『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』

春秋花壇

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エピローグ 永遠の渋谷

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エピローグ 永遠の渋谷

 朝の渋谷は、嘘のように静かだった。
 昨夜の喧騒が夢のように消え、街は新しい一日を迎えている。
 バスが走り、コンビニのシャッターが上がり、誰かがコーヒーを買う。
 けれど、どこかで誰かが――“夜”を知ってしまった気配が、まだ残っていた。

 類は屋上からその景色を見下ろしていた。
 冷たい風が頬を撫でる。
 それは夜の名残。ヴァンが最後に残した“気配”のようだった。

 「もう、あの人はいない」
 口にしてみても、声は風に溶けていった。

 ポケットの中には、あの赤いバラの花弁。
 乾いて、薄くなって、それでもまだ香りが残っている。
 ――鉄とワインの匂い。血と愛の香り。

 類は目を閉じた。
 胸の奥で、微かに心臓が鳴る。
 トクン……トクン……
 その音が、ふたりの夜を思い出させた。

 あの夜。
 牙が首に触れた瞬間、痛みより先に温もりが走った。
 ヴァンの声が耳の奥で囁いた。
 「君を人間には戻せない。……それでも、僕と来るか?」
 あの問いが、今でも胸の奥で繰り返されている。

 「僕は……もう、人間じゃないのかな」

 太陽がビルの隙間から覗く。
 光が頬を照らした瞬間、肌の下が少し熱を帯びた。
 でも、焼けることはない。
 ――ヴァンの血が、太陽を和らげている。

 「光の中でも、生きられるんだね。あなたの血なら」

 そのとき、耳の奥で微かな声がした。

 “ルイ”

 「……ヴァン?」

 風の音に紛れて、確かに聞こえた。
 「あなた、どこにいるの?」
 “ここに”

 類は胸に手を当てた。
 鼓動が一度、強く跳ねる。
 それは確かにヴァンのリズム。

 「やっぱり……消えてなんか、いない」

 風がビルの谷間を駆け抜ける。
 街の匂いが戻ってくる。
 パンの焼ける香り、車の排気、花屋の甘い香り。
 全部が、かつての“日常”の音だ。

 「僕、もう怖くないよ」
 “怖れることは生きることだ。
  それでも歩けるのなら、君は強い”

 「じゃあ、これからも一緒に歩こう」
 “僕は夜を歩き、君は光を歩く。
  その境界で、また会える”

 類は微笑んだ。
 「……渋谷で?」
 “ああ。渋谷は僕らの街だ”

 目を開けると、スクランブル交差点の人波が見えた。
 昨日の血の雨が嘘のように、今日の人々は笑っていた。
 だけど、どこかに――
 仮装の中に、あの黒い外套の影が見える気がした。

 「ヴァン……」

 “君の血の中に、僕はいる”

 頬を撫でた風が、まるでキスのように柔らかかった。
 類は笑って、目を閉じた。

 ――音が蘇る。
 あの夜の雨音、ヴァンの息、牙が肌を割く瞬間の微かな痛み。
 そのすべてが愛の形だった。

 「ねぇ、ヴァン。
  僕、まだ君のことを怖いと思うときがある」
 “それでいい。
  恐れのない愛は、すぐに死ぬ”
 「じゃあ、ずっと怖いままでいいや」
 “君は本当に、愚かだ”
 「あなたもね」

 空が完全に白み始める。
 朝の光が、ビルの壁を金色に染めていく。
 類の影が長く伸び、その端が淡く消えていった。

 「ヴァン。夜が来たら、また呼ぶね」
 “その時は、月の下で待ってる”

 風が頬をなぞる。
 ――まるで、彼の指のように。

 「あなたの指、冷たいのに、なんでこんなにあったかいんだろうね」
 “それは、君が覚えているからだよ”
 「忘れない。
  たとえ世界が変わっても、
  僕はあの夜を生き続ける」
 “それが、永遠という名の呪いだ”
 「いいよ。呪いごと、愛してる」

 空が、完全に明るくなった。
 太陽が昇る。
 渋谷のビル群が光を浴び、ネオンの記憶を飲み込んでいく。

 類はゆっくりと屋上の柵に手をかけた。
 下を見下ろせば、通勤の人々。
 笑い声、エンジンの音、信号の電子音。
 どれもが、生の音だ。

 「ヴァン、見える?
  こんなに光が溢れてる」
 “見える。君の瞳を通して”

 「じゃあ、これが……僕らの永遠だね」
 “ああ。
  夜が滅びても、君の血が夜を紡ぐ”

 類は小さく笑った。
 ポケットから赤い花弁を取り出す。
 風がそれをさらい、空へと舞い上げた。
 光の粒の中で、花弁が一瞬だけ紅く輝いた。

 「さよなら、ヴァン」
 “違う。
  “また夜に”だ”

 「……うん。
  また、夜に」

 風が吹き抜けた。
 髪が揺れ、頬をなぞる。
 その感触が、あまりにもリアルで――類は思わず笑った。

 「やっぱり、あなたはここにいる」

 太陽が完全に昇った。
 渋谷の街に、朝の喧騒が戻ってくる。
 だがその片隅、ガラスの反射の中――
 紅い瞳をした影が、微かに微笑んでいた。

 “Trick or Blood――
  終わりではない。
  夜がある限り、僕らは再び出会う”

 類は空に向かって目を細め、
 静かに囁いた。

 「愛してる、ヴァン」

 その言葉が風に乗り、
 渋谷の空を越えて、夜の残滓に溶けていった。

 光と闇の境界で、
 ふたりの鼓動が、今も静かに響いている。

(完)

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