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正編 第一章
第04話 夢のような口付け
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ゆらゆらと優しく暖かな誰かの腕の中というゆりかごに揺られて、ルクリアはそっとベッドの中へとその身を預けた。先ほどとは異なる羽毛の温もりが、寒波によって体調不良となったルクリアの身体を包み込む。
きっと親切な誰かが、自身を部屋まで運び入れてベッドに寝かしつけてくれたのだと、うとうとしながらもルクリアは理解した。
「良かった、熱は大したことがないようだね。ふふっ。せっかく、お父様から信頼という許可を得たのに。僕はキミを見つめていると、やはり自分のものだという証が欲しくなってしまう」
おでこを触っていた手が離れた途端、甘く低い声が誘惑するようにルクリアの耳元で囁く。長くしなやかな指が首の辺りでトンっ……と止まる。
「んっ……」
「いや、やはり少しだけ熱いか。早くキミの熱が収まると良いのだけれど」
「……わたし、一体……?」
少しずつルクリアが意識を覚醒していくと、すぐ間近に彗星のように澄んだブルーグレーの瞳が映った。端正な目鼻立ちに形の整った唇、そこから発せられる甘い声に憧れを持つ女性は数知れず。
「おや、起きたのかい。おはようルクリア。具合の方はどうかな?」
彼こそが、我がメテオライト国の王太子にして伯爵令嬢ルクリア・レグラスの婚約者であるギベオン・メテオライトだ。珍しいブルーグレーの瞳は角度によって色を変えて輝き、隕石の意味を持つギベオンの名前とかけて、【彗星の王子】という異名を持っていた。
絶対零度のように冷たい心を持つとされて、【氷の令嬢】などという不名誉な渾名がついた自分とは釣り合わないとルクリアが悩む原因でもあった。
「ギベオン王太子、まさか貴女が倒れた私を運んで下さったの? ごめんなさい、せっかく寒い中いらして下さったのに、迷惑をかけてしまって」
「ふふっ。こういう時は、ごめんなさいよりも、ありがとうが聴きたいな。部屋の外ではね僕達が間違いを起こさないようにメイドさんが見張っているみたいなんだ。だからさ……僕にだけ聴こえるように内緒話みたいに。ありがとうって、言って」
そっとルクリアの顎を持ち上げて、今にも口付けになりそうな距離で小声で囁くギベオン王太子。彼はいつも触れそうで触れない距離を保ちながらも、時折こうやってルクリアの気持ちを試すような真似をするのだ。
「……いじわるっ。どうしてそうやって、いつも」
「ほら、ルクリア……僕を見て。僕の瞳を見て」
恥ずかしくて顔を背けたルクリアを半ば強引に、再び自分の方へと向かせるギベオン王太子。彼の彗星の瞳には頬を赤らめたルクリアの顔が映っていて、きっとルクリアの瞳にも少しいじわるそうに微笑むギベオン王太子が映っているはずだ。
見つめあっているうちに、その距離はゼロになり驚いて思わず目を閉じると、唇を啄む音が静かな部屋に響いた。
「ん……ギベオン、王太子……! ダメよ、風邪が移っちゃう」
「そうだね、風邪は移すと治るらしいよ。僕でよければ治療に協力しよう」
「もうっ……!」
ギベオン王太子は婚約した時の契約通り、決して純潔を奪うような真似はしてこない。してこないのだが、『婚約者だからこれくらいはいいだろう……』と抱き寄せたり、ふと口付けてきたりはする。だから、二人がキスを交わすのは初めてではないのだが、乙女ゲームのシナリオ通りに進む世界だと考えるとこの関係はそのうち終わる事になる。
この優しい王太子がいずれ、我儘な異母妹に誑かされて奪われるのかと思うだけで、ルクリアは哀しくて涙が出てしまった。
「どうしたんだい、ルクリア。突然、泣き出して……泣くほど今回の風邪は苦しいのかい?」
「違うの、いつかギベオン王太子と離れる日が来ると思うと辛くて。ほら、今日カルミアがうちの学校に合格したでしょう? あの子、自分は乙女ゲームの主人公だって信じているらしくて。私はあの子を虐める悪い異母姉役だからいずれ貴方に嫌われて、婚約破棄になるって……」
普段のルクリアだったらこの世界が乙女ゲームの世界だなんていう話を、真剣に泣きながら語るなんてことはしない。けれど、毎晩のように見る未来の悪夢と、乙女ゲームのオープニングに該当する今日というを迎えてしまった事に不安を覚えたのだ。
「なんだ……そんな妹さんの語る夢物語を信じて泣いていたのか。ふふっ大丈夫だよ。例えゲームのシナリオとやらの予言書があったとしても、流石に婚約破棄なんて事にはならない。それにルクリアが氷魔法が得意なだけの心優しい女の子だって、僕が一番知っているんだ」
「本当に? 氷の令嬢だなんて揶揄されている私のことを信じてくれるの。ゲームの王太子みたいに、卒業記念パーティーで婚約破棄宣言しない?」
「当たり前だよ、ルクリア。そうだ……今は風邪が流行っているからね。よく効く風邪薬を持っているんだ。キミにもきっと合うと思うから、飲んで……」
そう言って差し出されたのは、まるで虹色に輝く鉱石のような丸い飲み薬だった。キラキラと虹色に輝く玉に吸い込まれそうになりながら、促されるまま与えられた水と共に薬を飲む。
ごくんっ。
喉を通過するゴツっとした感覚が、ルクリアの神経を刺激する。彼女の細い喉を通り抜けるには、些か大粒だったようだ。
次の瞬間……不思議な眠気がルクリアを襲って、ギベオン王太子の笑顔を脳裏に読み込んだまま眠りの世界へと誘われた。
「おやすみなさい、ルクリア。キミだけはこの国の運命に振り回される必要性はないんだ。だって、本来のシナリオでは無事にこの国から追放されて、除外されるキミだけが。ストーリー上、生き残りが確定しているキミだけが。この国に起こる滅びの日と無関係なのだから。次のループこそは未来だって、きっと変えられる」
「えっ……どういうことなの、ギベオン王太子……未来を変える? ダメだわ、眠気が酷くて……」
「……嗚呼、僕はキミに、何回くらいこうして口付けてこの魔法の薬を飲ませたんだろうね。今回も効果が出るといいのだけれど、そろそろ限界かな」
「ん……」
不思議な虹色の薬の正体は、よく効く睡眠薬の一種だったようでルクリアは会話の全てを忘れて、すっかり眠ってしまった。まるでゲームのバランス調整のため、メンテナンスをするかのように。
乙女ゲームのシナリオの裏側。
この国がいずれ悲劇的に滅ぶという遠い未来を知っているのは、この国の未来の国王ギベオン王太子に他ならなかった。
「さあ、始めようか。いずれ滅ぶ運命のこの国で、夢のように儚い乙女ゲームのシナリオとやらを……!」
ギベオン王太子が掌の上に浮かぶ魔法陣に手をかざすと、もう何度ループしたか分からないほど再生された乙女ゲームのシナリオが動き出した。
きっと親切な誰かが、自身を部屋まで運び入れてベッドに寝かしつけてくれたのだと、うとうとしながらもルクリアは理解した。
「良かった、熱は大したことがないようだね。ふふっ。せっかく、お父様から信頼という許可を得たのに。僕はキミを見つめていると、やはり自分のものだという証が欲しくなってしまう」
おでこを触っていた手が離れた途端、甘く低い声が誘惑するようにルクリアの耳元で囁く。長くしなやかな指が首の辺りでトンっ……と止まる。
「んっ……」
「いや、やはり少しだけ熱いか。早くキミの熱が収まると良いのだけれど」
「……わたし、一体……?」
少しずつルクリアが意識を覚醒していくと、すぐ間近に彗星のように澄んだブルーグレーの瞳が映った。端正な目鼻立ちに形の整った唇、そこから発せられる甘い声に憧れを持つ女性は数知れず。
「おや、起きたのかい。おはようルクリア。具合の方はどうかな?」
彼こそが、我がメテオライト国の王太子にして伯爵令嬢ルクリア・レグラスの婚約者であるギベオン・メテオライトだ。珍しいブルーグレーの瞳は角度によって色を変えて輝き、隕石の意味を持つギベオンの名前とかけて、【彗星の王子】という異名を持っていた。
絶対零度のように冷たい心を持つとされて、【氷の令嬢】などという不名誉な渾名がついた自分とは釣り合わないとルクリアが悩む原因でもあった。
「ギベオン王太子、まさか貴女が倒れた私を運んで下さったの? ごめんなさい、せっかく寒い中いらして下さったのに、迷惑をかけてしまって」
「ふふっ。こういう時は、ごめんなさいよりも、ありがとうが聴きたいな。部屋の外ではね僕達が間違いを起こさないようにメイドさんが見張っているみたいなんだ。だからさ……僕にだけ聴こえるように内緒話みたいに。ありがとうって、言って」
そっとルクリアの顎を持ち上げて、今にも口付けになりそうな距離で小声で囁くギベオン王太子。彼はいつも触れそうで触れない距離を保ちながらも、時折こうやってルクリアの気持ちを試すような真似をするのだ。
「……いじわるっ。どうしてそうやって、いつも」
「ほら、ルクリア……僕を見て。僕の瞳を見て」
恥ずかしくて顔を背けたルクリアを半ば強引に、再び自分の方へと向かせるギベオン王太子。彼の彗星の瞳には頬を赤らめたルクリアの顔が映っていて、きっとルクリアの瞳にも少しいじわるそうに微笑むギベオン王太子が映っているはずだ。
見つめあっているうちに、その距離はゼロになり驚いて思わず目を閉じると、唇を啄む音が静かな部屋に響いた。
「ん……ギベオン、王太子……! ダメよ、風邪が移っちゃう」
「そうだね、風邪は移すと治るらしいよ。僕でよければ治療に協力しよう」
「もうっ……!」
ギベオン王太子は婚約した時の契約通り、決して純潔を奪うような真似はしてこない。してこないのだが、『婚約者だからこれくらいはいいだろう……』と抱き寄せたり、ふと口付けてきたりはする。だから、二人がキスを交わすのは初めてではないのだが、乙女ゲームのシナリオ通りに進む世界だと考えるとこの関係はそのうち終わる事になる。
この優しい王太子がいずれ、我儘な異母妹に誑かされて奪われるのかと思うだけで、ルクリアは哀しくて涙が出てしまった。
「どうしたんだい、ルクリア。突然、泣き出して……泣くほど今回の風邪は苦しいのかい?」
「違うの、いつかギベオン王太子と離れる日が来ると思うと辛くて。ほら、今日カルミアがうちの学校に合格したでしょう? あの子、自分は乙女ゲームの主人公だって信じているらしくて。私はあの子を虐める悪い異母姉役だからいずれ貴方に嫌われて、婚約破棄になるって……」
普段のルクリアだったらこの世界が乙女ゲームの世界だなんていう話を、真剣に泣きながら語るなんてことはしない。けれど、毎晩のように見る未来の悪夢と、乙女ゲームのオープニングに該当する今日というを迎えてしまった事に不安を覚えたのだ。
「なんだ……そんな妹さんの語る夢物語を信じて泣いていたのか。ふふっ大丈夫だよ。例えゲームのシナリオとやらの予言書があったとしても、流石に婚約破棄なんて事にはならない。それにルクリアが氷魔法が得意なだけの心優しい女の子だって、僕が一番知っているんだ」
「本当に? 氷の令嬢だなんて揶揄されている私のことを信じてくれるの。ゲームの王太子みたいに、卒業記念パーティーで婚約破棄宣言しない?」
「当たり前だよ、ルクリア。そうだ……今は風邪が流行っているからね。よく効く風邪薬を持っているんだ。キミにもきっと合うと思うから、飲んで……」
そう言って差し出されたのは、まるで虹色に輝く鉱石のような丸い飲み薬だった。キラキラと虹色に輝く玉に吸い込まれそうになりながら、促されるまま与えられた水と共に薬を飲む。
ごくんっ。
喉を通過するゴツっとした感覚が、ルクリアの神経を刺激する。彼女の細い喉を通り抜けるには、些か大粒だったようだ。
次の瞬間……不思議な眠気がルクリアを襲って、ギベオン王太子の笑顔を脳裏に読み込んだまま眠りの世界へと誘われた。
「おやすみなさい、ルクリア。キミだけはこの国の運命に振り回される必要性はないんだ。だって、本来のシナリオでは無事にこの国から追放されて、除外されるキミだけが。ストーリー上、生き残りが確定しているキミだけが。この国に起こる滅びの日と無関係なのだから。次のループこそは未来だって、きっと変えられる」
「えっ……どういうことなの、ギベオン王太子……未来を変える? ダメだわ、眠気が酷くて……」
「……嗚呼、僕はキミに、何回くらいこうして口付けてこの魔法の薬を飲ませたんだろうね。今回も効果が出るといいのだけれど、そろそろ限界かな」
「ん……」
不思議な虹色の薬の正体は、よく効く睡眠薬の一種だったようでルクリアは会話の全てを忘れて、すっかり眠ってしまった。まるでゲームのバランス調整のため、メンテナンスをするかのように。
乙女ゲームのシナリオの裏側。
この国がいずれ悲劇的に滅ぶという遠い未来を知っているのは、この国の未来の国王ギベオン王太子に他ならなかった。
「さあ、始めようか。いずれ滅ぶ運命のこの国で、夢のように儚い乙女ゲームのシナリオとやらを……!」
ギベオン王太子が掌の上に浮かぶ魔法陣に手をかざすと、もう何度ループしたか分からないほど再生された乙女ゲームのシナリオが動き出した。
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