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たとえ覚えておらずとも
しおりを挟む最初、自分に客と聞いて、ナタリアが真っ先に思い浮かべたのは父の顔だった。
貴族籍を抜かれる前に、ナタリアを多額の援助金と引き換えにある金持ちの後妻に出そうと計画して、一度病院にまで押しかけて来たことがあったからだ。
だが、予想とは裏腹にナタリアの前に現れたのはストライダム侯爵家の令嬢ベアトリーチェだった。
「ご機嫌よう、ナタリアさま」
ベアトリーチェ・ストライダムは、背後に一人の侍女を従えながら、笑顔で挨拶の言葉を述べた。
「突然に伺ったから驚かれたでしょう。ごめんなさい」
驚いて挨拶を返すことも出来ずにいると、ベアトリーチェは困った様に眉を下げる。ナタリアは、はっと我に帰って頭を下げた。
「いいえ、そんな。お会いできて嬉しいです」
「今日は、これをナタリアさまにお渡ししたくて押しかけてしまいましたの」
そう言うと、ベアトリーチェは侍女から荷物を受け取り、そのままナタリアに渡した。
「・・・これは?」
「ナタリアさまにお使い頂けたらと」
包みを開けてみれば、まず一番に目に入ったのはクリームの瓶だ。その下にあるのはお茶の袋だろうか。
「今、こちらの病院でお手伝いをなさっていると聞きました。あの、シーツの洗濯とか、食器洗いとかもされているとか」
「はい。そうです・・・あ、この瓶ってもしかして」
「ええ。手荒れによく効く保湿用のハンドクリームですわ。うちの侍女たちも気に入って使っているものらしいので、効果も確かです」
ナタリアは、クリームの瓶を手に取ると、蓋を開けてみる。
すると、ふわりとフローラルの甘い香りが立ち上り、鼻腔を優しく擽った。
「これを、私に?」
「毎日のように水仕事をなさっていたら、きっと手も荒れてしまうと思いまして。そういうものなら、いくつあっても大丈夫でしょう?」
「それは・・・もちろんです」
実際、ナタリアの手はガサガサだ。
今はまだ秋だから少しはマシだけれど、冬になったら更に酷くなるだろうと覚悟していた。
「良かった。私もそれを売っているお店に行ってきたのですけど、侍女が薦めるだけあって、とても人気がある様でした。香りが三種類あったので、どれにしようか随分と悩んでしまいましたわ」
「え? まさかご自分で買いに行かれたのですか?」
「勿論ですわ。だって、せっかくの贈り物ですもの。ちゃんと自分で選びたくて」
その言葉に、ナタリアが思わず顔を上げる。
そこで初めてベアトリーチェと目が合い、視線が揺れた。
ーーー 自分はこの人をナイフで刺した。
アレハンドロに告げられるまで知らずにいたことで、今も心のどこかで嘘であってほしいと願っていることで。
だけどきっと、自分に殺されたというこの人も知っていることだ。
そうでなければ、三年間も同じクラスにいて、あんなに自分と距離を取ったりはしない。
そして、全てを知った今になって、こうして自分の前に現れたりしない。
その事をアレハンドロから教えられるまで、ナタリアはずっと、ベアトリーチェと友だちになりたいと密かに思っていた。
だけど今は、罪悪感で押し潰されそうで、怖くて顔を見ることすら躊躇われた。
なのに意図せず絡んでしまった視線を、今度は逸らすことも出来ず、ナタリアはただ立ち尽くす。
そんなナタリアの様子に気づいたのか、ベアトリーチェの方が先に口を開いた。
「忙しい時にごめんなさい。ただ、どうしても・・・会いたくて。せめてこれを渡すだけでもと」
「あ、いえそんな」
「これで失礼しますわ。あの、その茶葉の包みはリラックス効果のあるハーブティーです。寝る前に飲むとぐっすり眠れますから」
「・・・ありがとうございます」
ナタリアは、渡された包みをぎゅっと胸に抱き、かろうじて感謝の言葉を口にした。
「いいえ。気になさらないで」
ふわりと笑うベアトリーチェを、ナタリアは滲む視界で見つめる。
わざわざ病院にまで持って来てくれたのは、学園で噂の的になっているナタリアを慮ってのことだろう。
贈り物を手ずから選んで買うまでして。
あなたをナイフで刺し殺したのに。
私は、あなたを殺した人間なのに。
ずっと、話をしたいと思っていた。
今もまだ、この人と言葉を交わしていたいと思う自分がいる。
お茶でも、と言いかけた口を噤み、頭を下げる。
「本当にありがとうございます。大切に使わせてもらいますね」
あなたと友だちになりたかったとか、お話してみたかったとか。
どうか私を許してだとか。
自分には、そんな事を言う資格などない。
覚えてもいない罪を、それをちゃんと覚えている人に許してもらおうだなんて。そんなの。
「それでは失礼します」
そんなの、ただの独りよがりだ。
「・・・お気をつけてお帰りくださいね。ベアトリーチェさま」
声をかければベアトリーチェは笑って、それから背を向けて歩き出した。
その後ろを侍女が従う。
そんな二人の後ろ姿を、ナタリアは静かに見送った。
消えてなくなった時間では、あなたは私の親友だったと言う。
その時の自分の気持ちが、なんとなく分かる気がした。
あなたの纏う空気はどこか純粋で、欲にまみれてなくて、世捨て人のように清らかで。
近くにいるだけで、ほっと息が楽になったから。
嫌われていると思っていた。憎まれても仕方がないと。
なのに、あなたは。
「・・・」
小さな包みを抱える腕に、知らず力がこもった。
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