『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』

春秋花壇

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第10話 渋谷の夜、崩壊

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第10話 渋谷の夜、崩壊

 10月31日。
 渋谷は、かつてないほどの熱気に包まれていた。

 スクランブル交差点には、仮装した若者たちが溢れている。
 ピエロ、ゾンビ、魔女、ドラキュラ――
 ネオンの光が跳ね、笑い声と叫び声が混ざる。
 人々はまだ気づいていなかった。
 その中に“本物”が紛れていることに。

 類は人混みの中を歩いていた。
 夜風が妙に冷たい。
 胸の奥の鼓動が、さっきから落ち着かない。

 ――何かが、起きる。

 そんな予感がしていた。
 月がやけに近く、赤く滲んで見える。
 「……ヴァン、どこにいるの」

 スマホの画面が震えた。
 “逃げろ。今すぐ。”
 ヴァンからのメッセージ。

 次の瞬間、
 空が裂けた。

 ――バサァッ!

 ビルの屋上から、黒い影が降り注ぐ。
 十、二十、いや数百。
 黒い外套を纏い、紅い瞳を光らせた影たち。

 「キャアアアッ!」
 「なに、これ……撮ってる場合じゃ――!」
 群衆の叫びとスマホのシャッター音が交錯する。
 渋谷の街に、血の匂いが漂い始めた。

 最初の悲鳴は、109の前から上がった。
 次に、センター街。
 そして、ハチ公前。

 吸血鬼たちは、仮装の仮面を脱ぎ捨て、牙を剥いた。
 「人間どもよ――宴の時だ!」

 ヴァンの一族。
 封印されていた“アルカード家の末裔たち”が、ついに蘇ったのだ。

 「やめろっ!」
 類は叫んだ。
 だが、誰も止まらない。
 血の雨が降り、笑いが狂気に変わる。

 街は紅に染まり、鉄の匂いが鼻を突いた。
 スマホのライトが血に照らされ、まるで小さな満月のように瞬く。
 「ヴァン……どこ……!」

 背後で、風が鳴った。
 「ここだ、ルイ」

 振り向いた瞬間、腕の中に引き寄せられた。
 「君だけは、逃がしたい」
 「ヴァン……!」
 「この街はもう終わりだ。
  僕の一族が、完全に目覚めた」

 ヴァンの瞳は、かつてないほど深く赤かった。
 その色の奥に、苦悩と覚悟が見えた。

 「僕が封印を破った。
  本来なら、君もその一員になるはずだった。
  でも……」
 「でも?」
 「君だけは、血に染めたくない」

 ヴァンは外套を翻し、類を抱きかかえた。
 「しっかり掴まって」
 「どこへ行くの?」
 「夜の外へ――」

 その瞬間、地面が遠ざかった。
 ヴァンが夜空へ跳躍したのだ。

 風が頬を切る。
 足元には崩れゆく渋谷。
 ビルの谷間に血煙が立ちのぼり、群衆の悲鳴が反響していた。

 「すごい……こんな高く……!」
 「怖い?」
 「少し……でも、あなたがいるから」
 「そうか」

 ヴァンの声は、風の中で穏やかだった。
 「僕の一族は、人間に復讐するために蘇った。
  けれど、僕はもう、そんな夜を望まない」
 「じゃあ止めて! あなたならできる!」
 「僕一人では無理だ」
 「なら、一緒に……!」

 類が叫ぶ。
 ヴァンは一瞬、目を閉じた。
 「ルイ。君が僕の中に“人間の心”を戻した。
  でもそれは、吸血鬼としての僕を壊すことでもある」
 「壊れてもいい! あなたを救えるなら!」
 「……愚かだな、君は」
 「あなたも言ったでしょ、“愚かでいい”って!」

 ヴァンが微笑む。
 その顔が、月の光を受けて淡く輝いた。
 「君の言葉は、いつも僕を救う」

 下では炎が上がっている。
 吸血鬼たちが人々を追い、血の雨がアスファルトを濡らしていた。
 世界が終わる音がした。

 「ヴァン、どうすれば止まるの?」
 「僕の血を、消すしかない」
 「……え?」
 「アルカード家の血脈を断てば、すべての眷属は滅ぶ」
 「そんなことしたら、あなたまで――」
 「それが救いだ」

 「いやだ! そんなの間違ってる!」
 「ルイ、見て。渋谷を」

 類は目を開けた。
 赤く染まる街。
 ビルの屋上で踊る吸血鬼たち、倒れた人々。
 悲鳴。血の臭い。
 すべてが、夜の業火に包まれていた。

 「この街は、かつてのアルカード城の鏡写しだ。
  時代は変わっても、人間も僕らも同じだ。
  欲と恐れで、自分を壊していく」

 ヴァンが類の頬に手を添える。
 「君が最後の光だ。
  その光で、僕を終わらせてくれ」
 「できない……!」
 「できる。君なら」

 「ヴァン……」
 「愛しているよ、ルイ」

 風が止んだ。
 月が雲間から現れ、紅く染まった夜を照らす。

 ヴァンの胸元に、ルイの手が触れる。
 そこには、まだ鼓動があった。
 「本当に……これでいいの?」
 「僕の血が止まれば、すべての呪いが終わる」
 「でも、僕は――」
 「生きろ。君は“夜を超えられる”」

 ヴァンが微笑んだ。
 そして、ルイの手を自分の胸に導いた。

 「僕の心臓を、刺して」
 「やめて……やめてよ!」
 「ルイ。君だけは、僕の夜に閉じ込めたくない」

 涙が頬を伝う。
 「だったら一緒に行く!」
 「それはできない」
 「どうして!」
 「君は“人間の希望”だから」

 ヴァンがゆっくりと唇を重ねた。
 冷たい。
 けれど、その中には確かな温もりがあった。

 「さよならだ、ルイ」
 「ヴァン……!」

 ヴァンの体が光に包まれる。
 月の光が集まり、翼のように広がった。
 次の瞬間、渋谷の夜が震えた。

 ――轟音。
 血煙が風に吹き飛び、吸血鬼たちの姿が次々と崩れ落ちていく。
 紅く染まった空が、ゆっくりと蒼に戻る。

 類の腕の中で、ヴァンの体が透けていく。
 「いやだ、消えないで……!」
 「泣くな。僕は君の中にいる」
 「嘘だ……!」
 「僕の血は、君に宿った。
  夜がまた来るとき、君が僕の名を呼べば――きっと、会える」

 ヴァンの声が風に溶ける。
 涙の中、紅い光が散った。
 月の下で、静かに微笑んで――消えた。

 渋谷の街には、再び人の声が戻っていた。
  siren(サイレン)が鳴り、誰かが泣き、誰かが名を呼ぶ。
 ルイはひとり、ビルの屋上で夜空を見上げた。

 「ヴァン……」

 風が吹いた。
 血の匂いはもうない。
 代わりに、夜明け前の空気の匂いがした。

 東の空が、白み始める。
 彼の胸の奥で、まだ鼓動がひとつ鳴った。
 ――ヴァンの鼓動。

 「ありがとう」

 ルイの頬を、一粒の涙が伝い落ちた。
 それは、月の涙と同じ色だった。

(完)

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