【完結】 いいえ、あなたを愛した私が悪いのです

冬馬亮

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まだ、あともう少しだけ

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毎日、毎日、夢に見るのは同じ景色。


背後には森、目の前に広がるは大きな水の流れ。

アレハンドロは橋の上に立っていた。


風がふわりと髪を揺らす。

夢なのに何故だろう。肌が風の涼やかさを感じる事が出来る。

そよそよと微かに聞こえる水流の音、ささやかな木々の葉ずれ。

理由も分からず、ただ懐かしさだけを感じるこの光景に、何かが足りないと思いつつ、けれどそれが何なのかを知る事に恐怖を覚える。


アレハンドロはいつも、この夢の中で橋の欄干の上に立っている。

そして、眼下の川の流れを眺めるのだ。


何かを探すように、必死に目を凝らして。


けれど同時に、そこに何も見つけられないことも知っている。


流れはひどく緩やかで、川面に乱れの一つもない。そこに何も隠されていないのは明らかだ。


そう。だからこれは気のせいだ。


彼と同じ赤茶色の髪と琥珀色の瞳が、ふとした瞬間、視界に映るような気がするのは。

ふわりと微笑み、まるで散歩にでも向かうかのように、穏やかに軽やかに水に呑み込まれていく幼な子の姿が一瞬だけよぎるのは。


アレハンドロは激しく頭を振る。
胸を押さえ、眉間に深い皺を刻みながら。


・・・ちがう。
あれはミルッヒじゃない。


だって、ぼくのミルッヒは。

ぼくのミルッヒは、ちゃんとあそこ・・・にいたじゃないか。


アレハンドロは、病室によく顔を出してくれる女性の顔を思い浮かべる。


そうだ、ぼくのミルッヒは、はれた日のそらとおなじかみのいろをしてるんだ。

そして、きれいな、きれいなみどりいろの目をもっている。


だから、あれはミルッヒじゃない。
あそこにみえるのは、ミルッヒじゃないんだ。


みずのなかにしずんでいくあの子は、ぼくのミルッヒじゃ、ない。

だって、そうじゃなかったら。

そうじゃなかったら、ミルッヒは。

ほんとうのミルッヒは、いまどこにいるというの?


アレハンドロは唇を噛んだ。

夢なのに痛みを感じ、薄らと血が滲む。



「ミルッヒ・・・」


アレハンドロの呟きは風に乗る。

彼以外の人間が存在しない夢の世界で、その呟きを拾う者はいない。


その呼びかけに答える人も、その名を聞いてアレハンドロに恐怖を覚える人も、氷のような視線でアレハンドロを刺す人も、誰ひとりいないのだ。


「いやだ、いやだよ、ミルッヒ・・・」


アレハンドロは、本当は答えを知っている。

知っている、けれど。


それに、決して目を向けない。
分かっていて、敢えて目を逸らす。


そのことに気づいているのは、夢の中のアレハンドロだけだ。


目覚めた後の彼でさえ、それを知らない。

だから大丈夫。
苦しいのは今だけ、この夢の中でだけだ。

こうしていれば、こうやってやり過ごしていれば、何も気づかないまま現実の世界で夢を見ていられる。

本当は何もかもを失ってしまった事を。
自分の手には何も残っていない事を、知らないままで過ごしていける。


まだ彼方あちらは、何にも気づいていないのだから。


毎夜毎夜、美しいこの流れの上で、ひとり苦しんでいればそれで済む。それで終わる。


だから大丈夫。 

胸が張り裂けそうに痛くても、涙で視界が滲んでも。

視界の端で、何度あの幼い子が水の中に呑み込まれる幻に苦しんでも。


まだ耐えられる。まだ、あともう少しだけ。

あと少しだけでいいから。


彼方の世界現実で、もう少しだけ幸せな夢を見させてほしい。

そんな世界ももしかしたらあったのかもしれないと、信じさせてほしい。


「ミルッヒ・・・」


最後の呟きを漏らしたのは、彼方だったか此方だったのか。

それももう分からない。

だって、起きた時のアレハンドロは、もう夢の中での事など全く覚えていないのだから。


「・・・? あ、れ・・・?」


けれど、それでも。


病室のベッドで朝日に包まれるたび、アレハンドロは戸惑いを覚える。

毎朝毎朝、そう、目覚めればいつも。

これは一体どういうことかと惑うだけ。


だって、目覚めればアレハンドロの枕は涙で濡れそぼり、唇や手の平には血が滲んでいるのだから。



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