ここか。御門のやつめ、余計なことしやがって…!死人に部屋はいらねぇんだよ!」
俺は散々に部屋を荒らした。だがそんなことをしても満たされなかった。あいつはもうこの世にはいない。あいつが遺した物に当たり散らしたところで何も解決しない。再び込み上げてきた怒りはどうにも発散できない。この街のほとんどの人々を従えても何も感じない。俺はどうしたらいい。
「うわっ、っとと…。痛っ!」
何かに躓いた。見るとそこには分厚い図鑑が転がっていた。俺が暴れた拍子に机の端から落ちたらしい。
「海洋生物の図鑑か。それも小学生用の。こんなもの高度な研究をしているあいつには使えないものだろうに。」
机の上を見るともう一冊本があった。表紙には美しい絵が描かれており、『人魚姫』と題されている。
「なんだよ、こんなメルヘンチックな子供向けの絵本なんて読んでいたのか。理研特区のエリートもとんだお子ちゃまだったようだな。」
そんな言葉を吐き捨てて部屋を後にした。
水が肩あたりまで来た。こういう中途半端な状態が一番寒いのだ。それ以上進むことに躊躇いなど無かった。きっと少し海水が目にしみるだけだ。息は苦しいのだろうか。苦しいのだろうけれどきっと一瞬だけだ。
ある地点まで歩くと急に足を引っ張られ、私は頭まで海に浸かった。
「ぐっ…、何かが下へ、下へと私を引っ張っている…?」
―トモチャン、コノサキガ、ラクエンダヨ。チョットクルシイカモシレナイケド、ガンバッテネ。―
「瑞希さん…?じゃあこの先が楽園…?私はあなたとずっと一緒にいられるの…?」
―ソウダヨ。ズート、イッショ。キレイナオサカナサンタチモ、カンゲイシテイルヨ。―
「ああ…ずっと聞こえていたこの声はあなたの呼びかけだったのか…。夜の海なのに青くて綺麗…。」
ハリガネムシ
夜と水圧のせいで失いつつあった意識を辛うじて取り戻し、怪物を振り払う。それは意外そうな顔をした。
「…ドウ…シテ…?」
「私が憧れていたのは神秘的なマーメイド。でもあなたは違う。」
「ナンデ?オレハミズキダヨ…?ネエ、イッショニ…ミズノナカデ…クラソウヨ…?」
「あの人は…例え私でも…他人を自分の世界に立ち入らせてくれるような人では無かった。優しい人だったけど…そこだけは譲らなかった。だからいいの。絶対に届かないところが…!」
私の話が通じているのか、目の前の化物は何故か少し悲しそうな顔をした。
「トモチャン…」
「私は蟷螂、陸じゃなきゃ生きられない!だから私は美しい人魚を見ているだけで充分!…さようならハリガネムシさん。水の中は素晴らしいところだけど私はゴメンだわ。」
そう言うと目の前の杉谷瑞希を模した何かは水の中に溶けていった。そこで意識が飛んだが、身体が浮いていく感覚だけは覚えている。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました
いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。
子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。
「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」
冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。
しかし、マリエールには秘密があった。
――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。
未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。
「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。
物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立!
数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。
さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。
一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて――
「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」
これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、
ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー!
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
死んだはずの貴族、内政スキルでひっくり返す〜辺境村から始める復讐譚〜
のらねこ吟醸
ファンタジー
帝国の粛清で家族を失い、“死んだことにされた”名門貴族の青年は、
偽りの名を与えられ、最果ての辺境村へと送り込まれた。
水も農具も未来もない、限界集落で彼が手にしたのは――
古代遺跡の力と、“俺にだけ見える内政スキル”。
村を立て直し、仲間と絆を築きながら、
やがて帝国の陰謀に迫り、家を滅ぼした仇と対峙する。
辺境から始まる、ちょっぴりほのぼの(?)な村興しと、
静かに進む策略と復讐の物語。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
連載時、HOT 1位ありがとうございました!
その他、多数投稿しています。
こちらもよろしくお願いします!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる