85 / 128
甘い夢の果て
しおりを挟む「・・・ですがそれは・・・」
「何度も言わせるな」
真意を探るように問いかけるザカライアスに、彼の主人は苛立たしげな視線を投げた。
「頼めるのはお前しかいない・・・なるべく早く動いてくれ。出来れば・・・ふた月以内に」
「・・・っ、アレハンドロさま」
「・・・頼む」
「・・・」
それでも頷こうとしないザカライアスに、アレハンドロは言葉を継ぐ。
「この我儘で最後だから」
「・・・っ」
暫しの沈黙の後、小さな溜息と共にザカライアスは頷いた。
「・・・畏まりました」
そのまま深く頭を垂れ、ザカライアスは病室を出て行った。
ひとり病室に残されたアレハンドロは、左胸の上に巻かれた包帯をそっと撫で、溜息を吐く。
刃先が僅かに刺さった傷は、あの時ニコラスが止めなければ致命傷となったことだろう。
あの父親に殺されるのも一興だった。
生きたくもないのに生き延びてしまった。これを悪運と呼ぶべきなのか。
--- どうして、殺されそうになって喜んでいるのよ
あの時のナタリアの顔、ナタリアの声。
思い出して、ふ、と笑みが漏れる。
「馬鹿・・・とは、言ってくれたよ」
その口元は歪に歪んでいた。
「ナタリアはまだ分かってないんだ。馬鹿は死ななきゃ治らないってさ」
ああ、それにしても。
「甘い夢は、覚めるのも早かったな・・・」
呟きを落としたアレハンドロは、ベッドの背もたれに寄りかかり、固く目を瞑った。
もう少し、あともう少しだけ、何も知らない振りをして、このまま幸せな夢を見ていたかった。
だけど、目覚めてしまった。また思い知らされてしまった。
残るのは自己愛と強い執着の塊である自分だけ。
ナタリアは自分から離れていくと言う。
そして、ミルッヒはここには居ない。
ここには、居ない。
少し熱を持ち始めた左胸を押さえ、アレハンドロは夕食が届くまでの間、眠りについた。
マッケイがアレハンドロの病室を襲撃した翌日の朝、まだ食事時だというのにストライダム侯爵家を訪問して来た男がいた。
この男の訪問は半ば予想していたこととはいえ、朝食の時間を邪魔されたレンブラントの機嫌はすこぶる悪い。
ただでさえ、せっかくもぎ取った休暇が余計な事件が起こったせいで台無しにされたのだ。
既に機嫌が悪くなっていたところに朝早くから訪問者が現れ、火に油を注いだ。そして注いだのは、やはりまだ空気を読むことを時々忘れる男、レオポルドだ。
「あの、だからさ、レン」
「言ってるだろう。お前が出てくる様な話じゃない」
レンブラントも人間だ。必然、彼の口調もいつもよりかはキツくなる。
レオポルドの申し出はあっさりと却下された。
「でも・・・っ」
「『でも』も『だって』も聞き飽きた。余計なことをするつもりでここに来たのなら、さっさとライナルファ家に帰れ」
レンブラントからにべもなくそう告げられ、レオポルドは黙り込む。
「まぁ、直接病院に会いに行かなかったことは褒めてやる。だが許可はしない。うちの者に同行もさせない」
「レン・・・」
「少しは考えられるようになったから、まずはここに来たんだろ? まあ、もう少し遅めの時間に来る事を思いついてくれればもっと良かったがな。
兎に角、あともう少し頑張って考えろ。ストライダム家にかこつけてあの娘に会いに行っても、周りに与える印象は大して変わらないだろ、違うか?」
「そう・・・だけど」
レンブラントは、はぁと溜息を吐くと、手にしていた書類を机の上に戻した。
「トリーチェの助言を忘れたのか? お前はあの日、何のために・・・誰のためにトリーチェにアドバイスを求めたんだ?」
「・・・それは」
「トリーチェはなんて言った? お前が一番に優先すべき人は誰だ? お前の元恋人か?」
「・・・メラニー嬢、です」
「あれからずっと頑張って、それでだいぶ距離が縮まってきたんだろ?」
その言葉に、レオポルドの脳裏にメラニーの控え目な笑みがよみがえる。
あれから色々考えて、メラニーに喜んでもらえそうな贈り物やデートコースを考えた。
植物園やピクニック先でのランチ、メラニーに教わって花の名前も少しずつ覚えた。
ヴィヴィアンや公爵も安堵の表情を見せ、バートランド公爵家の使用人たちの態度も随分と物柔らかになってきていた。
「・・・ライナルファ家に連絡が来たんだよ。ナタリアが援助金の使い道を決めたらしくて・・・それで寮付きの看護学校に行くって」
「ほう」
「その学校は王都からは離れてて、だいたいドリエステとここを結んだ線上にある、どちらかって言うとドリエステ寄りの都市にあるんだ」
「・・・なるほど。それでか」
「もう、ナタリアに想いを残してはいない・・・と思う。今回会おうと思った事にやましい気持ちはないんだ。ただ・・・レンブラントの言う通り軽率だとも、思う」
「そうか。分かってもらえて何よりだ」
レンブラントは目を細め、目の前の男をじっと見る。
相変わらず素直過ぎるほどに素直な男だと思いながら。
「・・・我儘を言って、悪かったよ」
そう言って部屋を辞す後ろ姿を見送った後、レンブラントは肩をすくめた。
「あれは悪いとは思ってるんだろうけど、何かまだ考えてそうだな」
さて一体なにをやらかすのやら。
そう呟きつつも、少しずつ、だが確実に成長している彼がもう決定的な間違いはしないであろう事だけは、レンブラントも予測していた。
119
あなたにおすすめの小説
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめる事にしました 〜once again〜
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
【アゼリア亡き後、残された人々のその後の物語】
白血病で僅か20歳でこの世を去った前作のヒロイン、アゼリア。彼女を大切に思っていた人々のその後の物語
※他サイトでも投稿中
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
私があなたを好きだったころ
豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」
※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。
許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください>
私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる