『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』

春秋花壇

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第11話 夜明けと永遠

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第11話 夜明けと永遠

 夜明け前。
 廃館の屋上には、まだ風の匂いが残っていた。

 渋谷の街は静まり返っている。
 血の痕跡は雨に洗われ、空には薄い霧。
 遠くで救急車のサイレンが鳴り、ビルの隙間から朝日が滲み始めていた。

 類は、ひとりでその光を見つめていた。
 ――もう終わったと思っていた。
 けれど、胸の奥ではまだ、ひとつの鼓動が鳴っている。

 トクン。
 トクン。

 「……いるんでしょう、ヴァン」

 声に応えるように、背後の空気が揺れた。
 風が渦を巻き、黒い外套の裾が翻る。

 「やっぱり、君には隠せないな」

 振り向くと、そこにヴァンがいた。
 月の残光を背に、静かに立っている。
 白いシャツに血の跡、けれどその姿は確かに息づいていた。

 「……生きてたんだ」
 「死ぬことも、生きることもできない。それが吸血鬼という存在だ」
 「渋谷は……?」
 「終わった。封印は再び閉じられた。
  僕の一族は、月の底へ還った」

 「じゃあ、あなたも――」
 「僕は、残った。君のために」

 ヴァンが一歩近づく。
 その足音が、夜の終わりを告げるように響いた。

 「僕は仮装なんかじゃない。
  本物のドラキュラだ」

 紅い瞳が月明かりに光る。
 牙は真珠のように冷たく輝いていた。
 その姿は美しく、そして哀しかった。

 「君を人間に戻せない。
  ……それでも、僕と来るか?」

 風が吹く。
 ビルの谷間に、夜の残り香が漂う。
 血の匂い、煙の匂い、焼けた鉄の匂い。
 その中で、類は静かに微笑んだ。

 「もう、帰れないよ」

 「ルイ……」
 「あなたに噛まれた夜から、ずっと。
  僕の世界は、あなたでできてるんだ」

 ヴァンの瞳がかすかに揺れた。
 「それは、呪いだよ」
 「いいよ。呪いでも。
  あなたとなら、永遠に縛られていたい」

 「……本当に、後悔しないか?」
 「人間としての時間は、もう十分に生きた。
  次は、あなたと夜を生きたい」

 ヴァンがそっと手を伸ばす。
 指先が類の頬に触れる。
 その手は冷たく、けれどどこか温もりを宿していた。

 「君は……本当に愚かだ」
 「あなたがそれを教えたんだよ」

 ふっと笑い合う。
 夜明け前の光が、二人の影を伸ばしていく。

 「ルイ」
 「うん」
 「僕は、愛することを恐れていた。
  愛はいつも滅びを連れてくる。
  でも、君を見て、ようやくわかった。
  滅びの中にしか、永遠はないんだ」

 「じゃあ、僕がその永遠になる」
 「君がそう言うなら――」

 ヴァンの唇が、そっと類の唇に触れた。
 冷たい風。
 遠くで鳥の声。
 世界が静止する。

 唇が離れた瞬間、頬を一筋の涙が伝った。
 「あなた、泣いてる」
 「涙の出し方を、君が思い出させてくれた」
 「じゃあ、次は笑い方も教えてあげる」
 「……それも永遠の時間で?」
 「うん。ずっと」

 朝日が少しずつ昇っていく。
 光が屋上を染め、影を長く引き伸ばす。

 「もうすぐ、太陽が出る」
 「吸血鬼には、致命的だ」
 「逃げて」
 「逃げない。僕は夜に生きる。
  でも君は、光の中で」
 「嫌だ……!」
 「約束しただろう。僕が消えても、君は生きろ」
 「でも、あなたがいない世界で……」
 「僕は消えない。君の血の中にいる」

 ヴァンが最後に抱き寄せる。
 その力は優しくも、絶対だった。
 「ありがとう。僕を愛してくれて」
 「あなたこそ……僕を選んでくれて」

 唇が触れる。
 光が二人を包み込む。

 ――白。

 世界が溶けるように光に満ちた。
 類は目を閉じた。
 その瞬間、ヴァンの声が胸の奥で響く。

 “愛とは、終わりを越える記憶だ。
  だから、夜が来ればまた会える”

 風が止んだ。
 目を開けると、ヴァンの姿はもうなかった。
 ただ、朝の光と、あたたかな風だけが残っている。

 屋上の床には、真紅のバラが一輪。
 夜の象徴のように咲いていた。
 類はそれを拾い上げ、胸に抱いた。

 「……また、夜に会おう」

 太陽が完全に昇る。
 その光の中で、類の影が静かに溶けていった。
 風に乗って、ひとすじの血の香りが漂う。

 そして、渋谷の街は新しい朝を迎えた。

 ――夜明けと永遠。
 それは、ふたりの愛の別名だった。

(完)

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