27 / 61
27. お別れなんかじゃありません
しおりを挟む
……まっくら。
星すら瞬かない、本当の闇。その中をひとり歩いていた。
足が冷たい。指先も。ハーッと息を吹きかけても冷たいままだ。
骨まで凍るみたいな寒さ。足元を見ても、もやがかかっていて全然見えない。
もしかして私、裸足なの?
目を凝らしても一向に見えない。諦めて足を動かそうとして、もう一度考えた。
私、どこに行こうとしていたのかしら。
行先がどこかも分からないのに、前に進まなければという焦りだけは明確だった。
とにかく、進まなきゃ。
私はその気持ちだけでまた歩き始めた。
どれくらい歩いただろう。
立ち止まっていた私の前に、若い女性がいた。
……泣いてる。
長い金髪。肌の色は白い。華奢な肩を震わせながら泣き続けている。
…………何で泣いているの?
頭がぼんやりしている。急に疲れたみたいに身体が重くなって、彼女のとなりにぺたんと腰掛ける。
しくしくと泣いていた彼女は、私に気付いて顔を上げた。
「…………」
「…………」
何かしら。……懐かしい?
「あなた……だれ?」
「私…………」
私、…………誰だろう。
「分からないの。あなたは?」
「私……るー」
「ルー?」
「………たぶん?」
首を傾げて私を見る姿が可愛らしい。思わずふふっと声を出して笑うと、ルーが何度か瞬きをした。
「おかしい?」
「いいえ。かわいいなって思っただけ」
「…………」
ルーは俯いてしまう。どうしたのかと思っていると小さな声で打ち明けるように言った。
「……いつもそういうの」
「誰が?」
「誰って…………」
泣きそうな顔で私を見る。
「誰かしら……でも、毎日私のところに来るの」
「……男の人?」
「そう。私、その人のことが嫌いなの」
「嫌いなのに、毎日ルーに会いに来るの?」
「………」
また俯いた。ぽとりと涙が落ちる。
「だから私、大嫌い、って言うの」
「…………」
「そうしたら、すまない、って。手放してやれなくて、自由にしてやれなくてすまない、って」
「…………」
「だけどルーのこと、世界で一番かわいい、世界で一番愛してる。君がいないと生きていけない、って、そう言うから」
「…………うん」
「…………毎日お花や、お菓子を持ってきてくれるの。綺麗なドレスも」
「そう」
「でも、私……その人のこと嫌いだから。ドレスなんて着ないの。お花なんていらないって言って、それにお菓子も。食べずにお皿をひっくり返して」
「…………」
ぽたぽたぽた、と涙が落ちた。
「あなたなんか大嫌い、って毎日言ったの。だって……………」
胸がチクチクした。寂しい……悲しい……?これ、ルーの気持ち?
「ルーは……辛かったの?その人に嫌い、って、言うこと」
沈黙。俯くルーが声を絞り出した。
「わからないの。思い出せない……でも」
そっと手を握ると、指先をピクンと震わせた後、握りかえしてくれた。
ルーの気持ちが流れ込んでくる。辛い。苦しい。近づきたい。離れたい。憎い。嫌い。でも……。
「……あなたは?」
「え?」
「あなたは……好きな人がいた?」
訳もなくドキッとした。
「わたし、私は…………」
自分の名前も思い出せないのに、一度に気持ちが溢れてきた。キラキラした思い。その中に潜む影も。
「すごく、好きだったの。でも、途中で……逃げちゃった」
「……」
「怖かったの。自分の好きと相手の好きが違うんじゃないかって思って。自分の想う気持ちが一番だって、それと同じじゃなきゃダメなんだって、どこかで決めつけてた。そんなこと、分からないのにね」
話しているうちに、少しずつ頭がはっきりしてきた。私の言葉に顔を上げたルーは、辛そうに顔をゆがめた。
「私は……思い出せない。何も分からないの。でも、いやだった。だって、側にいても、離れていても……どちらも辛いんだもの」
言えることは何もない。いつの間にかお互いにぬくもりを求めて抱き合っていた。
誰かを好きになると何でも出来そうな気持ちになって、幸せで嬉しくて。でも同時にとても……弱くなるのだ。
相手を疑って。自分の気持ちを励ましたり、もういいって、嫌いになるんだって言い聞かせたり。
好きな気持ちを捧げることは、とても勇気の必要なことだから。心の中の一番やわらかなところをさらけ出すことだから。
そこが傷ついたら――ううん。傷つきそうだと思っただけで、心を隠したくなる。分かりあえる可能性よりも、傷ついたときのことを先に考えてしまう。
「ねえ、ルー」
「…………ん」
「私、何が正しいかは分からないの。でも、怖くても、辛くても……離れたくないって、私はそう思った。だから傷ついたとしても一緒にいたいって……伝えたい」
ルーは泣き止んでいた。目と、鼻の先が赤くなっていてやっぱり可愛らしい。
「がんばって」
「……え……」
「あなたは頑張って。好きになってもらうことよりも……自分が誰かを好きだっていう気持ちを、大事にして」
「ルー……」
鼻の先を赤くしたままの笑顔。ありがとう。そう言おうとしたとき、背後から叫び声が聞こえた。
「レオノア!」
振り向かなくても分かる。これは……私の好きな人だ。
「ウィ……ル?」
「レオニー!ああ、やっと見つけた……!」
ほんの2、3歩で私のもとに来ると、腕をつかんで抱き寄せられた。
「レオニー!どんなに心配したか」
「ご、めんなさい……」
じわりと涙が浮かぶ。
「いや、いいんだ。……さあ、早く戻ろう」
「あ、でも……」
振り返った。………誰もいない。手のひらに何か感触があった。ころんとした……赤い石?すべすべした肌触りで手の中にしっくりと馴染んでいる。なぜかしら。とても大切なもののような気がする。
「どうした?」
「今、誰かと一緒にいた気が……」
「誰かって?」
…………誰?
「分からないけど……。頑張ってね、って」
周囲を見回す。真っ暗。でも……ウィルの姿だけは不思議とはっきり見える。
「ウィル」
「なに?」
「たくさん、たくさん話したいことがあるの。……聞きたいことも」
「うん」
「でもね、一番言いたかったのは……ウィルのことが大好き、ってことなの。ずっと一緒にいたいって、そう伝えたかった」
頭にかかっていた霧が晴れた気分だ。全て明瞭になって、言わなければならないと思っていた言葉が口をついて出た。
「…………」
「…………ウィル?……怒ってるの?それとも迷惑だった……?」
きっと喜んでくれる。どこかでそう期待していた私は、抱きしめる腕の力が弱まったことで簡単にくじけそうになる。
「迷惑だなんてレオニー、そんな」
「……逃げちゃったことも。……ごめんなさい。ちゃんと話をするべきだった」
ウィリアムの顔を見上げる。黒い髪。通った鼻筋。薄い唇。他の人の前では不愛想で冷たくて、自分のことを『俺』って言ってることも知っている。私の前ではとても優しくて、甘くて……話し方まで柔らかい。私のウィル。その全部が私を虜にする。たとえウィリアムが私を好きじゃなかったとしても、私の想いは誰にも奪えない。その気持ちを大切にしていいんだと、改めて思った。
「……レオニー。何度でも言うよ。君だけを愛してる。初めて会ったときから。君以上に大切な人はいないんだ。ずっと、ずっと……私の魂が消えるときまで、ずっとそれは変わらない」
「……うれしい……!」
広い背中に手を回して力いっぱい抱き着くと、つむじにキスされた感覚のあと、顎を指先でつままれそっと唇に口づけられた。
「……さあ、早く戻ろう」
手を引かれて、二人一緒に暗闇の中を歩いていく。私はウィリアムに尋ねた。
「ウィル、どこに行くの?」
「みんなのところだよ」
「ここ、どこ?」
「…………」
「真っ暗なのに行先が分かるなんて、すごいのね」
「…………」
「そういえば、さっきまで私、自分の名前、忘れちゃってたの。不思議でしょ」
ウィリアムは返事もせず、つないだ私の手をしっかりと握りなおした。あんなに冷え切っていた私の指先は、いつの間にかポカポカしている。手をつないでいるだけで、二人で一緒に歩いているだけで嬉しくなる私は何て単純なんだろう。うきうきしながらウィリアムの顔を見上げた。
「ねえウィル、今度一緒に―――」
言葉が宙に消えた。
「ウィル、どうしたの?具合が悪い?」
ウィリアムは見たことも無いほど真っ青な、苦痛を堪える顔をしていた。汗で前髪が額に張り付いている。
「やだ、やだ!ウィル、止まって!ちょっと休憩しましょう。顔が真っ青だもの」
「……いいんだ。早く戻らないと」
手に力を込めて引っ張るけれど、ウィルの足取りは止められない。いや、むしろ早まる一方だ。
「だって、ウィル……」
「レオニー、いいから。早く帰ろう」
「…………」
心配しながらも頷くしかなかった。こんな、どこかも分からない真っ暗な場所では看病もできない。二人でひたひたと歩き続ける。
それにしても、ここは一体どこなのかしら。
何度目かの問いが心に浮かんだ。上目遣いに隣のウィリアムを見上げる。ますます苦しそうに肩で息をしている。顔色は青というより白に近かった。
余計なことは言わずに早く帰って休ませてあげなくちゃ。そう思い、一層足を速めようと前を向いたとき、遠くに光が見えた。
「あ!ウィル、あっちに明かりが!」
駆け出そうとした私の手が引っ張られた。振り返って息を飲む。ウィリアムが……!
「ウィル!大丈夫?」
「………ぅ……レオニー。先に行って。あの光のところに。振り返らず、真っすぐ」
「そんな!」
膝をつくウィリアムの頭を抱きしめる。
「いや、絶対にいや。離れない!」
「頼むレオニー」
「ダメっ!一緒じゃなきゃどこにも行かない!」
こんなに心細いのはなぜ?涙をこらえることができない。ウィリアムの宥めるような言葉を全部首を横に振ることで撥ねつけた。
「レオニー、レオノア。大好きだよ。愛してる。いい子だから言うことをきいて」
「…………だって」
「必ず後から行くから。少し休むだけだ」
「だったら私も」
「先に行っていて。私を安心させて、お願いだから」
「…………」
「レオニー」
「…………分かった。誰か助けてくれる人を連れてくる。だからここで待ってて」
そう言うと、ウィリアムは返事をせずに真剣な顔で私をじっと見つめた。愛おし気に髪を撫で、頬に手を当て、親指で私の唇をなぞる。キスするのかと思っていたのにただ見ているだけ。目に焼き付けようとするみたいに。私は思いついて、握りしめて温かくなっていた赤い石をウィリアムの手のひらに乗せた。
「これは……?」
「後で返してね」
「……だが」
「いいから、後で会う時まで預かっていて」
「…………分かった」
「ウィル。大好きよ。愛してる」
「ああ、私も愛してるよ。……さあ、行って」
私は立ち上がる前にウィリアムの両頬と唇にキスをした。びっくりしたように目を丸くするウィルは、すぐほんのりとほほ笑んだ。手の甲でぐいと涙を拭く。お別れなんかじゃない。私は光に向かって全力で走り出した。
星すら瞬かない、本当の闇。その中をひとり歩いていた。
足が冷たい。指先も。ハーッと息を吹きかけても冷たいままだ。
骨まで凍るみたいな寒さ。足元を見ても、もやがかかっていて全然見えない。
もしかして私、裸足なの?
目を凝らしても一向に見えない。諦めて足を動かそうとして、もう一度考えた。
私、どこに行こうとしていたのかしら。
行先がどこかも分からないのに、前に進まなければという焦りだけは明確だった。
とにかく、進まなきゃ。
私はその気持ちだけでまた歩き始めた。
どれくらい歩いただろう。
立ち止まっていた私の前に、若い女性がいた。
……泣いてる。
長い金髪。肌の色は白い。華奢な肩を震わせながら泣き続けている。
…………何で泣いているの?
頭がぼんやりしている。急に疲れたみたいに身体が重くなって、彼女のとなりにぺたんと腰掛ける。
しくしくと泣いていた彼女は、私に気付いて顔を上げた。
「…………」
「…………」
何かしら。……懐かしい?
「あなた……だれ?」
「私…………」
私、…………誰だろう。
「分からないの。あなたは?」
「私……るー」
「ルー?」
「………たぶん?」
首を傾げて私を見る姿が可愛らしい。思わずふふっと声を出して笑うと、ルーが何度か瞬きをした。
「おかしい?」
「いいえ。かわいいなって思っただけ」
「…………」
ルーは俯いてしまう。どうしたのかと思っていると小さな声で打ち明けるように言った。
「……いつもそういうの」
「誰が?」
「誰って…………」
泣きそうな顔で私を見る。
「誰かしら……でも、毎日私のところに来るの」
「……男の人?」
「そう。私、その人のことが嫌いなの」
「嫌いなのに、毎日ルーに会いに来るの?」
「………」
また俯いた。ぽとりと涙が落ちる。
「だから私、大嫌い、って言うの」
「…………」
「そうしたら、すまない、って。手放してやれなくて、自由にしてやれなくてすまない、って」
「…………」
「だけどルーのこと、世界で一番かわいい、世界で一番愛してる。君がいないと生きていけない、って、そう言うから」
「…………うん」
「…………毎日お花や、お菓子を持ってきてくれるの。綺麗なドレスも」
「そう」
「でも、私……その人のこと嫌いだから。ドレスなんて着ないの。お花なんていらないって言って、それにお菓子も。食べずにお皿をひっくり返して」
「…………」
ぽたぽたぽた、と涙が落ちた。
「あなたなんか大嫌い、って毎日言ったの。だって……………」
胸がチクチクした。寂しい……悲しい……?これ、ルーの気持ち?
「ルーは……辛かったの?その人に嫌い、って、言うこと」
沈黙。俯くルーが声を絞り出した。
「わからないの。思い出せない……でも」
そっと手を握ると、指先をピクンと震わせた後、握りかえしてくれた。
ルーの気持ちが流れ込んでくる。辛い。苦しい。近づきたい。離れたい。憎い。嫌い。でも……。
「……あなたは?」
「え?」
「あなたは……好きな人がいた?」
訳もなくドキッとした。
「わたし、私は…………」
自分の名前も思い出せないのに、一度に気持ちが溢れてきた。キラキラした思い。その中に潜む影も。
「すごく、好きだったの。でも、途中で……逃げちゃった」
「……」
「怖かったの。自分の好きと相手の好きが違うんじゃないかって思って。自分の想う気持ちが一番だって、それと同じじゃなきゃダメなんだって、どこかで決めつけてた。そんなこと、分からないのにね」
話しているうちに、少しずつ頭がはっきりしてきた。私の言葉に顔を上げたルーは、辛そうに顔をゆがめた。
「私は……思い出せない。何も分からないの。でも、いやだった。だって、側にいても、離れていても……どちらも辛いんだもの」
言えることは何もない。いつの間にかお互いにぬくもりを求めて抱き合っていた。
誰かを好きになると何でも出来そうな気持ちになって、幸せで嬉しくて。でも同時にとても……弱くなるのだ。
相手を疑って。自分の気持ちを励ましたり、もういいって、嫌いになるんだって言い聞かせたり。
好きな気持ちを捧げることは、とても勇気の必要なことだから。心の中の一番やわらかなところをさらけ出すことだから。
そこが傷ついたら――ううん。傷つきそうだと思っただけで、心を隠したくなる。分かりあえる可能性よりも、傷ついたときのことを先に考えてしまう。
「ねえ、ルー」
「…………ん」
「私、何が正しいかは分からないの。でも、怖くても、辛くても……離れたくないって、私はそう思った。だから傷ついたとしても一緒にいたいって……伝えたい」
ルーは泣き止んでいた。目と、鼻の先が赤くなっていてやっぱり可愛らしい。
「がんばって」
「……え……」
「あなたは頑張って。好きになってもらうことよりも……自分が誰かを好きだっていう気持ちを、大事にして」
「ルー……」
鼻の先を赤くしたままの笑顔。ありがとう。そう言おうとしたとき、背後から叫び声が聞こえた。
「レオノア!」
振り向かなくても分かる。これは……私の好きな人だ。
「ウィ……ル?」
「レオニー!ああ、やっと見つけた……!」
ほんの2、3歩で私のもとに来ると、腕をつかんで抱き寄せられた。
「レオニー!どんなに心配したか」
「ご、めんなさい……」
じわりと涙が浮かぶ。
「いや、いいんだ。……さあ、早く戻ろう」
「あ、でも……」
振り返った。………誰もいない。手のひらに何か感触があった。ころんとした……赤い石?すべすべした肌触りで手の中にしっくりと馴染んでいる。なぜかしら。とても大切なもののような気がする。
「どうした?」
「今、誰かと一緒にいた気が……」
「誰かって?」
…………誰?
「分からないけど……。頑張ってね、って」
周囲を見回す。真っ暗。でも……ウィルの姿だけは不思議とはっきり見える。
「ウィル」
「なに?」
「たくさん、たくさん話したいことがあるの。……聞きたいことも」
「うん」
「でもね、一番言いたかったのは……ウィルのことが大好き、ってことなの。ずっと一緒にいたいって、そう伝えたかった」
頭にかかっていた霧が晴れた気分だ。全て明瞭になって、言わなければならないと思っていた言葉が口をついて出た。
「…………」
「…………ウィル?……怒ってるの?それとも迷惑だった……?」
きっと喜んでくれる。どこかでそう期待していた私は、抱きしめる腕の力が弱まったことで簡単にくじけそうになる。
「迷惑だなんてレオニー、そんな」
「……逃げちゃったことも。……ごめんなさい。ちゃんと話をするべきだった」
ウィリアムの顔を見上げる。黒い髪。通った鼻筋。薄い唇。他の人の前では不愛想で冷たくて、自分のことを『俺』って言ってることも知っている。私の前ではとても優しくて、甘くて……話し方まで柔らかい。私のウィル。その全部が私を虜にする。たとえウィリアムが私を好きじゃなかったとしても、私の想いは誰にも奪えない。その気持ちを大切にしていいんだと、改めて思った。
「……レオニー。何度でも言うよ。君だけを愛してる。初めて会ったときから。君以上に大切な人はいないんだ。ずっと、ずっと……私の魂が消えるときまで、ずっとそれは変わらない」
「……うれしい……!」
広い背中に手を回して力いっぱい抱き着くと、つむじにキスされた感覚のあと、顎を指先でつままれそっと唇に口づけられた。
「……さあ、早く戻ろう」
手を引かれて、二人一緒に暗闇の中を歩いていく。私はウィリアムに尋ねた。
「ウィル、どこに行くの?」
「みんなのところだよ」
「ここ、どこ?」
「…………」
「真っ暗なのに行先が分かるなんて、すごいのね」
「…………」
「そういえば、さっきまで私、自分の名前、忘れちゃってたの。不思議でしょ」
ウィリアムは返事もせず、つないだ私の手をしっかりと握りなおした。あんなに冷え切っていた私の指先は、いつの間にかポカポカしている。手をつないでいるだけで、二人で一緒に歩いているだけで嬉しくなる私は何て単純なんだろう。うきうきしながらウィリアムの顔を見上げた。
「ねえウィル、今度一緒に―――」
言葉が宙に消えた。
「ウィル、どうしたの?具合が悪い?」
ウィリアムは見たことも無いほど真っ青な、苦痛を堪える顔をしていた。汗で前髪が額に張り付いている。
「やだ、やだ!ウィル、止まって!ちょっと休憩しましょう。顔が真っ青だもの」
「……いいんだ。早く戻らないと」
手に力を込めて引っ張るけれど、ウィルの足取りは止められない。いや、むしろ早まる一方だ。
「だって、ウィル……」
「レオニー、いいから。早く帰ろう」
「…………」
心配しながらも頷くしかなかった。こんな、どこかも分からない真っ暗な場所では看病もできない。二人でひたひたと歩き続ける。
それにしても、ここは一体どこなのかしら。
何度目かの問いが心に浮かんだ。上目遣いに隣のウィリアムを見上げる。ますます苦しそうに肩で息をしている。顔色は青というより白に近かった。
余計なことは言わずに早く帰って休ませてあげなくちゃ。そう思い、一層足を速めようと前を向いたとき、遠くに光が見えた。
「あ!ウィル、あっちに明かりが!」
駆け出そうとした私の手が引っ張られた。振り返って息を飲む。ウィリアムが……!
「ウィル!大丈夫?」
「………ぅ……レオニー。先に行って。あの光のところに。振り返らず、真っすぐ」
「そんな!」
膝をつくウィリアムの頭を抱きしめる。
「いや、絶対にいや。離れない!」
「頼むレオニー」
「ダメっ!一緒じゃなきゃどこにも行かない!」
こんなに心細いのはなぜ?涙をこらえることができない。ウィリアムの宥めるような言葉を全部首を横に振ることで撥ねつけた。
「レオニー、レオノア。大好きだよ。愛してる。いい子だから言うことをきいて」
「…………だって」
「必ず後から行くから。少し休むだけだ」
「だったら私も」
「先に行っていて。私を安心させて、お願いだから」
「…………」
「レオニー」
「…………分かった。誰か助けてくれる人を連れてくる。だからここで待ってて」
そう言うと、ウィリアムは返事をせずに真剣な顔で私をじっと見つめた。愛おし気に髪を撫で、頬に手を当て、親指で私の唇をなぞる。キスするのかと思っていたのにただ見ているだけ。目に焼き付けようとするみたいに。私は思いついて、握りしめて温かくなっていた赤い石をウィリアムの手のひらに乗せた。
「これは……?」
「後で返してね」
「……だが」
「いいから、後で会う時まで預かっていて」
「…………分かった」
「ウィル。大好きよ。愛してる」
「ああ、私も愛してるよ。……さあ、行って」
私は立ち上がる前にウィリアムの両頬と唇にキスをした。びっくりしたように目を丸くするウィルは、すぐほんのりとほほ笑んだ。手の甲でぐいと涙を拭く。お別れなんかじゃない。私は光に向かって全力で走り出した。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます
沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる