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2-7 葛藤

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22時―

「ご馳走様、料理美味しかったよ。」

玄関から出る時に翔が朱莉を振り返り、笑顔で言った。

「お、お口に合ったようで光栄です。」

朱莉は顔を真っ赤に染め、俯きながら答えた。

「それじゃ、朱莉さん。明日の14時半にここへ来るから、朱莉さんはお母さんの面会に行くといいよ。」

「はい、よろしくお願いします。」

「いや、お礼を言うのはこっちの方だよ。蓮の世話をしてくれているんだから。子供の世話もある事だし・・・今月からはいつもの手当より10%加算して振り込む事にするからね。」

「お気遣い、ありがとうございます。」

朱莉が頭を下げると翔は、笑みを浮かべると言った。

「それじゃ、また明日。おやすみ。」

「はい、お休みなさい。」

そして玄関のドアは閉じられた。
1人玄関に残された朱莉はポツリと言った。

「翔先輩・・・別に私はお金が欲しくてやっている訳では・・・。」

そして俯いた。

(馬鹿みたい・・・私ったら・・・。つい一瞬でも翔先輩とレンちゃんが本当の家族みたいに感じてしまったなんて・・・。)

だが、翔の『手当』の話が出た時に、冷や水を浴びせられたかの感覚を感じてしまっったのだ。翔には全くそんな気は無かったのだろうが、朱莉にはまるで<己惚れるな、甘い夢を見るな>と言われているような錯覚に陥ってしまったのだった。

「そうよ・・・翔先輩が好きな女性は明日香さん。・・・記憶を無くした今だって・・翔先輩がここに来たのはレンちゃんに会う為。己惚れたらいけないのよ・・。」

朱莉は寂しげに呟いた―。


 エレベータを使わずに、階下の自分の部屋の階に降りて来た翔は玄関前に琢磨が寄りかかっているのを見て驚いた。

「た、琢磨・・・お前・・!いつからそこにいたんだよっ?!」

「・・・10分程前だよ。翔・・・お前スマホの電源切っていただろう?」

琢磨は腕組みをしながらじろりと翔を睨み付けた。

「あ・・・そう言えば・・・そうだったな。電話で蓮が目を覚まさないように電源を切っていたんだっけ・・・。」

すると、琢磨はますます顔を険しくすると言った。

「取りあえず・・・中へ入れろ。お前に話がある。」

「ああ・・分かったよ。」

翔は溜息をつくと玄関の鍵を開けて琢磨を中へ入れた。翔の後に琢磨は無言で玄関から中に上がって来ると翔は言った。

「琢磨・・・ここへ来るのは久しぶりだな。沖縄以来か?」

しかし、そんな翔の話は耳を貸さずに琢磨は言った。

「ふざけるな、俺はそんな昔話をする為にここに来た訳じゃないんだ。」

そしてリビングのソファにすわると言った。

「翔、お前一体どういうつもりなんだ?」

「どういうつもりとは?何だ?」

ネクタイを外し、背広を脱いでハンガーにかけると翔は琢磨の向かい側のソファに座った。

「まずは朱莉さんの事だっ!今迄散々朱莉さんの事を踏みにじっておいて・・・明日香ちゃんが記憶喪失になったのをいいことに、朱莉さんの部屋に上がり込んで食事をご馳走になったり、急に父親面して子供の面倒を見ようとしたり・・・これを機に明日香ちゃんを見限って、本当に朱莉さんと家族になるつもりなんじゃないだろうなっ?!」

その言葉に翔は目を丸くした。

「おい・・・琢磨。お前、本気で俺がそんな事をするとでも思っているのか?俺の好きな女性は明日香だ。朱莉さんの事は別に何とも思っていないんだからな?」

「それなら、何故もっと明日香ちゃんの傍にいないんだよっ!今日明日香ちゃんが電話で言って来たんだよ。明日は土曜日なんだから、会いに来てくれって。ここは温泉はあるけども田舎でとてもつまらないからって!お前が明日香ちゃんの記憶を取り戻すために協力してくれって言うから・・・仕方なく引き受けはしたけど・・翔!お前も明日、明日香ちゃんのいる療養施設に一緒に行って貰うからなっ?!」

琢磨はイライラしながら言った。

(くそ・・・っ!翔の奴め・・・。子供の事を口実に朱莉さんに近付きやがって・・。今迄散々傷つけて来たくせに・・・。どうせ今回も単なる気まぐれで朱莉さんに近付き、又傷つけるつもりだろう?手作りの食事までご馳走になって・・・。)

後半は殆ど、自分の嫉妬の感情が入り交ざっている事は琢磨も十分承知していた。だが、どうにも腑に落ちなかったのだ。昔から琢磨はヒステリックな明日香が苦手だったのに今は妙に琢磨にベタベタしてくる。それが迷惑でたまらない。はっきり拒絶したいのだが、記憶を取り戻すための我慢だと思って耐えてきた。しかし昼夜を問わずに1日何回も電話やメールが届く事にうんざりしていたのだった。

 それなのに・・・。

「え?明日・・明日香の面会に行くのか?悪いが俺は行く事が出来ない。琢磨・・・お前1人で明日香の所へ行って来てくれ。」

翔の言葉は琢磨の怒りに火をつけた。

「何だって・・?お前ふざけるなよっ!理由は何だ?言えっ!」

「朱莉さんに頼まれたんだよ。お母さんの病院に面会に行きたいから、その間蓮を見て貰いたいって。」

「朱莉さんが・・・?」

途端にそれまでの勢いが消失していく琢磨。

「朱莉さんは・・・お母さんには蓮の事は伝えていないそうだ。まあ・・・考えてみれば無理も無い話だよな?蓮が3歳になったら離婚をする事になっているんだから。娘が離婚の上に、子供とも別れなければならないとなると朱莉さんのお母さんはかなりショックを受けてしまうだろうからな。心臓だって悪いのに・・悪影響を及ぼしかねない。」

「翔・・・・1つ聞きたい事があるんだが・・・もし、もしもだ・・。子供が3歳になっても明日香ちゃんの記憶が戻らなかったら・・お前はどうするつもりなんだ?」

「・・・・・。」

しかし、翔は琢磨の質問に答えない。ただ黙ってじっと下を向いて俯いている。

「おい、答えろよ、翔。」

「琢磨・・・以前俺はお前に言ったよな?明日香は10年前はお前の事が好きだったって事。」

「ああ・・・・。」

「今の明日香は・・・本気だからな?」

「本気?それは一体・・・。」

「必ずお前に告白して・・・恋人同士になるつもりなんだよ。」

「おい!冗談はよせっ!俺にその気は全く無いからなっ?!大体いつまでこんな茶番を繰り返すんだっ?!あれから10年の時が流れているんだ。俺達はみんな成人してるし、仕事も持っている。それに明日香ちゃんは・・翔、お前との間に子供を産んでるんだ。早くその事実を受け入れさせるのが筋だろう?!これ以上俺を巻き込むのは辞めろっ!」

すると翔は琢磨を見た。

「いや・・・お前にはこれからも協力して貰わないと困る。いいのか?下手な真似をすれば・・明日香の記憶が戻らないかもしれない。言っておくが・・蓮が3歳になっても明日香の記憶が戻らなければ、蓮を引き取るなんて無理だ。そうなれば俺は朱莉さんに蓮の子育てをこの先もずっと頼むつもりだ。」

「何だって?」

琢磨の眉が上がった。

「琢磨・・・お前、早く朱莉さんを解放してやりたいんだろう?だったら明日香の記憶が戻るまで・・協力をして貰わないと、いつまでたっても朱莉さんは自由の身になれない。それでも構わないのか?」

「翔っ!貴様・・・・っ!」

思わず琢磨は翔の胸倉を掴んでいた。しかし、それでも翔は続ける。

「琢磨・・・お前に今の俺の気持ちが分かるのか?愛する女が・・記憶を無くして、俺との事や子供の事を忘れて・・・すぐ側にいる別の男に恋している。そんな姿を見せられている俺の気持ちが・・・。」

「・・・・。」

その事を聞いた琢磨は溜息をつくと手を離した。

「分かった・・・明日は・・俺が1人で明日香ちゃんの所へ行って来る・・朱莉さんを困らせる訳にはいかないからな。」

そして立ち上がった。

「・・・帰るのか?」

「ああ・・・。邪魔したな。」

琢磨はそれだけ言うと、玄関へ向かい、無言で帰って行った。
そんな後ろ姿を翔は黙って見届けるのだった—。
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