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ケイトリン・ハップストゥールは密かに恋をしていた
しおりを挟むケイトリンの生家、ハップストゥール子爵家は、パーシヴァルが耳にしたような没落の危機はなかった。確かに経済的な問題は抱えていたけれど。
というのも、ハップストゥール家は文官貴族なのだ。領地を持たず、代々文官として王城で働いている。
故に、当主もしくは文官として働く男子に何かあった時は困ってしまう。もっとも、そうした事態に備えて、常々ハップストゥール家では質素倹約を尊び、それなりの額を貯えてもいた。
ケイトリンの家が抱える経済的な問題とは、当主であるケイトリンの父が病に倒れたことだった。
時期はケイトリンが学園に入学するよりずっと前、彼女がまだ10歳の、あどけなさが残る少女の頃。
次期当主となる予定のケイトリンの兄は当時12歳。学園入学も果たしておらず、というか3年も先の話で、入学して卒業して仕官してとなると、さらにまた先の話となる。
幸い、祖父が健在だった。あと数年で退職して、後はゆっくり妻と2人の時間を・・・などという夢はきっぱり諦めてもらい、当分の間の現役続行が決まる。
だが、働き盛りの男性が抜けた穴はけっこう、いやかなり大きかった。
加えて、ケイトリンの下には妹と弟が1人ずついて、まだまだ手も金もかかるのだ。
祖父の給与と、これまでの貯え。親戚からの助けもあった。そして家族が団結してさらに倹約に励み、数年しのいだ。
その後、無事に学園入学を果たしたケイトリンの兄の成績は優秀で、卒業と同時に無事に王城勤めが決まる。
ケイトリンは兄と入れ違いで入学し、そしてパーシヴァルと出会った。
パーシヴァルのレイヴン伯爵家は広い領地―――それも穀倉地帯―――を持っていた。王都からだいぶ離れたいわゆる田舎で、パーシヴァルのおっとりした性格は、育った場所の影響もあるのだろう。
入学にあわせて王都に移動したパーシヴァルは、タウンハウスから毎日馬車で学園に通う。
対して、領地なしの王都育ちのケイトリンは自邸から。もちろん節約の為、毎日歩きでの通学だ。
第一学年、ケイトリンとパーシヴァルは同じクラスになった。
しかし、話をした事はなかった。
ケイトリンは、家の事を考えて、可能なら自分も王城でお勤めしたいと思って日々ガリガリと勉強に励んでいたし、パーシヴァルはわざわざ女生徒と交流する性格ではないからだ。
そんなある日、ケイトリンはいつものように徒歩で学園の門に着いた時、ある光景を目にする。
裕福な伯爵令息で、馬車で通学している筈のパーシヴァル・レイヴンが、何故か門の外にいるのだ。しかも片手に荷物、もう片方の手を老婆の背に回して歩いていた。
『パーシヴァルさま、そのようなことは私めが・・・っ』
見れば、門の向こう、学園敷地内の馬車止めから、慌てた様子で御者らしき男が走って来ている。
『気にしないでいいよ。門の前を突っ切るだけだから。さあ、行こう。おばあさん』
『す、すみません。お貴族さまにこんなこと・・・』
『そんな大したことはしてないよ。ただあのままだと馬車に轢かれそうで心配だったから』
この時間は、登園で馬車がひっきりなしに通るんだよねぇ、とのんびりした口調で話しながら、パーシヴァルは老婆を門の向こうまで誘導する。
荷物を持ってあげたせいか、思いのほかすんなりと向こう側に行けた老婆は、ぺこぺこと頭を下げ、パーシヴァルから荷物を受け取ると、ふたたびゆっくりと歩き始めた。
貴族がするにはあり得ない行動だ。
間違っているとは言わない、正しく、美しい行為だ。けれど、矜持高い貴族がわざわざ馬車から降りて平民の老婆に手を貸すなんて、普通はしない。
―――でも、あのお婆さん、ほっとした顔をしてたわ。
クラスの休み時間、自分の机で静かに本を読んでいる印象しかないパーシヴァルの、意外に行動派(?)な一面に、ケイトリンは驚きを隠せなかった。
そして、思ったのだ。こういう人が領主になった土地の民は、きっと幸せね、と。
実はケイトリンの祖父と今は療養中の父、そしてこの年に王城で勤め始めた兄は、城の行政管理部の勤務だった。
この国では、税務管理や産物の売買記録、領民情報などは一旦、行政管理部に集まってから仕分けされ、各部署で処理される仕組みになっている。
そのせいか、祖父たちはよく言っていた。領民を生かすも殺すも領主の器次第だと。それでつい、領民目線でパーシヴァルを評価し、好印象を持ったのだ。
そう、その時はそれだけだった。
けれど、一度気がつくと、その後は特段気にしているつもりもないのに、ちらりちらりとパーシヴァルの細やかな親切に気づくようになる。
落としたものを拾ってあげる、重たいものを代わりに運ぶ、両手がふさがっている人の為に扉を開ける―――小さなことで、でも助かるものばかり。
とびきりの美形という訳ではない、公爵や侯爵ほどの高位貴族でもない。でも整った顔立ちで、肥沃な穀倉地帯を所有する伯爵家の嫡男。パーシヴァルは気づいていないようだったが、彼の妻にと望む令嬢は多かった。
1学年の終わりの頃には、ケイトリンはパーシヴァルに明確な好意を抱いていたけれど、彼女自身は叶わぬ恋と思っていた。同じクラスで、とりわけパーシヴァルに熱を上げる令嬢がいたからだ。
彼女は伯爵令嬢で、パーシヴァルと身分的にも釣り合う。その上、ケイトリンの家のような経済的な問題も抱えていない。
きっと、そう遠くないうちにパーシヴァルの婚約について聞くことになるのだろうと、ケイトリンはその時思っていた。
―――それが。
『ケ、ケ、ケ、ケイトリン・ハップストゥール子爵令嬢! じ、じ、実は僕、ずっと前から、あ、あなたのことを―――』
想う人から告白されるなど、夢にも思わず。
―――けれど。
『あの子、ケイトリン。うまいことやったわね。家が没落寸前なんでしょう? 伯爵家の嫡男なら言う事なしじゃないの』
『本当よ。真面目そうな顔して―――』
―――逆恨みしたその令嬢が、パーシヴァルの耳に入るようにわざとそんな言葉を口にしていた事など露ほども知らなかった。
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