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第二部 第一章
第04話 心を温めて、痛みを忘れて
しおりを挟む情熱の象徴とも言える深紅の薔薇が、食卓のテーブルに彩りを添える。一般的に赤い色は心に活力を与える作用があり、食事のシーンにも良い影響を与えるとされている。
「うわぁ素敵な薔薇! それにしても、ルクリアお姉様のためにこんな素敵な花束を用意していたなんて。お姉様ったら、本当にギベオン王太子様に愛されいるのね」
すっかりルクリアの異母妹というポジションに収まった未来人レンカが、薔薇の花を見ながらギベオン王太子とルクリアの仲を羨むように揶揄う。
「うむ。父親としても、ギベオン王太子が気遣いの出来る方で安心しておるぞ。しかし、ルクリア宛ての花束だったのに、今日の食事会のテーブルに飾って本当に良かったのか?」
「もちろん! 地上にいた頃と違って、本物のお花を……しかも薔薇の花を鑑賞するのなんて久しぶりだわ。私だけが、この美しい深紅を独占したら悪いでしょう?」
食事会のテーブルの中心に、ギベオン王太子がルクリア宛てに用意した薔薇の花が飾られた。てっきり、ルクリアの自室にそのまま飾られると思われていた薔薇の花束だが、みんなで鑑賞できる場所に飾ることになったのだ。
地上にいた頃だったら、そこまで家族に気を使わずにルクリア自身の部屋に飾っていただろう。当時は当たり前のように、玄関には何かしらの季節の花が飾られていて、その花の大半はレグラス邸の庭園から持って来ていたのだから。
何もかもが地上のいた頃と変わってしまったように思えたが、少しずつこの古代地下都市アトランティスで日常を取り戻してきていると、それぞれが実感していた。
「もきゅっ。もきゅきゅん!」
「おっ。モフ君か、キミも地下都市の入り口を探す時には大活躍だったが、こうして自宅で和んでいるのを見ると普通のペットだな」
「もきゅん」
レグラス邸のホールから廊下の間では、ルクリアのペットであるミンク幻獣のモフ君が、本日のゲストであるオニキス生徒会長にじゃれついていた。ちょこまかと動くモフ君は、残念ながら食事会の場に立ち会うことは出来ないが、先に来客と楽しく遊ぶことを許されている。
この一人と一匹の珍しい組み合わせは、地下都市の入り口を探すのにオニキス会長もモフ君も貢献したコンビという共通点を持っていた。
可愛いモフ君に癒されていたオニキス生徒会長だが、瞬間的に意識が遠のいて慌てたモフ君が助けを呼ぶ。
「うっ……! 一体、なんだ。僕は、あの地下都市の入り口を発見した後に……一体何を?」
オニキス生徒会長は何かを思い出しそうになったようで頭を抑える。俗に言うフラッシュバックという現象で、過去の出来事が不思議なほど鮮明に脳裏に甦るのだ。ぐらつくオニキス生徒会長の身体を、モフ君に呼ばれたギベオン王太子がサッと支えて、倒れるのを防ぐ。
「ギベオン王太子、申し訳ありません」
「大丈夫か、オニキス君。いつも忙しく駆け回っているから、風邪の引き始めかも知れないね。早く暖炉のある部屋に移動しよう。モフ君、キミも暖かい部屋に移動しなさい」
「もきゅ、もきゅきゅ」
(オニキス君、きっと自分が地下移住反対派閥の襲撃で一度死んでいることを、思い出しかけてしまったんだろうな。確か、オニキス君の死因は頭部を激しく殴打されてのものだった)
今自分達のいる時間軸が、ギベオン王太子の彗星魔法とレンカの夢見による新たなパラレルワールドであることを認識している者は、殆どいない。パラレルワールドはその世界線が確定してしまうと、もはや他の世界線から独立したと言う事実さえ消去されてしまうらしい。
「一体、あの映像は何だったんだろう。たくさんの人に囲まれて、それから……それから」
「オニキス君。やはり地上から地下に降りて、精神的にも疲れが溜まっているんだ。キミは学園の生徒やたくさんの地域住民に説明をする係を受け持ってくれて、その分負担も大きかったはずだ。もう、これからは急がなくていい……気軽にやろう」
フラッシュバックが起きている原因は、悲劇の時間軸から今の時間軸を切り離した後遺症のようなものだろうと、ギベオン王太子は思った。けれど、それには触れずに地下に移住したことによる精神的な影響という設定を作り、オニキス生徒会長の疑念を誤魔化した。
* * *
レグラス邸の本日の夕食会は、ルクリアとレンカという年頃の娘二人の婚約者達との正式な顔合わせを兼ねたものだった。
姉であるルクリアとギベオン王太子は、地上にいる頃から婚約をしていて、世間にも公開されている公式のものである。
一方で、遺伝子の組み合わせがルクリアやレグラス伯爵と共通しているという証拠を元に、ルクリアの異母妹という認定がされたレンカはまだレグラス家の一員になったばかり。そのため、恋人であるオニキス生徒会長を父親に紹介するタイミングが遅くても仕方がない。
「オニキス君だったかね。ギベオン王太子とは何度も顔を合わせているが、キミとこうして正式にお話しするのは初めてだな。前回は本当に挨拶程度だったような……」
「はい、以前にレグラス邸で開かれた演奏会を聴きに行った際に、少しだけお話しをしただけですね。あの別れの曲がとても美しく、僕の心にいつまでも響いているんです」
あの日、別れの曲を演奏したのはピアノ伴奏がルクリア、チェロがレグラス伯爵、バイオリンが後妻のローザ。そして、歌唱が今この場にはいない、存在すら忘れられている次女のカルミアだった。オニキスの心にいつまでも響いているのは、かつて恋していたはずのカルミアの歌声なのではないか……と、ギベオン王太子は気づき心が痛んだ。
「そうか! あの日は地上との別れを惜しんでの曲だったが、キミとは縁あって再び出会えた。とても嬉しく思うよ……。さっ今日はワシが経営する温室農園で採れた自慢の野菜をメインにした田舎風フレンチコースだ。地上にいた頃は、贅沢とは思わなかったが……今では入手困難なものもあるぞ。みんなも温かいうちに食べよう」
レグラス伯爵も別れの曲と聞いて、一瞬だけ動きが止まったが、すぐに何事もなかったように明るく振る舞う。ゴロリと大きな野菜をふんだんに使ったポトフや、ビーフシチューとあわせたスフレオムレツ、魚介類の蒸し料理など、心まで温まる料理にやがて痛みの原因は忘れ去られた。
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