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薄紫は君の色
しおりを挟む「・・・レオポルドさま、ようこそいらっしゃいました」
「急な先触れを寄越して驚いたでしょう。すみませんでした、メラニー嬢」
「いえ、とんでもありませんわ。次の顔合わせはニ週間先でしたので、少し驚きましたが」
エントランスでレオポルドを出迎えたメラニーは、所在なさげに微笑んだ。
後ろに立ち、頭を下げる執事や侍女たちの顔には笑みが貼り付けられてはいるが、その視線は厳しい。
レオポルドの言動を警戒しているのは明らかだ。
以前のレオポルドなら、そんな空気にすら気づかなかっただろう。鍛えてくれたレンブラントに感謝すべきか、或いは気づかなかった方が幸せなのか。
・・・やっぱり、急に訪問したいなんて言ったら、警戒されるよな。
レオポルドはそんな事を考えながら、それでも笑みを浮かべた。
数か月前まで周囲から純愛と称される恋人がいたこと、三か月近く所在不明の時期があること。
二つ目の理由は、建て前では邸にこもって父の事業処理を手伝っていたという事になっているが、そんな見え透いた言い訳を鵜呑みにする者など誰もいない。
万が一にでも王立学園の卒業資格を失えば貴族としての資質を疑われる。そんな危険を冒してまで、家にこもりきりで父を手伝う令息などいる筈がないのだ。
だとしたら、その間レオポルドは人には言えないような何かをしていたという事になる。
そして実際その通りなものだから、バートランド公爵家にとって限りなく胡散臭い婚約者候補であることには間違いない。
恐らく、経済的に傾いていた半年前までのライナルファ侯爵家であれば、歯牙にもかけて貰えない相手だっただろう。
レンブラントと組んでアレハンドロの悪事を暴き、ストライダム侯爵家はレジェス商会を、ライナルファ侯爵家はマッケイの個人資産のほぼ全てを手に入れた。
マッケイの住んでいた本宅を除く別邸三つとその土地、その他の幾つかの土地建物を売却し、手に入れた金は相当な額に上った。
それは、少なくともアレハンドロの画策によりライナルファ家が被った損失を補って余りあるほどで。
だからと言って、亡くなった船員たちの人的被害を無かったことには出来ない。死んだ彼らが帰って来ることはないのだから。
それでも、残された家族の生活を保障したり、新たに人員を補充したり、別の事業を起こしたり。
それらが余裕で出来る程度にはライナルファ家は強くなった。
そして、その新たな事業でパートナーとして手を組んだのが、バートランド公爵家だ。
今や、半年前までの斜陽の名残など微塵もなく、金融資産も人的資産も潤沢となったライナルファ家との縁談を断る理由は、バートランド公爵家にはなかった。
たとえ、縁談相手のレオポルドに、つい最近まで熱愛と噂の恋人がいたとしても。
何故なら、レオポルドはその女性ときちんと別れたと言うのだから。
・・・だからと言って、その縁談相手として白羽の矢を立てられたバートランド公爵家の次女を家の者たちが心配しない筈もなく。
その心配を出来る限り取り除きたくて、レオポルドは今日こうしてやって来たのだけれど。
「・・・せっかくですから、どうぞサロンの方へ」
「いや、突然に訪問してそこまで迷惑をかけるわけにいかない。ここで用は済むから、それで直ぐに失礼するよ」
場にピリッと緊張が走る。
レオポルドは、自分が言い方を間違えたことに気づいた。慌てて口を開く。
「あ、いや、えっと。メラニー嬢に渡したいものがあって、それで来ただけなんだ。だから」
「・・・渡したい、もの?」
肩の緊張は抜けるが、メラニーの瞳には未だ不安の色が拭えていない。
レオポルドは、乗って来た馬車に急いで戻ると、扉を開け、中から花束を取り出した。
メラニーが目を見開く。後ろにいた使用人たちも驚いたのか、数人がハッと息を呑んだ。
「これを」
メラニーは呆然と目の前に差し出された薄紫色の花を見つめていた。
それは二週間前の初めての顔合わせで、メラニーが好きだと言った秋明菊の花束だ。
「私に・・・」
「はい。あなたがこの花をお好きだと言っていたので。ただ、色は俺の好みで選んでしまいましたが」
メラニーは手を伸ばし、そっと花束を受け取った。
驚いた目はまん丸だが、口元は僅かに綻んでいる。
「ああやっぱり」
「え?」
花束を胸に抱くメラニーを見て、レオポルドが嬉しそうに頷く。そして今度は、それを見たメラニーが不思議そうに首を傾げた。
「あなたの色だと思ったんです。思った通りだ」
「私の、色?」
「先日あなたと一緒に見たものは白い秋明菊だった。でも、あなたに贈るならその色だと」
「え・・・」
「それを見た時、あなたを思い出しました。あなたの瞳の色だったから」
「・・・」
メラニーは俯く。
花束を抱えているから、まるでその中に顔を埋めるようにして。
その仕草に、レオポルドの心はほわりと温かくなった。
少なくとも、この花束は喜んでもらえた。それだけは分かったから。
「今日、偶然この花を出先で見つけまして。そしたら、どうしても贈りたくなってしまったんです。それで、本当なら会うのはまだ二週間先なのに、突然に面会をお願いしてしまいました」
「・・・そう、だったんですね」
メラニーはまだ顔を花束に埋めたままだ。
よほど気に入って貰えたのだろうか、レオポルドはふ、と目を細める。
「では、俺はこれで。二週間後のお茶会を楽しみにしています」
「もうお帰りに?」
「ええ。突然にお伺いして、これ以上迷惑はかけたくありませんから」
「・・・迷惑では」
ないです、とメラニーが小さく口にした言葉はささやか過ぎて、レオポルドの耳には届いていない。
「花束を渡せたので、今日はこれで満足です。今度はぜひ、機会を見つけて植物園にでもご一緒しましょう。その時はまた花の名前を教えてください。では、二週間後に」
「・・・はい。お気をつけてお帰り下さいませ」
「ありがとう」
ようやく顔を上げたメラニーに挨拶してから、レオポルドは馬車へと足を向ける。
心臓は緊張でドキドキと激しく鼓動を打ちながら。それでも顔だけは必死に平静を装って。
馬車に乗り込み、扉を閉め、思いきり息を吐く。
「・・・はぁ」
笑って、くれた。
メラニー嬢が、笑ってくれた。
冷や汗で背中はびっしょりと濡れている。
使用人たちからの刺すような視線に、手汗も凄いことになっていた。
・・・でも。
「最後に、ちゃんと笑ってくれた・・・」
作った笑みではなく、取り繕った顔でもなく。
恥ずかしそうだったけれど、でも思わず溢れた心からの笑みを。
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