朱の緊縛

𝓐.女装きつね

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ユキ

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――平成四年六月――

 ボスニアに滞在していた夏稀は、独立によるセルビアとの紛争の寸前で余儀なく帰国し、一人、岩手県の雫石町しずくいしちょうに居た。

 “ 全日空機雫石衝突事故 ” 

 この事故の惨状をファインダーに収める為だ。昭和四十六年に起きた旅客機と自衛隊機の空中衝突事故。ここ雫石はその墜落現場だった。

「ハァハァ……ふぅ、慰霊の森……ここか」

 登山口から整備された階段を登り、二十分もした頃。夏稀の視界に三つの石を横に並べた碑が見えた。石の前には黒い化粧石が埋め込まれ、慰霊の森と彫られている。平日の夕方というのもあって手を合わせる影は夏稀一人だ。

 夏稀は慰霊碑に手を合わせた後、立ち止まりファインダーを覗く場所を思案していると、先に伸びた道が夏稀の視界に入る。それは共同納骨堂を横目にさらに奥へと続いているようだ。夏稀はそこに向かい歩き始めた。

 整備された道を越え、草木の茂る山中までに脚を踏み入れさらに奥にと進む。身体に絡みつく蔓草に悶えながらも、三十分程歩いた頃。奪われていた脚がふと軽くなり視界が開けた。

 二十年もの時を経てはいるが、その惨状は爪痕を固持したまま時間を拒絶し続けている。その凄まじすぎる光景に夏稀は思わず自らの口を塞いだ。その時、夏稀は父親に叱咤された昔の事を思い出していた……それは夏稀が初めて戦場跡地でカメラを構えた時の事だ『伝える事がお前の役目だ』と言った父親の言葉は今でも夏稀の背中を押している。

 夏稀は瞑っていた眼を凛と開くと、まるで何かと闘うようにカメラを構えファインダーを覗いた。しかし日暮れと山の蒸気のせいだろうか、どうにも露出が合わない、変に性能が良すぎるカメラというのも良し悪しだ。納得のいくアングルがなかなか固定しない夏稀は、小型のデジタルカメラを胸のポケットから出し、それまで構えていたデジタル一眼レフを足元に置く。一キロの重さをゆうに超える一眼レフでは、大まかなアングルを捉えるだけでも一苦労だからだ。

 すると夏稀が覗くファインダーの中に不意に一組の男女が飛び込んだ。偶然とはいえ無断でファインダーに収めてしまった事に夏稀はその二人に声を投げ掛けた。

「あ。す、すみませんでしたあ」

 二人は夏稀の声に視線を向け、胸元で手を広げるとニコリと微笑み夏稀に歩を寄せてくる。それに気を取られていた夏稀……と、すぐ後ろで “ カサカサッ ” と草葉を掻く音が走る。突然の不意に夏稀は肩をびくりと萎めた。小さな声を圧し殺し振り返る夏稀。すると夕日に艶を光らせる黒髪、おかっぱ頭の女の子が地面に何かを探しているような仕草で葉を掻いていた。容姿で言うと五歳程なのだろうか。夏稀は気配もなく突然現れた “ それ ” に萎縮を隠せなかったが、無理矢理非常識な思考を捨て、何事もなかったようにその女の子に微笑みを向ける。

「お、お嬢ちゃん、何か探しているの?」

「あの人たちがねぇ、ユビワをおとしたんだってぇ。だからユキがてつだってあげてるのー」

「はは、ありがとうお嬢ちゃん。でも、もういいよ。暗くなっちゃうしね。ありがとう」

 夏稀の寸前まで歩を近づけていた先程の二人。男性が女の子の前に膝を折り、ニコリと微笑むと帰路を促した。そう、もう辺りは日暮れる頃だ。

「でも、ぜったいみつけてあげるからねっ」

「ありがとう。でもまた明日にしようね」

 女性が目線落とし、女の子の頭を撫で下ろす。ひどく優しい母親の顔をして、まるで我が子を撫でるようだ。

「うん、わかったぁ。おにいちゃんもユキをよんでいるからかえるね。じゃあね、おじちゃん、おばちゃん。あ、なつきちゃん。ばいばぁ~い」

 ユキちゃんという女の子が立ち上がり振り返ると、慰霊碑の方へ早々と駆けて行く。その後ろ姿を静かに眺めていた女性は男性に寄り添い肩を抱かれると涙に震えだした。

「すみません」

 男性は右の手で女性を引き寄せ、視線を女の子の後ろ姿に捉えたまま夏稀に呟く。

「ここの事故でね、私達の娘が。ちょうどあの位の子でした。だめですね……無意味とわかっていてもここに来てしまいます」

 言葉を失う夏稀に、男性は振り返ると元の場所へと歩を進め始めた。

「お願いしますね、惨状が繰り返されないように。事故が風化されないように。伝えてください。私達はまだ探し物がありますので、では」

 男性はそう言うと、右の女性をしかりと抱き寄せ、姿を小さくしていく……

 撮影を満足させた夏稀は慰霊碑に手を合わせた後、おあつらえなベンチに座りカメラ備品の確認を始める。するとバッグの片隅にリングが落ちているのが見えた。ストラップから外れたのだろうかと手に取り、くるりと裏の刻印を見た瞬間、夏稀の思考が停止した。

 1965・11・22  K  ~  S

 しまいかけたカメラを取り出し、あの男女を収めた画像を確認する夏稀。と、それに妙な違和感を覚えた。 “ 逆 ” なのだ、まるで全てが鏡のように。スーツのボタン、ブラウスのボタン位置。一般的な男女の立ち位置までも。六十五年、五歳位の娘。あの二人は大げさに年配に見ても三十代だ。

 夏稀は暮れ行く空を見上げ、ゆっくり瞼を閉じる……ひとつの鼓動だけが “ とくんっ……とくん ” と響く中、夕刻の冷たい山風が葉と夏稀の髪の毛をふわふわと揺らがしていた。風音に随分の時間を委ねた後、整理し直したバッグを背負い納骨堂に向かった夏稀は、そこで膝を折ると、指輪を丁寧に供え瞼と手を閉じる。

 『見つけくれてありがとう。きっとあの人達は……』

 階段を俯きながら降りる頬を僅かに濡らす夏稀。

「私の役目だねパパ。あれ……あのユキちゃんて女の子はいったい」

 ぽつりと夏稀が呟いた。
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