蝶、燃ゆ(千年放浪記-本編5下)

しらき

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ひとつ‐2

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そこにいたのは自由を奪われた儚げな男だった。
「あなたが一文路直也さん…。」
「白城くんと…隣は誰だい?…まさか君たちが今日の食事係というわけではないだろうね。」
「理研特区の頂点には人権はないのかね。」
「ああ…。俺は利用されたんだよ。でも仕方ないさ、あんな失敗作を作ってしまったのは俺だ。俺がどうしようもない極悪人なのは事実だから。」
意外だった。あの一文路直也がこんなにも自信のない、弱そうな人間だったとは。一文路に強い憎しみを抱いていた俺は調子が狂った。
「…どうだ、青条。憎くて憎くてたまらない一文路を見た感想は?」
「…全然イメージと違いました。まさかこんな人だったなんて…。」
「俺のことが憎い…か。俺のせいでたくさんの人が苦しんだ。直接寄生されてはいない人も…。…君、わざわざここに来たということは俺に復讐しに来たのだろう?」
「…それは…その…。」
「こんなやつ、いない方がいいんだ。俺もわかっている。…でも自分で死ぬ勇気はない。だから俺を消してくれないか。」
「そんな…、消すだなんて…」
このやり取りの間も一文路はひたすら笑顔だった。全てを諦めたような、悲しげな笑顔。もはやこの人に復讐しようという気持ちは失せていた。
 俺はかつて強い憎しみを抱いていた罪人に頭を下げていた。
「…すみません、俺にはそんなこと出来ません。」
「何故だ!?君は俺のことが憎いのではなかったのかい!?」
一文路はここに来て初めて笑顔を崩した。
「それよりあなたはここを出るべきです!こんなものを装着されて、自由を奪われて…なんで平気で笑っていられるんですか!」
俺は一文路に繋がれていた拘束具を外そうとした。だが、非力な俺が破壊できる代物ではなかった。
「…やめてくれ、君はそんなことする必要はない。頼む、俺を消してくれ。」
「そんなことできませんって!」
「いいから!頼む、俺をこの世から消してくれ!」
一文路の叫びに応えるように蝶たちが動き出した。5匹の蝶は次々と繋がり合い、1匹の大きな蝶になった。
「えっ、この蝶は一体…!?」
蝶の変化に驚いている間に大きな蝶は一文路に素早く近付き、いつも寄生虫にしていたように、巨大な口を開いてそれを食した。

 辿り着いた先にいたのは冷静にその場を見守る白城と項垂れる青条だった。
「白城、一文路直也はここにはいないのか?」
「いたよ。今更拝もうったって手遅れだけどな。」
「手遅れ?まさか青条が…?だとしても遺体も何もないじゃないか。」
「青条が手を下したわけではない。一文路自身の意志で消えたのさ。」
「消えただと!?」
「まー、落ち着いて下さい。青条のその様子、ただならぬことが起こったよーですよ。」
青条が見つめている先はデスクと外れた拘束器具。恐らくそこに一文路がいたのだろう。
「じゃ…こ…う…?」
「青条、一体何があったの…?」
「俺は…俺は一文路を殺そうとは…」
「白城さんから聞いたよ。彼は消えた…のかい?」
「一文路先輩は自分のしたことに責任を感じていた。俺にこの世から消してくれって頼み込んできた。…俺は確かにあの人が憎かったけどその姿を見て、復讐しようという気は失せてしまった。」
「彼は極悪人ではなかったんだね。」
「ああ。俺が断っても熱心に頼み込んできたんだ。そしたら蝶たちが反応して、彼を捕食した。」
「捕食…!?青条が言っていた寄生虫を食べるような感じで?」
「まさか人を食らうなんて…。俺はそれを止められなかった。」
「やはりその蝶、何かあるね…。」
「でも一文路先輩は最期に笑っていた。部屋に入った時の悲しそうな笑みとは違って解放されたって顔だった。」
「ふーん…。」
死んでしまえば終わりだというのに、何故自らそれを望んだのか。杉谷瑞希といい、彼といい、天才の考えることはわからない。
「ところで麝香とホルニは何故ここに来たんだ?野次馬か?」
その言葉で思い出した。俺がここに来た目的を。
「野次馬で済めば良かったんですけどねぇ。…どうやら恐れていた事態が起きてしまったようです。」
「恐れていた事態?」
「ええ。長崎も一文路さんもいなくなったら誰が寄生虫問題を解決するんですか。このままだと指示する者もいない中人々はゾンビのように徘徊し続けますよ。」
「一文路が死ねば全部止まるシステムじゃないのか?」
「ここに来る途中何人か見かけましたけど何も変わった様子はなかった。長崎は自分でも寄生虫たちを思うがままに操れるよう、コンピューターを母体にしたんだ。」
「ということはコンピューターで操作すれば止められるということか!」
「ええ。しかし、一文路さんは自分では卑下しているようですが、実際はかなり能力が高いらしいですね。俺はこの手のものは苦手なのでなんとかできるかどうか…。」
「俺も機械にはあまり強くないな。」
「俺もだ。…彼はどうなんだ?」
「…俺もあまり自信がないです。麝香の方がこういうのは得意だと…。」
そう、万が一、一文路に何かがあって寄生虫を止められる人間がいなくなった時、青条よりはコンピューターの扱いに慣れている俺がなんとかする必要があったのだ。その最悪の事態が起きてしまったわけである。
 それにしたって難解なプログラムだ。というよりそもそもこのシステム、制御は出来ても寄生虫の停止や人々の解放に関することは出来ないのではないか。もう5時間くらいは操作しているがそのような要素が見当たらない。主犯を失い、人々の解放も出来なかった、では成果は最悪である。自分の周辺は無事だがここの人口の大部分が無心状態では生活に支障が出るのは確かだ。とはいえここを離れるのも望まない。
 「…麝香っ!やっと見つけた!」
声をかけてから随分時間が経ったように思えたが、ようやく援軍が到着したようだった。
「一文路は!?一文路はどこだ!?」
「まあ、落ち着いて。一文路は自害したよ。」
「自害だと!?」
「ひとりで跡形もなく消えていった。君をここに呼んだのはその後始末を手伝ってもらうため。」
「後始末?」
「見ればわかるだろう。一文路が消えても寄生虫の問題は解決されなかった。自分でプログラムをいじってなんとかするしかなさそうなんだ。」
相手は納得したようだった。
「…それで私を呼んだのか。成功は約束できないが。」
「戦力が増えればだいぶ状況は変わるはずだ。」

 「それにしても何故プログラム制御だと思ったんだ。」
「君は本当に杉谷さん以外の論文を読まないんだねぇ。一文路直也の得意分野はプログラミング。一文路財閥は製薬で有名だけど電子工学研究科の方にも進出している。脳波や脳神経で操れる人工生命体を生み出した恐ろしい研究として一部の業界では論文が出回っていたよ。」
「それって裏ルートでしか読めないやつじゃ…」
「あら、バレちゃった。まあ、いいや。でね、長崎がそれを使えるようにするには脳波や脳神経でも良かったんだけど、きっと誰でも使える制御プログラムを作った方が早いんじゃないかなーってね。まあそのへんは賭けだったけど。」
「寄生虫にあまり興味が無いのではなかったのか。」
「うん、正直寄生虫自体にはあまり興味はなかったかなー。」
「…本当に不思議なやつだな…。」
「ん?御門、その文字列は…?」
「ああ、これは…いや、なんだこれは。」
「なんか新しく出てきたよね。」
「とりあえずいじってみるか…。」
御門はそれ以降言葉を発することなく、淡々と作業を進めた。それだけ集中し始めたということはこれが解決の糸口となりそうだと思ったのだろうか。
「…麝香、出来そうだ…!」
「えっ、出来そうって…」
「やはり逃げ道は存在した!そうだな、あと10分くらい集中させてくれ。」
「10分でいいの!?…いや、いくらでも集中してよ。何か手伝えることがあったら言ってね。」
「ありがとう。…ここが正念場、か。」
 10分…いや、20分くらい経ったか、凍りついたように集中していた御門が大きなため息をついて仰け反った。
「…やっぱり厳しい?」
「いや、違う。終わったんだ。画面の中ではな。」
「終わったって…、成功ってこと!?」
「本当に成功かは人々の様子を確かめてみないとわからない。」
「まだ完全に安心しちゃだめってことか…」
その時どこからか人の悲鳴のような音が聞こえてきた。
「今のは…」
「御門も聞こえた?白城さんでもホルニッセさんでもない、他の人の声だ。」
本当に成功したのかもしれないと喜ぼうとしたその時、何者かが部屋に飛び込んできた。
「誰か!誰かいないのか!?何故廊下に人がたくさん倒れている!?」
「ちょっと、落ち着けよおっさん!」
「君達は誰だね!?何故ここにいるんだ!?」
「すみません、やむを得ない事情で…!」
「白城先輩、ホルニッセ先輩、俺この人どこかで見たことがあります!」
「なんだ、騒がしい…一体誰が…父さん?」
「智華!なんでお前がここにいるんだ!?」
確かこの施設の最高責任者である御門の父親も寄生されていたはずだ。この慌てよう、正気に戻って周りに倒れる人々を目にしたからに違いない。
「御門、成功だ!これで人々を寄生虫の脅威から解放できたはず…!」
「智華どういうことだ!?その少年は何を言っている!?」
「父さんだって覚えているでしょう。突如理性を保てなくなった人々が街中で暴れる様を。」
「ああ、あの下衆共の姿は目に焼き付いている。それが何かあるのか。」
「あれは下衆な考えの者達が街で勝手に暴れ回ったからではない。1人の発明者が作り出したヒトへの寄生虫の影響なんです。」
「人に寄生する生物だと…!?そんなデータ、俺は知らない!」
「それはそうでしょう。彼は正式な研究者ではなかったのだから。世間に知れ渡る前に寄生虫に人々が支配されてしまった。父さんも、認めたくはないでしょうけど、その存在を知る前に寄生されてしまったのよ。」
「そんな…完璧なはずの俺が…そんなはず…。」
「寄生されるか否かは完璧さには依らない。何も出来なくても心に隙が無ければ寄生されない。」
「…信じられん…。だが、実際ここ数日どころではない、かなり長い間の記憶が無い。では先程隣の彼が言っていたことは…」
「もう大丈夫。まさかあなただけ特別ということもないでしょう。あなたの娘さんが理研特区を救ったんですよ。」
「智華…お前が…?」
「ここまで来るのに色んな人の手は借りたけどみんなを解放するプログラムを見つけ出したのは私。」
「そうか、よくやったな。…ところで、母さんは無事なのだろうな。」
「ええ。母さんの欲望は好きなだけ読書をすることだったらしいから恐らく危険な目に遭う確率は低い。」
「良かった。なら今日は久々に家族でご飯を食べよう。お前が食べたいものでいいぞ。」
「…本当に!?…じゃあ私うな重が食べたい。」
「わかった。…今まですまなかったな。」
どうやら寄生虫についても、御門家の家庭問題も一応は解決したようだ。
「あれ、青条…それは…?」
「ああ、これ?あの蝶だよ。」
話によれば5匹いた蝶は合体し、大きな1匹になったはずだったのだが、青条の手の中には元のサイズの1匹、それも死骸があった。
「これが最後の役目だったってことか。」
「最初からそのために作られたのかな…?」
「いや、確かあれを作ったのは杉谷さんだった。そんなものを作るような人だとは思えないよ。」
「じゃあ蝶が一文路先輩の気持ちに応えたってこと…?不思議なものだなぁ…。」
確かに不思議なものだ。果たして天才杉谷瑞希でもあのようなものが作り出せるのだろうか。
 「なあ、俺は自ら目にした訳では無いのだが、あの蝶は魔法の一種ではないのか。」
「なんだ、自分では魔法は使えないくせに魔法に関する勘は鋭いのな。」
「では専門家から見てもあれは…」
「ああ。俺やお前が慣れ親しんだ力だな。この部屋での光景を見て確信した。」
「でもあれは杉谷瑞希が作り出したものだろう。」
「それなんだよ。…まさか杉谷はこっちの分野に手を出していた…?」
「馬鹿な…ヴァッフェル王族の俺ですら使えない力を理研特区の者が…」
「それはお前に才能がないだけで出身地は関係ない。魔法となればいくつかわからなかったことに説明がつくのは確かなんだ。」
「まあ魔法ならあらかた説明はつくだろうな。」
「そうでないのは一つだけだな。何故杉谷瑞希は魔法という手段に手を出したのか。」
「そんなのは霊媒師でも呼ばないとわからないだろう。」
「そうだな。まあ、天才が考えることはよくわからないということで。」
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