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偶然、それだけ
しおりを挟むクロイセフ王国はアリアドネの死をきっかけに大きく揺らいだ。
そして、後に続いた様々な事件と二度の精霊王の裁きによる異常現象を経て、王国は更に心許ない状態となっていく。
デンゼルが去り宰相を蟄居させた今、強力な支持者がない中でも国王代理アーロンがなんとか政を行えているのは、ひとえに彼の功績の故だろう。
精霊王の裁きを収束させたという、誰も反論を挟めない功績。
今は民も貴族たちも、こぞってアーロンを支持している。支持するしかないのだ。
支持しなければまた何らかの形で精霊王の怒りを買うのでは、と恐れたからだ。そんな筈はないのに。
そして当のアーロンは、タスマとカレンデュラを断罪して半年以上経った今も、まだ国王代理のままだった。
実際に国王の執務室の椅子に座り、書類を処理するのがアーロンであるにも関わらず。あれから一度も、ジョーセフがこの部屋に来る事はないにも関わらず。
今も国王代理として、執務を執り行っている。アーロンがそう望んだからだ。
「叔父上は国王に登極されないのですか・・・?」
執務が多忙を極める中、アーロンの体調を心配する侍従たちによって無理矢理に休憩を取らされていた時のこと。
たまたま庭にいた第一王子を見つけて、アーロンが声をかけた。
席に座ったセドリックは、お茶を飲み終えると、おずおずとそんな質問を口にしたのだ。
セドリックは先月で7歳になった。
誕生した時、全国民からの祝福を受けた第一王子の立場は今、非常に微妙なものとなっていた。
それは彼が不義の子であるとバレたからではなく、書類上の両親、つまりジョーセフとカレンデュラへの不信感のせいだ。
精霊王の裁きを引き起こした国王と、その裁きの対象となって処刑された側妃との間に生まれた子。
今のセドリックには、そんな不名誉な評価がついてまわった。
セドリックの父ジョーセフはまだ国王の地位にあった。
けれどそれは名ばかりで、実際は部屋に閉じこもりきりである事を聡いセドリックは知っている。
そして、ジョーセフがもはや執務を行えない状態にあることにも気づいている。
若干7歳で、セドリックは薄氷を踏むが如く弱い自分の立場を理解していた。いや、空気を感じ取ったと言うべきか。
それはきっと、まだ4、5歳だった頃のアーロンが、デンゼルたちの後ろ盾があってこそ生きられると感じたのと少しだけ似ていた。
セドリックの不安を察したアーロンは、甥の前で首を横に振った。
アーロンは元々、王位に興味はなかった。
兄の地位を奪おうなどと思った事もない。
兄ジョーセフがどれだけ努力を重ね、少年王と侮られながらも頑張っていたか、アーロンは知っている。
一番側で見ていたのは、アリアドネとアーロンだったのだから。
かつてタスマに心酔した者たちが、デンゼルの味方の振りをしてジョーセフとアーロンに毒まじりの言葉を囁いた時、それをアーロンが躱せたのは、きっとずっと兄ジョーセフよりも気楽な立場だったから。
あくまでも兄のスペアでしかなくて、兄ほどの重圧も期待もかけられていなかったアーロンは、周囲を失望させる事に然程の恐れを抱いてなかった。
立場が逆だったなら、今部屋に閉じこもっているのはジョーセフではなくアーロンだったかもしれない。
信じたものが全て偽りで、大切なものは自分の手からすり抜けた後だと気づき、どうしようもない後悔に苛まれても尚、現実から目を背け続けたのは、アーロンだったかもしれないのだ。
そんな考えが頭を過ってしまえば、『精霊王の裁きを見事収めた王弟』との呼び声に万能感に浸れる筈もなかった。
「・・・どうしてですか?」
不安げに揺れる瞳に、アーロンは眉を下げた。この感情をどう説明したらいいのだろう。
「私は偶然、弟に生まれてきただけなんだ」
セドリックは怪訝そうに目を瞬かせる。だが、アーロンは気にせず続けた。
「そしてセドリック。お前は偶然、第一王子に生まれた。それだけなんだ。
誰も好きこのんでそう生まれついた訳でもないのにね」
意味が分からず、セドリックが何も言葉を返せずにいると、アーロンが更に言った。
「すまない。言ってる意味が分からないよな。実を言うと、私自身もよく分からないんだ。
ただ、今は国王代理のままでいいと思っているよ。せめて、もう暫くは」
「・・・そう・・・ですか・・・」
そう言ったきり、セドリックは暫く俯いて思案して。
それから顔を上げて「もう一ついいですか」と言った。
「叔父上が婚約者を持たれないのは、僕の為なのですか・・・?」
アーロンは苦笑した。
そう、アーロンには今なお婚約者がいない。
縁談はひっきりなしに来るのだが、政に忙しいからとアーロン自身が全て断っているのだ。
「あ~・・・それはええと・・・まあ、半分はそう、なるのかな?」
「半分、ですか? ではもう半分の理由は・・・?」
「まあ・・・ちょっとね。ある人を試している」
もうそろそろ結果が出るから、と答えを濁せば、セドリックはそれ以上聞く事はなかった。
そして、アーロンが国王代理となってから8か月後。
元宰相の長男―――現侯爵家当主であるクレイルから謁見が申し込まれた。
現れた彼が差し出したのは、父である元宰相が他家に送ろうとした手紙や使用人たちへの指示を書いたメモなどをまとめた封筒。
クレイルはそれらを証拠と称した。
アーロンはその場でそれらに目を通し、やはり、と呟いた。
―――やはり、元宰相は己の非を弁え知ることはなかったか。
クレイルは跪き、元宰相と彼に協力した従僕2名を拘束したと報告した後、それ以外の侯爵家の者たちの潔白を訴えた。
「領内屋敷内の一室に閉じ込め、厳重に見張らせております。父の書いた手紙は配送前に全て回収し、他家に影響はありません。ですからどうか―――」
どうか、父と従僕2人の命でお許し頂けないでしょうか。
絞り出す様な声でそう言った後、クレイルは更に言葉を継いだ。
「それでは足りぬと仰るのであれば、当主である私の首も差し出しますので、どうか妻や子、弟たちは・・・」
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