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第2章

第2章 第16話 蓮華に眠る母の魂

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 新緑が色鮮やかに輝く5月の或る日。1年ぶりに、我が家の主人である家神推命(いえがみすいめい)とその妻サクヤが上海から帰国した。家族みんなで出迎えるために、県内の空港へ。

「何だか、久しぶりにお父様とお母様に会うことになったから、緊張するわ。ねえ、スグル……この服装って変じゃないわよね」

 早朝、自宅から空港までの道のりを、自家用車で運転したツグミ姉ちゃん。1時間半にわたる運転の疲れを感じさせないように、化粧直しを丁寧に行い、さらに髪もチェックし直して念入りに身支度をしていた。なのに、まだ容姿が気になるとは。

「えっ? 清楚っぽいアンサンブルとふわっとしたスカートって感じかな? 別におかしくないよ」
 妙に緊張するツグミ姉ちゃんを安心させるように、服装について無難なコメントをしておく。

「そう。なら、いいんだけどね。アヤメにはいつも通り、可愛いワンピースを着せてあげてるし。うん、大丈夫なハズ。じゃあ……行きましょうか」

 キビキビと先頭を歩くツグミ姉ちゃん、その後ろにアヤメ、オレと続きながら空港内を歩く。

「お姉ちゃん、なんだか今日はいつもよりしっかりしてて、私達の保護者って感じだね。やっぱり、ミミちゃんやスイレンお姉ちゃん達がいないからかなぁ」
「まぁ普段はミミちゃんが、アヤメの面倒を結構見てくれてるからなぁ」

 今回の出迎えは家神一族の血を引くオレとツグミ姉ちゃん、アヤメの3人だけだ。オレの婚約者候補であるスイレン、伽羅、そして時間軸調査のために滞在中のモイラさんは家で留守を守ってくれている。
 猫耳御庭番メイドのミミちゃんは、久しぶりに帰宅する夫妻を出迎えるために、準備中だ。

 海外から帰って来た人、これから海外へと渡航する人、様々な人が行き交う中よく見知った夫婦の姿が。

 艶のある短めの黒髪、透き通るような涼しげな目元、均一のとれたスタイルで背が高くすらりとした印象のいわゆるイケオジ……家神推命。
 緩やかに巻いた黒く長い髪、生来の美しい色白の肌、見る者を魅了するような大きい瞳の美女……家神サクヤ。

 オレ達の姿にサクヤさんが気づいたのか、紺色のワンピースの裾をひらりと揺らしながら、優しげな表情で手を振る。

「お父様、お母様、お帰りなさい。元気そうで良かった」
「はははっ。ただいまみんな。ツグミはずいぶん大人っぽくなったな、綺麗だぞ。おや髪は染めて、パーマをかけたのか。どこの絶世の美女がいるのかと思ったらツグミだったとは。どうだ、大学の方は順調か?」
「もうっお父様ったら、相変わらずお世辞が上手いんだから! ちょっと、冒険してこげ茶に染めてゆるくパーマをかけたのよ。大学は普通に単位も取れてるし、まぁ順調よ」

「ツグミちゃん、本当に美人に成長してくれて……。まだ、フェイスラインとか背筋の伸ばし方とか、改善の余地はあるけど。でも、合格点はいってるわよ……さすがは私の娘だわ」
「えっ? いつも厳しいお母様が私の容姿を褒めるなんて……えっと、ありがとうございます。嬉しいです……はい」

 実の親子なのに、何故かお母様であるサクヤさん相手に恐縮するツグミ姉ちゃん。そういえば、今日は珍しくトレードマークのタイトミニスカを封印して、膝丈スカートで控えめな雰囲気だ。
 今まで、母親不在でずいぶんと羽を伸ばしていた印象だったが、良いところのお嬢様らしく大人しい反応になっている。

 ただ単に、サクヤさんにビビっているだけかも知れないが。

「お父さん、お母さん! お帰りなさい。お土産は上海有名店の限定チョコレートなんでしょう。私、チョコレートだいすきっ」
「チョコはたくさんあるから安心していいぞ。アヤメも大きくなって……身長が伸びたな。それに髪も伸びて可愛いらしくなった。育ち盛りの時期に帰って来れて、良かったよ」
「本当、アヤメはまだ身長を伸ばさなきゃいけない時期だし。ますます可愛くなれるよう、たくさん美容に効果的な手料理を作ってあげるから、期待しててね」

 一応、実の娘である2人を優先して会話させてから、オレも会話に加わることに。本人達にオレの遠慮が伝わっているかどうかは、不明だが。

「叔父さん、叔母さん、お帰りなさい!」
「おおっ! ただいま、スグル。小さい頃は、女の子みたいに可愛い顔で不安だったが。だいぶ、家神一族の男らしいイケメンに成長したな。しかも、噂では婚約者候補が3人も出来たらしいじゃないか~。モテる男に成長してきて嬉しいぞ」
 からかうように肘でツンツンと突かれて、反応に困ってしまう。しかも、婚約者の数が何故か1人多い気がする。

「えっ? 婚約者が3人? なんか1人増えてないかな。まさか、モイラさんも数に加わってる?」
「まぁ詳しい話は帰ってからにしよう。オレも保護者として、スグルのお嫁さん候補1人ずつと面談しなきゃいけないし」

「もう。あなたったら……スグルはまだ高校生なのよ。婚約者候補がいきなり3人もやって来て、困惑しているかもしれないでしょう? ここは、叔母である私がっ。家神家に相応しい花嫁か見定めるから、のんびりしてていいわよ。炊事、洗濯、冠婚葬祭マナー、お華にお茶、いろいろ教えることがたくさんあるわ」

「お、お母様。見定めるってそんな。しかもすぐに嫁姑問題に発展しそうな言い方しなくても……」
「あら、けどスグルは甥っ子というだけじゃなく、私の親友のまどかの忘れ形見でもあるのよ。私ね、スグルを引き取った時に誓ったの……まどかが納得のいくようなお嫁さんを選ぶって。それが私の使命、宿命だって……! まさか、私の居ない隙に3人も女の子が家に居ついてしまうなんて……」

 オレにとっては叔父と叔母であるが、ツグミ姉ちゃんやアヤメにとっては実の両親である。感動の再会……となるかと思いきや、何故か話題はオレの花嫁候補の方に向かっている。
 むしろ、その話題をしたくて仕方がないといった会話の流れだ。

「まぁまぁ……お母様。スイレンちゃんも伽羅ちゃんも、モイラちゃんもみんな優しい良い子だし。3人とも同じ女学校出身だそうで、仲が良くてね。あとは、スグルの気持ち次第というか……」
「ツグミちゃんは私達がいない間、家を切り盛りしてくれて……本当に感謝してるわ。けどね、花嫁選びはあなたが思っているほど、簡単じゃないのよ。しかも、3人のうち2人は脱落しなくてはいけないの……表面上は仲良し3人組を装っていても、きっとそれはうわべだけ。超美少年のスグルを巡る複雑なバトルが、水面下で毎秒勃発しているはずだわっ」

 普段は淑やかな美女である叔母のサクヤは、その名の通りコノハナノサクヤヒメのごとく美しく……そして怒るとちょっぴりこわいお人だ。18歳で家神家に嫁いできた天然箱入り娘のサクヤさんにとって、やはり嫁選びが最大の関心なのだろう。
 だからって、水面下でバトルが行われているような謎の設定を捏造するのはどうかと思うが。しかも、婚約者候補であるスイレンと伽羅は、別に水面下じゃなくても常に小さな喧嘩を繰り返しているし。

「ねえ。それより、私お腹空いたんだけど……スイレンお姉ちゃん達のことは後で会えばわかるし。取り敢えず、ご飯食べようよ!」

「はははっ! そうだな、アヤメ。腹が減っては戦はできぬと言うしな。サクヤさんも、ようやく自分の出番が来て興奮しているんだよ。じゃあ、せっかく帰国した記念の日だし、名物うな重でもみんなで食べるかっ」
「わぁい! お父さん、大好きっ。早く行こうっ」

 波乱含みのオーラを、食べ物の話題でそれとなく逸らす叔父さんとアヤメ。もしかする叔父さんとアヤメの天然っぽい明るさは、この家でやっていくための処世術なのかもしれない。オレも見習わなくては。

「うふふ。そうね、花嫁選びは【戦のようなもの】ですものね。うなぎを食べて備えないと……」

 花のような笑顔で戦について語るサクヤさんにゾクっとしつつも、それが亡くなったオレの実母への誓いだと思うと少し胸が痛い。

(花嫁選びは、親友まどかとの誓いか。もし母さんが生きてたら……いや、今日はタイムリープについて考えるのはよそう。嫌でもきっと、そのうち過去と向き合うことになるんだから)


 * * *


「……うぅ。なんじゃろう? 謎の寒気が。まるで、わらわの霊力じゃ敵わないような絶大な女神にロックオンされたような気すらするが」
「あら、スイレンも? 私も未知の女神様に標的にされている気がして。それとも風邪でも流行るのかしら? 何故か、不思議な悪寒が止まらなくて。嫌だわ、今日はせっかくスグルさんの叔父上と叔母上がお帰りになるのに」

 いつもの居間でまったりと、朝食タイムを過ごしていたスイレンと伽羅。モイラは仕事の追い上げ作業のため、自室で朝食を摂るらしい。
 ミミちゃんがおにぎりとお新香、卵焼き、緑茶のセットをモイラの部屋に運んでいたから、多分部屋にこもり続ける気だ。

 未来予知が出来るはずの時の女神モイラが、タイミングよく部屋にこもり始めたことに違和感を感じる。今まで感じたことがないような妙な胸騒ぎに、しばし沈黙する2人。
 再び口を開いたのは、スイレンの方からだった。

「そういえば、スグルどのの叔父上と叔母上は両方とも陰陽師稼業はしていないんじゃな」
「ええ。そうらしいですわよ。叔父上は霊力をほとんど持たず、叔母上のサクヤさんに至っては、陰陽師とも異界とも全く関わりのないお嬢様だったとか……」

 いつものメンバー以外で家神荘に向かっているのは、スグルの叔父と叔母にあたる推命さんとサクヤさんだ。
 スケジュール通りなら、空港でスグル達と落ち合ったあとは空港近くで食事をしている頃。家神荘は空港から距離があるし、帰りはもう少しあとのはず。

 まだ遠方にいるハズなのに不思議と感じる謎の圧に、霊力以外の激しいチカラを感じる。

「ふぅむ。霊力を持たぬというプロフィールが不思議じゃが、アヤメどのもあまり霊力がないらしいからのう。気のせいか……。気分転換に、庭園でも散歩してくるかのう」

 ふと、思いついたように家神荘の敷地内にある庭の散策へと乗り出すスイレン。青空の下、心地よい風を浴びながらよく整えられた庭園をぐるりと周り、裏庭の大きな池へ。

(スグルどののお母様は、15年前に亡くなったと判明した。だが、彼女の魂は、本当に消えてしまったのだろうか)

 ふもとの家で15年前に何が起きたのか、当時の鍵を握る家神夫妻がここに帰って来る前に。スグルの母の魂の在り処を、この目で確かめてみるのも良いだろう。

「スグルどののお母様、もしかするとこの池で眠っているのですか? 私の名はスイレン……彼と一蓮托生を誓った女神です。お母様……いらっしゃるなら返事をして下さいな」

 スイレンと同じ蓮華族である蓮の花も、あと少しで見頃を迎える。蓮華の先に見えるのは、極楽浄土か亡き人との再会か。

 スイレンの呼びかけに答えるように、早咲きの蓮の花が小さな音を立てて、一輪だけ咲き始めるのであった。
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