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償い
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「お父さま・・・」
クルテルが呆然とした表情で呼びかける。
ガルハムは再び視線を床に落とした。
「一応、籍は入れてあるがね。私たちは夫婦関係にはないんだよ、クルテル」
ぽつり、と。
そう呟いた。
「ラエラにも勿論、金銭の援助は行なっていた。だが彼女が一番に求めたのはアデルの生活の確保だった。・・・まあ、ラエラはアデルと違って実家から縁を切られた訳でもなかったから、路頭に迷う心配はしてなかったんだろうけど」
話を続けながら、ガルハムは項垂れた。
組み合わせた両手の上に、ほとんど覆いかぶさるようにして掠れた声を上げた。
「ずっと償いたかったんだ・・・」
たった一度の愚かしい、だが決定的な行為。
悔やんでも、悔やんでも、もう二度と取り返せない美しかった光景。
なんとか取り戻したくて。
なんとか償いたくて。
なんとかして許されたくて。
・・・それで、何も見えなくなってたんだ。
僕の気持ちも、感情も、望む未来も、何もかも。
分からないまま、思いつく事を片っ端から僕に押しつけて。
可哀想な人だ。
惨めな人。
ある意味、お母さまの優しさがこの人を永遠の枷にはめ込んだのだと、そう言ってもいいのかもしれないけど。
でも。
「・・・犯す過ちの一つ一つが全て同じ重さだったのなら、罪の回数だけを数えていればいいのだがな。現実はそう簡単にはいかない」
それまでの沈黙を破り、カーマインが口を開いた。
「一度きり。だがその一度の罪は重すぎる」
「そうですね。私も後になってようやくその事が分かりました。・・・遅すぎましたが」
テーブルの上で組まれていたガルハムの手は、血の気が失せるほど強く握りしめていたのか指先が白くなっていて。
その白さに、許されずに生きていく辛さをクルテルは感じ取った。
「ですが、私の罪はそれだけではありません。ソフィを助けたい一心でラエラに会いに行き、本来は彼女が使う筈だった薬をもらってきてしまった。知らなかったとはいえ、私の行動のせいでラエラは命を失ったのです」
「そして、そんな罪の意識を、クルテルに不自由のない生活を送らせる事で誤魔化そうとしていた。・・・最低です」
は、と乾いた笑いがガルハムの口から洩れる。
「すみません、こんな話をしているときに。・・・ですがね、可笑しくて仕方ないんですよ。許されたい、償いたいと思って行動するたびに、ますます相手を余計に傷つけてしまう自分がどうしようもなく愚かで。本当に、いつも傷つけてばかりだ。・・・ラエラも、アデルも、クルテルも」
そこまで話すと、両手で頭を抱えながら俯いた。
「クルテル、私はお前を辛い目に遭わせた。信じてもらえないだろうが、ずっとお前に許しを請いたかった」
これまでずっと、クルテルと目を合わせる事さえ避けていた父親。
それが、クルテルの抱いていたガルハムという男の印象だった。
なのに、今、その男は呻くような声で懺悔の言葉を口にしている。
どう答えたらいいのかも分からず、クルテルはただ、じっと父の震える肩を見つめていた。
「お父さま、僕は・・・」
言いかけて、口をつぐむ。
僕は、何を言いたいんだろう。
許されたくて堪らないでいるこの人に、何を言うつもりなんだろう。
「・・・僕は」
戸惑いの後に、言葉を続けた。
「僕は、大して良い性格してないんですよ」
・・・?
恐らく、その場にいた全員の頭の中に、同じ言葉が浮かんだ。
アユールは特に、目を見開いて呆気にとられている。
そんな空気など気にもせずに、クルテルは再び口を開く。
「性格が良くないから、謝られても、泣かれても、そう簡単に許す気になんてなれないんですよね」
「クルテル・・・」
「だから」
ぐっと唇を噛みしめたせいで言葉が途切れてしまう。
そうして涙をなんとか堪えて、言葉を継ぐ。
「だから、僕はあの家には帰りません・・・・絶対に帰りません。僕の家はここ、そして僕の家族はここにいる皆なんです」
呆然とクルテルの言葉を聞いていたガルハムだったが、やがてはっと我にかえると慌てて口を開いた。
「・・・分かっている。今日ここに来たのはその話をするためでもあったんだ」
そう言うと、がた、という音と共に、ガルハムは椅子から立ち上がる。
「お前が作ってくれたあの菓子の懐かしい味が、大事な事を思い出させてくれた。それに、ここの奥さんからも何を大切にすべきかを教わった。・・・私は、次も間違いたくはないんだ。だから・・・」
ガルハムが頭を下げた。
「・・・へ?」
クルテルが、素っ頓狂な声を出す。
「もう無理強いはしない。お前がやりたい事があるなら、遠くから静かに応援する。私たちと一緒に暮らさない事でお前が楽になるのなら、この家でお世話になる方がいいのだろう。失礼でなければ生活費も送る。だけど、最後に一つだけ言わせてくれ」
ガルハムは顔を上げると、今度はアユールたちの方へ向き直た。
「アユールさん、そして、この家にいる皆さん」
それから、がばっと頭を下げる。
「・・・クルテルは、私のせいで純粋に子ども時代を楽しむ事が出来ず、こんな大人びた子になってしまいました。でもこの子の居場所は、どうやらここにあるようです。・・・どうか、どうかクルテルをよろしくお願いします」
深く、深く、まるで体を折りたたむように。
ガルハムは頭を下げたまま、暫くの間、上げようともしなかった。
クルテルが呆然とした表情で呼びかける。
ガルハムは再び視線を床に落とした。
「一応、籍は入れてあるがね。私たちは夫婦関係にはないんだよ、クルテル」
ぽつり、と。
そう呟いた。
「ラエラにも勿論、金銭の援助は行なっていた。だが彼女が一番に求めたのはアデルの生活の確保だった。・・・まあ、ラエラはアデルと違って実家から縁を切られた訳でもなかったから、路頭に迷う心配はしてなかったんだろうけど」
話を続けながら、ガルハムは項垂れた。
組み合わせた両手の上に、ほとんど覆いかぶさるようにして掠れた声を上げた。
「ずっと償いたかったんだ・・・」
たった一度の愚かしい、だが決定的な行為。
悔やんでも、悔やんでも、もう二度と取り返せない美しかった光景。
なんとか取り戻したくて。
なんとか償いたくて。
なんとかして許されたくて。
・・・それで、何も見えなくなってたんだ。
僕の気持ちも、感情も、望む未来も、何もかも。
分からないまま、思いつく事を片っ端から僕に押しつけて。
可哀想な人だ。
惨めな人。
ある意味、お母さまの優しさがこの人を永遠の枷にはめ込んだのだと、そう言ってもいいのかもしれないけど。
でも。
「・・・犯す過ちの一つ一つが全て同じ重さだったのなら、罪の回数だけを数えていればいいのだがな。現実はそう簡単にはいかない」
それまでの沈黙を破り、カーマインが口を開いた。
「一度きり。だがその一度の罪は重すぎる」
「そうですね。私も後になってようやくその事が分かりました。・・・遅すぎましたが」
テーブルの上で組まれていたガルハムの手は、血の気が失せるほど強く握りしめていたのか指先が白くなっていて。
その白さに、許されずに生きていく辛さをクルテルは感じ取った。
「ですが、私の罪はそれだけではありません。ソフィを助けたい一心でラエラに会いに行き、本来は彼女が使う筈だった薬をもらってきてしまった。知らなかったとはいえ、私の行動のせいでラエラは命を失ったのです」
「そして、そんな罪の意識を、クルテルに不自由のない生活を送らせる事で誤魔化そうとしていた。・・・最低です」
は、と乾いた笑いがガルハムの口から洩れる。
「すみません、こんな話をしているときに。・・・ですがね、可笑しくて仕方ないんですよ。許されたい、償いたいと思って行動するたびに、ますます相手を余計に傷つけてしまう自分がどうしようもなく愚かで。本当に、いつも傷つけてばかりだ。・・・ラエラも、アデルも、クルテルも」
そこまで話すと、両手で頭を抱えながら俯いた。
「クルテル、私はお前を辛い目に遭わせた。信じてもらえないだろうが、ずっとお前に許しを請いたかった」
これまでずっと、クルテルと目を合わせる事さえ避けていた父親。
それが、クルテルの抱いていたガルハムという男の印象だった。
なのに、今、その男は呻くような声で懺悔の言葉を口にしている。
どう答えたらいいのかも分からず、クルテルはただ、じっと父の震える肩を見つめていた。
「お父さま、僕は・・・」
言いかけて、口をつぐむ。
僕は、何を言いたいんだろう。
許されたくて堪らないでいるこの人に、何を言うつもりなんだろう。
「・・・僕は」
戸惑いの後に、言葉を続けた。
「僕は、大して良い性格してないんですよ」
・・・?
恐らく、その場にいた全員の頭の中に、同じ言葉が浮かんだ。
アユールは特に、目を見開いて呆気にとられている。
そんな空気など気にもせずに、クルテルは再び口を開く。
「性格が良くないから、謝られても、泣かれても、そう簡単に許す気になんてなれないんですよね」
「クルテル・・・」
「だから」
ぐっと唇を噛みしめたせいで言葉が途切れてしまう。
そうして涙をなんとか堪えて、言葉を継ぐ。
「だから、僕はあの家には帰りません・・・・絶対に帰りません。僕の家はここ、そして僕の家族はここにいる皆なんです」
呆然とクルテルの言葉を聞いていたガルハムだったが、やがてはっと我にかえると慌てて口を開いた。
「・・・分かっている。今日ここに来たのはその話をするためでもあったんだ」
そう言うと、がた、という音と共に、ガルハムは椅子から立ち上がる。
「お前が作ってくれたあの菓子の懐かしい味が、大事な事を思い出させてくれた。それに、ここの奥さんからも何を大切にすべきかを教わった。・・・私は、次も間違いたくはないんだ。だから・・・」
ガルハムが頭を下げた。
「・・・へ?」
クルテルが、素っ頓狂な声を出す。
「もう無理強いはしない。お前がやりたい事があるなら、遠くから静かに応援する。私たちと一緒に暮らさない事でお前が楽になるのなら、この家でお世話になる方がいいのだろう。失礼でなければ生活費も送る。だけど、最後に一つだけ言わせてくれ」
ガルハムは顔を上げると、今度はアユールたちの方へ向き直た。
「アユールさん、そして、この家にいる皆さん」
それから、がばっと頭を下げる。
「・・・クルテルは、私のせいで純粋に子ども時代を楽しむ事が出来ず、こんな大人びた子になってしまいました。でもこの子の居場所は、どうやらここにあるようです。・・・どうか、どうかクルテルをよろしくお願いします」
深く、深く、まるで体を折りたたむように。
ガルハムは頭を下げたまま、暫くの間、上げようともしなかった。
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