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第1章 一周目
第08話 この勝負、惚れた方が負け
しおりを挟む着替え中という設定で、なんとかジークの入室を阻むメイド達。彼女達の脳内では既に、『ヒルデ嬢はフィヨルドと駆け落ちを画策していて、部屋の中でお取り込み中』という設定が作られていた。
実際に貯金を下ろして2人で国外逃亡の計画まで立てていたのだから、あながちメイド達の予想は外れてはいない。だが、ヒルデ達はそれが駆け落ちの計画と見做されるという自覚が、出来ないのである。
「どんなに不器用なお嬢様のヒルデだって、着替えに10分以上かかることはないだろう。よし、今から5分間だけ待っていてあげる。それ以上経ったら、強行突破で様子を見に行くから」
「えぇっ? たった5分でヒルデ様もアレコレを済ませられるかは、いやその……はい。分かりました」
慌てふためくメイドを無視して、ジークは自慢のアンティーク懐中時計で、5分間をカウントし始めた。
「1、2、3、4、5。うん、割と早く5分経ったな。では……」
「まっ待って下さいっ。それじゃあ5分じゃなくて、5秒ですよぉ~。あぁっヒルデお嬢様、フィヨルドさん、逃げてっ!」
泣いてすがるメイドを無視して、ジークが強行突破でヒルデの部屋のドアを開けた。バターンッと大きな音を鳴れば、さすがのヒルデとフィヨルドもジークの来訪に気付くというもの。
ブラジャーのホック取り付け作業はまだ終わっていなかったのか、相変わらずフィヨルドは中腰でヒルデの胸の前で作業中だった。誰がどう見てもお楽しみ中の二人に、怒りの形相でツカツカと足音を立てて近づいていくジーク。
「きゃあっ! ジーク、何考えておりますの。今、わたくしは着替えの最中ですのよ。見ての通り、ブラジャーのホックがきちんと嵌まらなくて大変なのですから」
「じ、ジークさんっ申し訳ありません。今現在ヒルデお嬢様は、知恵の輪レベルの難解な下着取り付け作業の真っ最中です。どうか、もうしばらくお待ちを……」
天蓋付きベッドに座りながら慌てふためくヒルデ嬢と、彼女を守るように立ち塞がるフィヨルドは、どう見ても訳ありラブラブカップルだ。
彼らの言っている知恵の輪レベルのブラジャーホック取り付け作業は、側から見れば男女のアレコレを楽しんでいた二人の苦し紛れの言い訳にしか聞こえない。
だが、ジークはここに居合わせたすべての人の予想の、斜め上をいっていた。
「くくく、ブラジャーのホックが上手く調整出来ないのだろう? 無駄だよ、ヒルデ。そのブラは『童貞を殺す服シリーズ』の特注セット商品だ。ホックが上手くつけられるのは初回のみで、二回目は達人でなければ取り付けることは出来ない。所詮、『神聖ミカエル帝国知恵の輪大会準優勝』のフィヨルド君じゃ、上手く着け外しは出来ないのさ」
「なっっ! ジーク。どうしてあなた、このブラジャーが『童貞を殺す服シリーズ』の特注セットであることをご存知なの? それに、フィヨルドが『神聖ミカエル帝国知恵の輪大会準優勝』だってことを……知っているなんて?」
さすがは、我が神聖ミカエル帝国が誇る『最強のイケメン勇者様』ジーク。ヒルデのブラジャーがオートクチュールであることも、使用人のフィヨルドが、神聖ミカエル帝国知恵の輪大会準優勝者であることも、しっかり把握していた。
そこで、皆の心にある違和感が生まれる。何故、それほどまでにヒルデの衣服について、詳しいのか。さらに、フィヨルドの履歴についても調べがついているのか。そもそも、あの光景を見て、一瞬でブラジャーに苦戦しているだなんて、どうやったら推測出来るのだろうか。
困惑しつつある現場を、名探偵が種明かしするかの如く、ジーク自ら実演付きで検証し始めた、
「まず、ヒルデのそのブラジャー。いや、愛用している『童貞を殺す服シリーズ』のデザイナー、誰だと思う?」
「誰って、新進気鋭の『若手デザイナーGK氏』が、わたくしのために下着からワンピースまでデザインしたいというから……。えっ……まっまさか! 新進気鋭の若手デザイナーというのは?」
「くくくっ! ようやく気づいたのか、ヒルデ。そう、新進気鋭の若手デザイナーGKとは、僕のデザイナーネームさっ。ヒルデ、キミは僕のことを常日頃、嫌だ嫌だと言いながら、毎日のように僕がデザインした服を自慢げに着ていたんだよ。僕に、上からバスト85のCカップ、ウエスト60、ヒップ83のスリーサイズまで提供してね」
思わぬ展開に、真っ赤になった顔を手で覆い照れるヒルデ。中途半端に取り付けられたフロントホックブラを、シャツから覗かせながら会話している今の状況の方が、よっぽど恥ずかしい気もするが。そんなことよりも、ジークに知らず知らずのうちにスリーサイズを提供していたことの方が、ずっと恥ずかしかったのだ。
「あぁっ! どうりでジークが、わたくしのスリーサイズを把握していると思ったら。あなたが、デザイナー本人だったのねっ。悔しいですわっ。知っていたら、このシリーズを色違いデザイン違いで発注なんかしなかったのに」
「ヒルデは所詮、可愛い子猫ちゃんだ。骨の髄まで、僕という存在を求めてやまないのさ」
もう反論する気力も沸かないのか、ヒルデはガックリと肩を落として、ブラジャーのホックから手を外してしまった。無理して難解な知恵の輪レベルのブラに、挑戦する気持ちすら失せてしまったのだろう。
「では、オレの神聖ミカエル帝国知恵の輪大会の情報は?」
照れて何も出来ないヒルデ嬢に代わり、間男疑惑のあるフィヨルドが、ジークへ次の質問を問う。すると、見下すような目つきで、ジークが小学生時代の記憶を語り始めた。
「ふふっ忘れてしまったのかな? 小国の第4王子フィヨルド君、いや『氷河の知恵の輪ハンターフィヨルド王子』と呼んだ方がいいだろうか」
「そ、そのあだ名は! 僕が、例の知恵の輪大会で準優勝した際に、ついたものだ。けれど、あまりメジャーなものにはならず、当時大会に参加していた小学生と保護者しか知らないはず。まさか……!」
「くくく、ようやく気づいたか! あの時、キミをボロボロに打ちのめした腹面知恵の輪天才少年こそ、この僕なのさっ。悪いけれど、キミじゃあヒルデの相手にはチカラ不足。しかも雷に頭を撃たれて以降、マゾの傾向があるらしいじゃないか。そんなんじゃ、男としてダメだ。所詮キミは、永遠の2番手なんだよ!」
子供時代の輝かしい準優勝経験でさえ、ジークの方が上をいっていたとは思いもよらず。尚且つ、ナチュラルにフィヨルドが小国の第4王子であることも暴露されたが、ヒルデもフィヨルドもそのこと自体は気にする様子すらなかった。
ただひたすら、自分達がジークの掌の上で踊らされていたことが、悔しくて仕方なかったのだ。
「お役に立てず、申し訳ありませんでしたヒルデ嬢。でもオレのあなたへの愛は変わらない。ジークさんからの呪いで雷に打たれようが、暗殺されかけようが。オレはまだ、あなたを諦めませんっ! 近い将来、いや明日にでも自国のチカラを使って、あなたに結婚の申し入れをします。そうすれば、ジークさんとの婚約も破棄出来るはず!」
「フィヨルド。励ましてくれているのね、馬鹿なわたくしを」
どさくさに紛れて、自分が小国の第4王子であり、ヒルデに気があることを告白してしまうフィヨルド。だが、ヒルデからするとジークには誰も敵わないという絶望感から、フィヨルドの告白は浸透しないのであった。
* * *
部屋から立ち去るフィヨルドやメイドを見送って、部屋にはジークとヒルデの2人だけになった。
「以前も言っただろう? この勝負、惚れた方が負けだよヒルデ。そろそろ降参してくれないか」
「まだ。心が決まりませんわ」
「おやまぁ強情だね。このブラのホックと同じで」
素早くヒルデの外れた水色ブラに手をかけて、完璧にホックを取り付ける。どうやら、本当にジークがこのブラのデザイナーだったようだ。専属のスタイリストのようなスムーズな動きで、黙ってヒルデの服装を整えていくジーク。
「……ありがとうジーク。素敵な服をデザインしてくれて、でも黙っているなんて酷いですわ」
「酷いのはキミの方だよ、ヒルデ。あのまま、何かの間違いでキミとフィヨルドが一線を越えてしまったら、僕はこの場で彼を殺すところだった。童貞を殺す服なだけに……ね。キミは美しいのだから、もっと自覚しないと」
先ほどまでのコミカルな雰囲気はどこへやら、ジークは冗談抜きでフィヨルドに嫉妬していたらしい。真剣な眼差しで見つめられて、思わずヒルデの中にも罪悪感が生まれる。
「けどわたくし、生まれてから一度もジーク以外の男性に狙われたことなんてありませんわ」
「それはね……僕がいつも。キミを他の男から、守っているせいだよ」
そう告げて、そっとヒルデの柔らかな唇に口付けるジーク。いつものような反論の言葉は、ヒルデからは発せられなかった。
――彼女の生意気なセリフは、全てジークの唇が飲み込んでしまったのだから。
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