43 / 128
闇の中、事は進む
しおりを挟む夜の静けさの中、扉をノックする音がやけに大きく響いた。
少しの間の後、ゆっくりと扉が開く。中から顔を覗かせたのはエドガーだ。
既に寝支度を整えた後の彼は、扉を叩いた人物を見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「・・・レン?」
「こんな遅くに済まない、エドガー。お前に伝えておきたい事があってな」
「・・・何かあったのかい?」
「ああ。時間がないから説明は後になるけど、ちょっと今から出ることになった。この屋敷は大丈夫だと思うけど、念のため声をかけてから行こうと思って」
エドガーの表情が引き締まる。
「・・・僕も行こうか?」
「いや」
レンブラントは軽く首を横に振った。
「お前はここに・・・トリーチェの側にいてくれ」
「・・・分かった」
「頼んだ」
レンブラントは踵を返し、照明が落とされた薄暗い廊下を歩いて行く。
「気をつけて」
エドガーは、親友の後ろ姿が闇に溶け込むのを静かに見送った。
「・・・」
ここは、どこ?
瞼を開けた後、ぼんやりと視線を彷徨わせながらそんな事を考えていると、近くで何かが動く気配がした。
「目が覚めた? ナタリア」
声が聞こえた方へと視線を向ける。
身体がどうしようもなく重く感じ、ナタリアは首だけを動かした。
「・・・アレハンドロ・・・」
ナタリアは、自分が横たわるベッド側の椅子に座る幼馴染みの名を口にした。
「おはよ・・・って言っても、まだ夜だけどな」
そう言って、ナタリアの顔を上から覗き込んだアレハンドロの表情は、照明を背にしていてよく見えない。
口調からすると、笑っているのだろうか。
「ここは・・・?」
「俺の隠れ家」
「かくれ、が?」
「そう。秘密基地とも言う」
そう言うと、アレハンドロはくく、と笑った。
「なんで私、ここにいるの? それに何だか身体があまり動かない・・・」
「ああ、それはね」
アレハンドロは手を伸ばし、ナタリアの髪をそっと撫でる。
「薬がまだ抜けてないせいだよ」
「くす、り・・・?」
「そう」
「どうして、薬・・・?」
今もまだぼんやりとした思考のままアレハンドロと言葉を交わすナタリアの耳に、ぎし、とベッドが軋む音がした。
「なぁナタリア」
「・・・?」
思考がままならないのは薬のせいか、それとも本人の危機管理能力の低さからなのか。
ベッドに横たわる自分にのしかかろうとする目の前の男に対し、ナタリアの目に恐怖はない。
あるいは、これがアレハンドロがナタリアに時間をかけて植えつけた信頼と安心感の成果なのかもしれない。
それは、この後すぐに崩れる事になるのだけれど。
「お前が昼間・・・馬車で一緒にいた男は・・・だれ?」
「・・・?」
気のせいだろうか。
アレハンドロの声音がいつもと違う。
いつもの、そうまるで兄のように優しく、時に揶揄い、少し意地悪で、でも最後には仕方ないなと手を貸してくれる、そんな甘えを許してくれていた筈の声が、今はまるで別人のようだ。
「アレハンドロ・・・?」
「答えろ。あの男は誰だ」
「・・・っ」
ぎり、と手首を強く掴まれる。
痛みでナタリアの顔が歪んだ。
「あいつがやっと視界から消えそうだと安心してたら、もう別の男を見つけたか。随分と節操がない女だな、お前は」
「・・・っ⁈」
ナタリアは訳が分からず、ただ目を瞠った。
目の前の優しい幼馴染みの豹変も、詰られている言葉の意味も、全てが理解出来ないままだ。
「お前を直接泣かせるのは他の奴らの役目だった、そしてお前を笑わせるのが俺の役目。お前はそれに合わせて泣いたり笑ったりしてりゃ良かったんだ。なのに、お前は」
「アレハンドロ」
「お前は自分の役割をちっとも分かっていない。お前には恋も愛も必要ないんだ。人も、物も、場所も、思い出も、どれも不要なものばかりなのに」
「・・・アレハンドロ」
「俺の望む時に泣いて、俺の望む時に笑う、そうやって一生を終えればいい。それで良かった、それだけで良かったんだ」
「アレ、ハンドロ」
「なのにお前は」
す、とアレハンドロの手が伸び、ナタリアの首元に置かれる。
そして一回、僅かにその手に力がこめられた。
「ふふっ、このまま力を入れ続けたら、お前は直ぐに死んじまうな」
ナタリアを覗き込むアレハンドロの目がスッと細くなった、気がした。
「そんな顔するなよ。本当にそうしたくなっちゃうじゃないか。あ、それともお前、死にたかったんだっけ」
「・・・」
「でも」
表情は今も見えないまま。だが口調はどこまでも楽しげだ。
「お前まで死ぬのは許さないよ」
ナタリアには目の前のアレハンドロがどうしても自分のよく知る彼と重ならず、ただただ混乱するばかり。
「言えよ。一緒に馬車に乗ってたあの男は誰だ」
「馬、車」
「そう。今日、馬車に乗って帰って来たろ? 行く時は歩きだったのに」
「・・・夕飯の、買い出しに行った時の」
「そう、それ」
会う約束もしていないのに何故アレハンドロがいたのかとか、ナタリアにそこまで問い尋ねる必要があるのかとか、そもそも説明する義理などないのではとか、そんな当然の疑問がナタリアに浮かぶ筈もなく。
ただ目の前の男に圧倒され、ナタリアは素直に言葉を返した。
「ス、ストライダムさまと、そのお友だちの方が、雨に濡れて困っていた私を、ば、馬車に乗せてくれたの。それだけよ」
「ストライダム? ベアトリーチェ・ストライダムのことか?」
その名に、アレハンドロの声が一段と低くなる。
「そう、その方よ。アレハンドロが見たその男の人は、ストライダムさまのお知り合いの方で。とても仲が良さそうだったから、もしかしたら恋人かもしれない」
「恋人? あのレオポルドひとすじの女がか?」
「え?」
思わず漏れた言葉に、ナタリアが目を瞬かせる。
「アレハンドロ・・・今、なんて? ストライダムさまが・・・レオを?」
震える声で、アレハンドロに問い返す。
アレハンドロが組み敷いた彼女の顔色は、真っ青だった。
「・・・そう言えば」
少し考え、アレハンドロは口を開く。
「ナタリア。お前はまだ、自分の犯した愚かな罪を知らないままだったな」
そう言ってナタリアの髪を手ですく目の前の幼馴染みは、まるで知らない人のようだとナタリアは思った。
アレハンドロがどんな表情をしているのか、今なおナタリアには見えていない。だが彼は優しくこう続けた。
「少しだけ昔話をしようか」
116
あなたにおすすめの小説
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる