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第1章 一周目
第02話 ご神託は誰を選ぶ
しおりを挟む怒りに打ち震えながら、可愛らしくネイルアートされた爪で、ご神託の御神籤をぐちゃぐちゃに切り裂いたヒルデ。『さすがは、悪役令嬢との渾名がつくだけあって気性が激しい』と、彼女の父は高級車の後部座席二列目でため息をついた。ちなみに、三列目はヒルデの特等席である。
実際のところヒルデは悪人ではないが、初恋の幼馴染みが女好きであるせいで、すっかり捻くれてしまったのだ。『おぉヒルデ、可哀想に』と同情しつつ、父は数時間前の出来事を振り返る。
* * *
神聖ミカエル帝国暦2020年2月のある日。恋人達の祭典バレンタインデイに向けて、神殿では運命の相手を決める『ご神託の儀式』が執り行われていた。
「本日は、ようこそお集まり頂きました。我が、神聖ミカエル帝国の選ばれた市民達」
全ての神聖ミカエル帝国の市民が、この儀式よるご神託で結婚相手を決めるわけではない。ごく一部の、選ばれた貴族社会に属する市民だけが、ご神託方式で結婚相手を決める。この儀式は文明が進んだ現代においても、大切に行われていた。
「七つの丘に、それぞれ設置された神殿の中でも、当神殿は結婚を司ることが許されております。儀式を円滑に行うため入場される前に、携帯電話の電源をお切りくださるようお願いします」
「今から、昼の部の儀式受付を開始いたします。先ほど引いた御神籤の番号を、巫女シビュラに手渡してください」
いにしえの時代により続く、古風な伝統は、移りゆく時代に負けず残った貴重な文化でもあった。移動手段は馬車から車へ、連絡方法は手紙以外にも電話や電子メールが登場。貴族達が好む肖像画は、高度な写真にとって変わっていた。
――それでもなお、このご神託の儀式を維持するのは、ひとえに神聖ミカエル帝国の貴族が、『法と信仰の民』であるからに他ならない。
神々への厚い信仰が特徴の神聖ミカエル帝国貴族は、上流階級特有の優雅な暮らしを幼少期から晩年に渡り、生涯享受する事が可能だ。
けれど、貴族らの安定した暮らしは、結婚相手を神殿のご神託に委ねるという『契約』のもとに、ようやく成り立っているのである。
今年も、乙女の心を神の手に委ねるために、大勢の貴族の娘が神殿の門を潜ってゆく。殆どの娘の年頃は、おそらく十七といったところだろう。
早朝から夕刻まで乙女と保護者が連れ立って、神殿にてご神託を受ける光景は、既に神聖ミカエル帝国の『冬の風物詩』となっていた。そしてまた一人、清楚かつ麗しい美貌の令嬢が、父に連れられて丘の上の神殿を訪れる。
「ねえ、お父様。本当に、大丈夫なのかしら? わたくし不安ですわ。今日は朝からずっと、縁起の悪い暗雲立ち込める曇り空ですし。気温も平年よりもずっと寒くて、風は強いし不吉な予感が」
「はっはっは。心配要らんさ、ヒルデ。我がルキアブルグ家が長年に渡り神殿に信仰を捧げ、どれくらいの寄付を行ってきたか。神殿の幹部、げほっげほっ。いや、神様もご存知のはずだ」
貴族の一族が、特別な生活を続けるための絶対不可欠な条件。即ち、一族自慢の娘の結婚を、神殿という第三者機関の手に委ねる事。神の子として扱われる七歳までに、婚約者を作り神殿に申請しない限りは、ご神託がすべてである。
「神様に、お父様の誠意が伝わっていると良いのですが。はぁ、これも我が一族が神聖ミカエル帝国で無事に暮らしていくために、必要な儀式なのね。一度くらい、恋というものをしてみたかった」
「……可哀想に、フィヨルド君とのこと。何も覚えていないのか」
「えっ?」
まるで、ヒルデに恋人がいた時期があったかのようなセリフを言う父に、違和感を覚えるヒルデ。だが、ゴホゴホとした咳払いで誤魔化されてしまう。
「ゴホッいや……何でもないよ。すまないな、ヒルデ。長女に生まれたばっかりに、ご神託で結婚相手を決めることになって。だが、神様の粋な計らいで幼馴染みのジークと、結婚出来るかも知れんぞ。いや、もしかするとワシの知らんところで、それらしき男がいたのかね? 例えば、下宿人のフィヨルド君とか。未練のある男がいるなら、教えてくれれば良いものを」
恋をしてみたかったと可愛い愛娘呟かれて流石に心が痛むのか、父は娘にそれらしき男がいるのか訊ね始めた。むしろ、出来るならそうして欲しかったのが本音なのだろう。わざわざ、年頃の近しいイケメンのフィヨルドを下宿人として招いたあたり、そのまま結婚させたかったに違いない。
「いいえ、残念ながらそういった出会いはありません。お父様もご存知でしょう。わたくしに近しい男は、恋愛対象にはなりにくい弟の友人の年下君、雷に撃たれて以降人格がちょっぴり変わった青年フィヨルド、そして花嫁候補に囲まれた『古代英雄王末裔ハーレム勇者ジーク』だけ」
正確には、ジーク以外のイケメンとフラグが立ちそうになると、呪いにも似た天変地異や事故、不吉すぎる偶然の一致が連続して起きる。そのため、ヒルデも周りの男もビビってしまい、結果として恋人が出来なかったのだ。
「そうだよ、ヒルデ。フィヨルド君だっ。フィヨルド君とは、かなり好い仲に見えたが。それとも例の雷事件で関係が些か、変わってしまったか」
「お父様、そのことはもう過去のことですわ。フィヨルドは、自分が小国の第4王子であることも、認識出来ないみたいで。今思えば、ただの噂だったのではないかと、わたくしも思う次第です」
最もフラグが立っていた下宿人のフィヨルドに至っては、謎の雷撃に倒れて頭に雷が埋まって以来、人が変わった。下僕根性が身についてしまい、ヒルデの恋人というよりペットか何かのようである。彼が小国の第4王子であることは確かなのだが、たまに記憶が飛ぶらしくあまり突っ込むことが出来ない。
それに、その辺りの詳細な事情はプライバシーの侵害に当たる描写が増えるため、さすがに父には言えなかった。
「ふむ。確かに最近は、お前の人間関係は気薄くなっているな。さらに、親友が交通事故で記憶喪失になってから、人を遠ざけるようになった。だが、幼い頃は、みんなで遊んでいたじゃないか」
「幼少期は男の子の知り合いもいたけれど、わたくしはジークの遊び相手ということで、他の子とは接触がなかったのです。ときめくような人生とは、無縁だったわ」
「お前は小さな頃から、ジークどののお気に入りだったからな。だが、お前がその気ならフィヨルド君との婚約内定だって、神殿にお布施を払えば出来たのだぞ。時間は十分にあったはずだが、雷事件で婚約者内定書類の提出が延期になって以降、ワシもお前もそれを選ばなかった。仕方がない」
ヒルデは溜息をついて、一族のために神への祈りを捧げたのち、運命を決める御神籤の番号札を引く。その大きな瞳には、憂鬱の色がくっきりと浮かんでいた。
「番号は29番、一体どんな御神籤の内容なのかしら。ジーク以外の素敵な方が、相手だと良いのだけど」
しかしながら、娘の気持ちはこの場では無視されるのが、しきたりだ。巫女シビュラを介して、意思を伝える『何者か』の考え通りの相手と結婚することが、貴族の地位を保つ生命線なのである。
覚悟を決めてヒルデ嬢は、ご神託を決める密室へ足を進めた。
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