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正編
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しおりを挟むイザベルと精霊の仮の新居は森の中の大きなコテージで、精霊界での暮らしは実に穏やかで心地の良いものだった。
「おはよう、ティエール。今日の朝食は、精霊蜂の蜜たっぷりのパンケーキと、天樹鶏の卵で作ったスクランブルエッグと妖精豚のベーコン、蒼天の庭で採れたサラダ。ドリンクはミント水と淹れたてコーヒーよ」
「おはよう、イザベル。へぇパンケーキの朝食なんて、子供の頃以来で懐かしいな。ふふっ早速頂くよ」
朝、目が覚めると軽く食事を摂り、精霊神に祈りを捧げる者達の声を聞く。この仕事を精霊達は日課としており、すぐに叶えられる願いごとは精霊の独断で。大きな願い事の場合は、神々の会議にかけて地上に奇跡を起こすか否か検討するのだ。
『精霊様、どうかお父様の病気が良くなりますように』
『うちの猫がいなくなったの、お願いします。家に戻るように精霊様のおチカラで導いて』
『今月のお給料がわずかでも上がりますように』
お祈りを聞く場所はちょうど精霊の銅像がある地上の真上、空の上から人々の声に耳を傾ける。イザベルは自分を助けてくれた精霊の男についていき、いつも傍で話を静かに聞いていた。
『早く雨が降って、作物が育ちますように』
『綺麗な水が飲めますように助けて下さい』
『昔みたいに気候が安定しますようにお願いします』
(この数日は個人的なお願いごとより、世の中の暮らしに関する願いが多いわね。何か地上で起きたのかしら? 気のせいよね)
自分の地上にいた頃は、しょっちゅう精霊様にお祈りをしていたので何だか不思議な気持ちである。
「ねぇティエール、この数日は上層部に書類を提出していないけど。報告が必要になる大きな願い事は、ないってこと?」
「いや、そういう訳ではないよ。そろそろ、人間の願いを聞き届ける期間が終わるんだ。人々は精霊信仰よりも、悪魔ミーアスを選んでしまったから」
「えっ……それってどういう?」
よく考えてみれば、イザベルの将来が死か精霊入りかの二者択一しか選択肢がなかったのは不自然である。おそらくイザベルが処刑を免れたとしても、精霊の加護が弱まっているのは間違いないのだろう。
「地上は聖女の皮を被った悪魔ミーアスに魂を売ったんだ。精霊はこれ以上人間に介入せず、自力で生きてもらう……というのが上層の意見だとか」
「それは精霊様を慕っている者も、同じように見放されるの?」
「分からない、上層部が決めることだからね。本来なら猶予期間があと百年あったんだけど、我々のチカラの源である信仰の魔力が足りなくなってしまった。今のところ人々を導く新たな精霊も現れないし」
* * *
地上の人間と精霊の繋がりを断絶する計画の詳しい内容を聞くことが出来ぬまま、イザベルは精霊入りをするか否か決断する日を迎えた。
菩提樹の精霊と過ごす夜の部屋は、大きなダブルベッドで夫婦のための寝室だ。しかしまだ精霊入りを決めていないイザベルと精霊が契りを交わすことは許されず、イザベルだけがベッドで眠り、男である菩提樹の精霊はリビングのソファで眠っていた。
けれどこのままイザベルが精霊入りして嫁ぐのであれば、決断の日である今夜……精霊様に抱かれなくてはいけない。
(今夜、私はティエールに抱かれる。けど、その前にお願いしたいことがある)
イザベルは自分を精霊に捧げる前に、最も気になっていたことを問いただす。
「菩提樹の精霊ティエール、私……あなたに嫁ぐことに異論はないわ。大切な初恋の人だもの。けど、ひとつだけお願いしたいのです。人間である私が嫁ぐ条件として、人々を見放すのを遅らせて欲しいの」
「もちろん僕だって、祈ってくれる人間達のことは気になるよ。けどそのためには、介入役として人々を導く新たな精霊神を用意しなくてはいけない。適任者がいないのに、どうやって上層部の精霊を納得させるんだい?」
不思議なお願いに戸惑う菩提樹の精霊ティエールだったが、イザベルの中ではある答えが生まれていた。
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