29 / 47
迷子の妹
しおりを挟む――平成十六年五月――
樹木が緑に染まり始める五月の高い空にチャペルの鐘の音が響く、教会造りの階段を降りる二人に沢山の花弁と喝采が祝福を投げている。新婦が喝采に背中を向け、後ろの空高くにブーケを投げると、少しばかりの風が奴代の手元にそれを運び落とす。きょとんとした顔の奴代に鏡子が駆け寄り、肩を引き寄せて微笑んだ。
「近代のジンクスでな、次にウェディングドレスを着るのは奴代って事だよ。ほら、私と優の時にブーケを受け取ったのはピコさんだっただろっ」
その話に驚いたように、頬を朱く染める奴代。鏡子はその表情に知らなくて当然だよなと微笑む。すると突然鏡子が少し眉をしかめた……どうやら奴代が結婚して子供が出来たら自分がお婆ちゃんになる事を想像したようだ。
朱い絨毯に篝で見るいつもの顔ぶれが揃い、主役の二人を囲んでそれっぽく整列をする。天久は一人、三脚に乗せたデジカメでその光景を眺めていた。タイマーを合わせて整列に急ぎ駆け戻る。皆が笑顔を作る中、伊丹が声を上げた。
「せぇ~のぉ、十六割る八はぁ~」
「うぉいっ、わっっかりづれーよ伊丹さんっ」
「ぜっつたい何人かキョトンって顔してますってぇ」
「はいはい、撮り直し撮り直しぃ」
皆が喜色満面の中、天久は二度目のタイマーをセットして再びディスプレイの中に戻る。
「はい、いくよぉ~チぃーズッ」
教会を背に天久は今度は上手く撮れたかと確認に走った。デジカメを覗いて保存画像を確認した天久が眼を見開き、手で口を覆った。ここには居るはずのない二人が白いドレスを纏い、幸せそうな笑顔を向けていたのだ。皆から離れて鏡子が天久の元に駆け寄ってくる。鏡子も上手く撮れたのか確認をしたかったのだろう。しかし、天久は呆然とデジカメを持ったままで近付く鏡子にも無言のままだ。不思議に思った鏡子は天久の手に収まるディスプレイを割り込むように覗き込むと、それまで浮かれていた鏡子の言葉はピタリと止まった。
はっきりと、あまりにも鮮明に。そこに写っていたのは仲良さげに肩を抱き合い笑顔を向けている夏稀と篝だった。二人を知らない人間がこの写真を見たら、何一つ疑わないだろう。
教会の祝福の鐘の音が鳴り響く。まるでそれと共鳴するかのように鏡子の首飾りの鈴が音色を奏でた。高く、高い五月の空が彼方まで澄みきっていた。
――三ヶ月程前の事――
コンビニの雑誌コーナーで立ち読みしている男性の上着の裾を、小さい手が引く。男性はそれに気が付いていながらも、雑誌のページを無表情のままでめくり続けた。男性はその小さい手の主に覚えはなかった。まさかコンビニの中で迷子なのかと疑いながらも、その小さい手には何の反応をする事もなく雑誌を読み続けている。
反応の無い男性に、小さい手が力を強め裾を何度も引っ張る。無反応で雑誌をめくる男性のその様はまるで我慢比べのような感じだ。男性は躊躇していたのだ、今のご時世で小さい子供に声をかけるリスクに。周囲の一人の人間が誘拐だと言ったら、それはもう誘拐になってしまうのだから。
時間は十分ほど経過したが、小さい手の親らしき姿も無いままに、小さい手は今だ男性の裾をしかりと握り絞め、それを離す素振は無いようだ。手元の雑誌も完読してしまった男性はいよいよ諦めた様子で、その小さい手の子供に声を掛けた。
男性は母親は近くに居るのかと訪ねたが、小さい手の主の女の子は俯いて首をぶんぶんと横に振るだけ。男性は半ば呆れたように帰らないと怒られるよと女の子を諭すと、ぴらりと女の子は名札のような物を男性の目線に差し出した。どうやらそれには住所や名前が書かれているようだ。助けを求めるよう探した店員は前歯が無く、なんか眼は残念な程ドラッグだ。何かを諦めたのだろう。男性は溜め息をついて再度名札を確認した。
「よしっ、かしわぎかおるちゃん。お兄ちゃんが一緒に行くから、お家帰ろうなっ」
「うんっ。ありがとう、おじちゃんっ」
『っんだとぉこんのクソガ……はぁ~しゃーねぇなぁ、もう』
男性はコンビニを後にして、女の子の手を引き十分ほど歩いた所で、その住所のアパートにたどり着く。築二十年は軽く経過しているであろう二階建てのアパートだ。名札に書いてある部屋の前で表札を確認し、男性が扉を叩くと、返答からすぐに扉の鍵が外され、高校生位の女の子が扉を開けた。多分この子のお姉さんなのだろう。
女の子は慌てながらも、何度も何度も男性に頭を下げる。ひどく心配していたようだ。その様に安心した男性は、早々に背中を向けて道を引き返そうとした時、姉らしき女の子が突然男性の腕を強く掴んだ。
『……ま、また掴むのかよぉっ』
姉らしき女の子は、なんと男性を自分の家に上げて食事を振る舞いたいと言い出したのだ。男性は何とか断ろうと言葉を模索する。女の子、しかも子供だけの家、警察に踏み込まれたら何一つ言い訳など出来ない情況が安易に想像できたのだ。
しかし姉らしき女の子は一向に諦めるような気配が無い、お礼もしないまま男性を帰したら自分が姉に怒られるからとその嘆願はあまりにも必死だ。男性はついに諦めるようにその言葉に頷いた。トラブルになった時は伊丹を頼ろうと思いながら。
半畳程の玄関に靴を揃えると、男性はリビングに招かれる。隣の部屋は襖で仕切られているようだが数名の家族で住むには、少し手狭な間取りだ。
女の子は男性に寛いで欲しいと気を使っているようだが、男性は保護者が留守にしている家庭、しかも見知らぬ子供だけの家に自分が上がり込んでいる事に躊躇していた。男性が遠慮がちに家族の人はと聞くと、女の子は社会人の姉の話しをしただけで返答が終わる。どうやらこの姉妹に親は居ないようだ。しかし男性は詮索するのも気が引けたのだろう。そこで言葉を飲み込んだ。
「あっ、気を使わないでくださいね。両親が亡くなってからは姉妹三人暮らしなんです。いつもお姉ちゃんに頼ってばかりで」
「すごいね。花も飾ってあって部屋も綺麗だし。うん、美味しそうな匂いだぁ。ごちそうしてくれるなんて本当にありがとう」
これが男性の選んだ言葉の精一杯だった。この子達は幸せにならなきゃダメだと思いながら、男性はほんの少しの間だけ目を瞑った。
「あぁそれ、切り花の割には元気なんですよぉ。その花は姉が友達の結婚式に出た時に花嫁さんが投げたブーケを受け取ったんですって」
「へぇ~、幸せな花だから元気がいいのかもね」
男性は言葉選びを間違えたようだ、自分の言葉でジンマシンが出そうだと悶えている。普段言わないような台詞はやはり簡単に口にしてはいけないらしい。
「女性同士のカップルさんだったんですって、ブーケを投げた花嫁さんて。どっちもウエディングドレスで面白い結婚式だったみたいですよ」
ふと男性の視界に入った壁に、ゴスロリの服が掛けてあった。今なにか嫌な予感がしたと思いながらもそれを振り払うように男性は会話を続けた。
「あ、あれはお姉さんの服?」
「あぁ、彼氏さんと初めて会った時の記念なんですって。何故かずっと飾っているんです」
「あ、あのぉ……お姉さんの名前とかって」
「すみれです。あっ、はいどうぞ。美味しくないかもですけど」
男性の前にカレーライスが置かれる。この女の子が作ったやつなのだろう。男性は気が遠くなってきたような表情をしながら、それを口に運んだ。
「なんか、なかなかプロポーズしてくれないみたいで。彼氏さんが」
「ブグッ」
「あっ、だ、大丈夫ですか? お口に合わ……」
「いやいやいや、すごくお腹がすいていてさ。美味しくて一気に食べたら喉につまっちゃって。あ、あはは」
「お姉ちゃん毎日クタクタになるまで仕事してて、早く幸せになって欲しいんですけどね。私達もお兄さんが出来たら嬉しいし」
「そ、そうだね。は、……ははっ」
――雑居ビルの四階、黒地に白抜きで篝と書かれた看板。朱く統一された店内のカウンターの隅で亀山がグラスを揺らしている。今日はやけに口数が少ないようだ。少しすると、待ち合わせていたピコが奴代と初見の男性を連れて篝の扉を引いた。どうやらエレベーターで、たまたま三人は一緒になったらしい。
初見の男性は奴代の友達なのだろうか、天久はカウンターにおしぼりを置くと、少し不思議そうな表情で奴代に視線を向けた。天久が奴代に訊ねた事によると、その男性は奴代のリハビリを手伝っている矢部という方らしい。
その矢部という男性に天久は奴代の父親だと言い、鏡子が自分が母親だと挨拶をする。情況を知らない人間には至極不思議な話しだろう。すると矢部は椅子にも座らないで一点を見つめたままずっとその場に立っている。
そこまで驚かなくてもと天久と鏡子が目を合わせた時、誰にも視線を合わせないでいた矢部が突然奴代と恋人付き合いをしていますと深々と頭を下げた。鏡子は飲みかけていたウィスキーグラスを慌てて落としそうになっている。寝耳に水とはこの事だろう。
奴代はカウンターの席で照れくさそうに肩を絞めて、鏡子達にはまだ何も教えていなかったのだと頬を朱く染めていた。しかし、それを微笑みながら祝福する天久と鏡子は至極優しい表情をしている。まるで本当の自分達の娘を見ているように。
その二人の祝福に奴代と矢部の緊張した時間が解けだした頃、席から立ち上がり咳払いをした亀山が、まだ席に着かず奴代を祝福していたピコの方へすたすたと……いや、カクカクと歩み寄った。関節が抜けたような亀山の動きに皆が『な、何事だ?』と視線を向ける中、亀山はピコの肩をガシリと掴み、舌を何度も噛みながら、なんと突然プロポーズをしたのだ。あまりにも突然の出来事に皆が漫画のような表情で固まる中、亀山に肩を捕まれたピコが頬を濡らして頷いた。
「え……えぇーっと、これはお祝いしなくちゃですねっ」
その様に微笑なごませた天久は冷蔵庫からシャンパンを三本取り出し、人数分のグラスをテーブルに並べる。二組のお祝いの席に天久からのプレゼントという訳だ。
三本のシャンパンを天久と鏡子、そして伊丹とが持ち同時に開けますよと天久が声を掛けると、伊丹が突然オイオイ、サービスしすぎだとシャンパンのラベルを見て驚いている。どうやら、お色気系のお店で同じシャンパンに原価の二十倍近くのお金を払ったらしい。その事実に天久と鏡子は爆笑していたが、当の伊丹はあまりの衝撃に頭を抱えていた。
が、祝いの席だ。三人が二組のカップルに向け栓を空ける音と共に、店内にシャンパンの甘い香りが漂うと、何かヤケクソ気味だった伊丹も微笑みを見せ、皆で二組の幸せに祝杯のグラスを掲げる。
数人のグラスに二杯目のシャンパンが注がれ始めた頃、頬を朱らめたままのピコが明日にでも自分の両親に一緒に挨拶をしようと亀山の近くに寄り添う。きょとんとする亀山を余所目に仕事でなかなか日本に居ない両親がちょうど帰国しているからとピコは微笑んだ。
時間が止まったとはこの事だろう。亀山はグラスを持ったまま呆然と立ち尽くしている。
いや、しかし既に事を引き返すなど出来ない情況だ。自分の勘違いを認めたくなかった亀山はおそるおそるピコに姉妹の存在を確認した。すると首を傾げながら自分には姉妹は居ないとピコは不思議そうな表情をしている。
人間というものはこうゆう時に面白い行動をして墓穴を掘るものだ。亀山はカウンターの隅に置いてあった自分のパソコンに飛び付くとエンターキーを連打した。
この亀山という男、手元に機器さえあれば世界中のネットワークに自分の意識をリンクする事が出来るのだ。
自分でもいつから出来るようになったのか分からないようだが、いつも通りパソコンを使いネットワークにアクセスしていた時にふと気付いたのだ、モデムを繋げていなかった事を。だが画面には尋常外れた速度で次々と情報が表示されていた。どうやら亀山の意識自体がネットワークと同期したのだ。その気になれば米国ペンタゴンのサーバーの情報でも簡単に見れるだろう。
しかしこの亀山という男はいい事にも悪い事にもあまり興味をもっていないようで、それこそ、その能力を使えば大富豪になるなど容易い事なのだが、生業としている投資業も日々の生活が送れる程度にしか労力を費やしていない。まぁ、なんというかズボラなのだ。
そんなズボラな性格のせいだろう、恋人であるピコの個人情報など調べた事がなかったのだ。それが今目の前に次々と表示されている。亀山は飲みかけていたシャンパンをパソコンの画面に吹き出した。
隣に腰を降ろしたピコは、頬を染めて末永くお願いしますと微笑んでいるが、おそらく目を合わすもままならないのだろう。亀山はかすむ程の地団駄に頭を掻きながら “ やってしまった ” とジレンマを隠している。
柏木スミレ。二十六歳、京都大学卒業、柏木宮家の長女……そう、ピコこと柏木スミレは一般庶民がおいそれと結婚など出来るような人物ではなかったのだ。
カウンターに新しいロックグラスを滑らせる天久の笑顔。それはまるでストレートフラッシュをかざす様のよう亀山には見えていただろう。
いた仕方ない、すっかりあとの祭りというヤツなのだから。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
〈社会人百合〉アキとハル
みなはらつかさ
恋愛
女の子拾いました――。
ある朝起きたら、隣にネイキッドな女の子が寝ていた!?
主人公・紅(くれない)アキは、どういったことかと問いただすと、酔っ払った勢いで、彼女・葵(あおい)ハルと一夜をともにしたらしい。
しかも、ハルは失踪中の大企業令嬢で……?
絵:Novel AI
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる