朱の緊縛

𝓐.女装きつね

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巫覡ト巫

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 後の世もまた後の世も廻り会へ染む紫の雲の上まで――源義経みなもとのよしつね――


 およそ九百年の昔、承安じょうあん四年。千手菩薩、毘沙門天、護法ごほう魔王三体の尊天鎮座する京の鞍馬寺くらまでら。幼名牛若丸、元服の名を源義経とする少年は優しい眼差しで露と戯れる虫に目を奪われていた。

 いづれ正室となる郷御前さとごぜんは義経入京を頼朝への手解き、掛け合い事に随分と忙しいようで、日頃側に寄り添うのはめかけ静御前しずかごぜんだった。しかしこの二人、主と仕えとは思いがたい言動は周囲をざわつかせていた。

「義経はまるで野心という物はないのか」

「皆が笑えばよいのさ……野心か、あえて言えば私の思うのは世から争い、あさましい欲念や憎しみが失せるのならことさら嬉しいが」

「まったく……いや、だからお主が愛でしいのだがな私は」

 義経の頭を撫でる静御前だが雨露を眺める目には何か虚ろさを落としていた。郷御前からあのような性格では官位など任されようもないと何度も言われていた静御前は、愛でしくも教育しなくてはという葛藤があるのだろう。

 しかし義経の性分を変えぬまま時代が動いてしまった。義経の父、義朝よしともが死に時期早々元服する事になったのだ。穏やかで万人に優しく女性のように細い線。元服するにはあまりにも華奢だ。少しでも腕のある武将であれば詭謀きぼうくわだてるのは至極当然だったのかもしれない。

 露が鎮まる漆黒に突如怒号が響き義経の瞼を開けた。床の壁に背を委ねていた静御前が直ぐ様駆け寄り寝床着のままの義経を引き摺り出すと黒鹿毛の馬に跨がせた。普段は小屋で膝を折らすのだが、何か不穏を察知していた静御前がここ毎晩は寝床すぐの庭に馬を置いていたようだ。

「はぁっ、あぁっ!」

 義経を懐に抱えるよう手綱を握った静御前は脚蹴を促し下る石段に向かって馬を走らせる。闇夜更に漆黒に溶ける黒鹿毛の馬はまるで怪物のようだ。追い放つ矢を避けると怪物は阿吽の虎を高々と飛び越えていった。


――「何い、義経だと?」

 東国の地で眉間を捻ったのは義経の兄、義平よしひらだ。八龍の鎧を纏い石切の太刀、葦毛あしげの馬を操り数々の合戦を駆けた名轟くまさに戦国の武将。あまりにもの豪傑さ故に人望には恵まれなかったが、それでも義経に官位等とは武家政権を目論む義平は微塵も認めてはいなかったようだ。早くに別れたが故、血縁の情も皆無な義平が義経に槍を立てる迄に時間は掛からなかった。


――「鈴鹿御前すずかごぜんっ」

 二晩程を駆け二人を乗せた黒鹿毛の馬は鈴鹿の地にひそりと構える頓宮とんぐうに脚を卸す。静御前の鈴に戸を引いたのは彼女の姉である鈴鹿御前だ。

 玉のかんざしを挿し十二単衣の装束に紅の袴を羽織ってはいるが、静御前と対になった双子姉妹のそれは女怪如じょかいごとく写し鏡のようであった。

 延ばした先には清水が流れ庭は五色の花が咲き乱れている。金剛瑠璃の奥には十二の門が立ち金銀の砂が敷かれた庭は歩の度に鈴音が響いた。高麗縁の畳が敷かれ欄射の名香の煙が立ち上ぼるそれは、まるで極楽世界のような殿である。

 腰を据えた三人は御子神の座で背に八つの蝋を囲み談を交えた。

 静御前の話によると義平は義経を討つつもりらしく、既に四方に手を廻し幾多の武将を従えているようだ。いつまでも雲隠れというわけにはいかぬが、多勢に無勢、否、この場二人以外の味方は遠方にしか居ないと静御前は肩をおとしていた。

 しかし坂東武者十七騎を率いて訪れる義平は抜く手も見せなかった。逃げ隠れられる場所が限られているのだから至極当然だったのだろう。乗り込まれた即座その不意に素手空手、術の無い静御前は欄射と浮舟の煙が立ち上ぼる格天井まで朱を飛沫しぶきを散らし揺蕩たゆとい果ててしまう。

 虎口の中、いよいよ鼻先まで向けられた刃先を避けずさり太刀を探る義経。その瞳子どうしを幻のような怪が止めた。

 義平の肩背に惚けりと狐面のようなモノが姿を表した途端、折れる程に背を捻らせた義平は絶叫に身体を蹌踉よろかせたのだ。

 義経が狐、怪と見誤ったのは静御前の姉、鈴鹿御前だった。

 モノノ怪のよう長い漆黒を揺らし、後に “ 鬼切り丸 ” と称される三尺一寸鈴音の鳴る朱い柄巻の太刀から濡れたばかりの雫を落としそそる体貌はまさに鬼神、天魔王のようだ。

 その風貌に義経は蒼白する口先を覆うよう指先を招いていた。

「す、鈴鹿……御前」

「……あぁ、義経よ。静御前と我、重なりそなたを守る」


――後に無事京へ送り出された義経は都の治安維持にあたりその性分を発揮したが、鈴鹿御前の姿は上京すぐその姿を消し、鈴鹿の神子。立烏帽子神子たてえぼしひめ称揚しょうしょうされ鬼切りと共に各地に奇怪な逸話を残した。
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