【完結】王太子と宰相の一人息子は、とある令嬢に恋をする

冬馬亮

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名前のない感情

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後ろで緩く一つにまとめた艶やかな紫の髪を風になびかせながら王城の回廊を颯爽と歩く人物に、偶然通りがかった侍女や令嬢たちからの視線が集まる。

普段から頻繁に王城には出入りしているのだが、実はこの男、仕事柄、変装していることが多い。
今日のように素顔での登城は、夜会以外ではあまり多くないのだ。

女性たちからの秋波は、なかなか目にする事がないこの男の美しい素顔のためだった。

今日ベルフェルト・エイモスは、エイモス伯爵家当主として城に上がっていた。

「・・・相変わらずきらきらしい男だな」

背後から少し冷めた口調が投げかけられる。
振り向かずとも、あまり機嫌が良くないのがわかる声。

・・・心当たりがなくもないが。

「どうした。オレに何か用か?」

くるりと振り向いて、声の主に問いかける。

「あー、用っていうほどの話じゃないんだけどな」

ぽりぽりと頬を掻く。

見たところ、本当にそう思っているのだろう。
感情を持て余していることだけは確かだが。

「ふむ、最近、オレが任務で連れまわしているお前の従妹殿のことかな?」

目の前の男がぴたりと硬直する。

はは、いつもながら何と分かりやすい男だ。
良くも悪くも真っ直ぐすぎる。

「なんだ? 嫉妬か?」
「違う」

おっと、即答か。
軽口を叩きながらも大事にはしているようだったから、もしや恋仲かと思っていたのだが。

「じゃあ、なんだ? オレに何を言いたいんだ?」
「・・・」
「む?」

小さすぎる声を聞き取れず、一歩前に寄る。

「・・・あまり無茶を・・・させないでやってくれ」

その言葉を受け、声の主に視線を送る。

表情から伺えるのは恋情でも独占欲でも嫉妬でもなく。
不安と恐怖と悔恨の色。

「・・・ルナフレイア嬢のことを言っているのだよな? 相当強いご令嬢だと思っていたが?」

そうぽつりと問えば、ライナスは「わかってる」と呟いた。

ならば何を恐れているのだ。

そう思い、問いかけようとしたところで、ざわっという周囲の動揺と共にライナスの身体がぐらりと大きく揺れた。

「っ!」

膝をついたライナスの向こうにいたのは、まさに今、話題に上っていたルナフレイア嬢その人で。

片足を上げているところを見ると、どうやら膝裏にでも蹴りを入れたらしい。

ライナスは膝をついたまま後ろを振り向き、従妹の姿を認めるとぎょっとした顔をした。

「な・・・。おま、いきなり何すんだよ」
「それはこっちの台詞よ。ライナスこそ、わざわざベルフェルトさまを捕まえて何してんのよ?」

慌てるライナスに対し、ルナフレイアは冷たい視線を投げかける。
声はいつもよりも低いから、どうもお怒りのようだ。

「別に・・・オレは・・・無理をさせないでくれとしか」

もごもごと口ごもる従兄を尻目に、ルナフレイアは臨時上司に目を向ける。
いつも通りの強気な表情だが、今日は更に眼に力がこもって見えるのは気のせいだろうか。

「まさか真に受けてないですよね?」
「当たり前だ。受ける訳がない」

肩を竦め、にやりと笑った。

事情は知らんが、ルナフレイアの有能さは買っている。
今、手を引かれたら困るのはこちらなのだ。

「なら良いですけど」
「・・・しかしだな、そろそろ場所を変えた方がいいかもしれんぞ。ここは少々、いやかなり人目につく場所だからな」

口角を上げてそう助言すると、ライナスたちはここでようやく周囲の好奇の目に気づく。

ただでさえ、素のベルフェルトがいるだけで目立っていたのだ。
そこに若手騎士ナンバーワンのライナスが登場し、更に可愛らしいご令嬢が(控えめとはいえ)蹴りを入れたとなれば、当然、衆目も浴びるというものだろう。

「・・・こっちへ来い」

数歩先の使っていない部屋の扉を開ける。

大人しく中に入った二人を見ながら内側から扉を閉め、鍵をかける。

「さあ、これでもう人目を気にする必要はない。存分に喧嘩したまえ」
「・・・は? いや、ベル。これは喧嘩とかじゃなくてだな・・・」
「ありがとうございます。ベルフェルトさま。では遠慮なく」
「はぁ? おい、ルナ。ちょっと待て・・・」
「待つわけないでしょう?」

にっこりと微笑むルナフレイアが、すっと腰を落とし、構えを取る。

・・・ほう、ライナス相手に、あくまでも素手でやり合う気か。

騎士であるライナスは帯刀しているが、当然、抜刀する気などさらさらない。
というより逃げ腰だ、

対してルナフレイアは、何かに突き動かされるように、ライナスに闘いを挑んでいる。

この二人であれば、武器を使用したとしても怪我ひとつ負うまいが。

それでもルナフレイアは袖下や腿に隠し持つ暗器や短剣を使う気はないらしい。

扉に背をもたれかけ傍観者を決め込むベルに、ライナスは降りかかる拳を避けながら、必死に「こいつを止めてくれ」と助けを求める。

だがベルフェルトは首を横に振った。

「なんだか知らんが、お前たちは随分と拗れているようだ。ここらで全て吐き出してスッキリしてしまえ」

不敵な笑みを浮かべながらあっさりと断られ、ライナスは愕然とする。

「オレ、あと半刻で殿下のところに戻らないといけないんだよ」
「おや、それは大変だ。さっさと決着をつけねばな。ほれ、急げ」
「いや、だから・・・」
「ライナス兄さま」

及び腰のライナスの言葉をルナフレイアが遮る。
さっきまでとは打って変わった丁寧な口調で。

「ルナ・・・」
「いい加減になさいませ」

眼は静かに目の前の従兄を見つめている。

「ライナス兄さま。わたくしはアリスティシア姉さまではありませんわよ」
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