奴隷女と冷徹貴族が、夫婦になるまでの物語

blueblack

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1章

1-2

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 いつものように大浴場の掃除をしていたカオルは、突然ヘレナに呼び出された。
 カオルの部屋の何倍もある執務室に通される。

「お、お呼びでしょうか……」

 昨日の『展示』で、何か粗相をしてしまったのかもしれない。
 板についた土下座でガタガタと震えるカオルに、ヘレナは甘ったるい声で言った。

「カオル。貴女、結婚なさい」
「……結婚、ですか……? 私、が?」
「ええそうよ。お相手はこの方」

 ばさりと紙束を投げつけられる。恐る恐る、カオルは中を見る。
(綺麗な、人……)
 絹糸のように艶のある金髪。黒曜石のような黒い瞳。ノア=エヴァンスという名前らしい。二六歳、実業家。
 ざっと眺めて、気になったことがふと口をついた。

「準、貴族……?」
「ええ憎たらしいことに」

 ヘレナはぎりぎりと歯軋りをして言った。

「孤児院育ちの穢れた血統のくせに、汚れ仕事ばかりやって地位を掠めた極悪人よ。その上、そいつの事業領域は将来的にイルミナ家とぶつかる可能性がある」
「…………」
「ちょっと、聞いているの?」
「は、はい! 申し訳ありません……」

 学のないカオルにはわからない。とにかく、ヘレナがノア=エヴァンスという男を嫌っていることしか。
 ふふ、と笑ってヘレナは言う。

「そんなエヴァンス家のご当主様が、何の因果か我が家に妻を求めて連絡をよこしてきたのよ。千載一遇のチャンスよ」

 その笑みが、裂ける。カオルはぞわりとして頭を下げる。

「あなた、なるべく長い間、自分の欠陥を隠し通しなさい」

 それでようやく、カオルにも話が見えた。
 ヘレナは、イルミナ家の当主は、エヴァンス家に子孫を作らせたくないのだ。
 ノア=エヴァンスという人がカオルの欠陥に気づかなければ、血筋が絶えて爵位は没収される。
 欠陥に気づいて離婚したとしても、イルミナ家という、肩書き上は最高の遺伝子を袖にしたという悪評は簡単には消えない。

「それにどうやらねえ」

 ついでのように、ヘレナは言った。

「その、ノア=エヴァンスという男。儲け話ばかり、人の気持ちなんて露ほども考えない冷血漢らしいから。貴女もせいぜい、苦しめばいいわ」
「はい……。あ、あの、お母……っ」
「私をそう呼ばないでもらえる?」
「あぐ……っ!」

 ヒールで思いっきり、お腹を蹴られる。
 薄い体に衝撃が伝播して、カオルはくの字に折れ曲がる。その頭に唾を吐いて、ヘレナは言った。

「もう、貴女の展示も終わりだからね。……今日まで手を上げられなくて、気が狂いそうだったわ」

 追放は三日後よ。そう言われて、今度は背中を蹴り付けられる。
 カオルの結婚は、そうして決まった。
 お腹と背中の痛みと、それから口内に広がる血の味に彩られていた。

    ◇

 結婚が決まる、数日前のこと。
 ノア=エヴァンスは辟易としていた。
 契約を交わしたにもかかわらず、こうしてごねてくる輩の相手が一番疲れる。

「しかしだな、考え直してみると、私の領地経営は非常に上手くまとまっており領民の満足度も高い。にもかかわらず孤児院の経営権をそのまま明け渡せというのは、いささか無理があると考えている」

 小太りの、いかにも小狡いことを考えていそうな外見だ。そして、第一印象に違わず、中身も卑しい。
 ノアは、ため息をつく。

「契約書の文面を確認しろ。教科書編纂の指南、上下水道の整備、並びに技術者の養成。それらと引き換えに孤児院に関する全権を差し出す。そういう契約だった」
「全権というところには、まだ詰める余地があると考えるが」
「ない。注釈を読み返してから出直せ。期日までに履行がなければ実力行使も厭わない」
「正面から争うと? 我々真正の貴族に、準貴族如きが?」
「争うまでもない」

 ノアはデスクに肘をついて、冷たい笑みを浮かべる。

「上下水道の整備は、まだ終わっていない。最後の補強をわざと止めた。このまま放置すれば、一年とせず破綻する。そうなった時に、貴方のような高貴な出の者は、果たして下水の処理など出来るのか」
「…………この、卑血の分際で」

 貴族の膨れた顔が赤くなり、礼もなく退室していく。
 ノアはもう一度ため息をついて、椅子に体重を預けた。
 途端に、後ろに控えていた秘書の男にがたがたと椅子を揺らされる。

「いやー、お疲れだなあ。順調に悪評が伸びていきそうで結構結構」
「……ルーカス。おまえ、後半笑っていただろう」
「気のせい気のせい。俺はお前の秘書だぜ? 主人の心痛を思うと夜も眠れねえよ。あっはっは!」
「心にもないことを言ってると、そのうち呪われるからな」

 秘書とは思えないぐらい豪快に笑うルーカスの陽気さには救われることもあるが、正直、仕事中は鬱陶しい。裏表がなさすぎて、こいつの表情の変化で商談が傾いたことも何回かあった。

「質を求めるなら外から雇えば良いんだぞ」
「今更求人をかけたら、スパイのオンパレードだ。信用できるかそんなもの」
「へいへい。んでっと。イルミナ家に依頼してた件、候補がきましたよ」
「早いな」

 一生来なくても良かったんだが。
 そもそもなぜ、ノアがイルミナ家にそんな相談を持ちかけたかというと、非常に面倒な経緯があった。
 ただ、簡単にいうと、溜まりに溜まった縁談の申し込みが原因だ。
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