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マルセルの章 ㉒ 君に伝えたかった言葉

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 9時―

就業時間になり、経理部の社員12名全員が集まった。するとブライアンが席を立つと言った。

「皆、仕事を始める前に発表したい事がある。聞いてくれ」

その言葉に全員が背筋を伸ばしてブライアンを見る。
シンと静まり返った部屋でブライアンは一度深呼吸すると言った。

「突然の話で申し訳ないが…僕は本日付で一身上の都合で会社を退職する事になった。僕の後任は後程、本社からやって来る人物がいる。彼に全て仕事の引継ぎが出来ているので、君達は何も心配せずに通常勤務をしてくれ。話は以上だ。僕はこれから挨拶周りをしてくるので、仕事に戻ってくれ」

な、何だって…っ?!

ブライアンの突然の発表にざわめく社員たち。彼らは皆一堂に驚いた顔をして、誰もがブライアンに尋ねたそうにしていたが、彼はさっさと部署を出て行ってしまった。

「ねぇ、一体ブライアンはどうしてしまったのかしら?マルセル。貴方は彼と親しかったから何か知ってる?」

隣の席の女性社員が興味津々で尋ねてきた。

「まさかっ!知っているはずないだろう?!」

そうだ、まさか…イングリット嬢と俺の事が原因でブライアンが会社を辞めるなどあるはずがない。

「そうよね…貴方のその顔を見れば、何も知らなさそうね?」

「あ、ああ。当然さ」

しかし、答えながらも自分の足が震えているのが分った。そうだ…そんな筈は無いんだ…俺が原因で、ブライアンがここを去るなんて…。だが、昨夜オルグレン家にいた時、ブライアンから電話がかかって来ていた…やはり、そうなのだろうか…?

「ちょっと、マルセル!どうしたの?貴方ますます顔色が悪くなってきたわ?ひょっとして二日酔いなの?」

「…二日酔いの筈は無いだろう?ブライアンの退職の話がショックなだけだよ」

二日酔い?酔いなど昨夜の内にとっくに冷めている。兎に角、業務終了後…何としてもブライアンを捕まえて…彼と話をしなければ…。そうだ、彼を飲みに誘ってみよう。アルコールが入れば、きっとブライアンは正直に何があったのかを話してくれるはずだ。

よし、そうと決まれば…今日は絶対に残業をしないぞ!

「よし、仕事…頑張るか。君も頑張れよ」

隣の女性社員に声をかけると俺は早速仕事にとりかかった。

「変な人ね…青ざめたと思ったら、今度は俄然仕事にやる気出して…」

言いながらも、彼女も仕事の準備を始めた。
そして俺は昼休みも返上して、働いた。残業せずにブライアンを飲みに誘う為に…。

この頃にはもう俺はすっかり忘れていたのだ。

母から今夜は真っすぐに屋敷に帰って来るように言われていたことを―。



 午後3時―

ブライアンは朝からずっと席を離れており、いまだに机に戻ってこない。

「ブライアン…遅いわね?」

「そうだな…」

女性社員に話しかけられ、俺もうなずいた。その時、タイミングよくブライアンが戻って来た。自分の机に戻ってくると彼が言った。

「皆、少しだけ仕事の手を休めてくれないか?」

全員が手を止め、ブライアンに集中する。

「皆、今この時間を持って僕は会社を去るよ。本当に今までありがとう」

そう言ってブライアンは頭を下げて来た。

その言葉に再び部署内に衝撃が走った。
な、何だってっ?!退社時間までいるのではなかったのだろうかっ?!

「ブライアンッ!本当に今からいなくなってしまうんですかっ?!

男性社員が質問してきた。

「ああ、そうなんだ。ごめん…ゆっくり説明したいけれど、汽車の時間が迫っているから、もう出ないといけないんだ。落ち着いたら、必ずこの部署に手紙を送るよ。それじゃ皆…元気でっ!」

それだけ言うと、ブライアンはカバンを手に取り…経理部を出て行ってしまった。


その後―経理部が大騒ぎになったのは言うまでも無かった…。


午後6時―。


「ふぅ~…今日は疲れたな…」

波乱の1日が終わり、会社を出た俺は溜息をついて、空を見上げた。

それにしても今日は本当に大変だった。
経理部では暫くの間、騒ぎがあった。皆、誰もがブライアンの突然の退職に驚いていたが…噂話などから少しずつ全貌が明らかになっていた。
どうやらブライアンの父親が危篤らしく…見舞うために里帰りをする事になった事…そして万一の事を考えて、彼が父親の事業の後を継ぐらしい…という話で社員たちは納得したのだった。 

「気分転換に…アルコールでも飲んで帰るか…。」

そう思って歩きかけた時、背後から声を掛けられた。

「まさか、マルセル様…今夜も飲みに行くつもりではないでしょうね?」

「え?」

その言葉に振り向くと…デイドレスに身を包み、腰に両手を当てたイングリット嬢が立っていた。

その時、母の昨夜の言葉を思い出した。

『…分かっているでしょうけど、明日は何処にも寄らずに真っ直ぐ帰宅するのよ?』


母は、俺にそう言っていた。

「はは…ま、まさか…」

気付けば俺はカバンを地面に落としていた―。

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