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<外伝> レオン 1
満天の星空の下。
どこまでも続く長い夜道を、
一台の荷馬車がゆっくり進んでいた。
「うっ……うう……」
手綱を握りしめるレオンの腕は激しく震え、
その頬はとめどなく溢れる涙で濡れていた。
「サフィニア様……」
嗚咽に混じり、こぼれ落ちたのは愛しい人の名。
それはレオンにとって
生涯でたった一度の、
あまりにも純粋で痛切な初恋だった――
****
あの日。
神父の道を目指すべく
『ノルディア』に身を寄せたばかりのレオンは、
初めて訪れた町の熱気に圧倒されていた。
町は祭りの喧騒に包まれ、
人々は浮き足立ったムードに染まっている。
そこで、彼は偶然目にした。
群衆の中でひときわ目を引く存在。
美しい銀の髪に、深い愁いを秘めた緑の瞳。
彼女は一人ではなかった。
同年代と思われる女性と青年が
隣で睦まじく、幸せそうに笑い合っている。
だが、その光景を見つめる彼女の眼差しは
胸が締め付けられるほどに悲しげだった。
(なんて寂しい瞳なんだ……。
僕だったら、あんな顔はさせないのに)
不遜な考えが脳裏をよぎり、
レオンはハッとして我に返る。
(そうだ、僕は神父の道を目指すために
ここへ来たんだ。
僕が忠誠を誓うべきは神様なのに)
必死に自分に言い聞かせ、
祈るように目を閉じようとした。
それでも、銀髪の彼女からどうしても
視線を外すことができない。
その時。
ガラガラガラガラ――ッ!
激しい車輪の音が近づいてくる。
平和な町に悲鳴が響き渡った。
視線を向けると、御者を失い暴走した馬車が、
逃げ惑う人々をなぎ倒す勢いで突進してきている。
そして、あろうことかその進路の先には、
呆然と立ち尽くす彼女の姿があった。
恐怖で足が竦んだのか。
彼女は迫り来る馬車を、ただ大きな目で見つめている。
「危ない!」
気づけばレオンは、
自分の命を顧みず駆け出していた。
間一髪で彼女の細い腕を強く引き、
背中を丸めて庇うように抱き寄せる。
馬車は風のように走り去り、
凄まじい音を立ててすぐ脇を通り過ぎていった。
(よ、良かった……)
安堵の溜息をついた瞬間。
腕の中に残る彼女の体温と、
甘い髪の香りにレオンは激しく動揺した。
「……だ、大丈夫でしたか?」
平静を装って尋ねたものの、
早鐘を打つ鼓動が彼女に伝わってしまいそうだった。
「は、はい……ありがとうございます……」
そろそろと顔を上げた女性。
神秘的な緑の瞳が真っ直ぐに自分を射抜き、
レオンは魂を奪われたような感覚に陥った。
(なんて……なんて美しい人なんだ……)
あまりの美しさに言葉を失い、
食い入るように見つめてしまう。
だが、彼女が今にも泣き出しそうな表情を
浮かべていることに気づき、
慌てて声をかけた。
「あ……もしかして怪我をしたのですか?
どこか痛むのでしょうか」
「いいえ……。痛むのは、心です」
鈴を鳴らすような声は、ひどく掠れて聞こえた。
「心……?」
戸惑うレオンに、彼女は自嘲気味に小さく笑う。
「いいえ、何でもありません。
大丈夫です。助けていただいて
本当にありがとうございました。
それでは、失礼いたします」
彼女は丁寧に、けれど壁を作るように
深く頭を下げた。
「あ、あの……!」
なぜ、そんなにも心が痛むのですか――?
そう問いかける勇気は、当時のレオンにはなかった。
「いえ……何でもありません。
お気をつけてお帰りください」
精一杯の言葉を絞り出すと
彼女は儚げに微笑んで頷き、
トボトボと雑踏の中へ消えていった。
親しかったはずの二人の元へ戻ることもなく、
ただ独りで。
レオンは、
その華奢な後ろ姿が見えなくなるまで、
いつまでも立ち尽くして見送っていた。
まさかこの出会いが、
後に「神への裏切り」となる偽装死の手伝いへと
繋がっていくとは。
この時の彼はまだ知る由もなかった――
どこまでも続く長い夜道を、
一台の荷馬車がゆっくり進んでいた。
「うっ……うう……」
手綱を握りしめるレオンの腕は激しく震え、
その頬はとめどなく溢れる涙で濡れていた。
「サフィニア様……」
嗚咽に混じり、こぼれ落ちたのは愛しい人の名。
それはレオンにとって
生涯でたった一度の、
あまりにも純粋で痛切な初恋だった――
****
あの日。
神父の道を目指すべく
『ノルディア』に身を寄せたばかりのレオンは、
初めて訪れた町の熱気に圧倒されていた。
町は祭りの喧騒に包まれ、
人々は浮き足立ったムードに染まっている。
そこで、彼は偶然目にした。
群衆の中でひときわ目を引く存在。
美しい銀の髪に、深い愁いを秘めた緑の瞳。
彼女は一人ではなかった。
同年代と思われる女性と青年が
隣で睦まじく、幸せそうに笑い合っている。
だが、その光景を見つめる彼女の眼差しは
胸が締め付けられるほどに悲しげだった。
(なんて寂しい瞳なんだ……。
僕だったら、あんな顔はさせないのに)
不遜な考えが脳裏をよぎり、
レオンはハッとして我に返る。
(そうだ、僕は神父の道を目指すために
ここへ来たんだ。
僕が忠誠を誓うべきは神様なのに)
必死に自分に言い聞かせ、
祈るように目を閉じようとした。
それでも、銀髪の彼女からどうしても
視線を外すことができない。
その時。
ガラガラガラガラ――ッ!
激しい車輪の音が近づいてくる。
平和な町に悲鳴が響き渡った。
視線を向けると、御者を失い暴走した馬車が、
逃げ惑う人々をなぎ倒す勢いで突進してきている。
そして、あろうことかその進路の先には、
呆然と立ち尽くす彼女の姿があった。
恐怖で足が竦んだのか。
彼女は迫り来る馬車を、ただ大きな目で見つめている。
「危ない!」
気づけばレオンは、
自分の命を顧みず駆け出していた。
間一髪で彼女の細い腕を強く引き、
背中を丸めて庇うように抱き寄せる。
馬車は風のように走り去り、
凄まじい音を立ててすぐ脇を通り過ぎていった。
(よ、良かった……)
安堵の溜息をついた瞬間。
腕の中に残る彼女の体温と、
甘い髪の香りにレオンは激しく動揺した。
「……だ、大丈夫でしたか?」
平静を装って尋ねたものの、
早鐘を打つ鼓動が彼女に伝わってしまいそうだった。
「は、はい……ありがとうございます……」
そろそろと顔を上げた女性。
神秘的な緑の瞳が真っ直ぐに自分を射抜き、
レオンは魂を奪われたような感覚に陥った。
(なんて……なんて美しい人なんだ……)
あまりの美しさに言葉を失い、
食い入るように見つめてしまう。
だが、彼女が今にも泣き出しそうな表情を
浮かべていることに気づき、
慌てて声をかけた。
「あ……もしかして怪我をしたのですか?
どこか痛むのでしょうか」
「いいえ……。痛むのは、心です」
鈴を鳴らすような声は、ひどく掠れて聞こえた。
「心……?」
戸惑うレオンに、彼女は自嘲気味に小さく笑う。
「いいえ、何でもありません。
大丈夫です。助けていただいて
本当にありがとうございました。
それでは、失礼いたします」
彼女は丁寧に、けれど壁を作るように
深く頭を下げた。
「あ、あの……!」
なぜ、そんなにも心が痛むのですか――?
そう問いかける勇気は、当時のレオンにはなかった。
「いえ……何でもありません。
お気をつけてお帰りください」
精一杯の言葉を絞り出すと
彼女は儚げに微笑んで頷き、
トボトボと雑踏の中へ消えていった。
親しかったはずの二人の元へ戻ることもなく、
ただ独りで。
レオンは、
その華奢な後ろ姿が見えなくなるまで、
いつまでも立ち尽くして見送っていた。
まさかこの出会いが、
後に「神への裏切り」となる偽装死の手伝いへと
繋がっていくとは。
この時の彼はまだ知る由もなかった――
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