【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

文字の大きさ
20 / 128

真っ黒

しおりを挟む


「思っていたよりも症状が軽くて安心したよ」

「心配かけてごめんなさい、エドガーさま。こちらに来るだけでも大変なのに」

「気にしないで。僕が勝手に押しかけただけだから」


そう言って、ふわりと笑うエドガーは相変わらず優しい。


昔から彼はそうだった。

もの静かで、穏やかで、本が好きで。

暇さえあれば体を動かしたがるレオポルドとは正反対。

木の枝を振り回して騎士の真似事をするレオポルドを、木陰からそっと見つめるのがベアトリーチェは好きだった。
そしてエドガーは、いつもそんなベアトリーチェの横に座り、静かに本のページをめくっていた。


エドガーとは何の言葉も交わさなくても、その沈黙が心地良かった。いつも何とはない平穏を味わえた。


だから、エドガーならいつも側にいてくれると勝手に思い込んで。
いつも必ず自分を一番にしてくれると甘えていた。

そんな勝手な思い込みのせいで、突然の留学の話を聞いてひどく動揺したのだ、巻き戻り前のベアトリーチェは。


あの時の自分は、本当に最低で自分勝手だったと思う。

大志を抱いて隣国に向かう幼馴染みを応援することも祝福することも出来ず、薄情だと碌な別れの言葉も言えなかった。

それでも、留学先から手紙を書いてくれたエドガーは相当な人格者だったのだろうと、今のベアトリーチェならよく分かる。

その時の手紙の内容は、研究レポートに似たもので、読んでもちっとも楽しくはなかったし、今のエドガーの方が、更に、格段に、比較しようもなく、素敵さが増していることは間違いないけれど。


「・・・なんだい? さっきからずっとこっちを見てるみたいだけど」

「・・・え? あ、その、ええと」

「うん?」


不思議そうに目を見開きながら軽く首を傾げるエドガーを、まじまじと真正面から見つめ返す。


レオポルドの様に衆目を集めるような派手な美形ではないけれど、こうしてみるとエドガーも相当に整った顔立ちをしている。

内面の穏やかさと知性とが滲み出た、一緒にいて落ち着く感じ、そう大人の包容力とでも言おうか。


エドガーは、きっと愛する女性を最後まで大切にする人だろう。彼の恋人になるひとはきっと幸せに違いない。

・・・もしその時にまだベアトリーチェが生きていたら、きっと寂しくて堪らないだろうけれど。

小さい時からエドガーの側にいたのに、どうして彼の良さに気づかなかったんだろう、と今さらな疑問に襲われる。


ああ、そうか。


「・・・レオポルド馬鹿だったせいね、きっと」

「アーティ? 今なんて?」


きょとんとした顔で聞き返すエドガーに、つい五日前に兄から聞かされたばかりの、かつての不名誉な名称について説明する。


残念なことに、それにはエドガーも同意しかないそうだ。


「でも、私がそんなにレオポルドさましか見えてなかったって事は・・・いえ、やっぱり、あ、ある、かしら・・・?」


否定したいのに否定しきれないベアトリーチェに、エドガーは苦笑しか返せない。


「まあアーティがそうなるのも仕方ないよね。レオは本当にハンサムだから」

「そ、それは確かにそうかもしれないけど、でも素敵なのはエドガーさまだって・・・っ」

「え?」

「あ、そ、それに、お、お兄さまも・・・そう、お兄さまも格好いいと、思うの」

「・・・ああ」


急に自分の名前が出てきた事に驚いたエドガーは、後に続いた「お兄さま格好いい」宣言に、なぜか安堵したような、少し寂しそうな、そんな微妙な表情を浮かべた。


「そうだね。そういえばアーティはよく言ってくれてたっけ。レンブラントと僕は頼りがいのあるお兄さまだって」


そう続けて、エドガーは微笑んだけれど。


「・・・」


ベアトリーチェは、それに頷き返すことが出来なかった。


そう。確かに、かつてのベアトリーチェはよくその言葉を口にした。

口は悪いけど、なんだかんだとベアトリーチェの世話を焼いてくれる兄と。
そしていつも静かにベアトリーチェの側にいてくれるエドガーと。

自分には頼もしい兄が二人もいるのだと。


でも。


何か違うのだ。


レンブラントは相変わらず頼もしくて、意地悪だけど優しい兄で。

だけどエドガーは。

優しくて、穏やかで、いつもベアトリーチェを心配してばかりで、自分のことは二の次の、本の虫であるこの人は。


ベアトリーチェが倒れたと聞くと、いつでもどこにいても、何をおいても駆けつけてくれるこの過保護な人は。


兄のようだと言ってはいても、自分の兄では、なく。


じゃあ、エドガーは。


「アーティ?」


エドガーの顔を見つめたまま黙り込んでしまったベアトリーチェに、いつもの優しい、心配そうな声が降りかかる。


なんでもない、とベアトリーチェは返した。そう返すしかなかった。

ベアトリーチェはまだ、これが何なのかよく分からないから。

父にも母にもそして兄にも、大好きだったレオポルドにすら感じた事のない、この少し苦しくて切なくてくすぐったい感情が、どんな名前を持っているのか、まだ分からなかったから。







「レンブラント、待たせたな」

「ああ、いや。こっちも今戻って来たところだ」


五日かけて隣国ドリエステから戻って来たエドガーは、ベアトリーチェの容体を確認するとそのままレンブラントの私室へと足を向けた。

話があると呼ばれていたのだ。


「あのさ、前にお前から言われてた事なんだけどさ」


グラスにブランデーを注ぎながら、レンブラントは口を開く。


「僕が言った事?」

「ほら、トリーチェが何か抱え込んでいそうだって話」

「ああ、その事か」

「それさ、ついこの間、あいつが話してくれたんだよね。それでお前にも言っておいた方がいいと思って」


そう言うなり、レンブラントは傍に置いてあった鞄から、ばさりと束になった紙を取り出した。


「相当むちゃくちゃな話なんだけどさ、信用していい話だと思う。いや、お前なんかは特に怒りそうな話だから、心落ち着けて聞いてもらえると助かるかな」

「怒る? ・・・僕が?」


およそ怒りとは無縁の生活をして来た自覚があるエドガーは不思議そうに言葉を繰り返すが、レンブラントは苦笑しながら頷き返した。


「いや、さすがのお前もこれを聞いたら怒ると思うよ。だってさ」


先ほど取り出したばかりの紙の束を、ひらひらと振り回す。


「ベアトリーチェが言ったこれ・・・・・こいつ、まだ一部しか調べが上がってないってのに、もうこれだけ真っ黒なんだもんよ」
しおりを挟む
感想 57

あなたにおすすめの小説

私は貴方を許さない

白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。 前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】 白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語 ※他サイトでも投稿中

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...