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 その日の夜―9時
朱莉は1人で、億ションの広々とした部屋でベッドの上に丸まって眠っていた。
初めはまるで巨大スクリーンに映し出されたかのような夜景に目を見張り、暫く見惚れていたのだが。、この億ションはあまりにも広すぎて、朱莉は空しさを感じてしまい、まだ寝るには早すぎる時間なのに、そうそうにベッドに入っていたのである。

 朱莉の今使用しているベッドは外国製の大型ベッドで寝心地は最高だった。この家具は気の利く、やり手秘書の九条が家具・家電を買いそろえる時間は朱莉には無いと思い、気を利かせて事前に家具から家電まで全て買い揃え、部屋にセッティングしてくれていたのである。
家具はどれも素敵なデザインばかりで、家電もとても使い勝手が良い物ばかりであったのだが・・・そのどれもが朱莉が自分で選んだものでは無かったので、ますますここは自分の新居とは思えずにいた。
(九条さんは良かれと思って用意してくれていたんだろうけど・・出来れば少しくらいは自分で家具を見たかったな・・・・。だけど、私のような庶民が選んだ家具だといくら一緒に暮らさないとは言え、時々ここでお客様の接待があるなら・・・それなりの家具じゃないと鳴海先輩に恥をかかせちゃうものね・・・・・。)
だけど、こうして1人で場違いなところにいると、何故だか無性に孤独を感じる。
あの狭くて古かったけど、日当たりの良かった自分の賃貸アパートが懐かしい。
あそこは・・・全て朱莉が1人で選んだものばかりで、まさしく自分1人の城だったのだ。
だけど、ここは・・・まるきり自分の家とは思えない。6年経てば出て行かなければならない仮初の自分の住処。いや、状況によってはもっと早めにここを出て行く事になるかもしれない・・。その為に1年ごと結婚生活の更新と言う形になっているのだ。

(今頃鳴海先輩は・・・この下の階の部屋で・・明日香さんと過ごしているのかな・・?)

 防音設備があまりにも整い過ぎているのか・・・物音ひとつ響いてこないだだっ広い部屋にベッドの中で身じろぎするシーツの音と、朱莉の溜息だけが聞こえるのみだった・・・。


同時刻— 
ここは六本木にある高級ショットバー。
九条は1人、カウンターでシェリートニックを飲んでいた。

「悪い、遅くなったな。」

そこへ鳴海翔が現れた。

「遅い、お前・・・どれだけ俺を待たせる気だ。」

仏頂面で九条は鳴海をジロリと睨み付けた。

「仕方が無いだろう?明日香の奴が中々解放してくれない物だから・・・。」

「チッ!のろけかよ・・・。そんなのは他所でやってくれ。」

九条は不機嫌そうに言うと、残りのカクテルを飲み干した。

「お前が来るのが遅いから、どれだけ女が絡んできたと思う?あしらうのが大変だったんだっからな?」

九条は8時からこの店で鳴海を待っていたのだが、既に6人の女性から声を掛けられており、うんざりしていたところだった。

「相変わらずお前・・モテるな。なのに何で今は誰とも付き合っていないんだ?あれだけ色んな女をとっかえひっかえしていたくせに。」

鳴海はからかうように笑うと、上着を脱いで椅子の背もたれに掛けると腰を下ろした。

「人聞きの悪い事を言うな。あれは女達が勝手に俺に付きまとっていただけだ。挙句に相手の男にいきなり怒鳴りこまれたりしたのは一度や二度じゃ無いんだからな。おまけにお前は自分の幸せの為に別の女を踏み台にするような真似を平気でするし・・・もう俺には愛が何なのか理解出来ないよ・・・。」

「おいおい、お前・・・何言ってるんだ?さては酔っぱらっているのかよ?どれくらい飲んだんだ?」

「煩い、翔。それよりお前も何か飲め。今から話す事は決して楽しい内容じゃないからな。飲みながらじゃないとやってられないぜ。」

「あ・ああ・・・。分かったよ。」

翔は溜息をつくと手を挙げてバーテンを呼んだ。

「はい、何をお作りしましょうか?」

「マティーニを頼む。」

「はい、かしこまりました。」

「「・・・・。」」

2人で無言でマティーニを作るバーテンの手元を眺めている。
やがて出来上がったマティーニをテーブルに置かれると、鳴海は無言でカクテルを飲んだ。
それを見届けた九条はサイドカーを注文すると言った。

「朱莉さん・・・今日からお前の住んでる上の部屋に引っ越してきたぞ。」

「ああ・・知ってる。メールが届いたからな。」

「・・・それだけか?」
どこか苛立ちを含ませた声で九条は尋ねた。

「それだけとは?」

「朱莉さんに顔は見せたのか?」

「いや。そんな無駄な事はしていない。」

「無駄・・?無駄だって?」
九条はジロリと鳴海を睨み付けた。

「ああ、そうだ。どうせ書類上だけの妻だし、連絡事項ならメールで済ます事が出来るだろう?それに・・・明日香の手前・・・彼女に会う訳には行かないんだよ。今夜だって俺がお前に呼ばれたから会いに行くって言ってるのに、中々信じて貰えずに大変だったんだからな?やはり・・幾ら俺が明日香に愛しているのはお前だけだって言い聞かせても・・書類だけの妻に激しく嫉妬してるんだよ。」

鳴海は溜息をついた。

「うるさい、泣きごとを言うな、翔。第一お前が一番良く知ってる事だろう?明日香ちゃんが誰よりも独占欲が強くて、嫉妬心が強いって事も・・・。それを知りながら、書類上だけの結婚を選んだのは・・・他でもない、翔。お前なんだぞ?」

「・・・ああ・・。分かってる・・・。」

鳴海は苦し気に返事をした。

「・・・。」
そんな様子の鳴海を九条は黙って見つめていたが、サイドカーを飲み干し、手を上げるとバーテンを呼んだ。

「はい。如何致しましたか?」

「XYZを頼む。」

「はい、かしこまりました。」

バーテンが下がると鳴海が言った。

「おい、琢磨。何だよ、お前・・・もう帰るつもりか?」

いつも九条がこのカクテルを頼むときは、これを飲んだら帰るという意思表示なのであった。

「ああ、そうだ。俺はこの書類をお前に渡す為に呼んだんだからな。」

言いながら九条はバサリと茶封筒を鳴海のテーブルの前に落とした。

「・・・以前お前に頼まれていた、お互いのプロフィールを知る為の質問事項をまとめた書類だ。」

つまらなそうに九条は言う。

「何だよ、そんなこと位で俺を呼び出したのかよ・・・だったらメールで済ます事が出来ただろう?」

鳴海は書類をアンケート用紙をチェックしながら言った。

「いや。どうしてもお前に面と向かって言っておきたい事が出来たからな。」

その時、九条の前に最後のカクテル「XYZ」が置かれた。

「何だよ・・・言っておきたい事って。」

「翔・・・お前、朱莉さんに借金があるのを知ってるだろう?」

「あ・ああ。微々たる額ではあったがな・・・。地味なくせに借金なんて少し意外だとは思ったが・・・。男にでも騙されたんじゃ無いか?」

「翔・・・。彼女の借金の理由が分かったんだ・・・。」

九条は怒気を押さえながら鳴海に言った。

「理由?男じゃないのか?」

「いや、違う。彼女の家はな・・・会社を経営していたそうだ。だが、彼女が高校生の時に父親が病気になり業績が悪化して、そのまま病死してしまったそうだ。彼女の母親は・・・元々身体が弱かったが生活の為に無理して働き、ついに身体を壊して、もう3年も入院している。それで朱莉さんは母親の病院の入院費の為に銀行から借金をしてしまったそうだ。作り話なんかじゃ無いぞ?独自に俺も調査して、事実は掴んでる。」
九条はカクテルを飲みほすと言った。

「いいか、朱莉さんは・・・少なくともお前が考えていたような女じゃ無いからな?それだけは伝えておく。それじゃ俺は帰るが・・・一度くらいはメールでは無く。彼女と対面して話をしろよ。」

そう言うと、九条は上着を掴み。カード払いをするとその場を後にした。


「・・・・。」

後に残された鳴海は九条が置いて行った書類に目を落し・・・グラスを一気に煽るのだった—。
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