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アレハンドロは泣いた
しおりを挟むレンブラントはレジェス商会に向かっていた。
ある人物に会うためだ。
住み込みスタッフ用の居住スペースに入り、普段は物置として使われている地下にある小部屋へと向かう。
そこには、トップの入れ替わったレジェス商会で働き続けることを拒否した一人の男が軟禁されていた。
ノイス・ストライダムがオーナーとなったレジェス商会だが、少々のいざこざはあったものの、既存の従業員は全て基本的に継続雇用とした。
賃金形態だけを少々変更して、平等に支払われる基本給に加え、こなした仕事量や成立した取引き数に応じて報酬が加算される仕組みにした。
一定のレベルでの生活を従業員たちに保証しつつも、各人の働きによっては高給も望める立ち位置だ。
能力のある者ほど給与が上がる、当然のように従業員たちの士気も上がった。
そんな中でただ一人、働くことを拒否した人間。
自分の主人はアレハンドロだ、それ以外に仕える気などないと厚顔にも言ってのけた男、それはザカライアスだった。
部屋の前に到着したレンブラントは、扉を開け、中にいる人物へと視線を向ける。
中にいた男ザカライアスもまた、挑むような視線を返した。
アレハンドロが病院に運び込まれてから約ひと月が経とうとしていた。
最初の一週間はレジェス商会で大人しく働いていたザカライアスだったが、いつまで経ってもアレハンドロが戻って来ないことに苛立ち、マッケイに事情を問い尋ねる。
トップが入れ替わった事は、元会頭であるマッケイと会計官しか知らない。それ故に言葉を濁すマッケイにザカライアスは不信感を抱いた。
後継であるアレハンドロを手にかけたのか、と。
いいから黙って今まで通り働けと言うマッケイに、自分に命令出来るのはアレハンドロだけだとザカライアスは答える。
クビにしてしまえば簡単に終わる話なのだが、ここで放り出してもどうせ色々と嗅ぎ回る筈。手が離れてしまう方が厄介だと説得を試み、失敗し、今のこの状況に至る。
ここに来てようやくマッケイはノイスに報告を上げ、面白がったノイスはレンブラントにそれを話した。
そして、レンブラントはザカライアスの使い道を見つけ、ここに来たのだ。
「・・・誰かと思えば乗っ取り屋の息子か。何の用だ。前にも言った通り、私はアレハンドロさま以外の方にお仕えすることはない」
アレハンドロは処分されたと頑なに信じ込んでいるこの忠実な部下は、恐らく自分の主人のために何らかの復讐を目論んでいるのだろう。
死んだと思っている様だが、後を追う気はさらさらないらしい。ハンストなどは一切せず、出された食事は全て平らげている。
閉じ込められた空間内で、それなりに運動もしているようだ。
「いやなに。それほどまでにアレハンドロに忠節を誓ったお前ならば引き受けてくれると思ってな」
射殺すような視線を送られても全く意に介さない様子で、レンブラントは椅子にどかりと座る。
「アレハンドロの為ならば、働くんだろ?」
「・・・私を脅す気か」
「いや。寧ろこっちから頼みたい。なにせ適任者がいなくて困ってたからな」
訝しげに見つめるザカライアスを横目に、レンブラントはにこりと笑む。
「アレハンドロに会わせてやる。その上でお前に頼みたい仕事について説明するから、引き受けるかどうかは、その時に言ってくれ」
そう言って立ち上がると、驚くザカライアスに背を向け、扉へと向かった。
「ついて来い」
「・・・アレハンドロさま・・・? これは・・・」
レンブラントは、病院に到着した時点で、ひと月前の事件についてザカライアスに告げた。
ナタリアを誘拐して追われたこと、自ら川に飛び込んだこと、その際にナタリアを庇って首に怪我を負ったこと、ずっと意識が戻らなかったこと、下半身が麻痺していること。
そして。
「六歳までの記憶しか、ない・・・?」
「そうだ。まだ妹が生きていると思っている所からすると、正確には妹が溺死する前までの記憶になるな」
「・・・そんな、ことが・・・」
ザカライアスは、呆然と車椅子に座るアレハンドロを見つめた。
アレハンドロもまた、ザカライアスを不思議そうに見つめ返す。
見知らぬ者を見る視線に、何の感情もこめられることもなく。
あの日。
病院の廊下でナタリアを見つけたアレハンドロは、妹の名を口にしながら泣きだした。
幼少時に母から精神的虐待を受けていたアレハンドロは、病院で意識が戻った時に咄嗟に自分の知った顔を探したようだった。
だが、ここに母や使用人など、誰一人としてアレハンドロの知る人がいる訳もなく、結果、彼は口を閉ざすことで取り敢えず様子を見ようとした。
何も覚えていないが、どうやら自分は怪我をしたらしい。
下半身は動かず、どこに行くにしても車椅子だ。
自分の身体が大きくなっている事には意識的に目を逸らしているのか、その点を気にすることはなかった。
食事は定期的に供され、身体も拭いてもらえる。
どうやら酷い目には遭わされないようだと安心した。
それでもまだ、どうしても目線は知っている誰かを探してしまう。
その時、散歩に向かう途中の廊下の向こうに、やっと自分の知る顔を見る。
それも、一番見たかった顔だ。
懐かしさに胸が痛くなり、名前を呼ぼうと思っても、上手く言葉が出てこない。
涙がこみ上げる。
心臓がぎゅっと掴まれたように苦しい。
生きてる。生きてる。
ちゃんと生きてた。
大事な、大事な、宝もの。
そんなことを思って、自分で自分が不思議になる。
なんでそんなことを思ったんだ?
だって、ついこの間も一緒に遊んだのに。
ああ、だけど。
「・・・ミルッヒ・・・」
もう、ずっと、長いこと会えていなかったような気がするのは何故だろう。
懐かしい。会いたかった。
そう思いながら、アレハンドロは声を上げて泣いた。
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