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しおりを挟む「うわあぁぁぁ~ん! 助けて、怖いよぉ~っ!」
うららかな春の日の午後、ペールヴェーナ公爵邸内に子どもの甲高い泣き声が響き渡った。
泣き叫びながら逃げるのは、次期当主夫妻の双子の息子の一人、カールハインツ。そして、その子を追っていたのはなんと父親のカーライルだ。
酔ってふらつく足で、手に持った空の酒瓶をぶんぶんと振り回しながら、逃げる息子を追いかける。
「誰か・・・誰かあの人を取り押さえて・・・っ!」
叫び声を聞いて自室から飛び出してきたシンシアは、目にした光景に一瞬、動きを止めるも、階段の踊り場から身を乗り出して叫んだ。
集まり始めた使用人たちのうち、侍従やフットマンら力のある男が進み出、今も酒瓶を振り回すカーライルを囲む。
カーライルが持っていたのが銃でもナイフでもなかったのが、せめてもの幸いだった。
「放せっ、放せぇっ! そいつはカールハインツじゃ・・・俺の子じゃない! 俺の子として紛れ込んだニセモノだっ!」
使用人たちに抑え込まれ、床に体を押し付けられた状態で、カーライルは喚き続けた。俺の子はカークライトひとりだとか、本当は双子じゃなかったんだとか、訳の分からない事ばかり。最後には、カールハインツはエッカルトだとまで言い出す始末。
知らせを受けて駆けつけた公爵夫妻も、もうひとりの双子カークライトも、カーライルの異様な様子に戸惑い、言葉を失くす。どう見ても、カーライルは正気を失っていた。
シンシアがカールハインツの怪我の有無を確かめる。逃げ出す前に一度殴られたのか、カールハインツは頭に怪我を負っていた。
カーライルは、彼の私室ではなく地下の牢に連れて行かれた。錯乱状態で今も喚き続ける彼の目の前で、鉄格子の扉がガシャリと閉まった。
公爵夫妻も、シンシアも、カークライトも、使用人たちも。
今回の件は、酒に酔った挙句、自分の子どもに暴力を振るったどうしようもない男に全ての原因があると、きっとそう思っている筈だ。この騒ぎが起きた本当の理由を知る者はいない―――ただひとりカールハインツ、いや、エッカルトを除いては。
そのカールハインツは、夜になって双子の片割れであるカークライトの部屋を訪れた。
頭に白い包帯をまいたカールハインツの姿に、カークライトは心配そうに眉を下げた。
「ああ、これ? だいじょうぶ、かすり傷だよ」
意識してなるべく明るく言いながら、にこっと笑った。
カールハインツは、どうしても今夜カークライトに会っておきたかった。
カークライトは本当なら、ペールヴェーナ公爵家のたったひとりの息子として生まれ、シンシアとカーライルの関心と世話を一身に受けられた筈だった。
だがカークライトを授かった時、シンシアの胎の中にエッカルトの魂が無理やり入り込んだせいで、奇しくもお腹の子は双子になった。そんな仮初の兄弟に、最後に謝っておきたかった。
「ごめん。僕のせいで、いろいろと不安な思いをさせたと思う。でも君は僕に一度も意地悪しなかったね。
今日あんな事があったから、お祖父さまは父さんを飛ばして、カークに爵位を譲ると思う。でも大丈夫、君はきっといい後継者になれるから」
実の父に否定され、祖父母や使用人たちがカールハインツの優秀さに目を奪われても、実の母がエッカルトの存在に気づき、息子たちへの態度に偏りが生まれても、カークライトは変わらなかった。ただ黙々と努力を続けた。カールハインツへの態度を拗らせる事もなく、卑屈にもならず。
「子どもは平等に愛してあげて。僕もそうしたかったけど、もうこの世界にいない人間だから、君にお願いする」
「どういうこと、カール・・・?」
「時間だ、もう逝くね」
不思議そうに、カークライトが彼の名を呼ぶ。だがそれも一瞬。瞬きした後には、もうそこに彼の姿はなかった。いや、姿が消えただけではなく。
「あれ・・・? 今・・・僕、なにを・・・?」
カークライトはソファから立ち上がって、きょろきょろと辺りを見回す。誰かと、何か大切な話をしていた気がする。そんな気がするのに。
でも、どうしても思い出せない。
―――そして、それはカークライトに限って起きた現象ではなく。
翌朝になる頃には、ほぼ全ての人の頭の中からカールハインツは消えていた。その名も、姿も、存在していた事すらも。
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