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プロローグ『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』
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プロローグ『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』
十月三十一日、午後九時。
渋谷のスクランブル交差点は、すでに狂気の祝祭だった。
ピエロ、魔女、警官、ゾンビ、セーラー服の男子、吸血鬼の女王。
どの顔も笑っていて、どの笑いも少しだけ壊れていた。
人の波がぶつかり、熱気が上がる。
マスク越しの吐息に混じるアルコールと香水、焼き鳥とタバコの匂い。
スマホのフラッシュが雨のように降り注ぎ、夜が白く瞬く。
「……人、多すぎ」
類は思わずつぶやいた。
18歳、高校三年。
友達と来たはずのハロウィンの渋谷で、気づけばひとりになっていた。
「カズも、リュウもどこ行ったんだよ……」
LINEを開こうにも、電波が詰まって送れない。
群衆のざわめきが耳を圧し、ベース音が鼓膜を震わせる。
視界の端で、仮装した誰かが笑いながら自撮りをしている。
類も笑っているふりをして、ただ立ち尽くした。
そのとき、背筋を撫でるような視線を感じた。
「……?」
振り返っても、見渡す限り人、人、人。
オレンジ色の街灯の下で、誰もが仮面をつけている。
けれど確かに――誰かが、じっと見ている。
その感覚だけが、皮膚の奥をざらつかせた。
「気のせいか……」
そう言って笑おうとした瞬間、耳の奥で低い声がした。
「……迷子か?」
振り返る。
そこに、いた。
人混みの向こう、赤いネオンの切れ目に立つ――背の高い男。
黒いマント。白いシャツ。血のような紅のネクタイ。
そして何よりも、異様なほど“静かな”目をしていた。
周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた気がした。
男は歩き出す。
人波がまるで彼を避けるように割れていく。
その姿は“仮装”というより、“異物”だった。
「……すごいコスプレ」
類は自分に言い聞かせるように笑った。
けれど、笑えなかった。
心臓の鼓動が速くなり、喉が渇く。
「……なに、あの人」
つぶやく声が震えていた。
男が近づいてくる。
まっすぐに、類の方へ。
「ちょ、待って……」
逃げようとするのに、足が動かない。
視線が、離せない。
まるで見つめられた瞬間、何かを縫い止められたように。
「こんばんは」
低く、柔らかい声。
目の奥まで刺さるような音だった。
「……え、あの、こんばんは……?」
「君、名前は?」
「え?」
唐突な質問に、戸惑って言葉が出ない。
「……る、類です」
「ルイ。――いい名だ」
微笑んだ唇が、異様に白かった。
その笑みに、どこか懐かしさを感じた。
初めて会ったのに、どこかで見たことがある気がする。
けれど、その“記憶”が思い出せない。
「今日は、ひとり?」
「い、いや、友達が……」
「もう帰ったよ」
「え?」
「君を置いて、ね」
「なんで、そんなこと……」
男はふっと目を細めた。
「夜はね、人を変える。
そして、誰もが“本当の顔”を見られたくないんだ」
類の背筋に冷たいものが走る。
周囲の音が、また遠のいていく。
渋谷の雑踏が、まるで深い水の底に沈むように。
耳鳴り。
鼓動の音。
それしか聞こえない。
「……帰らなきゃ」
ようやく絞り出した声。
「そうだね。帰ろう」
「え?」
「僕の家に」
その瞬間、空気の温度が下がった。
吐く息が白い。
夜風が頬を撫でる。
柑橘と血のような香り。
どこかで誰かが悲鳴を上げたが、遠い。
「君、冷えてるね」
男がそっと指先で類の頬に触れた。
ひやりとして、少し熱い。
その指に、かすかに震えた。
「な、なんですか、あなた」
「名乗っていなかったね。――ヴァンだ」
「……ヴァン?」
「そう。ヴァン・アルカード。
君たちが“ドラキュラ”と呼ぶ血の家系の者だよ」
冗談だと思った。
けれど、笑えなかった。
目が、冗談をしていなかった。
吸い込まれるように、黒と紅が溶け合っている。
類は一歩、後ずさった。
「帰ります」
「帰る場所なんて、もうない」
「なに言って……」
「今夜、君は僕を見た。
“見る”ということは、選ばれるということだ」
心臓の鼓動が高鳴る。
頭がくらくらする。
ヴァンの影がゆらぎ、ネオンが歪む。
街の喧騒は消え、代わりに聞こえたのは、風の音と……。
――鼓動。二つの鼓動が重なり、ひとつになる。
「怖い?」
「……怖い、です」
「でも、逃げないね」
「……動けない」
「それは、心がもう決めているから」
ヴァンの手が、類の髪をすく。
指が首筋に滑る。
その先に、牙の白が光った。
「やめ……っ」
「大丈夫。痛くしない」
唇が触れた瞬間、視界が真っ赤に染まった。
熱と冷たさが同時に襲い、
類の体は小さく震えた。
胸の奥で、何かが壊れて、そして――満たされていく。
「君の血は……とても、優しい味だ」
その言葉が、なぜか嬉しかった。
怖いはずなのに、涙が出た。
「なんで……」
「君は、僕の夜を照らす月だから」
「……あなたは、誰なんですか」
「僕は――仮装じゃない。本物の悪役令息だ」
「悪役……?」
「そう。
この世界にとっては、ね」
ヴァンが微笑んだ瞬間、
ネオンがぱっと消えた。
渋谷の街が闇に沈み、月光だけが二人を照らしていた。
血の味、煙の匂い、遠くで上がる歓声。
類はその中で、ゆっくりと目を閉じた。
――ハロウィンの夜は、まだ終わらない。
十月三十一日、午後九時。
渋谷のスクランブル交差点は、すでに狂気の祝祭だった。
ピエロ、魔女、警官、ゾンビ、セーラー服の男子、吸血鬼の女王。
どの顔も笑っていて、どの笑いも少しだけ壊れていた。
人の波がぶつかり、熱気が上がる。
マスク越しの吐息に混じるアルコールと香水、焼き鳥とタバコの匂い。
スマホのフラッシュが雨のように降り注ぎ、夜が白く瞬く。
「……人、多すぎ」
類は思わずつぶやいた。
18歳、高校三年。
友達と来たはずのハロウィンの渋谷で、気づけばひとりになっていた。
「カズも、リュウもどこ行ったんだよ……」
LINEを開こうにも、電波が詰まって送れない。
群衆のざわめきが耳を圧し、ベース音が鼓膜を震わせる。
視界の端で、仮装した誰かが笑いながら自撮りをしている。
類も笑っているふりをして、ただ立ち尽くした。
そのとき、背筋を撫でるような視線を感じた。
「……?」
振り返っても、見渡す限り人、人、人。
オレンジ色の街灯の下で、誰もが仮面をつけている。
けれど確かに――誰かが、じっと見ている。
その感覚だけが、皮膚の奥をざらつかせた。
「気のせいか……」
そう言って笑おうとした瞬間、耳の奥で低い声がした。
「……迷子か?」
振り返る。
そこに、いた。
人混みの向こう、赤いネオンの切れ目に立つ――背の高い男。
黒いマント。白いシャツ。血のような紅のネクタイ。
そして何よりも、異様なほど“静かな”目をしていた。
周囲の喧騒が、一瞬だけ遠のいた気がした。
男は歩き出す。
人波がまるで彼を避けるように割れていく。
その姿は“仮装”というより、“異物”だった。
「……すごいコスプレ」
類は自分に言い聞かせるように笑った。
けれど、笑えなかった。
心臓の鼓動が速くなり、喉が渇く。
「……なに、あの人」
つぶやく声が震えていた。
男が近づいてくる。
まっすぐに、類の方へ。
「ちょ、待って……」
逃げようとするのに、足が動かない。
視線が、離せない。
まるで見つめられた瞬間、何かを縫い止められたように。
「こんばんは」
低く、柔らかい声。
目の奥まで刺さるような音だった。
「……え、あの、こんばんは……?」
「君、名前は?」
「え?」
唐突な質問に、戸惑って言葉が出ない。
「……る、類です」
「ルイ。――いい名だ」
微笑んだ唇が、異様に白かった。
その笑みに、どこか懐かしさを感じた。
初めて会ったのに、どこかで見たことがある気がする。
けれど、その“記憶”が思い出せない。
「今日は、ひとり?」
「い、いや、友達が……」
「もう帰ったよ」
「え?」
「君を置いて、ね」
「なんで、そんなこと……」
男はふっと目を細めた。
「夜はね、人を変える。
そして、誰もが“本当の顔”を見られたくないんだ」
類の背筋に冷たいものが走る。
周囲の音が、また遠のいていく。
渋谷の雑踏が、まるで深い水の底に沈むように。
耳鳴り。
鼓動の音。
それしか聞こえない。
「……帰らなきゃ」
ようやく絞り出した声。
「そうだね。帰ろう」
「え?」
「僕の家に」
その瞬間、空気の温度が下がった。
吐く息が白い。
夜風が頬を撫でる。
柑橘と血のような香り。
どこかで誰かが悲鳴を上げたが、遠い。
「君、冷えてるね」
男がそっと指先で類の頬に触れた。
ひやりとして、少し熱い。
その指に、かすかに震えた。
「な、なんですか、あなた」
「名乗っていなかったね。――ヴァンだ」
「……ヴァン?」
「そう。ヴァン・アルカード。
君たちが“ドラキュラ”と呼ぶ血の家系の者だよ」
冗談だと思った。
けれど、笑えなかった。
目が、冗談をしていなかった。
吸い込まれるように、黒と紅が溶け合っている。
類は一歩、後ずさった。
「帰ります」
「帰る場所なんて、もうない」
「なに言って……」
「今夜、君は僕を見た。
“見る”ということは、選ばれるということだ」
心臓の鼓動が高鳴る。
頭がくらくらする。
ヴァンの影がゆらぎ、ネオンが歪む。
街の喧騒は消え、代わりに聞こえたのは、風の音と……。
――鼓動。二つの鼓動が重なり、ひとつになる。
「怖い?」
「……怖い、です」
「でも、逃げないね」
「……動けない」
「それは、心がもう決めているから」
ヴァンの手が、類の髪をすく。
指が首筋に滑る。
その先に、牙の白が光った。
「やめ……っ」
「大丈夫。痛くしない」
唇が触れた瞬間、視界が真っ赤に染まった。
熱と冷たさが同時に襲い、
類の体は小さく震えた。
胸の奥で、何かが壊れて、そして――満たされていく。
「君の血は……とても、優しい味だ」
その言葉が、なぜか嬉しかった。
怖いはずなのに、涙が出た。
「なんで……」
「君は、僕の夜を照らす月だから」
「……あなたは、誰なんですか」
「僕は――仮装じゃない。本物の悪役令息だ」
「悪役……?」
「そう。
この世界にとっては、ね」
ヴァンが微笑んだ瞬間、
ネオンがぱっと消えた。
渋谷の街が闇に沈み、月光だけが二人を照らしていた。
血の味、煙の匂い、遠くで上がる歓声。
類はその中で、ゆっくりと目を閉じた。
――ハロウィンの夜は、まだ終わらない。
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