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クリスマスイブ、幻のように彼女は消えた
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『あなたが好き。大好き……』
俺も君が好きだ……。
愛しい 彼女を抱きしめようと、腕を伸ばし――
「あ……」
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
起き上がると、頬に乾いた涙の痕があることに気付いた。
「また……泣いていたのか……」
今日は12月24日——あれから、ちょうど1年。
ため息をつき、着替えをする。
そのまま 上着を羽織り、ポケットにスマホと財布を突っ込んでワンルームマンションを後にした――
日曜日ということもあり、町は人で賑わっていた。 その中には腕を組んで歩くカップルの姿も見える。
今日も無駄とは思いつつ、あのカフェに来てしまった。 いくら待っても、もう二度と彼女が現れないのは分かっている。 それでも、休みの日はここに来ずにはいられなかった。
「詩織……」
あの夜の温もりだけが、今も俺の中で生きている。
たった一度きりの幻みたいなクリスマスイブ。
あれは夢じゃなかった。
どうしても信じたくて、またこの席に座っている――
****
――1年前。
12月24日の土曜日。
ピピピピピピ……!
ワンルームマンションにスマホのアラームが響き渡る。
「う~ん……」
手を伸ばし、枕元のスマホを止めた。
「……やってしまった。今日は土曜日だっていうのに」
時刻は6時。
つい、いつもの癖でアラームをセットしてしまった。
もう一度寝直そうと思っても、完全に目が覚めてしまった。
「仕方ない、起きるか……」
ため息をつくと、ベッドから身体を起こした――
顔を洗って着替えをすると、もう何もすることが無くなってしまった。
洗濯は昨夜のうちに終わらせているし、冷蔵庫の中は空っぽ。
「駅前のカフェで、モーニングでもしてくるか……」
****
今日は土曜日、しかもクリスマスイブということで町は人で賑わっていた。
周囲を見渡せば、腕を組んで仲睦まじく歩くカップルたち。
「……はぁ……」
空しい気持ちが込み上げてくる。
クリスマスイブだというのに、一緒に祝う相手がいない。
学生時代から交際していた彼女とは3カ月前に別れていた。
理由は新社会人として忙しく働くあまり、すれ違いの日々が続き……彼女の方から別れを告げてきたのだ。
友人たちとクリスマスイブを祝いたくても、全員彼女とデート。
結局一人寂しくイブを迎えることになってしまったのだった。
「いいさ。別に一人でも。世の中には俺のように、お一人様でイブを過ごす連中だって沢山いるんだろうから」
目的のカフェに到着し、ボックス席に座るとメニュー表を広げた――
モーニングセットを食べ終え、食後のコーヒーを飲みながらスマホを眺めていた。すると向かい側に誰か座る気配を感じ、顔を上げてドキリとした。
いつの間にか、俺と同年代と思しき女性が俯き加減に座っていたからだ。
薄緑色のニットに、肩先まで伸びた髪。
そして……目を見張るくらい可愛かった。
え? 誰だ? なんでこの席に……?
「あ、あの……?」
声をかけると女性は小声で言った。
「あの……知り合いのふりをしていただけませんか?」
「え?」
「私……実はストーカーに狙われているんです。ずっとつけられていて、怖くてこの店に入ったんです」
気の毒なくらい女性は小刻みに震えている。
確かにこれほどの美人だ。ストーカーに狙われるのも無理はない。
どうせ今日は何も予定が無いし、これも人助けだ。
しかも相手は物凄い美人、断る理由もない。
「分かりました、いいですよ」
返事をすると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか? ありがとうございます」
「いえ、いいんですよ。俺も暇だったので」
返事をしながら、ふと彼女の顔に見覚えがあるような気がしてきた。
だが、どこで見たのかまでは思い出せない。
まぁ別に細かいことを気にしても仕方ない。先ずは彼女と知り合いのふりをするのが先決だ。
それからは友人のように会話を続けたのだが、不思議な程話があう。
好きな歌手や本、それに料理まで……まるで初めて会ったような相手ではないくらいに。
時間がたつのも忘れて話をしているうち、気づけば1時間近く経過していた。
そこで、ふとストーカーのことを思い出す。
「そういえばどうです? まだストーカーはいますか?」
小声で彼女に尋ねてみると、彼女は周囲を見渡した。
「今はいなくなったみたいですけど、私が1人になると、どこからか現れてついて来るんです……私、1人暮らしだから怖くて……。友人も皆今日はデートで捕まらないし」
なるほど、彼女には彼氏がいないのか。だから俺に頼んできたのだろう。
「今日はイブですからね。まぁ俺も1人で予定も特に無いですし」
すると彼女の目が輝く。
「本当ですか? それでは今日1日彼氏のふりしてもらってもいいでしょうか?」
「ええ!? か、彼氏!?」
いきなりの申し出に迷った。けれど彼女といるのは楽しい。
それに……。
「あの……駄目……でしょうか?」
上目遣いで俺を見つめる彼女は、まさに理想の女性だった。面倒には巻き込まれたくないけれど、このまま別れるのも何だか寂しい。
「いいよ、それじゃ今日1日は彼氏彼女でいよう」
すると女性は満面の笑顔になる。
「ありがとうございます! 改めてお願いします。そういえば、まだ名前を言ってませんでしたね? 私、神崎詩織と言います。大学を卒業して今年銀行に勤めたばかりの新社会人です」
「へ~偶然だね。俺もIT関連会社で働く新社会人だよ。名前は一ノ瀬裕也。裕也って呼んでくれていいよ」
「裕也……さんですか? それじゃ、私のことは詩織って呼んでください」
気のせいか、彼女の頬が赤く見える。何だかこっちまで意識してしまいそうだ。
「あ、ああ。敬語も無しにしよう」
「うん。それじゃ、彼氏彼女のように振舞わないといけないよね? あの……裕也さん。どこかへ遊びに行かない?」
恥ずかしそうに尋ねてくる詩織、勿論俺の返事は決まっている。
「そうだね、行こうか」
こうして俺と詩織はデートをすることになった――
****
2人で手を繋ぎながら町を歩く。
「詩織、どこへ行きたい?」
「う~ん……そうだね……」
「どこだっていいぞ?」
真剣に考える詩織は本当に可愛かった。その証拠にすれ違う人達も俺たちをじっと見つめている。
やはり他の人達から見ても詩織は美人なのだろう。
少しだけ優越感に浸っていると……。
「あ、それなら……水族館! 私、一度でいいからデートで行ってみたかったの」
「水族館か……いいな。よし、行こう」
「うん」
こうして俺たちは水族館へ向かった――
****
電車に乗って、一番近い水族館へとやってきた。
「大人2名」
窓口でチケットを頼むと、係員は首を傾げる。
「……2名様ですか?」
「ええ、そうですけど?」
何でそんなこと聞くんだ? 隣に詩織がいるのに。
けれどすぐに係員はチケットを2枚差し出してきた。
「2名様で5000円になります」
現金で5000円支払うと、詩織に手渡した。
「ありがとう、裕也さん。お金……」
詩織はショルダーバッグから財布を取り出そうとし、慌てて止めた。
「大丈夫だって、お金なんかいらないから」
「だけど、奢ってもらうなんて……」
「いいんだって、こういうのは男が支払うものだから」
その時。
何やら視線線を感じて振り返ると、何故か周囲の客たちが俺たちを見つめている。
一体なんだっていうんだ?
そんなに騒がしくしているわけでもないのに。……とっとと館内に入った方が良さそうだ。
「行こう。詩織」
「うん」
俺は詩織の手を引くと館内へ入った―――
****
館内はクリスマスの飾り付けがされ、カップルや家族連れで賑わっていた。
詩織はまるで子供みたいに嬉しそうに水槽を見つめ、クラゲの展示では「きれい……幻想的だね」と笑顔を向ける。
その姿を見ているだけで、幸せな気持ちが込み上げてくる。
そこで閃いた。
「そうだ、詩織。写真撮ってあげるよ。クラゲ、好きなんだろう?」
「本当? ありがとう」
「それじゃ、そこに立って。あ~もうちょっと左かな?」
「ここ?」
「うん、いいね」
カシャッ
水槽の前に立つ詩織をカメラで映す。
「撮れたよ、詩織」
笑顔で声をかけたそのとき、ふと気づいた。
すれ違う人たちが、ちらちらとこちらを見ているのだ。
てっきり詩織が美人だから目立っているのだと思っていた。
だが、突然子どもの声が耳に飛び込んできた。
「お母さん。あのお兄ちゃん、誰と話してるのかな?」
「し! 聞かれたらどうするの?」
そして母親の叱責する声。
「……え?」
思わず足を止めると詩織が不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや……なんでもないよ」
気のせいだ。
自分に言い聞かせ、詩織に笑いかけた――
****
次に訪れたのは、駅近くのレストランだった。
店内はクリスマスの音楽が流れ、落ち着いた雰囲気のイタリアン店だった。
窓際の席に案内されると、早速メニューを開いた。
「何にしようかな……あ、これ美味しそう」
詩織が指差した料理はシーフードグラタンセットだった。
「うん、美味しそうだな。それじゃ俺はシーフードパスタセットにしようかな?」
メニューを閉じると早速店員を呼ぶ。
「すみません、注文お願いします。これとこれです」
店員は一瞬だけ戸惑ったような顔をしたが、すぐに「かしこまりました」と答えて去っていった。
やがて運ばれてきた料理は、俺の前にだけ置かれた。
「……あれ?」
「お水、お持ちしました」
店員がグラスを一つだけテーブルに置いていく。
「えっと、連れの分は……」
そう言いかけた俺の手を、詩織がそっと握った。
「いいの。気にしないで」
「まぁ、詩織がいいなら別に……」
詩織が止めなければ、きっと文句を言っていただろう。だが彼女に心の狭い男だと思われたくなくて、口を閉ざすことにした。
「それじゃ、食べようか?」
「うん」
俺たちは向かい合わせで会話をしながら食事を楽しんだ――
****
――20時半
最後に訪れたのはプラネタリウムだった。このプラネタリウムはカップルシートという席があり、ソファの上で寝転がって観ることが出来る。
「カップルシート1組」
「え!? カップルシートですか?」
「ええ。そうですけど?」
何か文句でもあるのかと言わんばかりに、少しムッとした表情をしてみせた。
すると店員は「申し訳ございません」と小さな声で謝り、チケットを購入することが出来たのだった。
****
星空のドームに包まれた空間で、俺たちはソファの上に寝転がった。
やがて照明が落ち、音楽と供に天井に無数の星が広がっていく。
「きれい……」
詩織がぽつりと呟くも、すぐ傍にいる彼女の温もりが気になって鑑賞どころじゃない。
「うん……」
俺も同じように空を見上げながら、ふと横を見ると詩織がこちらを見つめていた。
「裕也さん……」
「ん?」
「今日、ありがとう。こんなに幸せなイブ、初めてだった」
「俺もだよ。」
2人の手が触れあい、彼女の指を絡めるように手を繋ぐ。
「詩織……」
「裕也さん……」
自然と顔が近づき……俺たちはそっと唇を重ねる。
美しい星空の下、詩織と何度もキスを交わした――
****
――21時半
上映が終わり、俺たちは手を繋いだままプラネタリウムを後にした。
「「……」」
2人とも無言だった。
この先どうすれば良いのか分からなかった。
何しろ俺たちは本当の恋人同士じゃない。詩織をストーカーから守る為の仮初の恋人同士なのだから。
本当は帰したくなかったけど、彼女にだって都合があるだろう。
ここは俺から言い出さないと……。
「あ、あの……さ、詩織」
「うん……」
「もう、さすがにストーカーはいないだろうから。ここで……」
すると詩織が繋いでいた手に力を籠める。
「……今夜は帰りたくない……」
「え!?」
ま、まさか……?
しかし、予想外の言葉が出てきた。
「ストーカーに……住んでるマンション知られてしまった可能性があるの……だ、だから……」
握りしめている詩織の小さな手が震えている。
「そうか。ならどこかビジネスホテルにでも……」
しかし、詩織は首を振る。
「ホテル……出るとき待ち伏せされるかも……」
こうなったら、もう一つしかない。
「だったら……俺の部屋に来る?」
「……うん。裕也さんの部屋に行きたい」
そう言って詩織は潤んだ瞳で見上げてきた――
****
――22時過ぎ
詩織を連れて、ワンルームマンションへ帰って来た。
「どうぞ、入って。狭いけど」
「お邪魔します……わぁ。奇麗に片付いているね」
後から入って来た詩織は部屋を見渡すと笑顔になる。
「そうかな。単に物があまりないだけだよ。まだ1年も暮らしていないし」
「でも、私こういうシンプルな部屋。好きだよ。それに……男の人の部屋に入るのも初めてだから……」
顔を真っ赤にさせる詩織は本当に可愛かった。
だけど……この狭い空間で二人きり。
これでは俺の理性は保てないだろう。だから詩織をここに連れて来た時から決めていた。
「この部屋、自由に使っていいよ。俺はどこか近くのホテルにでも泊まるから。明日の朝、戻ってくるよ」
早口で言って背を向けたとき――
「行かないで!」
詩織が背中から抱き着いてきた。
「し、詩織……?」
彼女の身体は小刻みに震えている。
「お願い、行かないで……一人にしないで……」
「だけど……ここにいたら、俺……詩織を自分の物にしてしまいたくなるから……」
そうだ、俺は聖人君子なんかじゃない。
詩織と一晩同じ部屋にいて、理性なんか保てるはずない。
俺たちは仮初の恋人同士……一線を越えてはいけないんだ。
すると……。
「……してよ……」
「え?」
「私を……裕也さんの物にしてよ……」
驚いて詩織の方を振り向くと、泣いていた。
大きな瞳に涙を浮かべ……俺をじっと見つめている。
その姿に理性のタガがプツンと切れる。
「……いいんだな? 途中で止めてと言われても……止めないぞ?」
詩織の頬に手を添える。
「言わない……絶対言わないか……んっ」
最後まで言わせずに俺は詩織の唇にキスすると、そのまま抱え上げてベッドに運んで押し倒した。
「詩織……好きだ」
「私も裕也さんを……んっ……」
再び唇を重ねて言葉を塞ぐと、手元のリモコンで部屋の明りを消した――
詩織を抱いて知ったことがある。
俺が初めての男だったこと。
そのことがどれだけ嬉しかったか計り知れない。
壊れ物を扱うかのように、出来るだけ優しく詩織を抱いた。
必死で縋りついてくる彼女が愛しくてたまらず、この日何度も身体を重ねた。
彼女と出会えたクリスマスの奇跡に感謝しながら――
****
――翌朝
眩しい太陽の光がカーテンから差し込み、顔を照らす。
「う~ん……」
軽く呻き、隣で寝ている愛しい恋人を抱き寄せようとしたとき。
「え?」
ベッドの中に自分しかいないことに気付いた。
「詩織?」
起き上がって名前を呼ぶも、返事はない。
ユニットバスを覗いても誰もいない。まさかと思いつつベランダを覗いてもいるはずもない。
そして極めつけは玄関の鍵はかかったままで、彼女のローファーは消えている。
まさか……帰ったのか?
あれ程帰りたくないと言ってたのに?
「嘘だろう……?」
思わず頭を抱える。
『あなたが好き。大好き……』
「そん……な……」
昨夜、腕の中で何度もそう言ってくれたのに……それなのに帰った?
「ハハハ……」
ずるずると床に座り込む。
「俺……からかわれたのか……? ストーカーなんて、嘘だったのか……?」
だが、行きずりの男に自分の「初めて」を捧げてしまうのだろうか?
あんなに何度も俺のことを「大好き」と言うのだろうか……?
茫然としながら、天井を見つめた――
****
あれからどれくらい経過しただろうか……。
ぐぅと腹の虫が鳴り、ようやく重い腰を上げた。
こんな時でも腹が空くなんて……。
「コンビニにでも行くか……」
上着を羽織り、スマホと財布を持つと部屋を出た――
――20分後
ガチャッ
部屋の扉を閉めると、ローテーブルにコンビニで買ってきたコーヒーとサンドイッチを置いた。
スマホ片手にサンドイッチをモソモソと食べるも、味なんかちっとも分からない。
たった1日限りの関係だったのに、それほど詩織の存在は大きかったようだ。
コーヒーを飲みながらスマホを操作し……手が止まった。
「え……?」
眺めていたのはネットのニュース。そして信じられない記事を目にした。
「交通事故で重体だった神崎詩織……22歳。24日未明に亡くなった……?」
スマホが手から滑り落ちる。
画面には詩織の顔写真が写っている。
「嘘だ……詩織が死んでいたなんて……だって昨日は朝からずっと一緒で……俺は確かに詩織を抱いたのに……?」
まだ詩織を抱いたときの温もりがこの腕に残っている。
「そうだ……写真だ! 水族館で撮った写真!」
再びスマホを手に取り、写真を探し……頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「そ、そんな……嘘だ……」
確かに詩織の姿を収めたはずなのに……そこにはクラゲのいる水槽しか映っていなかった――
****
詩織の訃報を見た翌日――
この日、初めて会社を欠勤した。
とてもではないが、まともな精神で仕事が出来るとは思えなかったからだ。
一日家に引きこもり、詩織の情報を得るためにPCで検索を続けた。
昨夜は茫然自失状態でネットを見る気にもなれなかった分、必死で詩織について調べ上げ……徐々に明らかになってきた。
詩織は本当にストーカーに狙われており、警察に何度も相談していた。
会社の前でストーカーに待ち伏せされ、逃げている最中に交通事故に遭った。
ストーカーはその場で逮捕されている。
詩織は意識不明の状態で病院に運び込まれ、4日間死の淵を彷徨い……25日未明に息を引き取ったこと……。
25日未明――
あの時、俺と詩織は肌を重ね……目覚めたら彼女は消えていた。
「詩織……どうして俺の前に現れたんだよ……どうしてこんな辛い思いさせるんだよ……」
真実を知ったこの日、彼女を思って泣き続けた――
****
12月27日、午前10時――
今日は詩織の告別式の日で、俺は呼ばれてもいないのに斎場に来ていた。
時間と場所は意外と容易に見つかった。
地元のネットニュースで彼女の告別式について、小さく記事が書かれていたからだ。
会社には友人が亡くなったので告別式に参加したいと嘘をついてきたのだった――
式場には思っていた以上に大勢の人々が来ていた。
受付で記帳したところで、声をかけられた。
「あの、どちら様でしょうか?」
顔を上げると、俺と同年代と思しき女性がじっと見つめている。もしかして詩織の友人だろうか?
どちら様……?
俺と詩織の関係は何だったのだろう?
「……友人です」
「あぁ、御友人の方なのですね?」
「はい、この度はご愁傷さまでした」
女性の方は何か言いたげだったが、聞かれても答えようがない。
会釈すると、足早に会場に入って行った。
斎場で、僧侶のお経を唱える声が響いている。
あちこちでは若い彼女の死を悼み、すすり泣きが聞こえている。
俺は涙を流すことも無く、祭壇の写真を見つめていた。
遺影の彼女は愛らしい笑顔で映っている。
詩織は……やっぱり俺が知っている彼女に間違いなかった――
葬儀が終わり、斎場を後にしようとしたとき。
「あの、ちょっと待ってください!」
不意に背後から声をかけられ、振り向くと受付にいた女性だった。
「俺に何か御用ですか?」
すると意外なことを聞かれた。
「もしかして……一ノ瀬裕也さんですか?」
「え? 何故俺の名を……?」
すると女性が笑顔になった。
「やっぱりそうだった。間違いない、うん。やっぱり一ノ瀬君は相変わらず格好いいね。中学の時からモテていたものね」
「あの……?」
一体何を言ってるんだ?
「あ、そうか……私のこと分からなくて当然だよね? 私、一ノ瀬君と同じ中学校で同級生だったんだよ? 同じクラスになったことなかったけど。でも詩織とは同じクラスだったものね。ニュースで知ってきてくれたんだね? ありがとう。詩織……ずっと一ノ瀬君のこと好きだったから……」
「え? 何だって!?」
その言葉に耳を疑う。
「俺……詩織とクラスメイトだったのか?」
「そうだよ、え? 何? 知らなかったの? 知っていて葬儀に来てくれたんじゃなかったの?」
今度は彼女が目を見開く。
「あ、い、いや……」
言葉に詰まると、彼女は肩をすくめた。
「まぁ、分からなくても仕方ないよね。あの頃の詩織は眼鏡もしていて、目立たなかったし。今の写真とは大分雰囲気が違っているから。でも、詩織が変われたのは一ノ瀬君のお陰だよ?」
「俺の?」
どういうことだ?
「一ノ瀬君は勉強もスポーツも万能で、女子の憧れの存在だったじゃない?」
「そうだったかな……?」
自分ではそんなことは意識していなかったが……それでもバレンタインにチョコやラブレターを貰った記憶はある。
「自分には手の届かない相手で、声もかけられないって言ってたよ。いつか彼の隣に並んで歩けるような存在になりたいって。だから必死に努力していたし」
「……」
必死に記憶を手繰り寄せ……そういえば、物静かで読書好きな少女がいた気がする。
たまに図書室で会った時、並んで本を読んで……。
「まさか、彼女が……」
「高校が別々になってしまったから、一ノ瀬君のその後が分からないって言ってた。でも……もし、どこかで会えたら、その時は絶対告白するって……」
詩織を思い出したのだろう。
彼女の目に涙が浮かんできた。
「詩織……すっかり奇麗になって……色々な男性から告白されるようになったけど……絶対誰とも付き合わなかったの……一ノ瀬君が忘れられないからって……それで挙句にストーカー被害に……」
聞いている俺も目頭が熱くなってくる。
可愛そうに……どんなに怖かったことだろう。
「実は……詩織の両親から聞いた話だけど……事故に遭って、ずっと意識不明だったのに……最期は……詩織、笑顔で亡くなったって……まるで楽しい夢でも見ているかのような……穏やかな笑顔だったって……」
彼女の目から涙がこぼれ落ち、俺も気づけば泣いていた。
「ありがとう……色々、教えてくれて……」
「う、ううん……でも、どうして一ノ瀬さんも泣いてるの……?」
涙を拭いながら尋ねられた。
「俺も彼女が好きだったからさ……」
「え?」
それだけ告げると困惑している彼女に背を向け、今度こそ式場を後にした――
****
「はぁ……」
いつもの席でため息をつき、向かい側の席をじっと見つめる。
1年たった今も詩織のことが忘れられない。
俺が知っている詩織と、この世を去った詩織が別人だったのではないかと愚かな幻想を未だに抱いている自分がいた。
「そろそろ行くか……」
今日は12月24日、特別な日だから――
カフェを出ると、まずは水族館へ向かった。
1人分のチケットを買い、館内へ。
日曜ということもあり、家族連れやカップルの姿が多く目立つ。クリスマス色に染められた館内は昨年と変わらない光景に見える。
クラゲの水槽の前にやって来ると足を止めた。
「詩織……」
スマホを取り出し、写真を撮ってみるも当然詩織の姿は映っていない。
次に詩織と入ったイタリアンレストランへ行ってみた。
そこで去年と同じ店に入り、同じメニューを注文する。
『この料理、とても美味しいね』
そう言って笑顔で笑う詩織が今も忘れられない。
最後にプラネタリウムへ向かった。
さすがにカップルシートは買えず、一般席を買うと中へ入った。
やはりクリスマスだからだろう。
辺りはカップルばかりだった。クリスマスイブに男が一人でプラネタリウムに来るなんて、きっと寂しい人間に思われているに違いない。
1年前のあの日、この場所でキスをした。
初めてキスをしたとき、詩織は小さく震えていて……たまらなく愛しさを感じた。
「詩織……」
気付けば涙が滲み……星々が霞んで見えていた――
****
――21時半
プラネタリウムの上映が終わり、館内を出た。
白い息を吐きながら空を見上げ……自虐的に笑った。
「ハハハ……何やってるんだ。俺は……」
分かっている。
詩織は1年前に死んだ。現に告別式に参列したし、彼女の墓参りにも行っている。
けれど、1年たった今でも俺は詩織を忘れられなかった。
「詩織……」
ポツリと呟いたとき、スマホに見知らぬアドレスの着信が入っていることに気付いた。
何気なく開き、目を見開く。
『ありがとう、裕也さん。でも……もう私のことは忘れてください』
「え……!?」
戦慄が走る。
すると俺が確認するのを待っていたかのようにメッセージは消えてしまった。
「……詩織‥…」
スマホを強く握りしめ、空を見上げると星が涙で滲んで見える。
「分かったよ……。俺……前に進むよ」
ありがとう、詩織。
またどこか別の世界で君に会えたら、今度は俺の方から好きだと伝えるよ。
すると一筋の風が吹き…… 空のどこかで彼女が微笑んだ気がした——
<完>
俺も君が好きだ……。
愛しい 彼女を抱きしめようと、腕を伸ばし――
「あ……」
目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
起き上がると、頬に乾いた涙の痕があることに気付いた。
「また……泣いていたのか……」
今日は12月24日——あれから、ちょうど1年。
ため息をつき、着替えをする。
そのまま 上着を羽織り、ポケットにスマホと財布を突っ込んでワンルームマンションを後にした――
日曜日ということもあり、町は人で賑わっていた。 その中には腕を組んで歩くカップルの姿も見える。
今日も無駄とは思いつつ、あのカフェに来てしまった。 いくら待っても、もう二度と彼女が現れないのは分かっている。 それでも、休みの日はここに来ずにはいられなかった。
「詩織……」
あの夜の温もりだけが、今も俺の中で生きている。
たった一度きりの幻みたいなクリスマスイブ。
あれは夢じゃなかった。
どうしても信じたくて、またこの席に座っている――
****
――1年前。
12月24日の土曜日。
ピピピピピピ……!
ワンルームマンションにスマホのアラームが響き渡る。
「う~ん……」
手を伸ばし、枕元のスマホを止めた。
「……やってしまった。今日は土曜日だっていうのに」
時刻は6時。
つい、いつもの癖でアラームをセットしてしまった。
もう一度寝直そうと思っても、完全に目が覚めてしまった。
「仕方ない、起きるか……」
ため息をつくと、ベッドから身体を起こした――
顔を洗って着替えをすると、もう何もすることが無くなってしまった。
洗濯は昨夜のうちに終わらせているし、冷蔵庫の中は空っぽ。
「駅前のカフェで、モーニングでもしてくるか……」
****
今日は土曜日、しかもクリスマスイブということで町は人で賑わっていた。
周囲を見渡せば、腕を組んで仲睦まじく歩くカップルたち。
「……はぁ……」
空しい気持ちが込み上げてくる。
クリスマスイブだというのに、一緒に祝う相手がいない。
学生時代から交際していた彼女とは3カ月前に別れていた。
理由は新社会人として忙しく働くあまり、すれ違いの日々が続き……彼女の方から別れを告げてきたのだ。
友人たちとクリスマスイブを祝いたくても、全員彼女とデート。
結局一人寂しくイブを迎えることになってしまったのだった。
「いいさ。別に一人でも。世の中には俺のように、お一人様でイブを過ごす連中だって沢山いるんだろうから」
目的のカフェに到着し、ボックス席に座るとメニュー表を広げた――
モーニングセットを食べ終え、食後のコーヒーを飲みながらスマホを眺めていた。すると向かい側に誰か座る気配を感じ、顔を上げてドキリとした。
いつの間にか、俺と同年代と思しき女性が俯き加減に座っていたからだ。
薄緑色のニットに、肩先まで伸びた髪。
そして……目を見張るくらい可愛かった。
え? 誰だ? なんでこの席に……?
「あ、あの……?」
声をかけると女性は小声で言った。
「あの……知り合いのふりをしていただけませんか?」
「え?」
「私……実はストーカーに狙われているんです。ずっとつけられていて、怖くてこの店に入ったんです」
気の毒なくらい女性は小刻みに震えている。
確かにこれほどの美人だ。ストーカーに狙われるのも無理はない。
どうせ今日は何も予定が無いし、これも人助けだ。
しかも相手は物凄い美人、断る理由もない。
「分かりました、いいですよ」
返事をすると、彼女は満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか? ありがとうございます」
「いえ、いいんですよ。俺も暇だったので」
返事をしながら、ふと彼女の顔に見覚えがあるような気がしてきた。
だが、どこで見たのかまでは思い出せない。
まぁ別に細かいことを気にしても仕方ない。先ずは彼女と知り合いのふりをするのが先決だ。
それからは友人のように会話を続けたのだが、不思議な程話があう。
好きな歌手や本、それに料理まで……まるで初めて会ったような相手ではないくらいに。
時間がたつのも忘れて話をしているうち、気づけば1時間近く経過していた。
そこで、ふとストーカーのことを思い出す。
「そういえばどうです? まだストーカーはいますか?」
小声で彼女に尋ねてみると、彼女は周囲を見渡した。
「今はいなくなったみたいですけど、私が1人になると、どこからか現れてついて来るんです……私、1人暮らしだから怖くて……。友人も皆今日はデートで捕まらないし」
なるほど、彼女には彼氏がいないのか。だから俺に頼んできたのだろう。
「今日はイブですからね。まぁ俺も1人で予定も特に無いですし」
すると彼女の目が輝く。
「本当ですか? それでは今日1日彼氏のふりしてもらってもいいでしょうか?」
「ええ!? か、彼氏!?」
いきなりの申し出に迷った。けれど彼女といるのは楽しい。
それに……。
「あの……駄目……でしょうか?」
上目遣いで俺を見つめる彼女は、まさに理想の女性だった。面倒には巻き込まれたくないけれど、このまま別れるのも何だか寂しい。
「いいよ、それじゃ今日1日は彼氏彼女でいよう」
すると女性は満面の笑顔になる。
「ありがとうございます! 改めてお願いします。そういえば、まだ名前を言ってませんでしたね? 私、神崎詩織と言います。大学を卒業して今年銀行に勤めたばかりの新社会人です」
「へ~偶然だね。俺もIT関連会社で働く新社会人だよ。名前は一ノ瀬裕也。裕也って呼んでくれていいよ」
「裕也……さんですか? それじゃ、私のことは詩織って呼んでください」
気のせいか、彼女の頬が赤く見える。何だかこっちまで意識してしまいそうだ。
「あ、ああ。敬語も無しにしよう」
「うん。それじゃ、彼氏彼女のように振舞わないといけないよね? あの……裕也さん。どこかへ遊びに行かない?」
恥ずかしそうに尋ねてくる詩織、勿論俺の返事は決まっている。
「そうだね、行こうか」
こうして俺と詩織はデートをすることになった――
****
2人で手を繋ぎながら町を歩く。
「詩織、どこへ行きたい?」
「う~ん……そうだね……」
「どこだっていいぞ?」
真剣に考える詩織は本当に可愛かった。その証拠にすれ違う人達も俺たちをじっと見つめている。
やはり他の人達から見ても詩織は美人なのだろう。
少しだけ優越感に浸っていると……。
「あ、それなら……水族館! 私、一度でいいからデートで行ってみたかったの」
「水族館か……いいな。よし、行こう」
「うん」
こうして俺たちは水族館へ向かった――
****
電車に乗って、一番近い水族館へとやってきた。
「大人2名」
窓口でチケットを頼むと、係員は首を傾げる。
「……2名様ですか?」
「ええ、そうですけど?」
何でそんなこと聞くんだ? 隣に詩織がいるのに。
けれどすぐに係員はチケットを2枚差し出してきた。
「2名様で5000円になります」
現金で5000円支払うと、詩織に手渡した。
「ありがとう、裕也さん。お金……」
詩織はショルダーバッグから財布を取り出そうとし、慌てて止めた。
「大丈夫だって、お金なんかいらないから」
「だけど、奢ってもらうなんて……」
「いいんだって、こういうのは男が支払うものだから」
その時。
何やら視線線を感じて振り返ると、何故か周囲の客たちが俺たちを見つめている。
一体なんだっていうんだ?
そんなに騒がしくしているわけでもないのに。……とっとと館内に入った方が良さそうだ。
「行こう。詩織」
「うん」
俺は詩織の手を引くと館内へ入った―――
****
館内はクリスマスの飾り付けがされ、カップルや家族連れで賑わっていた。
詩織はまるで子供みたいに嬉しそうに水槽を見つめ、クラゲの展示では「きれい……幻想的だね」と笑顔を向ける。
その姿を見ているだけで、幸せな気持ちが込み上げてくる。
そこで閃いた。
「そうだ、詩織。写真撮ってあげるよ。クラゲ、好きなんだろう?」
「本当? ありがとう」
「それじゃ、そこに立って。あ~もうちょっと左かな?」
「ここ?」
「うん、いいね」
カシャッ
水槽の前に立つ詩織をカメラで映す。
「撮れたよ、詩織」
笑顔で声をかけたそのとき、ふと気づいた。
すれ違う人たちが、ちらちらとこちらを見ているのだ。
てっきり詩織が美人だから目立っているのだと思っていた。
だが、突然子どもの声が耳に飛び込んできた。
「お母さん。あのお兄ちゃん、誰と話してるのかな?」
「し! 聞かれたらどうするの?」
そして母親の叱責する声。
「……え?」
思わず足を止めると詩織が不思議そうに首を傾げる。
「どうかしたの?」
「いや……なんでもないよ」
気のせいだ。
自分に言い聞かせ、詩織に笑いかけた――
****
次に訪れたのは、駅近くのレストランだった。
店内はクリスマスの音楽が流れ、落ち着いた雰囲気のイタリアン店だった。
窓際の席に案内されると、早速メニューを開いた。
「何にしようかな……あ、これ美味しそう」
詩織が指差した料理はシーフードグラタンセットだった。
「うん、美味しそうだな。それじゃ俺はシーフードパスタセットにしようかな?」
メニューを閉じると早速店員を呼ぶ。
「すみません、注文お願いします。これとこれです」
店員は一瞬だけ戸惑ったような顔をしたが、すぐに「かしこまりました」と答えて去っていった。
やがて運ばれてきた料理は、俺の前にだけ置かれた。
「……あれ?」
「お水、お持ちしました」
店員がグラスを一つだけテーブルに置いていく。
「えっと、連れの分は……」
そう言いかけた俺の手を、詩織がそっと握った。
「いいの。気にしないで」
「まぁ、詩織がいいなら別に……」
詩織が止めなければ、きっと文句を言っていただろう。だが彼女に心の狭い男だと思われたくなくて、口を閉ざすことにした。
「それじゃ、食べようか?」
「うん」
俺たちは向かい合わせで会話をしながら食事を楽しんだ――
****
――20時半
最後に訪れたのはプラネタリウムだった。このプラネタリウムはカップルシートという席があり、ソファの上で寝転がって観ることが出来る。
「カップルシート1組」
「え!? カップルシートですか?」
「ええ。そうですけど?」
何か文句でもあるのかと言わんばかりに、少しムッとした表情をしてみせた。
すると店員は「申し訳ございません」と小さな声で謝り、チケットを購入することが出来たのだった。
****
星空のドームに包まれた空間で、俺たちはソファの上に寝転がった。
やがて照明が落ち、音楽と供に天井に無数の星が広がっていく。
「きれい……」
詩織がぽつりと呟くも、すぐ傍にいる彼女の温もりが気になって鑑賞どころじゃない。
「うん……」
俺も同じように空を見上げながら、ふと横を見ると詩織がこちらを見つめていた。
「裕也さん……」
「ん?」
「今日、ありがとう。こんなに幸せなイブ、初めてだった」
「俺もだよ。」
2人の手が触れあい、彼女の指を絡めるように手を繋ぐ。
「詩織……」
「裕也さん……」
自然と顔が近づき……俺たちはそっと唇を重ねる。
美しい星空の下、詩織と何度もキスを交わした――
****
――21時半
上映が終わり、俺たちは手を繋いだままプラネタリウムを後にした。
「「……」」
2人とも無言だった。
この先どうすれば良いのか分からなかった。
何しろ俺たちは本当の恋人同士じゃない。詩織をストーカーから守る為の仮初の恋人同士なのだから。
本当は帰したくなかったけど、彼女にだって都合があるだろう。
ここは俺から言い出さないと……。
「あ、あの……さ、詩織」
「うん……」
「もう、さすがにストーカーはいないだろうから。ここで……」
すると詩織が繋いでいた手に力を籠める。
「……今夜は帰りたくない……」
「え!?」
ま、まさか……?
しかし、予想外の言葉が出てきた。
「ストーカーに……住んでるマンション知られてしまった可能性があるの……だ、だから……」
握りしめている詩織の小さな手が震えている。
「そうか。ならどこかビジネスホテルにでも……」
しかし、詩織は首を振る。
「ホテル……出るとき待ち伏せされるかも……」
こうなったら、もう一つしかない。
「だったら……俺の部屋に来る?」
「……うん。裕也さんの部屋に行きたい」
そう言って詩織は潤んだ瞳で見上げてきた――
****
――22時過ぎ
詩織を連れて、ワンルームマンションへ帰って来た。
「どうぞ、入って。狭いけど」
「お邪魔します……わぁ。奇麗に片付いているね」
後から入って来た詩織は部屋を見渡すと笑顔になる。
「そうかな。単に物があまりないだけだよ。まだ1年も暮らしていないし」
「でも、私こういうシンプルな部屋。好きだよ。それに……男の人の部屋に入るのも初めてだから……」
顔を真っ赤にさせる詩織は本当に可愛かった。
だけど……この狭い空間で二人きり。
これでは俺の理性は保てないだろう。だから詩織をここに連れて来た時から決めていた。
「この部屋、自由に使っていいよ。俺はどこか近くのホテルにでも泊まるから。明日の朝、戻ってくるよ」
早口で言って背を向けたとき――
「行かないで!」
詩織が背中から抱き着いてきた。
「し、詩織……?」
彼女の身体は小刻みに震えている。
「お願い、行かないで……一人にしないで……」
「だけど……ここにいたら、俺……詩織を自分の物にしてしまいたくなるから……」
そうだ、俺は聖人君子なんかじゃない。
詩織と一晩同じ部屋にいて、理性なんか保てるはずない。
俺たちは仮初の恋人同士……一線を越えてはいけないんだ。
すると……。
「……してよ……」
「え?」
「私を……裕也さんの物にしてよ……」
驚いて詩織の方を振り向くと、泣いていた。
大きな瞳に涙を浮かべ……俺をじっと見つめている。
その姿に理性のタガがプツンと切れる。
「……いいんだな? 途中で止めてと言われても……止めないぞ?」
詩織の頬に手を添える。
「言わない……絶対言わないか……んっ」
最後まで言わせずに俺は詩織の唇にキスすると、そのまま抱え上げてベッドに運んで押し倒した。
「詩織……好きだ」
「私も裕也さんを……んっ……」
再び唇を重ねて言葉を塞ぐと、手元のリモコンで部屋の明りを消した――
詩織を抱いて知ったことがある。
俺が初めての男だったこと。
そのことがどれだけ嬉しかったか計り知れない。
壊れ物を扱うかのように、出来るだけ優しく詩織を抱いた。
必死で縋りついてくる彼女が愛しくてたまらず、この日何度も身体を重ねた。
彼女と出会えたクリスマスの奇跡に感謝しながら――
****
――翌朝
眩しい太陽の光がカーテンから差し込み、顔を照らす。
「う~ん……」
軽く呻き、隣で寝ている愛しい恋人を抱き寄せようとしたとき。
「え?」
ベッドの中に自分しかいないことに気付いた。
「詩織?」
起き上がって名前を呼ぶも、返事はない。
ユニットバスを覗いても誰もいない。まさかと思いつつベランダを覗いてもいるはずもない。
そして極めつけは玄関の鍵はかかったままで、彼女のローファーは消えている。
まさか……帰ったのか?
あれ程帰りたくないと言ってたのに?
「嘘だろう……?」
思わず頭を抱える。
『あなたが好き。大好き……』
「そん……な……」
昨夜、腕の中で何度もそう言ってくれたのに……それなのに帰った?
「ハハハ……」
ずるずると床に座り込む。
「俺……からかわれたのか……? ストーカーなんて、嘘だったのか……?」
だが、行きずりの男に自分の「初めて」を捧げてしまうのだろうか?
あんなに何度も俺のことを「大好き」と言うのだろうか……?
茫然としながら、天井を見つめた――
****
あれからどれくらい経過しただろうか……。
ぐぅと腹の虫が鳴り、ようやく重い腰を上げた。
こんな時でも腹が空くなんて……。
「コンビニにでも行くか……」
上着を羽織り、スマホと財布を持つと部屋を出た――
――20分後
ガチャッ
部屋の扉を閉めると、ローテーブルにコンビニで買ってきたコーヒーとサンドイッチを置いた。
スマホ片手にサンドイッチをモソモソと食べるも、味なんかちっとも分からない。
たった1日限りの関係だったのに、それほど詩織の存在は大きかったようだ。
コーヒーを飲みながらスマホを操作し……手が止まった。
「え……?」
眺めていたのはネットのニュース。そして信じられない記事を目にした。
「交通事故で重体だった神崎詩織……22歳。24日未明に亡くなった……?」
スマホが手から滑り落ちる。
画面には詩織の顔写真が写っている。
「嘘だ……詩織が死んでいたなんて……だって昨日は朝からずっと一緒で……俺は確かに詩織を抱いたのに……?」
まだ詩織を抱いたときの温もりがこの腕に残っている。
「そうだ……写真だ! 水族館で撮った写真!」
再びスマホを手に取り、写真を探し……頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
「そ、そんな……嘘だ……」
確かに詩織の姿を収めたはずなのに……そこにはクラゲのいる水槽しか映っていなかった――
****
詩織の訃報を見た翌日――
この日、初めて会社を欠勤した。
とてもではないが、まともな精神で仕事が出来るとは思えなかったからだ。
一日家に引きこもり、詩織の情報を得るためにPCで検索を続けた。
昨夜は茫然自失状態でネットを見る気にもなれなかった分、必死で詩織について調べ上げ……徐々に明らかになってきた。
詩織は本当にストーカーに狙われており、警察に何度も相談していた。
会社の前でストーカーに待ち伏せされ、逃げている最中に交通事故に遭った。
ストーカーはその場で逮捕されている。
詩織は意識不明の状態で病院に運び込まれ、4日間死の淵を彷徨い……25日未明に息を引き取ったこと……。
25日未明――
あの時、俺と詩織は肌を重ね……目覚めたら彼女は消えていた。
「詩織……どうして俺の前に現れたんだよ……どうしてこんな辛い思いさせるんだよ……」
真実を知ったこの日、彼女を思って泣き続けた――
****
12月27日、午前10時――
今日は詩織の告別式の日で、俺は呼ばれてもいないのに斎場に来ていた。
時間と場所は意外と容易に見つかった。
地元のネットニュースで彼女の告別式について、小さく記事が書かれていたからだ。
会社には友人が亡くなったので告別式に参加したいと嘘をついてきたのだった――
式場には思っていた以上に大勢の人々が来ていた。
受付で記帳したところで、声をかけられた。
「あの、どちら様でしょうか?」
顔を上げると、俺と同年代と思しき女性がじっと見つめている。もしかして詩織の友人だろうか?
どちら様……?
俺と詩織の関係は何だったのだろう?
「……友人です」
「あぁ、御友人の方なのですね?」
「はい、この度はご愁傷さまでした」
女性の方は何か言いたげだったが、聞かれても答えようがない。
会釈すると、足早に会場に入って行った。
斎場で、僧侶のお経を唱える声が響いている。
あちこちでは若い彼女の死を悼み、すすり泣きが聞こえている。
俺は涙を流すことも無く、祭壇の写真を見つめていた。
遺影の彼女は愛らしい笑顔で映っている。
詩織は……やっぱり俺が知っている彼女に間違いなかった――
葬儀が終わり、斎場を後にしようとしたとき。
「あの、ちょっと待ってください!」
不意に背後から声をかけられ、振り向くと受付にいた女性だった。
「俺に何か御用ですか?」
すると意外なことを聞かれた。
「もしかして……一ノ瀬裕也さんですか?」
「え? 何故俺の名を……?」
すると女性が笑顔になった。
「やっぱりそうだった。間違いない、うん。やっぱり一ノ瀬君は相変わらず格好いいね。中学の時からモテていたものね」
「あの……?」
一体何を言ってるんだ?
「あ、そうか……私のこと分からなくて当然だよね? 私、一ノ瀬君と同じ中学校で同級生だったんだよ? 同じクラスになったことなかったけど。でも詩織とは同じクラスだったものね。ニュースで知ってきてくれたんだね? ありがとう。詩織……ずっと一ノ瀬君のこと好きだったから……」
「え? 何だって!?」
その言葉に耳を疑う。
「俺……詩織とクラスメイトだったのか?」
「そうだよ、え? 何? 知らなかったの? 知っていて葬儀に来てくれたんじゃなかったの?」
今度は彼女が目を見開く。
「あ、い、いや……」
言葉に詰まると、彼女は肩をすくめた。
「まぁ、分からなくても仕方ないよね。あの頃の詩織は眼鏡もしていて、目立たなかったし。今の写真とは大分雰囲気が違っているから。でも、詩織が変われたのは一ノ瀬君のお陰だよ?」
「俺の?」
どういうことだ?
「一ノ瀬君は勉強もスポーツも万能で、女子の憧れの存在だったじゃない?」
「そうだったかな……?」
自分ではそんなことは意識していなかったが……それでもバレンタインにチョコやラブレターを貰った記憶はある。
「自分には手の届かない相手で、声もかけられないって言ってたよ。いつか彼の隣に並んで歩けるような存在になりたいって。だから必死に努力していたし」
「……」
必死に記憶を手繰り寄せ……そういえば、物静かで読書好きな少女がいた気がする。
たまに図書室で会った時、並んで本を読んで……。
「まさか、彼女が……」
「高校が別々になってしまったから、一ノ瀬君のその後が分からないって言ってた。でも……もし、どこかで会えたら、その時は絶対告白するって……」
詩織を思い出したのだろう。
彼女の目に涙が浮かんできた。
「詩織……すっかり奇麗になって……色々な男性から告白されるようになったけど……絶対誰とも付き合わなかったの……一ノ瀬君が忘れられないからって……それで挙句にストーカー被害に……」
聞いている俺も目頭が熱くなってくる。
可愛そうに……どんなに怖かったことだろう。
「実は……詩織の両親から聞いた話だけど……事故に遭って、ずっと意識不明だったのに……最期は……詩織、笑顔で亡くなったって……まるで楽しい夢でも見ているかのような……穏やかな笑顔だったって……」
彼女の目から涙がこぼれ落ち、俺も気づけば泣いていた。
「ありがとう……色々、教えてくれて……」
「う、ううん……でも、どうして一ノ瀬さんも泣いてるの……?」
涙を拭いながら尋ねられた。
「俺も彼女が好きだったからさ……」
「え?」
それだけ告げると困惑している彼女に背を向け、今度こそ式場を後にした――
****
「はぁ……」
いつもの席でため息をつき、向かい側の席をじっと見つめる。
1年たった今も詩織のことが忘れられない。
俺が知っている詩織と、この世を去った詩織が別人だったのではないかと愚かな幻想を未だに抱いている自分がいた。
「そろそろ行くか……」
今日は12月24日、特別な日だから――
カフェを出ると、まずは水族館へ向かった。
1人分のチケットを買い、館内へ。
日曜ということもあり、家族連れやカップルの姿が多く目立つ。クリスマス色に染められた館内は昨年と変わらない光景に見える。
クラゲの水槽の前にやって来ると足を止めた。
「詩織……」
スマホを取り出し、写真を撮ってみるも当然詩織の姿は映っていない。
次に詩織と入ったイタリアンレストランへ行ってみた。
そこで去年と同じ店に入り、同じメニューを注文する。
『この料理、とても美味しいね』
そう言って笑顔で笑う詩織が今も忘れられない。
最後にプラネタリウムへ向かった。
さすがにカップルシートは買えず、一般席を買うと中へ入った。
やはりクリスマスだからだろう。
辺りはカップルばかりだった。クリスマスイブに男が一人でプラネタリウムに来るなんて、きっと寂しい人間に思われているに違いない。
1年前のあの日、この場所でキスをした。
初めてキスをしたとき、詩織は小さく震えていて……たまらなく愛しさを感じた。
「詩織……」
気付けば涙が滲み……星々が霞んで見えていた――
****
――21時半
プラネタリウムの上映が終わり、館内を出た。
白い息を吐きながら空を見上げ……自虐的に笑った。
「ハハハ……何やってるんだ。俺は……」
分かっている。
詩織は1年前に死んだ。現に告別式に参列したし、彼女の墓参りにも行っている。
けれど、1年たった今でも俺は詩織を忘れられなかった。
「詩織……」
ポツリと呟いたとき、スマホに見知らぬアドレスの着信が入っていることに気付いた。
何気なく開き、目を見開く。
『ありがとう、裕也さん。でも……もう私のことは忘れてください』
「え……!?」
戦慄が走る。
すると俺が確認するのを待っていたかのようにメッセージは消えてしまった。
「……詩織‥…」
スマホを強く握りしめ、空を見上げると星が涙で滲んで見える。
「分かったよ……。俺……前に進むよ」
ありがとう、詩織。
またどこか別の世界で君に会えたら、今度は俺の方から好きだと伝えるよ。
すると一筋の風が吹き…… 空のどこかで彼女が微笑んだ気がした——
<完>
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