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夢
しおりを挟むブラインドから陽射しが差し込むには少し早い時間、ベッドには天久の寝息が聞こえている。夏稀は微睡みからゆっくりと上体を起こし、随分と天久の寝顔を眺めていた。
眠くもない瞼を指先で擦った夏稀は壁のカレンダーを傾ける視線に確認した後、ベッドを降り台所に向かう。そしてまだ薄暗い台所で照明も付けずに歪む声を必死に抑えていた。
遅れた天久が寝室から顔を出し夏稀に微笑む。射し始めた陽射しの中、白いブラウスを羽織る夏稀の姿が微睡みから覚めきらない天久にまるで虚ろに映っているよう、爪先を止め瞼を掻いている。ようやく夏稀の立つ台所に並び、寝起きの喉を潤そうとグラスを取る天久に夏稀が飲み物を差し出した。
手頃な材料を使って作ったのだろう、陽射しに朱く光りまるで何かのフルーツのようだ。
その美味さにミキサーをすっかり空にした天久がふと机に目を運ぶと、そこは出版社からの手紙や書類で随分と煩雑している。どうやら夏稀は夜が明ける前からたまっていた仕事に勤しんでいたのだろう。余程激務だったのか、夏稀の腕には腱鞘炎防止のサポーターが見える。顔色が思わしくない夏稀に天久は気遣いの言葉を投げると夏稀は大丈夫だと言って微笑んだ。
それは天久が知り得る限り、一番の優しい笑顔だった。
――やがて夜も落ち着き揃う頃、鏡子の口から出たキーワードは『平行世界、パラレルワールド』という言葉だった。皆は一瞬困惑した表情を見せたが、そんな中天久の隣に座る夏稀はウィスキーを片手に瞼を閉じて鏡子の話しを聞いていた。
鏡子の話しだと城川がすでに亡くなっていたはずの夜に篝でお酒を飲んだというのは天久の夢ではなく平行世界での現実って事らしい。しかしやはりそんな仮説はあまりにも突飛すぎる。故になのだろうか、夏稀は鏡子に言葉を投げかけたが何かに詰まらせそれを飲み込んだ。
「あぁ分かっている、こんなのは仮説だしコジツケだ。実際に篝さんが何か犯罪をおかした訳でも何でもない。現実は優の症状、城川さん、それと篝の常連だった客、この二人の死因が原因不明の窒息死って事だけだ」
「やっぱりただのコジツケで篝さんは何も」
「ふっ、夏稀ぃやっぱり惚れているのか、篝さんに」
「な、なんっ……せーなっ、違うよバカっ」
「まぁいいや、フラれたみたいだしな夏稀っ」
鏡子が夏稀をからかうと、僅かに夏稀は頬を朱く染めている。それを見ている天久は何か少し哀しげな表情を浮かべていた。分かり安い光景とはまったくこの事だ。
「確かに何一つ証拠も無いのだからコジツケかもしれないさ、だけど空間が捻れているのは確かだ。それとアイツ、篝さんは人間じゃない。肉体としては明らかに死んでいるはずだ、けど違うんだよ、今までに私が関わったヤツとは。アイツが幽霊って訳でもないし悪霊や生霊とかに取り憑かれているって訳でもない……そう、アイツはいわゆる “ 化け者 ” ってやつだな」
それを聞いた夏稀はまたも何かを詰まらせた、それはまるで何かを知っているかのように。
「それとコジツケじゃない事実がもうひとつ。アイツは私に喧嘩を売ってきた」
「えっ喧嘩って、鏡子さんに?」
「あぁ、私に毒を盛ったんだよ。優ぅお前の状態、変異。その毒にやられた可能性が高い。レッドアイ……あの朱い酒な、あれは篝さんの血液入りだ。翌朝に優が吐き出したのは銀歯じゃなくて血塊か肉片だよ」
天久は嘔吐感に思わず口を塞いだ。そうだろう、天久は記憶にないほど何杯ものレッドアイを口にしたのだから。
「ただな、ここまでなんだよ。一番大事な事。篝さんが何をしたいのか何で優が標的になったのかこれが繋がらない、解決策がわからない」
少しの沈黙の後、まるで話題を変えるかのように夏稀が天久の肩に手を置く。
「天久の母親は外国人だったよな」
「そ、そうですが……夏稀さんどうして」
天久の両親は既に他界している。いわゆる天涯孤独というヤツだ。だが天久はそれ以上の事情を夏稀に話した覚えはなかったのだ。天久は不思議そうな表情で夏稀を見つめたが夏稀はそれに目線を合わせる事もなくそっと目を閉じた。
ソファーを立ち夏稀は壁のカレンダーを見つめる。夏稀の表情にソファーから腰を浮かす鏡子。壁を見つめる夏稀の眼差しに何か違和感を感じたのだろう。
「ん? 夏稀?」
「あっ奴代ちゃん明後日ヒマ? 美容室の予約しているんだけどさ、よかったら一緒に行こう? 腕のいい美容師だから可愛くなるよぉぉ」
「美容室……うん」
「ちょっ、夏稀ぃ」
「ごめん鏡子姉さん、今夜は先に休むわ徹夜で書類だったからさ私」
「あ……あぁ、そうか」
「おやすみなさい夏稀さん」
『ごめんなさい。天久、鏡子姉さん……私……私は』
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