私の大好きな騎士さま

ひなのさくらこ

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6. 指一本触れないとあなたは言いました

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気づけば立ち上がっていた。

開かれた扉の向こうにウィリアムがいる。彼の視線が真っすぐに私を射抜く。

次に会うとき、自分はどう振る舞えばいいのだろうか。
どんな顔で、何を話せばいいのか。きっと恥ずかしさに赤面してしまうだろう。気を失ってしまったことを謝りたい。なぜ私を求めてくれたのか知りたい。戦で怪我をしなかったのか聞きたい。無茶をしすぎだと文句を言いたい。
本当に私で良かったのか…問いたい。

そんなごちゃごちゃとした思いは、ウィリアムに見つめられた瞬間に消えうせた。私の全身を支配する思いはただひとつ。

だいすき

彼をずっと見ていたい。声が聞きたい。側に行きたい。そして叶うことなら、彼に触れたい。

くん、と手を引かれ、無意識のうちに歩みだしていたことに気づいた。私の手を握るエドワードお兄さまは、鋭い視線で睨むようにウィリアムを見ている。

「入れ」
「…失礼いたします」

お父さまの声に軽く顎を引いたウィリアムは、長い足で歩を進めて入室すると姿勢良く一礼した。

「突然の訪問をお許しくださり」
「堅苦しいことを言わずともよい。私室だ。ゆるりと致せ」

指先で合図してお茶の準備をさせながら、お母さまはいたずらっぽく目を輝かせた。

「久しぶりねウィリアム。すごい活躍だったそうじゃない」
「いえ。第一騎士団の皆がよくついてきてくれました」
「あちらでフィリップに会ったのでしょう?どんな様子だったの?」
「お元気でした。まずは投降した大臣たちとお会いになるそうです」
「叛意を持つ者の見極めということかしら」
「思惑の、裏の裏まで暴いて丸裸にしてやると」

お母さまは声をあげて笑った。

「あの子の得意分野ね。…さあ、そろそろ私たちは引き上げましょうか。レオノア、ウィリアムの相手をお願いね」

えっ、とお父さまとお兄さまが同時に言った。

「なッ…」
「待てキャサリン。私はまだ茶も飲み終わっておらん」
「そうですよ母上。ましてやレオノアはつい先ほどまで床についていたのです。私が側にいないと」
「お茶なら二人でいただきましょう。大体あなたがいつまでもエドワードとふざけていたから飲みそびれたのよ。それにレオノアはもうすっかり元気だと言ったはずよ」

お母さまは扇を広げて口元を覆った。
「二人とも、婚約者のおとないを邪魔するなんて無粋なことはおやめなさい」

「婚約者!」また二人同時に叫ぶ。

「だっ、誰が誰の婚約者だと仰るのです」
「そうだぞキャス、まだ婚約式も執り行っておらん」
「あら、おかしなことを。先ほどの祝賀会で降嫁させると約束なさったんでしょう。事実上の婚約者だわ」
「私は認めておりません!」
「あなたの許可が必要なのかしら。いつからそう決まったの?」
「……」
「し、しかしだな、さっきの今で婚約者だから二人きりで会っても良いなど、何やら急すぎるのではないか。こういうことは徐々に段階を踏んで少しずつ進めるものだと思うが」
「まあ。まさかあなたがそんなことを仰るとは思いませんでしたわ。私があなたに求婚された時には、そのまま人払いをされて二人きりで随分長い時間を過ごした覚えがあるのだけれど。確かあの時、まだ私は婚約はおろか求婚に応えてすらいませんでしたわね。私の思い違いだったかしら」
「………」

静かになってしまった二人をチラリと見ると、お母さまはお父さまに手を差し伸べた。

「何だか足が痛む気がするの。部屋へ連れて行ってくださるかしら」

ハッとした。3日前に足を挫いたお母さまは、治癒魔術の使用を断り足首に包帯を巻いている。お父さまとエドワードお兄さまからの治癒師を呼ぶとの申し出を断ったのだ。

王宮付きの治癒師は今、フィリップお兄さまと共にギルニアにいる。つい先日まで敵国だった国だ。戦となった地はほぼ無血の状態だとはいえ怪我をした者も当然居り、その治療のためにと同行させたためだ。

防御魔術に秀でたフィリップお兄さまは、自分に危険が及ぶ可能性に無頓着なところがある。お母さまはきっと、そんなお兄さまのことを心配したのだろう。
万が一の事態は起こりえない。第一騎士団の半数が護衛として残り、王国軍も駐留している。他国侵攻を良しとせずが国是ではあるが、リングオーサ国民の先祖はバイキングである。仕掛けられれば総力を挙げ叩き潰すことに躊躇いはない。そしてそれを可能にするだけの武力を怠ることなく蓄え、磨いてきたのだ。
それでもお母さまは治癒師の派遣を懇願し、お父さまはそれを了承した。おそらくは母としての想いに折れる形で。

だからこそ、お母さまが足を挫いたときにお父さまは言ったのだ。ギルニアへ発った治癒師は呼び戻さない。その代わり、引退した治癒師タルガスを連れてきて治癒魔術を施すと。

お母さまはそれを断固として断った。この程度のことで騒ぐ必要はない、2~3日で歩けるようになるし、タルガスを引っ張り出すのはもっと大変なことが起こった時にしましょうと。

渋るお父さまに向かい、お母さまは甘えるように畳みかけた。完全に治るにはしばらく時間が掛かるでしょうけど、あなたが手を貸してくれるのならむしろご褒美だわ。このところ忙しくてちっとも構ってくださらなかったものね。

お父さまのご機嫌はたちまち治ったけれど、私は悲しくなって唇を噛みしめるしかなかった。私が治癒魔術を使えたらどんなに良かったか。

女神ヘルベティアの子孫であるリングオーサの王族は皆、強い魔力を有している。お父さまとエドワードお兄さまは攻撃力、フィリップお兄さまは攻撃と防御双方だが、攻撃に関してはお父さまたちには敵わないと聞いたことがある。

神話の王女の再来と言われながら、私自身には全く魔力は宿っていなかった。ヘルベティアとその娘である王女は、癒しの力を持っていたとされているのに。

実際に、神話の中だけではなく国内でも、王女が民の病や怪我を癒したという伝承が各地に残されている。その癒しは貴賤を問わず与えられたが、他者に対してのみ有効だったらしい。王女が自分の怪我や病気を治療することは出来なかったということだ。

もし私にその力があれば。ほんのすこしで構わない。王女の10分の一でも100分の一でもいい。お母さまの痛みだけでも和らげられたならどんなに良かったことか。

思わずお母さまに近づこうとして、やっぱりエドワードお兄さまに手首を握られていることに気づく。

「お母さま」
「なあにレオノア。…あなたの方が痛そうな顔してるわ。私はお父さまとイチャつけて嬉しいくらいだと言ったでしょう?心配しないの」

そう言うと、サッと扇を広げ私だけに見えるようにして、ペロッと舌を出した。……ん?痛くないの?

「だって母さま」
「大丈夫だレオノア。母上には父上がついている」
「そうだぞ。案ずることはない。医師をまた手配しよう。昨日は腫れも引いて痛みも殆どおさまっていたのだ。すぐに良くなる」
「そうよ。ずっとそう言っていたでしょ。ああ、そう言えば」

お母さまはウィリアムを見た。

「ウィリアム、あなた来週の祝賀晩餐会には出席するのよね?」
「はい。晴れがましい席は苦手だと申し上げたのですが、将軍命令だと」
「ウィルソン将軍はご自身が堅苦しい席を避けられないなら、同じように居心地悪く感じる仲間を増やしたかったんでしょうね。…そう。それならウィリアム、あなたはレオノアをエスコートなさい」
「そのような!」

エドワードお兄さまが立ち上がった。

「そのようなことは断じて承服できません。今までと同じく私がエスコートいたします」
「今までは、ということでしょうエドワード。ウィリアムは歴としたレオノアの婚約者です。これ以上エスコートに相応しい者が他に居るとでも?」

パチリと扇を閉じた。

「たとえ婚約式を挙げていなくとも、ウィリアムはレオノアの婚約者です。当日は戦勝の祝賀会で願い出た降嫁について、嫌が応でも話題になるでしょう。そのような席でウィリアムではなく王太子であるあなたがエスコートしてご覧なさい。どんな憶測を呼ぶと思うのですか」

唇を歪めるお兄さまを横目に、お母さまは続ける。

「あなた個人の感情を問うているのではないのよエドワード。冷静になれば理解出来るはずだわ」
「………ッ」

お兄さまはギュッと目を瞑り深く息を吐くと、ウィリアムの視線を遮るように立って、私の両手を握った。

「レオノア、フレデリックを置いていく。何かあったら助けを求めるといい」
「エド兄さま、助けだなんて」
「僕の心の安定の為だと思ってもらえればいい。……頼むレオノア。後生だから」

見上げるお兄さまの顔が苦しげで、思わず頷いてしまう。あからさまにホッとした様子のお兄さまは、いつも寝る前の習慣にしているキスを額、両まぶた、両頬に降らせると私を抱きしめた。

「………離したくない」
「え?」

小さく零された囁きを拾えず聞き返すけれど、お兄さまは応えずもう一度強く私を抱きしめ、そっと身体を離した。

「……いいか。たとえ実質的な婚約者だとしても、それ以上ではないことを忘れるな。レオノアに指一本でも触れてみろ、貴様のその腕を叩き斬ってやる」

私の視線を遮るお兄さまは、ウィリアムに向かって吐き捨てるように言う。

「そんなことできる筈がないでしょう。いいかげんになさいエドワード。さ、行くわよ」
「…指一本、」

促すお母さまをよそに声が響いた。

「私がレオノア王女に指一本触れなければ、一緒に過ごすことをお許しいただけるのですか」

エドワードお兄さまがバッと振り返り、その拍子にウィリアムの姿が見えた。
端正な立ち姿。全身黒の出で立ち。

その青い瞳。

燃えるような強い感情にきらめく瞳から目を離せない私の前で、お兄さまが応じた。

「……腹心を置いていく。誤魔化しなど通用すると思うな。誰がなんと言おうと、レオノアに無体な真似を働けば私が許さない」

エドワードお兄さまは瞬間私を見つめ、どこか痛むみたいに目をすがめると、上着の裾を翻す勢いで部屋を出て行った。

「仰せのとおりに」

低く応えながら上体を深く折って礼をしたウィリアムに、お母さまがどこか楽しげな声で言う。

「無視していいわウィリアム。フレデリック、あなたも余計なことを言わないでちょうだい」
「…それは、主人の命に背けとのご指示でしょうか」
「いやねフレデリック。エドワードはウィリアムがレオノアに無体な真似をすれば許さない、と言ったじゃないの。無体な真似でなければ問題無いわ。そうよねあなた」
「うッ…そ、そうだろうか」
「ご心配なさらないでください。王太子殿下の仰せのとおり、指一本触れることの無いようにいたします」

お母さま、そんなに分かりやすく残念そうな顔をなさらないで。

「…まあいいわ。追い追い対策を考えていきましょう。レオノア」
「は、い」
「ウィリアムのことは、私もお父さまも心から信頼しているのよ。思い切って心を開いてごらんなさい」

お母さまは艶やかに微笑んで、お父さまと一緒に部屋から出て行った。
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