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以前のお前も今のお前も

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「全く。レオは自分の生まれた家が分からなくなる病気にでも罹ったのか? ここにばかり来すぎだろ」

「随分とお兄さまに懐いちゃいましたからね」


文句を言いつつも満更ではない様子に、ベアトリーチェも思わず笑ってしまう。

ある筈のない尻尾がブンブン振られているのが見える気がするくらい、今のレオポルドは兄を慕っている。

一定の距離を互いに置いていた巻き戻り前とは大違いだ。


「・・・どうなるでしょうね。レオポルドさまとメラニーさまは」

「さてな。相手の令嬢に断る気はなさそうだから、レオが下手を打たなきゃそれなりの結果は出るだろうが」


レオポルドからの相談は、取り敢えずベアトリーチェとレンブラントが意見を述べてお開きとなった。


「だが、花束を持って行ったのは正解だ。しかも相手の令嬢が好きだと言った花。あいつがそんなに気の回る奴になるとは」

「お兄さまの教育の賜物ね」

「本来は親か教育係の役目なんだが。まあ仕方ない。ライナルファ侯爵に恩を売っておくのも悪くないだろう」


そう嘯いた後、レンブラントは感情の読めない表情で妹を見遣る。


「・・・思い出したんじゃないか?」

「え?」

「昔の・・・前の人生を思い出して嫌な気持ちになったのではないか? あいつは他の女に想いを寄せながらお前と契約結婚をしたのだろう?」

「・・・お兄さま」


時々、兄は人の心が読めるのではないかと思う時がある。それくらい他人の機微に敏いのだ。


「そうですね。ちょっと思い出してしまいました。でも、嫌な意味ではないのです」

「・・・そうなのか?」

「はい」


だから、そんな兄ならさぞかし心配しているだろうと思い、にっこりと笑ってみせた。

心配いらない、大丈夫だという気持ちを込めて。


「確かに、立場は少し似ていたかもしれませんね。でも、今日のレオポルドさまは、あの時のレオポルドさまとは全然違ってました・・・あ、勿論いい意味ですよ」


レンブラントが無言で続きを促す。


「実は、あの時もレオポルドさまはナタリアとの関係を一時的に絶たれたんですよ。白い結婚とはいえ、妻を娶るのに不実だと言って」

「と言っても、お前が死んだ後に後妻にする前提だったんだろ」

「そうです。でも最初からそういう約束でしたし、そもそも私から持ちかけた話ですし。だからそんな恐い顔をなさらないで、お兄さま」


ベアトリーチェがふふ、と苦笑すると、レンブラントが自分の指で眉間の皺を揉みほぐした。


「あの頃の私の体調は、それはもう酷いものでした。第三学年に上がってからは授業の三分の一は欠席でしたし、卒業後の半年ほどの婚約期間はその半分以上を寝込んでたんです」

「・・・」

「だから、もし白い結婚の約束がなかったとしても、どうせ妻としての役目など果たせなかったんですよ、お兄さま」

「トリーチェ・・・」


兄が何かを言いかけた。だがそれを敢えて聞かずに言葉を続ける。


「元々誰かの妻になどなれる筈もなかった私です。なのにレオポルドさまは、そんな状態の私を妻に迎えるためにナタリアと別れたのです。本当、レオポルドさまらしいと思いました」

「・・・まあ、不器用だが物事を曲げる事を知らないレオポルドなら、如何にもやりそうな事だ」

「でしょう? 本当に融通が効かないんですよ、あの方は」


そう言って顔を見合わせた。


「だから、話を聞いて、状況が少し似ているなと思うところはあったんです。
でも決定的に違うのは、今回レオポルドさまは本当の本当に、本気でナタリアに別れを告げました。一時的なものでも復縁を願うこともなく、完全に、永久に」

「その様だな」

「だからこそ、レオポルドさまとメラニーさまが上手くいってほしいと思います。もちろんそこは相性にも依るでしょうけれど、変な誤解とか噂は乗り越えてほしい」

「だから、レオにあんな事を言ったのか」

「そうかもしれません」


先ほどまでのレオポルドとの会話を思い出し、ベアトリーチェは微笑む。


「お兄さま。私ね」


一旦言葉を切り、少し視線を彷徨わせる。


「・・・もしあの時、レオポルドさまがメラニーさまに対してしたようにナタリアと本気で別れてくれたとしても、私は何も返すことは出来なかった。
そんな力なんてどこにも残っていなかったの。お飾りの妻以外の存在には最初からなれなかった。なのに話を聞いた時、少し羨ましいって思ってしまいました」

「・・・そうか」

「レオポルドさまに想いを残している訳じゃないのですよ? 何でしょうね、上手く言えないんですけど、私・・・」

「いいよ、無理に言葉にしなくて。何となく分かるから」


言い淀む妹の言葉をさりげなく遮ると、ベアトリーチェはホッと安堵した。


「あ、でもエドガーさまには内緒にして下さいね?」

「それも分かってるさ」


恥ずかしそうに人差し指を唇に当てた妹に、レンブラントは小さく笑った。


分かっている。
羨ましく感じたのは今もレオポルドを想っているからでは決してない。

それはきっと、何も望めず、何も願わず、ただ世界のどこかに自分が生きた爪跡を残せたらと思っていた妹が、そんな形の報いもあったのだと気づいただけ。

最近ようやく自分の幸せを頭に思い描けるようになってきた妹が、消えてなくなった前の自分に、少し憐れみを感じてしまっただけだ。

それは決して罪悪感を抱くような感情ではない。

だからレンブラントは、妹にこう告げる。


「大丈夫だ、トリーチェ。前のお前も今のお前も、同じお前だ。今のお前が幸せになれば、前のお前も同じく救われる。
だから、エドガーを信じて待て。きっと、あと一年もしないうちに薬が完成する筈だ」

「・・・はい」


はにかむ妹に、レンブラントは思う。


前のお前は知らなかったんだろう。
あの時も、お前を、お前のことだけを一途に想い、隣国で一心不乱に新薬の研究に励む男がいたことを。

恐らくエドガーは、お前の訃報を聞いた時、間に合わなかったと泣き崩れた筈だ。

そして、それは恐らく自分も、父も母も。


だから、こうして不可思議な運命に流されて時が巻き戻った今。

お前が幸せになることはお前一人の命題ではないことに、当のお前はいつ気づくだろう。

お前と、お前を一途に想う男と、お前の幸せを願ってやまない家族、それからきっと、お前を殺したというあのナタリアという娘でさえも。


お前が幸せになることで、きっと救われた気持ちになるのだといつか気づいてくれるだろうか。


レンブラントは、目の前でお茶を飲むベアトリーチェの笑顔に目を細める。

死を待つばかりで自分の幸せに無頓着な妹だった。

それが今こうして目の前で笑っている姿に、つい時を巻き戻してくれたあの凶悪な男に感謝すらしたくなってしまうくらいには、レンブラントはこの現状に満足していた。



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