『Trick or Blood ―渋谷吸血夜譚―』

春秋花壇

文字の大きさ
11 / 15

第9話 悪役令息の真実

しおりを挟む
第9話 悪役令息の真実

 風の音がした。
 それはまるで、遠い昔の記憶を呼び覚ますような響きだった。

 類が目を開けると、そこはもう渋谷ではなかった。
 石造りの廊下、蝋燭の灯り、重厚な絨毯。
 壁には古い肖像画が並び、天井には黒いシャンデリア。

 「……ここは……どこ?」
 「僕の記憶の中だよ」

 振り向くと、ヴァンがいた。
 黒い外套のまま、月光に照らされている。
 その顔はどこか寂しげで、あの夜よりもずっと人間的だった。

 「記憶……?」
 「そう。君が僕の血を受け入れたことで、僕の過去が君の中に流れ込んだ」
 「過去……?」
 「見せよう」

 ヴァンが指を鳴らすと、空気が波打つ。
 廊下の奥が揺らめき、目の前に一枚の幻が現れた。

 白い月が浮かぶ古城。
 赤い絨毯の上で、人々が舞っている。
 貴族たちの笑い声、ワインの香り、そして血の匂い。

 「ここは――アルカード城。
  僕の家だ。吸血貴族《ヴァン・アルカード伯爵家》の居城」

 「アルカード……?」
 「そう。
  僕はその末裔。
  “悪役令息”と呼ばれ、時代に裏切られ、滅んだ一族の最後の一人だ」

 ヴァンの声は静かだった。
 だが、その静けさには深い憎しみと悲しみが混じっていた。

 「昔、人間と吸血鬼は、共に生きようとした時代があった。
  けれど人は恐れた。
  不老不死を“神への反逆”と呼び、僕らを焼いた」

 炎の幻が広がる。
 悲鳴、血の臭い、崩れる城。
 ヴァンの瞳にその景色が映る。

 「僕は、生き延びた。
  そして永遠に、人を憎むようになった」

 彼の言葉に、類は息をのむ。
 炎に照らされたヴァンの横顔は、悲劇そのものだった。

 「でも……なぜ僕を?」
 「君の血に、“アルカードの血脈”が混ざっていた」
 「僕の……血?」
 「そう。
  僕らの一族は滅んだはずだったが、
  人間の誰かがその血を受け継いだんだ。
  君はその遠い末裔だ」

 類の胸が締めつけられる。
 「……じゃあ、僕はあなたの……」
 「“継承者”であり、“贄”でもある」
 「贄……?」
 「君を覚醒させた理由は、血を取り戻すためだった。
  君の中の血脈を完全に開くには、僕の血と混ぜる必要がある。
  だから、君を――傷つけるために来た」

 その言葉に、胸の奥が凍る。
 だが、ヴァンの表情は哀しかった。

 「なのに……僕は、惹かれてしまった」

 「……え?」
 「君の眼を見たとき、炎の夜に消えた家族のことを思い出した。
  あの優しい光。
  あれは、憎しみではなく“希望”の色だった」

 ヴァンが近づく。
 彼の手が、そっと類の頬に触れる。
 冷たいはずなのに、涙が滲みそうなほどあたたかかった。

 「ルイ……僕は君を道具として見ていた。
  けれど、いまは違う。
  君の血を飲むたび、僕の心が人間に戻っていく」
 「それって……」
 「愛してしまったんだ」

 息が止まった。
 言葉が、喉で凍った。

 「でも、吸血鬼と人間は……」
 「許されない。
  だからこそ、僕は“悪役令息”として生き続けてきた。
  愛を知らぬまま、憎しみだけで夜を渡ってきた」

 蝋燭の炎が揺れる。
 影が二人を包み、世界がゆっくりと沈んでいく。

 「君に出会ってから、夜の色が変わった。
  血が、ただの糧じゃなくなった」
 「僕に……何をしたの?」
 「君の心を奪った。
  そして僕自身の心も、君に奪われた」

 ヴァンの指先が、類の唇に触れた。
 「この罪を、どう償えばいい?」
 「償わなくていい……」
 「どうして」
「僕も……あなたを、憎めないから」

 ヴァンの瞳がかすかに震えた。
 その赤が、月光に照らされて少し淡くなった。

 「……ルイ」
 「ヴァン……」

 ふたりの距離が、静かに縮まる。
 空気が震え、蝋燭の火が細く揺れた。
 触れるだけのキス。
 それだけで、世界が崩れそうだった。

 「これは“血の誓い”だ」
 「誓い……?」
 「僕の血を君に。
  君の血を僕に。
  それで、僕らはひとつになる」
 「……それって」
 「罪でもあり、救いでもある」

 ヴァンは微笑んだ。
 その頬に、一粒の光がこぼれた。
 涙――?

 「月の……涙」
 「僕はもう、泣けないと思っていた」
 「それなのに、泣いてる」
 「君が、人間の温もりを思い出させた」

 その涙が、類の手に落ちた。
 冷たいのに、指の上で溶けていく。
 まるで氷のような、愛の証。

 「ヴァン……」
 「君を壊すつもりだったのに、救われたのは僕だった」
 「だったら――」
 「だが、それでも僕は“悪役”だ。
  君と共に生きれば、君を夜に引きずり込むことになる」
 「それでもいい」
 「……ルイ」
 「あなたとなら、闇でもいい」

 風が吹いた。
 窓の外、古城の庭で月が揺れる。
 雲の隙間から差し込む光が、ふたりの影を重ねた。

 「罪の上に咲く愛は、長くはもたない」
 「それでも、今をください」
 「……愚かだね」
 「あなたもでしょう?」

 ヴァンが笑った。
 その笑みは、初めて見る“人間の微笑み”だった。

 「ならば、共に堕ちよう。
  この夜が明けるまで」
 「……うん」

 ふたりの唇が再び重なる。
 血と涙が混ざり合い、月が滲む。
 冷たい風の中、鼓動だけが熱をもって響いていた。

 永遠ではなく、
 今この瞬間だけが真実だった。

 そして――その夜、
 “悪役令息”ヴァン・アルカードは、
 初めて人間を愛した。

(つづく)

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サラリーマン二人、酔いどれ同伴

BL
久しぶりの飲み会! 楽しむ佐万里(さまり)は後輩の迅蛇(じんだ)と翌朝ベッドの上で出会う。 「……え、やった?」 「やりましたね」 「あれ、俺は受け?攻め?」 「受けでしたね」 絶望する佐万里! しかし今週末も仕事終わりには飲み会だ! こうして佐万里は同じ過ちを繰り返すのだった……。

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

ラピスラズリの福音

東雲
BL
*異世界ファンタジーBL* 特別な世界観も特殊な設定もありません。壮大な何かもありません。 幼馴染みの二人が遠回りをしながら、相思相愛の果てに結ばれるお話です。 金髪碧眼美形攻め×純朴一途筋肉受け 息をするように体の大きい子受けです。 珍しく年齢制限のないお話ですが、いつもの如く己の『好き』と性癖をたんと詰め込みました!

僕たち、結婚することになりました

リリーブルー
BL
俺は、なぜか知らないが、会社の後輩(♂)と結婚することになった! 後輩はモテモテな25歳。 俺は37歳。 笑えるBL。ラブコメディ💛 fujossyの結婚テーマコンテスト応募作です。

優しい檻に囚われて ―俺のことを好きすぎる彼らから逃げられません―

無玄々
BL
「俺たちから、逃げられると思う?」 卑屈な少年・織理は、三人の男から同時に告白されてしまう。 一人は必死で熱く重い男、一人は常に包んでくれる優しい先輩、一人は「嫌い」と言いながら離れない奇妙な奴。 選べない織理に押し付けられる彼らの恋情――それは優しくも逃げられない檻のようで。 本作は織理と三人の関係性を描いた短編集です。 愛か、束縛か――その境界線の上で揺れる、執着ハーレムBL。 ※この作品は『記憶を失うほどに【https://www.alphapolis.co.jp/novel/364672311/155993505】』のハーレムパロディです。本編未読でも雰囲気は伝わりますが、キャラクターの背景は本編を読むとさらに楽しめます。 ※本作は織理受けのハーレム形式です。 ※一部描写にてそれ以外のカプとも取れるような関係性・心理描写がありますが、明確なカップリング意図はありません。が、ご注意ください

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

切なくて、恋しくて〜zielstrebige Liebe〜

水無瀬 蒼
BL
カフェオーナーである松倉湊斗(まつくらみなと)は高校生の頃から1人の人をずっと思い続けている。その相手は横家大輝(よこやだいき)で、大輝は大学を中退してドイツへサッカー留学をしていた。その後湊斗は一度も会っていないし、連絡もない。それでも、引退を決めたら迎えに来るという言葉を信じてずっと待っている。 そんなある誕生日、お店の常連であるファッションデザイナーの吉澤優馬(よしざわゆうま)に告白されーー ------------------------------- 松倉湊斗(まつくらみなと) 27歳 カフェ・ルーシェのオーナー 横家大輝(よこやだいき) 27歳 サッカー選手 吉澤優馬(よしざわゆうま) 31歳 ファッションデザイナー ------------------------------- 2024.12.21~

処理中です...